第4話 魔族との遭遇

 私たちが目指すのは、北の国境にある砦だ。

 この砦は、たびたび魔族の大攻勢を受けては食い止めている最前線だ。

 ここには西大陸一の版図を誇るアトルヘイム帝国の軍が駐留している。

 実は大司教公国は、アトルヘイム帝国の自治領のひとつで、今回はその国境砦からの依頼なのだ。

 国境を挟んだ向こう側には、魔族の前線基地がある。

 先日、国境近くで下級魔族との戦闘があり、その際に捕獲した魔族から、魔王都から前線基地への兵の補充や物資の補給が滞っているとの情報を得たのだ。

 これは魔王不在の王都で何か異変が起こっている証拠だとの推測がなされた。

 帝国軍はこれを好機と捉え、魔族の前線基地を攻略する計画を実行することにした。私たちはその戦力として派遣されたわけだ。


 北の国境砦までは馬車で10日程の旅程だった。

 この世界の馬はカピバラみたいなちょっと間の抜けた顔の割に、足が太く体躯もガッチリしている。重い鎧をつけた騎士を乗せてもへばらないという理由で軍馬に採用されていて、魔族の駆る魔獣馬にも匹敵する馬力がある。

 一頭でも6人乗りの重たい馬車を長時間引ける体力もある。


 私たち勇者候補には公国騎士団の一個中隊が同行している。

 将と優星は、彼らに混じって騎馬で移動している。

 私とエリアナは、デボラ先生や世話係の侍女と同じ馬車に搭乗した。

 そのせいで車内でも魔法の授業が口頭で行われた。


「さてトワさん、復習です。魔法が発動する仕組みは何でしたか?」

「えっと、『マギ』っていう不可視の素粒子を収束させて発動させます」

「よろしい。では…」

「ねえ、マギって何?」


 エリアナが口を挟んだ。

 するとデボラは眉をひそめて彼女を睨んだ。


「…呆れた。基礎を習っていないのですか?」

「そんなのわかんなくても魔法は使えるよ。大事なのは実技じゃない?」

「マギとは生体エネルギーのことで、いわば魔力の源です。マギを意識して魔法を使わないと、あっという間に魔力切れを起こして倒れてしまいますよ」

「そうならないように魔力を回復させるのがあんたたちの仕事でしょ?」


 デボラは明らかに不機嫌そうな顔をした。


「ちょっと、エリアナ、先生にそんな口の利き方しちゃダメだよ」

「何よ、ホントのことじゃん。あたしの先生なんかもう、教えることないって急にいなくなっちゃったもんね」


 エリアナは回復士を下に見る傾向にあるから、態度に出てしまうのだろう。

 それに敬語に慣れていないのか、常にタメ語だ。

 彼女の先生は、きっと他人から敬われていた魔法士に違いない。それがまだ子供と云っていい少女に舐められて、自尊心を傷つけられて去ったのかもしれない。


「エリアナさんは回復士がどれだけ重要かわかっていないようですね」

「は?回復士は後方支援職でしょ?楽でいいじゃん」

「回復士がいなければ、いくらあなた方魔法士が頑張っても魔族には勝てないんですよ!」

「何言ってんのよ。魔法士がいなきゃあんたら何もできないじゃん?」

「勘違いも甚だしい。体力も魔力も魔族に劣る人間が、回復なしで勝てると思っているんですか?」

「ダメージ受けなきゃいいだけでしょ?」

「上級魔族を舐めてはいけません。彼らは強い。ですがどれだけ強い魔族が相手でも長期戦になれば回復魔法を持つ人間が絶対的優位にあるんです。つまり勝敗の行方は我々回復士が握っているのです」

「すっごい上から言うじゃん。大袈裟ね」

「いいえ。そもそも魔族には回復魔法が存在しない時点でこちら側が有利なんですよ」

「え?魔族って回復魔法ないの?」


 エリアナが驚いたように云うと、デボラはやれやれ、と肩をすくめた。


「いいですか?そもそも、回復魔法は聖属性魔法です。魔族はそれとは対極にある魔属性を持っているので、相反する聖属性魔法は持つことも使うこともできないんです。回復魔法という概念自体が彼らには存在しないのです」

