罪の子⑥

 N村では、「約束」を守らないといけない人達ばかりだった。

 それは、「風習」や「しきたり」と言うのですって。

 私は、通う高校の先生・クラスメイト達の分を覚える事になった。

 それを手伝ってくれたのは、宮司様の奥さんと息子のジンという名の男の子。

 私と同じ年。眼鏡をかけてて優しそうだった。

 でも男の子だ。

 ジンは私の事情を知っているハズなのに、「よろしく」と言って、私に手を差し出したの。

 私は仰け反って首を横に振ったわ。


「し、死んじゃう。私に触るとぉ……」


 私は頭の中でしゃべるよりもっとしゃべるのが下手だった。

 舌っ足らずで話すのをやめなさいって、叱られたり、からかわれたりしたのだけれど、どうしてもこうなの。

 なぜか舌が上手に動かないのよ。

 それは私への罰なんだって、蛇骸骨が言っていた。

 ジンって子も私のしゃべり方を変に思ったんだわ、少し驚いて私の事見てた。

 宮司さんは「ああ」と言って、教えてくれた。


「君の中の悪鬼は、君の肌を媒体にして危害を加えている。だけど、門守家の人間は君に触れても大丈夫なんだ。私達は何者からも影響を受けないからね」

「えいきょう?」

「この世のモノではないモノから、危害を加えられないんだ。ほら」


 ジンはそう言って、私の手を取って握手をしたわ。

 私の身体中が鳥肌立った。

 ごとん、ごろごろ。

 あの時の音がした気がして、私は悲鳴を上げて目をぎゅっと閉じたけど、握った手は温かいまま力を持っていたの。

 恐る恐る目を開けると、優しい瞳が、眼鏡のレンズの向こうで微笑んでいた。

 

「ね、大丈夫でしょ?」


 ジンがそう言うと、蛇骸骨の悔しそうな舌打ちが、どこか遠くから聞こえた気がした。

 今夜はきっと荒れるでしょうね、って、とっても憂鬱になったの。……触れられる男の子の登場なんて、アイツはどれほど怒るでしょう。



 ジンはすらすらとクラスメイトの名前と「約束」を教えてくれた。十人もいなかったから、助かったわ。

 覚えたらすぐに燃やしてしまう約束をして、メモをとったの。

 「約束」――――「風習」や「しきたり」は、各家庭で受け継がれ守られているみたいだった。

 だけど、私の様に「約束を守らなかったらどうなるか」を知っている人はいなかった。

 この村の人達は私と同じで、約束を守らなかったら、きっと酷い目に遭うのに……どうしてそんなに大切な事を知らないのだろうって、不思議だったわ。

 私の「約束」も公開・周知されたけれど「どうなるか」は黙っている事になった。

 私はそれに反対して、私に触れると「どうなるか」を村中の男性に知って欲しいとジンに伝えたけれど、ジンはこう言った。


「この村の人達は絶対に決まり事を守るから大丈夫だよ。それに、禁を犯す者は『どうなっても』仕方がないからね」

「で、でもぉ……偶然触っちゃうかも……」


 あの男の子は、自分から私とキスをしたかったのではなかったわ。

 思い出してしまって、申し訳なさで目から涙が零れた。

 ジンはそんな私を少し眺めてから、優しく微笑んでこう言ったの。


「触れてはいけない君に近寄る人なんていないよ」


 もちろんそれを望む私だったけれど。

 心を突き刺されたような気がしたわ。


「……うん」


 学校で危険物のように避けられる自分を想像して、それならいるのか分からない幽霊の方がずっとマシだと思った。

 ジンは私の返事に満足したみたい。


「安心した? じゃあ、次は『サオトメキヨラ』」


 ジンはそう言いながら、紙に『早乙女清良』と書いた。


「男とわかる呼び方をしてはいけない。君呼びとかね」

「うん」


 私がクラスメイトの名前を呼ぶ機会なんてない。

 だって、実のところ学校へ行く気がなかったの。

 だから私は、勘づかれない様にジンの話を聞くフリをしていたのよ。

 ジンは何となく不安を覚えたのか、真剣な顔で言ってきた。


「絶対に守って欲しい。キヨラは身体が弱くて長く生きられない。だから死なせてあげたい。ただでさえ短い命の時間を縮めたりしないで欲しいんだ」

「どのくらい生きられるのぉ?」

「少しだよ。大人になれないんだ」

「……そう」


 代わって欲しいな、なんて思ったけれど、ジンがあまりにも悲しそうに張り詰めていて、そんな事を思ってしまう事すらとても悪い事に思えて目を伏せた。

 


 先生に連れられて教室へ入った時、開けたドアから廊下へ向かって風が吹き抜けたの。そのせいで、髪で隠していた顔があらわになってしまった。

 目をまん丸にして私を見ているクラスメイトは、全部で8人。 

 その中に、痩せた青白い男の子がいたわ。


 一目で分かった。ママと同じ種類の人だって。

 整った顔立ちをしていたけれど、美しいとか綺麗だとか、そういう見た目の問題じゃないの。

 神様から特別な魅力を贈られた人。

 その代わりに、皮も肉も骨も爪も髪も全部、吐く息、動作の一瞬一瞬、血の一滴すら神様のものの様な。


―――あなたがサオトメキヨラなのね。


 真っ白な白目の中で強く光っている黒目から、私は力なく目をそらした。

 だって、助けてあげられないもの。

 それにその方がいい。

 ママは人間に掴まったせいで、とても不幸だもの。

 


 最初の挨拶以降、私は学校へ行かなかった。

 それが一番平和でしょ?

