第5話 戦端

「さすがに冷えるわね…」


 エリアナが両腕で自分を抱きしめるような仕草をした。

 馬車は更に北上し、周囲の景色は緑から枯草色に一変する。

 大陸最北端にある北の国境砦に到着した私たちは、駐留軍と合流した。


 私以外の3人は騎士団の人に呼ばれて会議室へ行ってしまった。

 私はデボラに別の部屋に連れて行かれた。

 そこで私を待っていたのは、ホリー・バーンズというSS級回復士の女性だった。

 彼女はこの国で最も優秀な回復魔法の使い手の1人で、階級は上から3番目の祭司長だった。

 ホリーは将来を期待されている女性で、ローブの色は金の縁取りのある緑色だった。

 つまり超のつくエリートだ。

 年齢は30歳。プラチナブロンドを首の後ろで結わえた、なかなかの美人だったけど、釣り上がったきつそうな眼をしている。

 古い体質の宗教国のこの国で、女性ながらこの地位に上り詰めるには相当な苦労もあったのだろう。

 眉間に刻まれたタテジワがそれを物語っている。


「バーンズ祭司長、勇者候補の回復士トワをお連れしました」

「ご苦労でした、デボラ。あなたの役目はここまでです。勇者候補には私が同行します。あなたには騎士団の魔法士部隊の一員としての行動を命じます」

「かしこまりました。では失礼します」


 デボラは礼を取って部屋を出て行った。

 ホリーは私に向き直ると、その鋭い目を向けた。


「トワさん。あなたのことはデボラから聞いています」


 ホリーはデボラの上司だったようだ。


「他の勇者候補と違い、まったく訓練の成果が出ていないようですね」

「あ、はい…すいません」

「異世界人にもハズレがあると聞いたことがあります。あなた、才能がないのかしらね?」


(ハズレ…?)


 彼女は釣り上がった目で私を見下した。


「私は反対したのです。あなたのような不出来な回復士など、戦場に連れて来ても邪魔になるだけだと。ところが大司教様のゴリ押しで、同行させることになったのです」

「え…そうなんですか?」

「仕方がないので連れて行きますけど、決して私より前に出ないこと」

「はい…がんばります」

「これを渡しておきます。もしもの時に使うように」


 ホリーはそう云って小瓶に入った高級回復ポーションを渡してくれた。

 回復士に回復ポーションを渡すというのは、かなり侮辱的な行為だと思う。

 だけど仕方がない。

 私の能力はその程度なのだ。

 さっき彼女が云った通り、ハズレなのかもしれない。


 ホリーは私を睨むように見て、舌打ちした。


 (チッ、どうして私がこんな出来損ないの面倒を見なくちゃいけないの。勇者候補だか何だか知らないけど、私以上に優秀な回復士なんかいないわ。空位の枢機卿の座につくためには、ここで手柄を立てて大司教にアピールしなくてはいけないのに)


「あの、ホリーさん…」

「何かしら」

「戦場に出るにあたって、気を付けることとかありますか?私、初めてなので…」


 私が質問すると、ホリーはフッと笑った。


「私はこの国に3人しかいないSS級回復士ですよ?私がいるのにあなたのような下級回復士の出番などあるはずないでしょう?」

「でも、騎士団って数百人ずつの部隊ですよね?人手はあった方がいいんじゃ…」

「私くらいの高位の回復士になると、一度の詠唱で一個小隊程度の人数を一度に回復できるのよ」

「え?複数の人を一度に?」

「ええ。あなたが戦場をちまちまと駆けまわっている間に、私はそこにいる数十人を一度に回復できるスキル<広範囲回復>が使えるの」

「広範囲回復…?どうやるんですか?」

「詠唱中、回復対象者をすべて視界に入れておくの。それが発動すれば回復させられるわ。その分魔力は食うけれど、戦場では一人一人回復するよりずっと効率が良いの」

「目に見えてる人全員回復できるんですか?すごいです…!」

「そうよ。だからあなたの出番はないの。あなたは私の言う事を聞いて立ち回ってちょうだい。いいこと?くれぐれも私の邪魔だけはしないで」

「は、はい…」


 ホリーの視線が痛いほど突き刺さる。


(大司教のお気に入りかもしれないけど、こんな小娘の面倒なんか見ている暇はないわ。…戦場で適当に置き去りにして処分してしまおう)


「ああそうだ。あなたのその髪。フードで隠した方がいいわ。魔族と間違われて味方から攻撃されないように」

「え…?は、はい」


 味方から攻撃されるとか、笑えない冗談だ。

 気を付けよう…。


 何キロにも渡って伸びた、万里の長城みたいな石壁が国境を分けていた。

 その壁の片方の端は寒風吹きすさぶ断崖絶壁の海で、もう片方はとても人が登れそうにない切り立った山の斜面と接している。

 国境砦は、その壁の内側に築かれている要塞だ。

 石壁の途中には大きな門があり、この門が唯一の通り道なのだ。

 そしてこの門は砦の中へと繋がっている。

 つまり、魔族側から国境を通り抜けるには、この門を通って砦の中を突っ切るしか方法はない。

 国境の石壁には、その上空50メートルまで有効な人間の仕掛けた魔法防御壁マジックバリアを発生させる魔法具が仕掛けられていて、壁をよじ登ることも飛び越えて行くこともできない。

 稀に飛行能力の高い魔族や魔物が防御壁の上を通過して行くことがあるが、砦上層や国境の石壁の上からの弓による射撃で撃ち落とされることが殆どであった。


 将やエリアナたちは駐留軍と共に先に出撃していた。

 私はホリーと馬車に乗って国境を越え、魔族側の地へ足を踏み入れた。

 外を見ると、うっすら靄がかかっているように見えた。


(もしかしてあのモヤってるのが花粉なのかな?