「へえ~、知らなかった」

「教本にも書かれている、基本中の基本です」


 私たちは教本を読めないから、そんな基本的なことすら知らなかった。

 教師らも、そんな基本的なことは教えるまでもないことだと思ったのだろう。

 私もデボラから聞くまでは知らなかったし。

 魔族は強いから、それくらいのハンデがないととっくに人間は滅ぼされていただろうとデボラは云う。


「それじゃ、魔族って全然回復できないの?」

「稀にですが、回復系スキルを持つ個体もいます。ですが基本は魔族専用の回復ポーションを使用するしかありません。しかし、聞くところによるとその専用ポーションは高価な上、連続使用のできない粗悪品だと言います。実質戦闘中には使えない代物です」

「じゃあ断然こっちが有利じゃない。なーんだ、楽勝じゃん」

「魔族を舐めてはいけません。特に上級魔族はこちらのS級に匹敵する魔法を使用してきます。まともにやり合ったら怪我どころでは済みませんよ」

「だったらあんたたちが頑張ってあたしたちを回復してよ」

「…言われなくてもそうします」


 デボラの額に青筋が浮き出るのが見えた。

 堂々巡りの会話の末、かなり怒らせてしまったみたいだ。


「あ、あの、デボラ先生、なんかすいません…」

「サラさん。あなたももっと頑張らないと戦場で役に立ちませんよ。未だに止血と小さな傷程度しか治せないではありませんか」

「は、はあ…」


 こっちにとばっちりが来てしまった。

 でもその通りなのだから言い訳できない。

 毎日修行しても回復量は増えず、新しいスキルも覚えない。

 完全に落ちこぼれてしまっている。

 他の3人はメキメキと実力を発揮しているというのに。


 その時、急に馬車が止まった。


「何かしら。まだ次の宿営地に到着するには早すぎるはずだけど」


 デボラが外を見ようと馬車の窓のカーテンを開けると、レナルドの顔が見えた。

 

「申し訳ありません。この先の村で魔族が立てこもっていると報告を受けました。すぐに救援に向かいます。ご準備を」

「わかりました。あなたたちも、いいですね?」


 デボラが私とエリアナを振り向いた。


「い、いきなり魔族と戦うんですか?」

「あたしはいいわよ。腕試ししたいし」


 不安でしかない私と違って、エリアナは余裕があるように見えた。


 馬車は本来の道を逸れて、廃墟の中を通って行く。

 そこは100年前に起こった人魔大戦で魔族によって滅ぼされた街の跡だった。

 その廃墟には、大戦を生き延びた魔族が多く潜伏しているらしい。

 そこに巣くう魔族たちが食糧を確保するために、たびたび近隣の村を襲いに来るという。

 今回もそんな魔族の襲撃に遭った村が救援依頼を出してきたのだ。

 私たちは被害のあった村へ急行した。

 先行した将たちは村の出入り口を封鎖して、魔族たちを村へ封じ込めた。

 外に避難してきた村人によれば、魔族は複数で村人たちを人質に取って家に立てこもっているという。


「人質だなんて卑怯だわ。許せない」


 エリアナは怒っていた。

 騎士団の団長と打ち合わせをして、魔族殲滅作戦の内容を聞かされた。

 その作戦内容に、唖然とした。

 魔族が潜んでいると思われる家屋に勇者候補と共に騎士団が突入し、魔族を殲滅するという何とも単純なものだったからだ。


「あの…人質は助けないんですか?」


 私は当たり前のことを聞いた。

 すると騎士団長からは信じられない台詞が返って来た。


「魔族殲滅が最優先です」


 私はビックリして聞き返した。


「で、でもそれじゃ村人が犠牲に…」

「村人が魔族に攻撃されても、死んでいなければ私が回復魔法で癒します」


 だから気にするな、とデボラが云う。

 

(そんなめちゃくちゃな作戦ってある?

 いくらなんでも回復魔法に頼りすぎじゃない?

 もし死んでしまったら?

 運が悪かったで済まされてしまうわけ?)


