罪の子③

 いまわさん用の白い小石は軽石に似ている。

 無数の小さな穴で表面がざらついており、軽い。

 村の自然の中で見かけた事が無い石だ。

 誰もこの石の出所を気にしない。気にした事もない。

 村の長であり神主が持って来るのだから、何を疑う事があるだろう。

 もしも神主が石をくれなかったら、いまわさんが出来ない。

 いまわさんが出来ない葬式だと、村の皆と同じ葬式にならない。

 それでは故人が哀れだ。皆と同じ葬式をしてあげなくては。

 皆同じ事をするって事は、「そうした方が良い」か「そうしないといけない」という事だ。

 ただ僕は、いまわさんという儀式が風習から生まれた世間体や集団心理から行われている習わしではなく、故人を惜しむ気持ちから行われているのだと思いたい。


―――あなたの幽霊を望むほど、あなたを惜しみます。


 僕も死んだ時に、こんな風に誰かに惜しまれたいから。

 それから、時々思い出して欲しいから。

 だけどマリカが存在している以上、僕の「送る気持ち」が儀式の趣旨とは大きく外れている事に気づいている。

 現に門守さんは、「成功する」と言った。

 だったら、いまわさんの本質は別れじゃない。見送りでもない。

 僕が今から行うのは何だ?

 

――――いまわさんは僕の思う葬送の儀じゃない。

 

 僕は腐臭の漂う庭で、無残な肉塊となって横たわるキヨラ叔父さんの側に跪いた。

 村中の人達が僕を見守っていた。

 僕は手を合わせ、いまわさんを始める。

 成功すると分かっていると、怖かった。

 この儀式は自然の理に反したとんでもない事なのではないか?

 生死の狭間で機会を与えられると、こんなにも感情がぐちゃぐちゃになるのか。

 それはなんでなんだ?


「雅弥、さぁ」


 傍らに控えた門守さんの声が、僕を促した。

 僕はぎこちなく動き出す。

 切り裂かれて血まみれの胸に、そっと小石を置いた。

 両腕で小石を胸に抱くようにしてあげなくてはいけないのだが、キヨラ叔父さんは片腕を損壊されていたから、残った片手だけをそっと持ち上げる。

 力ない手を胸の小石に被せようとしたその時、マリカが庭へ駆け込んできた。

 慌ただしく駆け込んできたので、皆がマリカの方を見た。

 マリカは瞳を星の様に光らせ、僕とキヨラ叔父さんの方を見ていた。頬が桃色に高揚していて、場違いも甚だしいほど人の目を引き……綺麗だった。


 幽霊仲間が増えるから嬉しいのか?

 不謹慎な奴だ。

 僕はマリカから目を逸らし、いまわさんを続ける事にした。


 キヨラ叔父さんの手で小石を覆う。

 その上に、そっと自分の両手を重ねると、門守さんが祝詞を唱えた。


「カケマクモ カシコキ ミカエシオホカミ

 イアラムヲバ イシュ マワシタマヘマワシタマヘト

 マヲスコトヲキコシメセト

 カシコミカシコミ モマヲス」


 門守さんは繰り返す。


 ――――掛けまくも畏きミカエシの大神。

 「ミカエシ」は「御霊返し」ではないかと言われている。

 

 なんでもいい、神様。

 返してくれると言うのなら、返してください。

 せめて、キヨラ叔父さんをこんな目に遭わせたヤツに罰を与えてください。


 ピクリ、と、僕の手のひらの下でキヨラ叔父さんの手が動いた。

 ハッとしてその手を掴まえる。

 掴まえた手が、ゆっくりと僕の手を掴み返した。

 その感触に僕の心臓がドクンと跳ねる。

 死んだ人に手を握り返されるという強烈な感触……僕は何故かこの感触に覚えがあった。しかし、両親じゃない。両親は失敗だった。


「ミヤ……ビ……」


 キヨラ叔父さんの掠れた声がした。

 だけど僕は、駆け寄ってくるマリカを見ていた。

 だってマリカときたら、泣きそうな顔をしていたんだ。

 マリカは嘘泣きしかしないと思っていた僕は、彼女の苦しげで切ない表情に胸が締め付けられた。

 何故か喪失感が湧いた。取り返しのつかない過ちを犯してしまった後の、喪失感。

 