 みんなにとっても、私にとっても。

 ママは学校へ行かない事に対して、何も言わなかった。むしろ、ずっと私が側にいる事を喜んでいたの。

 ママはお屋敷の中で一日中私にベッタリだった。

 私は高校生にもなると、ママが普通の大人じゃないって段々分かってきていたわ。

 ママは九条家の人達の監視から自由になったからか、自分を剥き出しにし始めていた。

 繊細な部分に何かが引っかかると、私よりも幼い少女みたいにキャアキャア喚いて暴れたりするようになっていたの。そんなママに、私は少し疲れてきていたわ。


 それから、蛇骸骨にも相変わらず悩まされていた。

 私がママと月子さん以外と会わなくなって、怒る事がないだろうと思ったのだけれど、アイツはなんだかんだと文句を言って怒っていたわ。

 私がどうしたって気に入らないみたい。

 その内、私はアイツの怒りが少しでも治まるように、ご機嫌をとるようになったのよ。

 どんなに否定されても「その通りです」って頷いたり、酷くからかわれても一緒に自分を嗤ったり、アイツの感情を先回りして言動を選んだり……それから、乱暴な口調を真似たり、不良みたいな振る舞いをすると喜ぶ事が分かった。

 仲間みたいに思えるのかしらと思っていたけれど、私の人格が壊れる様で愉快だったのですって。

 私は本当にどこか壊れてしまったのだと思う。でも、少しでも早く怒りと憤りが過ぎ去って、少しでも長く眠れるなら、どうでも良かった。

 短い眠りを貪って、目が覚めた時に「今日も生きてる」「早く死にたい」と思う度、私はサオトメキヨラを思い出していた。

 サオトメキヨラは今日も生きてるかなって。

 近々死ねるなんて羨ましい。もし私がそうなら、指折り数えてその日を待つでしょうね。


 サオトメキヨラが生きているかは、時々確認が出来たの。

 しょっちゅうジンが学校のプリントや課題を家に持ってきてくれて、キヨラもそれについて来ていたから。

 ママも月子さんも、二人を歓迎していたわ。私にお友達ができたって喜んでいたのよ。

 私は二人が来るのが嫌だったわ。蛇骸骨に燃料を与えちゃうんだもの。

 キヨラが手紙を書いてくるようになってからは酷かったわ。

 キヨラの手紙の内容と言ったら、長く生きられないイライラを私にぶつけたり、羨ましがったりしているの。

 私とキヨラは真逆だったのね。

 単純な私はその内、代わってあげられたらいいのにねって、思う様になってきたの。代われたら、死ねるし。

 それからキヨラの手紙は、私に外の世界を観るように促してくれたの。

 外の世界が存在して、私がそこを歩くのが当然とでも言うかのようだった。

 キヨラが手紙に描くN村の綺麗な場所を、実際に観て確かめたくなった頃から、外の世界が窓からぼんやり眺める「お庭」から、「私の世界」に変わったの。

 外に溢れている花や木、風や光は自分とは別の世界だと……余所事に感じていたけれど、それらに私も関わって良いのだと思うと、嬉しかった。

 田んぼの上で揺らめく大気の光も、真昼の太陽に輝く小川も、青々と燃える木々、優しい木陰、夕日の縞も、全部キヨラが「ここにあるよ」って教えてくれた。きっとキヨラは死ぬ前に、自分の観た綺麗な世界を誰かにあげて、残したかったのだと思ったの。

 それに気づくと、教えてもらった景色・感覚の全てが愛しかった。

 大きすぎて、抱きしめる事は叶わないのだけれど。

 

 高校二年生になると、キヨラはジンと家を尋ねてこなくなった。キヨラの体調が安定しない日が続いていたの。

 ジンは目の下にクマをつくって、ぼんやりしていた。

 ジンはキヨラが好きだったの。見ていてヒリヒリするほど、静かに深い愛だったのよ。

 だけど絶対に表に出さないって強い意志があったわ。だって、ジンはN村を守る為に女の人と結婚をして子供を作らないといけないから。

 どうしてこんな事が分かったかというと、ジンが自分から言ってきたの。彼、キヨラに引きずられてとっても弱っていたのよ。


「キヨラが早く死んでしまうのは嫌だけど、どっかの女を愛する前に死んでしまえと思っていた」

「酷い……ジンは身勝手だよぉ」

「うん。僕ってかなり身勝手だよ。村の長になる身だから、なんやかんや頼られるしさ、器用にこなせちゃえるんだけど……本当は凄く面倒くさいって思ってる……と、話が逸れちゃったから戻すけど、マリカならいい」

「ん?」

「君、神様みたいに綺麗だからさ。神様になら、取られてもいい」

「なに? 何言っているのか、わからないよ」

「諦めがついたし、諦めがついた事で凄くホッとしている。気持ちが男友達になれた……それから、それなら、キヨラにはやっぱり長生きして欲しい……死んでしまえなんて……僕は、身勝手なんだ……」

「ジン……ジン泣かないで。キヨラはきっとまた元気になるよぉ」

 

 たぶん世界中で誰よりも、私はジンの気持ちがよく分かる。私もキヨラの死の周りを、身勝手な気持ちでウロウロしているから。それから、結局「死なないで」なんて思ってる。私達が決める事じゃないのに。

 私はその時、ジンが唯一触れられる男の子で良かったって思ったの。

 蹲る背中に寄り添い、撫でてあげる事ができるから。

 それから、自分の気持ちに気づいたんだ。

 叶わない想いでも、持つだけなら良いんだって。


「ねぇ、キヨラが生きている内にしたい事を叶えてあげようよ」


 私、馬鹿だから。こんな事しか思いつかなかった。

 でも人を愛してしまった時ってそうでしょ?

 愛した人には、何かをしてあげたいと思うのよ。

 まるで、罪滅ぼしするみたいな気持ちで。

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