罪の子⑨

「それにしても、夜毎マリカを責めているとは、クソ蛇め」

「わ、わ、キヨラ、お、怒られちゃうからぁ、悪口言わないで」 


 私は慌ててキヨラに向けて、人差し指を立てて「しー」と彼の言葉をいさめた。

 その様子を目を細めて見ていたジンが「ふっ」と笑って、部屋の隅にある座卓の引き出しを漁り、メモ帳と鉛筆を取り出した。そして、私とキヨラに一本ずつ鉛筆を差し出したの。


「?」


 キョトンとする私達の前で、ジンは縁側に広げたメモ帳にかがみ込み、鉛筆を走らせた。


『最近分かってきたんだけど、マリカの邪神は字が読めない』


 私は息を飲んで、急いでジンの書いた文字の横に「ほんと?」と書いた。

 ジンが微笑んで頷く。


『字が読めない、というより、見えない。君の普段の生活は肌感覚でとらえているんじゃないか、というのが父さんの見解』

「へ、へえ~」


 小さなメモ帳は、すぐに見開きいっぱいに埋まってしまう。

 ジンは少しもどかしそうに、ピッと音を立ててメモ帳を捲った。


『蛇は下顎で地面の震動を音として感じ取っている。だから、君のどこかに下顎をピッタリつけて、音を聞いたり、君の肌を通して、触れるものを見張っている。後は、嗅覚も鋭いかも』


 アイツが私のどこかにピッタリ張り付いている気持ち悪い様子が簡単に想像出来てしまって、ゾッとしてしまったわ。


 ジンは指でペンを器用に回し、少し得意気にキヨラを見ていた。

「僕良い仕事するだろ?」って言っているみたいで、ちょっと可愛かった。

 キヨラはウンウンと頷いて、自分のやや右側に広げられたメモ帳へ身体を少し傾け、腕を伸ばしてサラサラと鉛筆を走らせる。メモ帳を見るため少し傾げた横顔と睫毛を、日の光が縁取っていて眩しかった。


『じゃあ筆談ならマリカと』


 まで書いて、ピタリと止る。 

 それから何故だか顔を赤くして、ぐしゃぐしゃと書いた文字を消してしまったの。


「いや、そんな止め方、逆に気まずいわ」


 ジンも何故だか笑って、メモ帳を捲って鉛筆を走らせる。


『残念だけど、邪神が現代文字を読めた場合、筆の運びで理解してしまうかもしれない。手話が良いかもしれないけど、あの手の動きを呪術と勘違いされたら面倒』

「そっかぁ」


『でも』


 と、私は文字の並びと書き順をバラバラにして書いて見せた。『て』の後に『も』の横棒の下だけ引いて、『て』に濁点を付けた後、上の横線を引いて、『し』で仕上げるの。

 二文字だけだと、予想がついてしまうかもしれないけれど、文章でこれをやったら、何を書いたか中々分からないのでは、と思ったのよ。

 その説明を苦労しながら書いて見せると、ジンが頷いてくれた。


『大変そうだけど、出来るなら』

『すごいなマリカ』

『邪な存在に、村に存在しているモノ達の知識を与えたくなかったから、マリカには調べたものを黙読させるだけになるかと思ってたけど、書き写しも手伝ってもらえそうだ』


 あやうく役立たずになるところだったと知った私は、お手伝い要員に入れてもらえたと知って嬉しかった。


『まかせて』


 もたもたと書いて見せると、ジンもキヨラも微笑んでくれた。

 それから、ジンがもっと広い筆談場を求めて、部屋を出て行ったの。

 私はキヨラと二人きりになって、張り切って文字を書いた。

 舌を吐いて驚かしてしまった事や、お布団を汚してしまった事を謝りたかったの。


『ごめんね』


 キヨラは逆光の中で、私を見返した。


『なにがだ?』

『おどろかせて』『お布団汚して』

『いい。知らなかったんだから。何を言おうとしてくれたのか、分かったし』

 

 私が「え?」と顔を上げると、キヨラが光に縁取られて優しく微笑んでいた。

 無垢なの。彼は人間で、私達と同じ様々な欲を持ち、それを特に隠そうともしていないのに、穢れが見えないの。若い神様みたいだったわ。

 キヨラが生きている事に、涙が零れそうになる。

 私の胸は、込み上げる熱さと、締め付ける冷たさを同時に感じてギュッと窪む様だった。

 震える手で、あべこべに文字を並べた。


『ほんと?』

『言うと、舌を噛むんだろ?』

『そっかー。逆に分かっちゃうんだ』


 なんでもないように返事を書く事に、とても苦労したわ。

 顔がほてるし、心臓があばれて、こんなの、何かあったと蛇骸骨にバレてしまうと思った。

 あの時は気軽な気持ちで「好きだよ」って言おうとしていたけれど、無性に恥ずかしくなってしまったの。


『嬉しかった。ありがとう』

「……うん」

「どうした?」

「うん……」


 鉛筆で文字を書く事も、顔を上げる事も出来なくなって固まっていると、スラッと襖が開く音がした。

 

