過去を知る
一人多い
「オハガシ様はどこにあるのかな~」
「曰く付きの呪物じゃないか。そんなモノを追い求めるなんて、僕は付き合わないぞ」
「でもでも~、遠出は楽しかったでしょ? またお弁当をつくってよ」
「いやだ」
そんな事を言い合いながら、行きと同等程度の苦労をして無事に村へ帰った。
夜はすでに更けていて、村に入ってすぐにある酒井さんのコンビニの明かりが煌々と灯っていた。
酒井さんのコンビニの明かりは、村を包む闇と蟲動の気配の中、際だって異質に見える。夜闇の中の方が安全の様な気がしてしまうほどだ。
明るい店内には誰もいない。深夜に自動ドアの電源を落としているからだ。
それにも関わらず、コンビニの軒先に男が一人立っていた。
「誰かいるね」
「誰だろう?」
僕もマリカも目を細めて男を注視した。
明かりに照らされてにいるにも関わらず、その男の周囲も、気配も、男自身も暗くて目をこらさないと誰だかよく見えない。
マリカは男が誰か分かったのか、「ヒュッ」と息を飲んで立ち止まった。
「……?」
やっと見えた目鼻立ちは歪んで醜く、縦に長い貧弱な体格をしている。村にいる誰でもなかった。それが分かると、僕も身構えた。こんな夜更けに、村人以外の人間が出歩いているわけがない。
それなのに、ゆっくり歩み寄ってきたその男を、良く知っている錯覚に陥った。
不愉快な笑い方。上半身を屈めて下から睨み上げてくる視線。威嚇するように両肩を交互に傾け、蹴るような足さばき。
それから、
「マぁリカぁー」
という声の出し方。
「テメェ、こんな夜更けまでガキとどこに行って何をしてたんだ?」
身体と心が強ばっていく。
僕は目の前の男がこれから吐く台詞を大体予想できた。
「黙って俺を置いて行きやがって、楽しかったんだろ、俺がいない方が、楽しいんだろ、クソ、クソ、薄情者、裏切り者、恥知らずなクソ女め!」
叔父さんにソックリだ。
全く違う姿をしている事が、信じられない。
いたぶられ続けた記憶と本能が、叔父さんと接する時の緊張感と警戒心を僕から引き出していた。
行動を決めかねてマリカを見ると、マリカは僕よりも青い顔をして男を凝視していた。見開かれた大きな瞳には、ハッキリと怯えが見えた。
マリカが絞り出す様に声を出す。
「なんで」
「知んね。お前が利用した死にかけが、もうそろそろ死ぬのかもな。ヒヒ、ヒヒヒ……」
マリカは顔を歪め、それからじわじわと笑った。
「……そっか」
「何? どういう事?」
「ミヤビ、今日はありがとう。私、この人と用事があるからここでバイバイしよ」
「え、でも」
僕は明らかに異常な男を見る。
マリカはクシャリと笑った。
「大丈夫、昔からの知り合いだから。それに私は、いまわの幽霊様だよ。アイツは私になにも出来やしない」
マリカは言葉の最後に、男を睨み付けた。先ほど見せていた怯えは消えた様子だった。
「ヒヒヒ、だけど俺を消す事は出来ないだろ。だって俺はお前を殺していないからな」
「痛めつける事は出来るから、気を付けてちょうだい」
マリカの牽制に、男は声を上げて笑った。
そして、わざとらしい高い声でマリカの真似をした。
「痛めつける事は出来るから、気を付けてちょうだい」
「真似しないで」
「クク、出来やしねぇ。さっきお前は俺を見て怖がったじゃねえか」
「……ついてくるの、こないの?」
「行くさ。老いない、死なない、今までの女の中で、最高の女だ、お前は」
男はズンズン近づいて、マリカへ両腕を伸ばす。
「な、なぁ、ちょっと……」
慌てて男とマリカの間に割って入り、ギョッとした。
男が突き出した両腕には、手がついていなかった。
「どいて」
マリカが凄い力で僕を押しのけた。
男の両腕がマリカの首元に迫り、マリカが少しだけ顎を上げる。
白く細いマリカの首に、醜い両手が見えた。
両手はマリカの首を絞めていたが、男の両腕が近づくと首から離れ、腕にくっついた。
「ははは、はは。戻った」
男は両手を握ったり開いたりしながら、マリカを睨み付ける。
「おい、お前も喜べよ、笑え」
マリカは男の要求にすんなりと応え、微笑んだ。
「……嬉しいわ」
僕は目の前の事が信じられなかった。
マリカがこんなヤツの言う事を聞くなんて。
それにあの微笑み方は、まるで叔父さんの機嫌を取るいつもの僕じゃないか。
「よし、行くぞ」
男がマリカのポニーテールの付け根を乱暴に掴んで引いた。
「おい!」
「いいの。大丈夫だから」
「でも!」
僕は男を睨み付けたが、そこにはもう誰もいなかった。
マリカは僕に微笑んだ。
それはいつかの僕が夢見た、可憐で淑やかな少女の微笑みだった。
「ミヤビ、さようなら」
「何? 意味が分からない。待って」
歩いて行くマリカを引き留めようとするものの、夢の中で蝶を追う様で、身体のどの部分も掴まえる事が出来なかった。そして、歩いているマリカに対し、いくら走っても追いつく事が出来なくなって、やがて見失い、途方に暮れて立ち止まると、自分の家の前だった。
土間の明かりが点いていた。
流し場の磨りガラスの窓には、小柄な人影があった。
きっと、先生だ。
僕の帰りを待っていてくれたんだ。
遠出と不可解なマリカに疲れ切った僕は、緊張の糸を切りそうになった。
しかし、玄関の引き戸が開いて叔父さんが姿を現したので、また気持ちが張り詰める。すると、僕の口の両端が勝手に持ち上がる。自然と明るい声が出る。
さっきのマリカを思い出して、胸が痛んだ。僕には、マリカがどんな気持ちであの男に微笑んだか分かる。あれは誰だ?
「ただいま。キヨさん」
「――あ、あ」
土間の明かりを背にした叔父さんは、僕を見て少し蹌踉めき、手で戸に縋った。
「酔ってるの?」
帰宅の遅さにキツい嫌味や暴言を覚悟していた僕は、少し安堵して叔父さんに近寄った。言葉も紡げない程酔っていてくれたら、布団に寝かすだけ。最高だ。
しかし叔父さんは僕の腕に支えられつつも、意識のしっかりした様子を見せた。
そして、別人の様な口調で言った。
「いや、酔っていないよ。ありがとう、大丈夫」
染み入るような、深く優しい声だった。
僕がギョッとして叔父さんの顔を見ると、叔父さんも僕の顔を見ていた。
その顔は、酒に酔って赤くなかったし、今にも嫌味を言いたそうに唇を捲り上げてもいなかった。嫉妬や怒りや猜疑心に光る目もない。
青白い顔、優しげに弧を描く唇、そして、僕を映す目は穏やかに澄んでいる。
外見は全く同じだが、何もかもが全て違う男が僕の目の前にいた。
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