「ミヤビ……」


 すぐ側でキヨラ叔父さんの起き上がる気配がした。

 マリカが「キヨラ!」と呼んだ。


「マリカ」


 と、僕の真横でキヨラ叔父さんの声。

 名前を呼ばれたマリカは、途端にボロボロ泣き出して、しゃくりあげながら叔父さんの名を呼んだ。


「うわーん、キヨラ、キヨラ、キヨラ……」


 フフッ、と、キヨラ叔父さんの笑い声がしたので、僕はようやくキヨラ叔父さんの方を見た。

 キヨラ叔父さんは生前と同じ綺麗な姿に戻っていて、マリカを見上げて言った。


「泣くなマリカ。本望だ」


 その端正な横顔は笑んでいる。

 キヨラ叔父さんの穏やかさから想像出来ない、ゾッする様な野心的な笑みだった。

 キヨラ叔父さんの言葉に戸惑って、僕は門守さんの方を見た。

 しかし、門守さんもキヨラ叔父さんと同じ様に笑んでいた。

 まるで、ゲームで相手を追い詰めた時や勝ちを確信した時の様な笑みだ。


―――なんだ……?


 僕の戸惑いをよそに、村人たちが控えめな拍手をし始めた。


「マリカちゃん以来だ」

「いまわさまのお力は素晴らしい」

「この村の神様はホンモノだ」


 門守さんが皆の声に大きく頷き、「皆さん」と声を上げた。


「―――皆さん、再び『いまわさん』が成功しました。これはこの村の神が現存し、この村をお守りくださり、我々を見守ってくださっている証。早乙女清良の幽霊を皆で歓迎しましょう」