「うち、書道用の紙しかなかったわー。取りあえず学校のプリントの紙裏で……どうかしたの?」

「なんか固まった」

「ふーん、じゃあ、マリカは動けるようになったら参加して」


 ジンの興味なさそうな様子に救われた私は、「はい」と小さく返事をしたと思う。


* 


 いまわ神社の書物庫は、二間続きになっていて、入ってすぐの間には村人の経歴書や家系図、村と家ごとの帳簿や証書などが保管されているのだと、ジンが教えてくれた。

 村人達の風習やしきたりは、経歴書に書かれていて、ジンはこれを暗記していて、村へ来たばかりの私に教えてくれたのよ。


『奥の間は悪鬼を閉じ込めて門番にしているから、門守の血族と格の高い巫女しか出入りできない。僕は、門守家の儀式で幼い時に三度入った事がある。神社や土地の歴史書、代々調べ上げた妖異よういの調書とかも、ここ。それから、屠魂録という巻物が赤い木箱に収められ奉られている』

『何て読むの?』

『ホコンロク』


 暖かな縁側、日の光の下に広げられたノートの白いページに、『屠魂録』の文字だけが奇妙だったわ。なんだか暗いの。

 

『多分、それが怪異や呪縛を屠った人達の記録だと思うんだ。妖異調書と屠魂録を調べれば、模倣できる解決策があるかもしれない』


 私とキヨラは、目を輝かせたわ。

 門番という悪鬼がいると聞いて怖いと思ったけれど、門番をしているくらいなのだからこちらの言う事を――少なくともジンの言う事は聞くのだろうと思った。

 それなら、うん。蛇骸骨より怖くない。そう思ったのよ。


『父さんが奥の間を許してくれたら……だけど。どうせ許されないから最初から許可は取らない。深夜に忍び込もうと思う。手分けして書物に目を通すなり書き写すなり出来たらいいんだけど、二人に頼めるかな?』

『大丈夫だ。俺は昼より夜の方が具合が良いぞ』

『いいよ』

『じゃあさっそく今夜でもいい? マリカをうちでしばらく預かる事になっているから、行動しやすいんだ』

『いいぞ。なら、俺も泊らせてもらおうかな』


 思いがけないお泊り会展開に、私の胸が高鳴った。

 ジンもキヨラのお泊り参戦は思いがけなかったみたいで、パッと頬の血色を良くした。


「……っ、そう? いや、でも、キヨラの身体の事は親御さんが一番知っているだろうし、親御さんの許可が下りてからにして。まぁ、うちの巫女さん達の方が緊急時には臨機応変に対応できると思うけど」

 

 筆談を忘れて、珍しく早口になるジンが面白かったわ。

 だけど、キヨラがジンの肩に腕を回して


「楽しみだな。ジン、背中流してやるよ。枕を並べるのも初めてだな」


 と言うと、途端に表情を強ばらせてしまったの。


「いや、風呂も寝床も無理。別々で」

「え? そ、そうか。わかった」


 キヨラがちょっと傷ついた顔をしていて、可哀相だったわ。

 キヨラから背けたジンの顔も、今までになく泣きそうな表情だったので、こちらもなんだか可哀相だった。


 こうして過度の触れあいは無しの、お泊まり会が始まったの。 

 ジンの家へお泊まりの許可をもらいに行った後、初めて三人一緒に晩ご飯を食べた。でも食卓に何を並べて貰ったかは、忘れちゃったの。

 湯上がりのキヨラはとっても血色が良くて、色っぽかったわ。ジンがキヨラとお風呂に入るのを嫌がった理由が、分かった気がした。

 それから書物庫へどうやって入るか、とか、「何がいるか」とかを筆談で教えてもらって心構えをした後、DVDでスパイ映画を観て時間を潰した。キヨラとジンとそうしていると、家にいるよりも気持ちが穏やかで不思議な気分だった。

 そして夜がうんと深まった頃、私達はコッソリと書物庫へと向かったの。

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