 助けられる命を最初から放棄するなんて、私には理解できなかった。


 そうしているうちに、作戦が始まった。

 騎士団の人たちが、魔族が立てこもっている家を包囲した。

 剣を持った将が扉を蹴破って、中に突入した。

 その後ろからエリアナと騎士たちが続いた。

 優星は家の外で弓を構えて、逃げ出した魔族を仕留める役目だ。

 後方の私の位置からは、家の小さな窓から炎や光が見え、怒号と悲鳴が聞こえるだけだった。

 大きな爆発音の後、家から火だるまになった人影が飛び出してきた。

 外で待ち構えていた優星はその人物に向けて弓を射た。

 肩と脇腹に弓を受けて倒れたのは、村人ではなかった。

 緑色の肌をしていて、髪の毛はなく耳が尖っている。

 私の目はそれに釘付けになった。


「あれが、魔族…?」


 それはゲームやアニメで見たことのあるゴブリンという魔物にそっくりだった。

 騎士たちが黒焦げになったゴブリンを捕縛した。


 間もなく家の中から将とエリアナ、魔族を3体引きずった騎士たちが出て来た。


「トワさん、行きますよ」

「は、はい!」


 デボラに声をかけられた私は、エリアナたちと入れ違いに家の中へ入っていった。

 家の中は炎の魔法の後なのか、あちこち黒く焦げていた。

 人質の村人が家の隅に2人、倒れていた。


「ひどい火傷とひっかき傷…」


 幸い2人とも息はあった。


「ど、どうしよう。ともかく冷やさないと…!」


 私はいつもの癖で、応急処置を取ろうとした。

 だけど、救急医療の現場には立ち会ったことがなかったので、焦って道具もないのにうろうろしてしまった。

 そんな私を見かねてデボラから叱責の声が飛ぶ。


「何をやっているんです。はやく回復魔法をかけなさい!」

「あ、そっか…魔法で治すんだっけ」


 自分でも呆れるくらいパニックになっていた。

 この世界では傷は魔法で治す、そんな基本的なことすら忘れていた。

 とりあえず、ひっかき傷からの少量の出血は止められた。

 だけど火傷の方は、何度やってもうまく治せなかった。

 ふと、隣を見ると、デボラが見事に傷を治していた。


「ふあ…さすが」


 もたもたしている私を見て、彼女は溜息をついた。


「どきなさい。私がやります」


 結局二人共、デボラが癒した。

 他の家にも複数の魔族が潜んでいるというので、同じように将が突撃してはエリアナが魔法をぶっ放し、外に逃げ出してきた魔族を優星が弓で仕留めるという見事な連携で、あっという間にこの村にいた魔族たちを殲滅し終わった。死んだ魔族は全部で12体。生け捕りにした魔族は3体だった。


「ぜんぜん手ごたえなかったわね。もっと派手にやりたかったわ」

「確かにね。期待外れだったよね。魔族って案外弱いんだね」

「俺は魔法剣の試し斬りができて良かったけどな」


 勇者候補の3人は、好戦的な発言をしている。

 彼らには魔族とはいえ、生き物を殺しているという感覚はないようだった。

 後で騎士団の兵に聞いたところ、この村にいたのは最弱の部類に入る下級魔族ばかりだったらしい。

 ゲームなら序盤に出てくるザコキャラってところだ。


 デボラによってすべての怪我人が癒されたけれど、残念なことに村人が一人犠牲になってしまった。

 亡くなったのは女性で、その夫が亡骸に縋りついてひどく泣いていた。


「あの、蘇生魔法は…使わないんですか?」

「はあ?使わないに決まっているでしょう?まだ旅の序盤なのに、たかが村人一人のために私に魔力切れを起こせと?」


 私がデボラに尋ねたのは、最高位の聖属性魔法で、死んだ人を生き返らせるスキルのことだ。当然、私のような下級クラスの回復士は持っていない高等スキルだ。

 100年前に召喚された勇者が最初に使ったという蘇生魔法は、大量の魔力を消費する割にその成功率は30~40%未満、しかもその殆どは不死者ゾンビイとなってしまうという、高リスクな魔法である。

  

 でもこれでハッキリした。

 騎士団の人たちは最初から人質の命なんて助ける気はなかったんだ。

 怪我を癒してもらった村人たちの顔には、恐れと慄きが見て取れる。いくら魔法で回復したとはいえ、恐怖と痛みの記憶は残っている。

 やっぱりこんなやり方はダメだ。


 捕らえられた魔族の中にはゴブリンの他に、狼男のような半獣人もいた。

 魔族にもいろいろな種類がいるようだ。

 驚いたのは、あれだけの攻撃を食らってもなお、瀕死とはいえまだ生きているというその生命力だ。


「ああして生きて捕らえた魔族たちは我が国の研究施設リユニオンへ送られます。施設では常に生きた魔族の実験体を受け入れているのです」

「実験…?」

「人間の役に立つための研究です。これまでにも多くの魔族の実態を明らかにしてきました。人間への貢献度は計り知れません」


 つまり、人体実験をしているということだろう。

 この国では魔族は天敵だから、反対したり同情する者もいないのだろう。

 その一方で、人の命より魔族討伐を優先させるこの国のやり方には疑問を抱かずにはいられなかった。

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