清良と藪睨みの藪

 なんで叔父さんが清良きよらという名前なのか、常々疑問に思っていた。

 粗野で卑しくて、常に愚かな怒りの妄想に囚われているヤツが、『清良』だなんて。

 しかし今、僕を見つめるこの人はというと、僕の知っている叔父さんと、なにかも違う。

 彼全体を覆う透明感、穏やかな凜々しさ、瞳の膜の清廉さ……もはや眉目秀麗という言葉だけで、この人を現し切れないだろう。

 彼こそ『清良』だ。僕はそう思った。

 

「ミヤビ」


 と、優しい声で呼ばれ、僕は彼の目の中を食い入る様に見た。

 彼が微笑んだ。微笑みから神々しさを感じ、警戒心がほぐれていく。

 僕は男性相手にのぼせた様になって、吐息で返事をした。


「―――はい」


 彼は目を細め、遠慮がちに腕を伸ばすと僕の頭に手を置いた。


「大きくなったね」

「……あなたは」


 彼は僕の問いかけに、申し訳なさそうな表情で答えた。


「早乙女清良だ」


 そんな事あるものか、心底馬鹿馬鹿しい。中身が別人だなんて。そう思うのに、僕は「そうだろう、そうだろう」と、心の中の芯から頷いていた。

 笑い出してしまいそうだった。

 アレの甥でなかった事が単純に嬉しくて。

 今までの苦痛は一体何だったのかと虚しくて。

 

「信じられないかもしれないが、今までの俺は俺じゃないんだ。親を亡くした君を守ってやれなくて申し訳なかった―――辛かったね」


 両親を亡くしたあの時に、欲しかった言葉と温かみだった。

 僕は喪失を感じた。それはこの人と過ごす筈だったであろう、幸せな数年間の喪失だった。

 泣けばいいのか、怒ればいいのか、状況が突飛過ぎて感情を選べない。

 言葉を出せずにいると、新・清良叔父さんは咳き込み出した。


「大丈夫ですか?」


 咄嗟に身体を支えると、肩も腕も薄く細かった。


―――細くて軽い。あんなに大きく強そうに見えていたのに。そういえば、背ももう変わらない……。僕は一体何を恐れていた?


 軽く衝撃を感じつつ、清良叔父さんを支えて玄関をくぐった。

 茶の間に腰掛けさせて、湯飲みに水をいれて差し出す。


「ありがとう。ゴホ、深呼吸を少し繰り返せば落ち着くから。体調面では、アイツの方が良かったかな」

 

 僕は無言で首を振って、ヤカンに火をかける。

 買って来た土産の菓子箱をちゃぶ台に置いて勧めると、叔父さんは菓子箱をしげしげと眺めた。

 

「ジンの母親の故郷へ行ったんだね」


 菓子箱には土産物らしく地名が印刷されている。それで分かったのだろう。

 僕は一瞬迷ってから、素直に答えた。


「はい。マリカに頼まれて一緒に行ってきました」


 清良叔父さんは「ああ……」と小さな溜め息声を出し、苦しげな泣き笑いの顔をして言った。


「そうか。オハガシ様の札を貰ったんだな」

「オハガシ様を知っているんですね」

「ああ。何でも剥がす神様だとか。オハガシ様は居たか?」

「……いいえ。所在不明だそうです」 


 そう答えて、湯をたっぷり注いだ急須と湯飲みを、ちゃぶ台に置く。

 ちゃぶ台を挟んで真っ直ぐに清良叔父さんを見ると、清良叔父さんも少し背筋を伸ばした。


「それより、今までのキヨさんは本当のキヨさんではないって、どういう事ですか? 僕はその話を聞きたいです」


 オハガシ様の話は、昼間聞いてきたばかりだ。

 不愉快な殺戮の話。話に添えられた花すら妖なのだから始末が悪い。

 そんな話よりも、今は叔父さんの事について聞きたかった。

 オハガシ様の話題を打ち捨てた僕に、清良叔父さんは少し怖いくらいの真剣な顔で言った。


「俺の話は、オハガシ様が関係するんだ。――――札の使い方を教えて欲しい」


 僕は、叔父さんの急いた口調から今までの叔父さんをつい感じてしまい、怯みつつ答えた。


「……札にはさほど効力は無いそうで、何かの呪物から出る音に効力があるそうです」


 僕の返答に、叔父さんが眉を寄せた。


「なに? そうなのか」

「はい。その呪物がオハガシ様と呼ばれているらしいです。札は小物しか剥がせないと言っていました。この村の――キヨさんは知ってますよね早乙女家の男に執着する幽霊や、他の家の怪異の事。コイツら相手にはあまり効果がないそうです」


 叔父さんは腕を組んで背を丸める。

 なにやら僕から聞くオハガシ様が、想定外だった様子だ。


「そんなハズは……剥がす際に何か必要な条件はあるのか?」

「特別な呪文や儀式が必要だとは言っていませんでした。あ、そうだ、弱った生き物を悪いモノの容れ物にすると言っていました」

「―――それだ!」


 僕の説明に間髪入れず叔父さんが言った。バシンと膝まで打っている。


「何がですか?」

「俺だよ。弱った生き物って俺じゃないか。あの頃、俺の寿命は尽きかけていたし―――だからか。そうか!」


 一人せわしく納得する叔父さんを前に、僕の中でも嫌な予感が点と点を結び始めた。


「もしかして、何かの――アイツの――器になっていた?」


 叔父さんが何度も頷いて見せた。


「そう、それだ、そうなんだ」

「そんな……!」


 僕は座っているのにクラリとして、倒れないよう畳に手をつき項垂れた。

 身体のつなぎ目から冷や汗が滲み出て、強い感覚で皮膚を伝う。


「だって、じゃあ、僕は数年間、一体ナニと暮らして―――?」


 ゾッとしながら呟くと、叔父さんも畳に手をついて僕に頭を下げた。


「本当に惨い事になってしまい、すまなかった」

「……アイツは何?」


 まだ中学生に上がったばかりの弱々しい僕を、散々いたぶったアイツ。

 アイツの機嫌を取り続けてきた。一挙一動にビクつき、愛想笑いとおべっかを使った日々。

 歯の根が合わなくなってきた僕に、叔父さんが答えた。

 

「アレは、九条家の怪異でヤブという」

「ヤブ……」

「藪睨みの藪」


 藪睨みの藪、と、叔父さんの言葉を繰り返して、なんとも言えない程、腑に落ちる自分がいた。

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