罪の子⑨-2

 書物庫は、本堂の裏手にひっそりと建つ古い建物だった。ジンのお家の、物置の戸と間違えそうな小さな木戸を開けると、細い渡り廊下が現れて書物庫へと繋がっていたの。天井には、鈴がたくさんぶら下がっていたわ。

 

「多分マリカの邪神に反応して鳴っちゃうから、僕と手を繋いで」

「はい」

「……」


 ジンに手を引かれて渡り廊下を抜けると、南京錠のかけられた銅製の扉があった。

 南京錠はダイヤル式で九桁もあったの。でも、ジンは難なく数字を合わせて開けてしまった。


「すごーい」

「手前の間は、たまに手伝いで入るからね」


 書物庫の照明をパチンと点けて、ジンが言った。

 微かにカビ臭い書物庫の中は、冊子や巻物、木箱などが棚に整然と並べられていたわ。

 どこからか、気配を感じる空間だった。


 コトン。

 カサコソ。

 すーはー、すーはー……

 しゅ、しゅ、しゅ。

 ギィ……。

 

 とてもとても、微かに、耳では無く、気配で聞こえる様な音がする。


「こんな簡単に入れて良いのか?」

 

 キヨラが部屋を見渡しながら言った。


「あの南京錠は普通の人には開けられないよ。普通じゃ無い人が開たとしても、奥の間はもっと大変だし」


 ジンがそう言って、部屋の奥へ顎をしゃくった。

 そこには、屏風が裏側を見せて立っていたの。

 ジンについて屏風の向こうへ行くと、木の古い引き戸があった。

 屏風の表が気になって見てみると、金地に立派な雄牛が描かれていたわ。雄牛は真っ白で、胸を張っているみたいだった。


「君たちは屏風の裏側にいてほしい。来る前に教えた通り、この戸を開けると化け物がいるから、僕だけで行く。必要そうなものをそちらの部屋へ持ち出すよ」

「手伝うぞ」

「私の化け物の方が、こ、こ、怖いもん」

「そうかもねぇ。だけど、奥の間の化け物が万が一マリカに触れ、邪神に倒されたら困るんだ。奥の間の大事な門番だからね」


 そう言ってジンは私達を屏風の裏へ追いやったの。


「いい? 屏風がある限り、絶対に奥の間からは出て来ないから、パニックにならないでね。話しかけてくるけど、応えなくていいから」


 私とキヨラは頷いた。

 それから屏風の向こうへ戻ったジンが一息吐いた後、木戸を開ける音がした。

 すると、嬉しそうな気配がブワッと出て来たのが伝わって来たの。

 

 ハッハッハッハッ、ぺちゃ、ぴちゃ、くあん。

 とすとすとす……ぱたぱた。ずる……。


 お家に帰ってきた飼い主を迎える犬みたいな、そんな気配よ。

 でも犬や獣じゃない事は、すぐに分かったわ。


『こはぁ、こはこはぁ……こにちぃわぁ、こんぃち、わ、わ、ち、ちわぁ。がまぁん、がまぁんしぃぃぃうる、うし、うし、おいさのうし』


 ボソボソとした、低くて歪んだ声だったわ。

 ちゃぐちゃぐ、と、何かを噛んでいる音もする。

 私はもう、声だけで震え上がってしまったの。

 好奇心で屏風の向こうを覗いていたキヨラは、パッと屏風から離れて吐き気を抑える様に口に手をやっていた。


「キヨラ、大丈夫?」

「シー、静かに!」

 

 キヨラは慌てた様に、私が声を出すのを小声で止めた。

 でも、気づかれてしまったみたい。


『いる、いるいるいるいるいる、いる、ねぇ。いるねぇ、だああああれ? ぃたくぅ、なぃよぉ』


 ベタズルベタベタズル。


 引きずる音と妙に多い足音が戸口まで近寄って来て、「ふすふすふす」という息使いと一緒に生臭い匂いが漂って来た。私もキヨラも手で口と鼻を押さえて身を縮めたわ。

 ソイツは本当に奥の間から出られないみたいだった。


「ぐぅ、くせぇ」


 キヨラは深く息を吐いて、項垂れてしまった。

 私も膝を折って抱え込んだ。

 キヨラと触れあえず、支え合えないのは心細かったわ。

 ソイツはしばらく屏風の向こうにいる私とキヨラに、誘いかけて来たの。


『おぉい』『おぃしぃよ』『さがそ』『おぃしぃとこさがそ』『ぃ、ぃたくしなぃ』『しなぃからぁ』……


 こちらを知られている事が、とても不快だったわ。

 ジンが心配だったけれど、怖くて身体が動かなかった。

 私が死ぬまでいたぶって楽しみたい蛇骸骨とは、怖さが違うの。

 すぐに私を壊し、味わいたがっている率直さと卑しさが怖かった。


――――小癪な。触れろ、アレに触れて滅させろ。

 

 普段話しかけてくる事が無い蛇骸骨の苛立たしげな声がして、私は頭を振って抱え込んだ。

 見るのも怖いのに、触れるなんて無理。

 奥の間から伝わる殺意と、言う事を聞かない私に対する蛇骸骨の苛立ちの挟み撃ちにあってしまって、辛かった。

 

 ぶち。

 ちゃぐちゃぐちゃぐ。 

 カチカチカチ。


 ソイツが何かを咀嚼している音に我慢が出来なくなってきた頃、「お待たせ」と、ジンの穏やかな声がした。

 ジンの気配が奥の間から出て来て、戸が閉まる。

 途端に気持ちの悪い気配が消えて、悪臭だけが残った。

 屏風の影からヒョイと出て来たジンは、大きく平たい赤い木箱と古い巻物や綴りを抱えていた。

 

「よいしょ。屠魂録は奉ってあるし、妖異調査書は読んだ事あるから場所が分かったけど、歴史書が見つけられなかった」


 また探してみるよ、と、簡単に言うジンに、私もキヨラも目を見張る。


「なに?」

「み、見てないけど、あ、あ、あんなヤツがいる所にまた行くって言えるの、す、すご」

「ああ、だって僕には触れる事すら出来ないから」


 けろりと言って、笑う。

 それから、ジンは赤い箱を固く封じている組紐に躊躇無く手を掛ける。


「凄い結び目だな」

「これねー、結び目の形にも呪術的な意味があるんだ」

「元に戻せるのか?」

「うん。すごく面倒くさいけど」


 ぎちぎち、と音を立てる組紐を解くと、蓋がそっと開けられた。

 中には一冊の綴りと、屠魂録と書かれた巻物が7巻入っていたわ。

 そして各巻には、それぞれ人の名前が書いてあったの。


 喜兵衛、およし、お鶴、西蓮寺、上原、松尾、旅芸人


「え」と、キヨラが声を上げた。

 ジンも「あ」と声を上げ、膝を叩く。

 私も目を丸くして、三人で声を揃えた。


「代表さん」

 

 巻物に書かれていた名は、田んぼ道に並ぶ代表さんと同じだったのよ。

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幽霊マリカは薔薇を噛む 梨鳥 ふるり @sihohuuka

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