罪の子⑧

 知らない場所で目覚めるのは、戸惑いと不安を感じる。

 もう何度かそんな経験をしているけれど、きっと慣れる事はないのでしょうね。

 枕元でヨソさんが、うちわで煽いでくれていたからホッとした。


「気がついた?」

「こ、こ、は?」

「門守家の空き部屋。あなた昨夜、あぜ道で倒れている所を運ばれて来たんだよ。駄目よ、舌を散らかして意識を失っては。女の子の舌は強い呪物の材料だから、悪い奴に拾われたら大変よ」


 ヨソさんはそう言って、私に水を飲ませてくれた。


「落ち着いた? ジンと早乙女さんが心配して部屋の前をウロウロしてるんだけど……目が覚めた事教えても大丈夫?」


 ヨソさんが言い終わる前に、出入り口の襖がガタガタ揺れた。


「……聞き耳立ててるね……どうする?」


 キヨラの布団を舌で汚してしまってから、なんだかバタバタしていて二人とまともに話をしていなかった。

 本当は気まずかったし、キヨラの顔を見たら悲しくなりそうで嫌だった。だけど、騒ぎを起こしてしまった事を謝りたかった。


ヨソさんが襖を開けると、キヨラとジンが正座して並んでいたわ。「なんで正座」って、ヨソさんがちょっと笑っていた。


「母さんは席外すけど。あまり無理させないでね」

「ああ、分かってる」

 

 ジンがヨソさんに答えて、キヨラは折り目正しいお辞儀をしていた。

 ヨソさんが部屋から出て行くと、二人はそろそろと側に寄って来て同じタイミングで大きく息を吐いた。


「心配した。大丈夫なの?」


 少し怒ったみたいに言うジンに、本当に心配してくれたんだなぁ、って嬉しく思ったわ。


「うん……ご、ご、ごめんねぇ」

「どうしてあぜ道で舌なんか吐いてるんだ。誰にその、言ったんだ?」


 キヨラの質問で、もう舌を吐く条件を知られていると分かったわ。


「村に……夕日が綺麗だったから……その、試したの」

「人以外も対象か……」


 頭の中に書き留める様に呟いたジンの横で、キヨラが唐突に「葬式があったな」って言った。


「ん?」


 ジンが小首を傾げると、キヨラは急かされる様に喋り始めたの。


「―――数年前、俺の従妹のヒカルさんが、赤ん坊に男の名前をつけて、失った」

「……ああ。しきたりを無視したから犯枯になったんだ」

「そうだな。ヒカルさんはしきたりを守らなかった――葬式があったな。犯枯が原因の葬式は、お披露目された。赤ん坊の遺体はなかったが、殺されたと判る部屋に鎮魂の祭壇が置かれた。畳に小さな血の斑点が幾つもあって、その中には顔と判るものもあった。あれを見せられて、村人の誰もが震え上がった。『自分達の決まりを固く守らなければいけない』と」


 私はキヨラの話を聞いて、胸が痛かった。

 やっぱり。やっぱりって思ったの。この村の人達は、私と同じなんだって。決まりを破ると酷い事が待っているんだって。

 ジンは冷静な声で答えた。


「そうだよ。自分の一族のしきたりや風習を守らなければいけない」

「……見せられたのは、想像以上に忌むべきものだった」

「うん」

「人では太刀打ち出来ないモノだと悟った。恐怖が背骨まで伝ったよ」

「ああ、そうだね」


 ジンは涼しい顔で答えて、ヨソさんが用意してくれていた湯飲みに水を注ぎキヨラへ差し出した。キヨラは汗をかいていたの。


「皆の犯枯も同じ具合か?」

「大体はおぞましく、時々神々しいものもある」


 キヨラは頷いて、湯飲みの水を飲み干し、質問を続けたの。

 

