罪の子⑦

 春から夏にかけて、キヨラの容体が悪い日が続いていたわ。

 村がとても気持ちのいい時期だと教えてくれたのはキヨラなのに、そんな季節にジンと私を放っておくなんてね。

 何かしてあげる前にキヨラを失ってしまうのでは、という不安な日々を一人では到底やり過ごせなくて、だけど、自分の家とママ相手では気持ちが休まらなくて、私はほとんどの時間をいまわ神社の敷地で過ごした。

 そこにいれば、ジンかジンのお母さんのヨソさんが、相手をしてくれたからよ。

 ヨソさんは植物が好きで、神社の裏に花畑を造っていたわ。

 私はそこで、ヨソさんとお話しをする事が好きだった。

 ヨソさんは、ママみたいに表情や声色を伺いながら会話しなくてよかったから……。

 多分、ジンよりヨソさんと過ごしている時間の方が長かったかもしれないわ。

 ヨソさんは私をとても可愛がってくれたの。

 娘が欲しかったとか、歳の離れた妹が懐かしいとか言っていたわ。

 私の髪を綺麗だと言って、結ってくれた事もあった。

 何度か、「前髪を切ったら?」と言われたけれど、それは出来なかった。

 私の顔を見ると、男の子も女の子も、何かを狂わすから。

 それに、蛇骸骨は相変わらず毎晩言うのよ。お前は醜いって。

 

 ヨソさんは、一族が妖の薔薇に呪われていて親族同士でしか結婚できない事を教えてくれた。

 いまわ神社の血筋なら呪いが影響しないと聞いて、お嫁に来たのですって。

 人間関係を選べないという境遇が少し似ていて、自然と自分を重ねたわ。

 ジンのお嫁さんになるのは無理だけど。

 門守家のお嫁さんは、なにかしら「血筋」や「能力」のある女性じゃないと駄目みたい。

 それ以前にジンは穏やかに微笑んでいるのに容赦ないところがあって、時々胸にグサッとくる時があるから、無理だなぁって思うの。

 そんな事を言ったら、ヨソさんは大笑いしていたわ。

 ヨソさんは明るいの。

 花に埋もれて、お腹を抱えて空まで届きそうな声で笑うのよ。

 草花に対して愛でる歌を楽しそうに即興で歌ったりする無邪気なところもあった。

 花の密の甘さから、男の子のからかい方まで色々な事を教えてくれた。

 蛇骸骨に言われた酷い言葉の全部を丁寧に否定してくれて、心の中での受け流し方も教えてくれた。だからと言って、傷ついたり暗い気分にならない訳じゃなかったけれど、少しだけ自分は強くなったと思えたわ。

 眩しかったわ。道しるべみたいだった。

 ある時聞いたの。とても天気が良くて、花々が濃く香っている日だった。


「どうしたらぁ、ヨソさんみたいに、なれるかなぁ」


 とても素敵な言葉が返ってくると思ったのよ。

 だけどヨソさんは急にゲラゲラ笑い出したの。

 私の質問がおかしくて笑ったにしては、度の超えた笑い方だった。

 硬直する私の前でひとしきり笑った後、泣き疲れた時の様な顔で「フゥ」と息をついていたのも印象的だったわ。

 結局、答えはくれなかった。


 ヨソさんは植物の図鑑をたくさん持っていて、私はその図鑑を眺める事が好きだった。娯楽が少なかったのよね。

 図鑑はヨソさんの部屋にあった。

 縁側にポカポカと日の当たる気持ちの良い部屋で、今考えると図鑑というよりこの部屋が好きだったのかも。

 部屋には小さな祭壇があって、お札が祀られていたわ。

 門守家へ来るお嫁さんは、神職の一族や独自の信仰を持っている一族の出なので、自身の信仰用の部屋をもらうのですって。

 お札はヨソさんの神様か何かだったの。

 でもどんな神様なのかは教えてもらえなかった。

 ジンに聞いても知らないらしかったわ。


「僕が仕えるのは、いまわ様だからなぁ」

「でもぉ、お母さんの神様の名前を知らないの?」

「うん……おふくろは、『この村では聞かない方がいい名前』って言うんだよ」

「なんで?」


 首を傾げる私に、ジンは言い聞かせる様にこう言ったの。


「聞かない方がいいと言われたら、そうなんだと納得しないと碌な事ないから、気にしないのが一番だよ。それに、マリカの神様はいまわ様だよ。マリカは村の帳簿に名を連ねたからね。氏子って言うんだよ」

「ふぅん……?」


 よく分からなかったけれど、ジンにそう言われて知りたがるのを止めたの。ジンは滅多に間違った事を言わないから。そんなに興味もなかったし……神様なんて本当はいないもの。