 凄惨で後ろめたい葬式の陰鬱な空気が、途端に祝いの明るい空気となった。

 門守さんは神社で祝いの席を設けると言って、キヨラ叔父さんを連れて神社へ帰ってしまった。マリカも当然の様に二人について行った。

 彼女はまだメソメソ泣いていて、角守さんとキヨラ叔父さんに何やら声を掛けられながら、二人に守られる様に真ん中を歩いていた。

 三人でいるところなど初めて見るのに、ずっと前から一緒にいたかの様に三人の周りを親しみと馴染みの膜が張っている。

 それを見て、僕はまた喪失感を覚えた。

 神社へ向かう三人に、村人達が続く。

 僕とヒカル叔母さんと環は、庭の生け垣に張った朽木幕を取り払い、キヨラ叔父さんの遺体の前に置かれていたささやかな祭壇を屋内にしまった。

 片づけをしている最中、環は「本当に幽霊になるんだね」と呆けた様に言って、僕も同様に「なったな」と返事をした。


「でも、いつものキヨさんじゃないみたいだった。幽霊になったからかな?」

「……いや、あれが本当の叔父さんなんだ」

「どういう事?」

「どうでもいいわ。いまわさんで、悪いモノが浄化されたんでしょう。幽霊になれて目出度めでたいわね。少しは役に立つ事をしてもらいましょう」


 ヒカル叔母さんが、戸締りをしながら言った。

 僕も環も若干ギョッとしてヒカル叔母さんを見た。


「お母さん、そんな言い方……」


 ヒカル叔母さんは「なに?」といった具合に僕たちを見返し、ピシャン、ピシャンと戸締りを始める。


「みんな、あの人を嫌いだったじゃない。さぁ、私達も神社へ行きましょう。喪服のままでいいのかしら?」



 神社は賑やかだった。

 山の下の人達は葬式の後に宴会をするというが、それはこういう感じなんだろうか。

 N村の葬式は終われば足早に解散となるから、酒や食べ物を囲んで人々が談笑しているのは変な気分だ。

 だけど葬式にならなかったのだから、こうして祝うのが当然なのだろう。

 広間の奥に、酒を酌み交わす門守さんとキヨラ叔父さんを見つけた。キヨラ叔父さんも広間に入って来た僕を、同じタイミングで見つけて片手を上げた。


「ミヤビ」


 僕を呼ぶ姿が、昨夜話交わしたキヨラ叔父さんそのままで、素直な喜びが湧いてくる。

 僕はキヨラ叔父さんに早足で近づいて、そばに正座をした。

 キヨラ叔父さんから、マリカと同じ香りがした。さっきまでマリカが側にいたんだろう。今、彼女はどこにもいなかった。


「おじ――キヨさん、その、なんて言うか……」


 どういう言葉をかければいいのか分からなかった。

「良かった」でいいのだろうか?

 キヨラ叔父さんがクスリと笑った。


「ミヤビ、いまわさんをしてくれてありがとう」

「……そう思う? 幽霊になりたかった?」


 泣き出したい気持ちで、そう尋ねた。


「ああ。ミヤビがいまわさんをしてくれた事が嬉しいよ。ヤブに乗っ取られたままだったら、絶対やらなかっただろう?」


 瞳を細めて、キヨラ叔父さんが言った。悪戯そうな光が瞳の中でキラキラしていた。

 ああ、なにもかも叔父さんだ。初めて見る表情でさえ、これは叔父さんだと分かる―――。

 僕は徐々に強くなる喜びに気が遠くなりそうになりながら、なんとか笑って見せた。

 たくさん、たくさん話したい。

 これが夢でも、不正解な現実だったとしても。


「そうだね。わざわざ厄介な奴を蘇らせようとは思わない」

「不幸中の幸いというところだね。雅弥もご馳走をお食べ。朝から何も食べていないだろう」


 そう言って、料理を盛った小皿を差し出してくれたのは門守さんだ。


「これもうまいぞ」


 僕が受け取った小皿に、キヨラ叔父さんが更に料理を乗せる。


「あは……ありがとう。キヨさんに食べ物を分けてもらえるなんて信じられない気分だ」

「辛い思いをさせたな」

「キヨさんのせいじゃない。でも、キヨさんにヤブが取憑いた原因を知りたい」


 キヨラ叔父さんと門守さんが、顔を見合わせて神妙な表情になる。

 もし二人が何かを隠しても、僕に引く気は無かった。

 何を神妙な顔してるんだと思うと、怒りすら湧いた。

 色々ありすぎて、完全に情緒不安定だ。 


「何年苦しめられたと思う? 僕は子供だったのに、なのに、まるで、まるで……奴隷だったんだぞ!!」


 コントロール出来なかった僕の声量に、広間にいた人達がシンと静まった。

 門守さんが周囲に「大丈夫」という風に片手を上げて、僕への注目を逸らしてくれた。

 皆、少し心配そうに僕をチラチラ見てから、再び談笑を始めた。


「はぁ……すみません」


 僕は大きく息を吐いて、大声を出した事を謝った。

 門守さんが静かに首を振って答えた。

 

「いや、当然の感情の発露だ。全部話そう。ただ、キヨラは被害者なんだ。それだけは胸に留めておいて欲しい」

「そんな事はない。俺も関係者だ」

「いいや。私が無知で愚かだったせいだ」

「何があったの」


 二人が庇い合い始めたので、僕は早々に口を挟んだ。

 門守さんが何か言おうとした時、誰かが歓声を上げた。

 どこかの爺さんが歌い始め、酔った数人が良い気分で踊り始めたのだ。


「場所を変えよう」


 キヨラ叔父さんが席を立った。

 門守さんも「そうだね」と言って、僕を隣の座敷へ促した。

 座敷と広間の襖をしっかり閉じると、不思議なほど静かになった。


「さて、じゃあ話そう。キヨラがヤブに取憑かれてしまったのは、十年前、私達がオハガシ様をしようとしたからなんだ」

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