「マリカも同じなんだな?」

「ああ」

「俺がマリカに触れるとどうなる? マリカが死ぬのか?」


 ジンがチラリと私を見てから、言った。


「触れた側に害が及ぶ。触れる程度や状況によって違うけど、身体の一部の欠損……部位によっては命を失うよ」

「あ、あとぉ、夢で毎晩私を責めるの」

「責める……? 何がお前を責める?」

「マリカに取憑いている悪鬼だ。今父さんがソイツの由来を探っている。恐らく蛇の邪神らしいよ」


―――言わなければよかった。ジンのばか。どうしてそんなに教えてしまうのよ。


 触れれない上に、邪神に取憑かれている女の子なんて、嫌に決まってるもの。

 現に、キヨラは両手で顔を覆って、深い息を吐いていたわ。


「落ち着け」


 ジンがキヨラの呼吸が乱れないように背をさする。それを羨ましく見ていると、数呼吸後にキヨラがハッキリした声で言ったの。

 

「マリカを自由にしたい」


 いつもは真っ白な白目が充血していて、知らない人みたいだった。


「……え?」

「あれほど忌まわしい所業が出来る存在があると知った以上、マリカをそういうモノの手中に置いたまま、死にたくない。マリカだって解放されれば、もう死にたいなんて思わないだろう?」

「キヨラ……」


 胸の中が熱くなる。きっと今夜、アイツに叱られるだろうって分かるほど。

 だけどジンがとても冷たい声を出したの。


「無理だ。無理だからマリカはこの村にいる。村の皆と同じ様に、決まりを守って生きるしかないんだ」

「そうか……どうしてだ? どうして……? マリカが来てから、色々な事が不思議に思い始めて止まらない……マリカが皆と同じなら、どうして今まで村にいなかった? 皆バラバラの風習としきたりなのは、元々はマリカの様に村外から来たからか?」 


 暗闇に隠れていた事柄に、自分のせいで明かりをあててしまった様で、居たたまれない気持ちだったわ。

 明かされていないという事は、明かしたくない事でしょう?

 だけど、ジンはすんなり答えたの。


「そうだよ。ここはどうにもならなくなった人達が行き着く村なんだ。あはは……父さんが数十年に一度は皆が『気づく』時があると言っていた。それは犯枯を見たり、新参を迎える時に起るんだって。日常が破られた時だ。数年前の犯枯といい、マリカの入村といい、嫌な予感はしていたんだ」

「俺達の先祖は集められたのか?」

「なんで呪われた人達をわざわざ集めるのさ。皆いまわ様を頼って集まって来たんだよ」

「だ、だけどぉ、いまわ様は、ア、アイツをぉ、追っ払ってくれないよぉ!」


 私が思わず口を挟むと、ジンが苦笑いして頷いた。


「だね。亡くなった人を幽霊に出来るけど、条件と目的がよく分からないしね。この辺りの事を継承して分かるのは僕が成人する頃だ。継承したとしても、役に立つか分からない。だって現状どうだ? 父はいまわ様について全てご存じのハズだが、誰も救われていない――どうあがいても無駄」

「ねぇ、黙って」


 スラスラと喋るジンの袖を摘まんで引くと、私は彼の言葉を遮った。

 自分は間違っていないとばかりに「なに?」と首を傾るジンへ、少し腹がたったわ。

 だから、一言一言に力を込めてこう言った。


「キヨラがぁ、お、お願いしてるんだよ」


 ジンが一瞬だけ呼吸を忘れた事に、私はちゃんと気づいた。

 

「き、きっと、キヨラのお願いはぁ、私だけじゃなくって、み、み、皆を助けるよ」


 ジンは困った様に私から目線を外し、キヨラを見た。

 キヨラがどんな顔をしているか知りたかったけれど、それよりもジンの表情がどう変わるのか知りたくて、私はじっとジンを見ていた。

 ジンは瞳にキヨラを――とても綺麗なキヨラを映し、一瞬だけ瞳の表面をさざ波たてた後、唇を引き結んだ。


「……何か、目標がある方がキヨラにもいいかもしれないな。過去に解放された人達がいたかもしれないから、神社の書物庫を開いてもらえるか父に頼んでみる」


 目を輝かせた私とキヨラに、ジンは苦笑した。


「泥の底なし沼に潜る様な事になると思うけど、いい?」


「いい」と、私より先にキヨラが力強く答えてくれた。


 私は、今まで自分の不幸を他人事に思って諦めていたけれど、キヨラが望むなら、自由になってみせてあげたいと心から思ったのよ。

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