 普通に呼吸できるけど…、やっぱり私は異世界人なんだな…)


 周囲にいる騎士たちは全員、顔全体を覆う防粉マスク姿で、誰が誰やらわからなかった。鎧の腕に部隊別の腕章をつけて味方を見分けているようだ。

 ホリーも馬車の中にも拘らず、全身を防粉服に身を包んでいた。

 彼らは奇異の目で私を見た。

 防寒用の灰色のマントにいつものローブ姿で、マスクをしていないのは私だけだったからだ。


 馬車が駐留軍陣営のテントについた頃には、遠くで爆発音が聞こえていた。

 もう戦いが始まっていた。

 騎士団の指揮を取るのは連隊長のイシュタルという騎士だった。

 陣営のテントの先には防御柵が幾重にも張り巡らされていて、この先馬車は通れない。

 ここからはもう馬か徒歩で行くしかない。


「行きますよ」


 ホリーに促され、私は灰色のフードを深く被って騎士団と共に陣を出た。

 戦場は薄い靄に包まれていた。

 進んで行くと、戦っている騎士たちが見えた。

 きっとこの戦場のどこかにエリアナたちもいるんだろう。

 ふと、足が何かに当たった。

 下を見ると鎧姿の兵が倒れていた。

 回復させようと思ってしゃがみ込んだけど、もう死んでいた。

 職業柄、死体には慣れているつもりだったけど、こんな風に戦争で亡くなる人を見たのは初めてで、膝が震えた。

 鎧の金属音、剣の擦れる音。怒号、馬の足音。遠くに聞こえる爆発音。

 そうだ、ここはもう戦場なんだ。


「何をボーっとしているの!この先の塹壕ざんごうまで行って、撤退してくる兵を回復するのよ!」


 ホリーの怒声が聞こえる。


「は、はい!」


 塹壕というのは、戦場で兵が身を隠すために掘った大きな穴のことだ。

 疲れたり負傷した兵士が休憩所として使っていて、回復士はそこで待機することになっている。


 先へ進むと、ふいに視界が開けた。

 そこでは多くの人々が戦っていた。

 鎧に身を包んだ兵士らが戦っていた。

 その相手は、鎧も兜もつけずにむき出しの肌に胸当てを付けただけの軽装で剣を振るっていた。

 マスクを着けぬ顔や姿は、人間とは違って見えた。


(あれが魔族なの?

 この前見たのとは全然雰囲気が違う…!)


 よく見ると頭の天辺から耳が生えていたり、尻尾があったり、額に角があったり、肌の色が赤とか青だったりと、人間とはかなり違っていた。

 背中から黒い羽が生えていて、空中を飛び回っている魔族も見えた。


 魔族って、本当にいろんな種類がいるんだな。


 …なんて魔族に気を取られていたら、ホリーを見失ってしまった。

 その上、近くで爆発が起こって、その砂煙で視界が閉ざされた。

 やっと見えるようになったと思ったら、周囲には誰もいなくなっていた。


「え…?嘘…」


 方向感覚が失われてしまい、どっちから来たのかもわからなくなってしまった。


 どうしよう。

 こんなところで一人にされて、どうしたらいいんだろう?


「そうだ、ともかく塹壕を目指そう」


 そう決めて歩き出した私に、背後から声を掛ける者がいた。


「あんた、回復士か?」


 振り向くと、防粉マスク姿の騎士が、もう一人の騎士を担ぎ上げていた。


「悪いがこいつの回復を頼む。上級魔族にやられたんだ」


 そう言って、担いでいた騎士を地面に下した。


「じゃあ、頼んだ。俺は味方の援護に行くから」


 呼び止める間もなく、その騎士は走り去ってしまった。

 地面に横たわる騎士は鎧から血が滲んでいて、マスク越しでも苦悶の表情を浮かべているのがわかる。


 ともかく血を止めなければ。


 私はなけなしの回復魔法を彼にかけてみたけど、血を止めるのがやっとで傷を治すまでには至らなかった。

 騎士は痛みの為か、呻き声を上げている。


「なんで、どうして治せないの…?」


 悔しい。

 こんなときに役に立たない自分が情けなかった。


 その時、ハッと思い出した。

 ホリーにもしもの時は使うようにと、高級回復ポーションを渡されていたことを。


 私はそれをローブの内ポケットから取り出した。

 花粉のため、鎧を脱がせるわけにはいかず、血のついた鎧の隙間から止血した箇所にポーションを滴らせた。

 すると、騎士の呼吸が正常になり、やがて意識を取り戻した。


「ああ、回復魔法をくれたのか。礼を言う」


 騎士はそう云って立ち上がると、再び戦場へと戻って行ってしまった。

 高級とはいえポーションは垂らした表面の傷を治すだけだから、痛みだってまだあるに違いないのに。


 いくら回復しても、それは兵を再び戦場へ送り出すための作業にすぎない。

 そうやって回復できない魔族をじりじりと追い詰めていく作戦なのだ。

 まるで命を使い捨てにしているみたいだ。

 本当にこれでいいんだろうか?


 私は去って行った兵の背中をずっと見送ったまま立ち尽くしていた。

 背後に1人の魔族が迫ってきていたことにも気付かずに。


「人間め、死ね!」


 その声に驚いて、私は振り向いた。

 それは紛れもなく魔族だった。


(しゃべった!?)


 そう思った瞬間、足元で爆発が起こった。

 魔族が攻撃魔法を撃ったようだった。

 私はその爆風に煽られて宙を舞い、意識を失った。

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