 だからヨソさんのお部屋にお邪魔した時に、ヨソさんへの礼儀として時々手を合わせてみたりするだけにしたの。

 すると、不思議ね。ヨソさんの神様に限らずなんだけれど……手を合わせる時に、私は何故か何かに語りかけたり願ったりしているのよ。


『神様、キヨラが早く元気になりますように』


 神様なんて、いないと知っているのにね。不思議ね。



 キヨラは初夏に体調を回復させて、布団の上で起き上がれるようになったの。

 さっそく尋ねて行って何か望みはないか聞くと、キヨラは少し驚いた顔をした後、ジンの方を見た。

 ジンは私の考えにはあまり乗り気じゃ無かったみたいで、キヨラの視線にため息を吐いて「後悔を残したくないそうだ」と言ったわ。

 キヨラが後悔を残さないようにしてあげるハズだったけれど、ジンの言い方に納得してしまったわ。私が後悔をしたくないのも確かにそうだったから。

 キヨラはくしゃっと笑って、


「まるでマリカが死ぬみたいだ」


 って言ったの。

 私、すぐに答えたわ。 


「そうだったら、どんなにいいか」

「またそんな事を言って」


 キヨラは真っ直ぐな眉を寄せて、悲しい顔をした。

 私も悲しくなったわ。彼の表情に報いる事が出来ないもの。


「そんな事よりぃ、何か望みはない?」

「そうだなぁ」

「『マリカに触れる』は無理だよ」


 キヨラが答えようとする前に、ジンがそんな冗談を言ったから、キヨラは黙ってしまったわ。

 人の望みをきく時に冗談を言うなんて、ジンは酷い。


「ジ、ジン! どうしてそんな冗談言うのぉ!」

「いや、冗談じゃないけど。男は君に触れてはならない。僕は別だけど。ほらほら」


 ジンはそう言ってニヤニヤすると、私の頬をつついたの。

 私はそれに抵抗したわ。だって結構強めにつついてくるから痛いんだもの。きっと、指先にちょっとした憎しみが乗っているのよ。


「そうだけど、どうしてキヨラが私に触れたいのよぉ?」

「そりゃキヨラだって男だし」

「キ、キヨラはそんな事望まないよぉ! 痛いからやめて!」

「止めろ!」

 

 キヨラが急に怒鳴ったから、ビックリしちゃった。私もジンも動きを止めて彼を見た。


「いつもいつも……俺の前でイチャつくなよ……」


 キヨラは片手で前髪をぐしゃぐしゃにして俯くと、悲しそうな掠れ声でそう言ったの。

 私もジンも顔を見合わせて「ん?」ってなってしまったわ。

 

「キヨラ……? 私とジンはイチャついてなんてないよぉ」

「そうだよ。僕、マリカは恋愛対象じゃないし。マリカも僕よりキヨラの方が好きだよね?」

「止めろ、傷つく展開にするな……マリカはお前が好きなんだ。だから……そうだ、俺の望みはお前がマリカを嫁にする事だ。他所から嫁を取らずにマリカを幸せにしてくれないか。嫁姑問題もなさそうだし」

「いやいやいや……え、僕は何を聞かされているの?」


 本気で不可解そうに顔を歪めるジンには分からなかったかもしれないけれど、私にはキヨラの気持ちが分かったわ。

 キヨラのこれは、ママが拗ねた時によくやるやつなの。

 

(キヨラは仲間はずれにされたと思っちゃったんだわ)


 私はそう理解して、ママを宥める時の様に――本当はそれより少しだけ熱を籠めて――言おうとしたの。


「私、キヨラが――ェェァッ、もがが……っ!!」

「マリカ?」

「んぉえ!!」


 いつも以上に舌が膨れて何も言えなかった。

 口から何かが出てしまいそうで、慌てて口を押さえたのだけれど、全部の指の間からピュッと赤いものが迸って、キヨラの真っ白な顔にかかってしまった。

 それはどう見ても血だったの。

 もうパニックよ。慌てて「ごめん」って謝ろうとして、口から手を離してしまったの。

 途端に口から何かがズルリと滑り落ち、キヨラの布団にぼとりと落ちてしまった。

 それは赤い塊に見えたけれど、口の中では同じ事が繰り返されようとしていて、観察する余裕なんて無かったわ。


「ゴホッ! ウォエッ!!」

「マリカ大丈夫か!?」

「触れては駄目だ!!」


 キヨラが身を乗り出して、それをジンが体当たりする勢いで止めていた。

 私はそんな二人の前で、再度赤い塊を口から落として喘いでいたわ。舌の付け根がとっても痛くて、息が詰まって苦しかったの。

 

「うぇあぁ、がはっ! げェッ!!」

「マリカ!」


 目の前が暗くなって、キヨラの顔が見えなくなった。

 途端に現れたのは―――


『これは罰だ』


 蛇骸骨が、口を裂けさせて笑ってた。



 キヨラの布団を汚してしまったのは、私の舌だった。

 それも、四枚も落としたのですって。

 いまわ神社の神職さん達がキヨラの家に集まって、気絶した私を運び出したり、キヨラとジンを清めたり、血濡れた布団や畳を処分したり……とても迷惑を掛けてしまったみたい。

 それから色々と調べられて、私は言ってはいけない言葉を言うと舌を落としてしまう事が分かったの。

 好意を伝える言葉がいけないのですって。

 ママや月子さんは大丈夫だったけれど、ヨソさんには舌が落ちてしまったから、親しい女の人にも気を付けるように言われてしまった。初めて顔を見る女の人に言っても大丈夫だったから、本心が伴っていると駄目みたい。

 そんな条件もあったなんて、迂闊だったって、神主さんは私に謝ってくれた。


 仕方が無いわよね。私だって知らなかったのだし。

「大丈夫です、これから気を付けます」って言うしかなかったわ。

 新たな呪いを知った私は、神主さんにお行儀良く頭を下げて、いまわ神社の石段を駆け下りた。

 終わりかけの蛍の群れを乱して、ヒグラシの笑い声の渦の中を駆けた。視界を囲む山々の輪郭がまだ紅くて……

『そこから吹いてくる風は、何処かから射す僅かな光で光る水田を伝い身体を涼やかに包む。風に内包された草や泥の優しい匂いの中には、存在しない幻想の母がいる』


「ひぃっく……」


 鼻水をすすり上げて空を仰げば、星が薄くたくさん瞬いていて、誰もいないのなら、声にせずにはいられないのよ。

 

―――ここがすき。キヨラが教えてくれた世界が。


「ここが……」


 ぼたぼたぼた。

 

 これってなんの罰かしら?

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