オハガシ様と薔薇の話2

「ミツは、あの薔薇の器にされました」


 ミトジさんの話は、ようやくマリカが抜いた薔薇へと移った。


「あの薔薇は心を酷く惑わせる妖花です。惑わす相手の好みの花になるそうですが……さて。そんな妖花を、とある名家の跡取り息子が道楽狩りをしている際に野山の深いところで見つけ――或いは見つかり――心を囚われてしまいました。薔薇に魅入って日に日に痩せていく息子を見て、家族は薔薇を息子から取り上げる事にしました。息子は狂った様に暴れたそうです。大立ち回りの末、使用人が薔薇を手折ろうとした時、花が膨れ上がり、花びらを獣の口の様に開かせ、仕様人の頭を食い千切ってしまったそうです」

「食い千切った? 薔薇が人を?」


 噛みつく薔薇なぞ想像もつかない。

 だが、そんな薔薇のそばにいたのかと思うとゾッとした。


「薔薇に恐れた家族は祓い屋に駆除を頼み、太刀打ち出来なかった祓い屋が私共の島へ苦労して持って来たという次第です。その時は鉢に植えられた一輪の薔薇でした」

「それで、薔薇にオハガシ様をやったんだね」

「……いえ、それが……薔薇は妖そのものだったので剥がすモノがなく、オハガシ様ではどうにもできなかったのです。薔薇に取憑いた妖ならば、通常通りに済んだのですが」


 オハガシ様は、何かにくっついているモノ相手にしか対応しない、という事らしい。聞けば聞くほど扱いづらいと思った。

 しかし、取憑かれた被害者を島で迎えていたのだから、特に問題は無かったのだろう。まさかが尋ねて来るなど思いもしなかっただろう。


「しかし、私共も能力者の端くれです。それも、迫害を受ける程の力をもっていました。対する妖は植物のなりをしていましたので、自力で封じ海へ沈めてしまえば事足りると考えました」


「え!」と、マリカが声を上げる。


「まって、それじゃあミツが器にされる事ないじゃない!」

「―――はい。ただ見せしめに痛めつけられ、妖の薔薇と海へ沈められたのです」

「……そんな」

「数ヶ月後、薔薇に魅入られた男が家族を惨殺し、薔薇を求めてやって来ました。薔薇を封じても、男は薔薇を愛し続けていたのです。彼は薔薇が海に沈められた事を知ると、あの庭で首を切って自害しました」


―――僕の元へおいで。ほら、命を捧げるから。ここへおいで。


「すると、彼の血だまりの中から薔薇が芽を出し、ふっくらと花を咲かせたのです。美しく見事な花に、その場にいた者は誰もが見惚れてしまったそうです」


 座卓に出された羊羹から、少しだけ艶が薄れ始めていた。

 マリカは話の序盤で一切れ喰っていたが、それからは匙が進まないらしい。


「ぼうっとする皆の前、花は咲き切ると同時に鋭い叫び声を上げ、呪詛を吐きました」

「花が喋ったの!?」

「はい。その一度きりでしたが……」

「なんて言ったの?」


―――ミナ ミナ オナジ カオ トナリ トダエタマヘ


「みな同じ顔になって途絶えてしまえ、と」


 僕とマリカは顔を見合わせた。

「どゆこと?」と表情で問われて、僕は小さく首を横に振る。


「薔薇に顔はないし……わかんないや。わたしはヨソさんに、この薔薇がヨソさんの実家を呪っていると聞いていたの。この薔薇のせいで親族同士でしか子供が残せないって。愛の悪いところを集めたみたいな薔薇だって。だけど、こんな話だとは知らなかった」

「ヨソは一族の不徳を、嫁ぎ先の土地の者に聞かせたくなかったのでしょう。愛の悪いところを集めた、というのは、薔薇本体の事でしょう。しかし、呪詛を吐いたのは、ミツの声だったのです」

「ミツさんの……」


 ミトジさんは頷いた。


「ミツは、夫に裏切られ捨てられたのだと思い込んでいた様です。庭に咲いたのは、妖の花の執着とミツの恨みが混ざり合った新たな薔薇の妖でした。彼女の吐いた呪詛の意味を、私共はすぐに知る事になりました」


 それはなんとも不気味な呪いだった。

 親族としか交われなくなったそうだ。

 ミトジさんはその発見をした過程を語らなかった。おそらく聞いて気持ちいい話ではないだろうから省いたのだと思う。

 親族以外が相手だと、両者とも体中から血を吹いて死んでしまうらしい。

 遺体の血を拭き清めてやると、無数の小さな穴が空いているという。


「それで、近親婚を?」

「はい。しかし、最初は受け入れられず、何度も駆除を試みました。ですが犠牲者が出るばかりでした。せめて薔薇からミツを剥がせるか試す事が出来たなら何かが変わったのかもしれませんが、ミツの夫がオハガシ様を盗んで失踪してしまい、オハガシ様を行う事が出来なかったのです」

「オハガシ様が盗まれた……?」


 マリカが声を荒げた。


「で、でも、境内の建物にたくさん貼ってあるじゃない! ヨソさんだって一枚持ってたよ!」


 ミトジさんは一瞬不思議そうな顔をしてから、表情を弱々しく緩めた。


「呪符の事を仰っているのでしょうか。あれはオハガシ様を失った私共が、オハガシ様を文字や絵図に現したものです。力の方程式が描いてあるとでも言いましょうか……生憎完全には呪符に写せず、剥がせるのは小物くらいです。あの薔薇には到底太刀打ちできませんでした」

「……剥がせるのは小物」


 ミトジさんが話をしているのに、マリカはうつむいて黙りこんでしまった。

 長い年月をかけた因果話の聞き手を請け負った手前、マリカの不誠実さは僕がカバーしなければ。


「えっと、それで、今日まで血を絶やさずに耐えてこられたのですね」

「はい。血を絶やすことはできませんでした。この島の海には数多の悪鬼と、器となった不幸な人々が沈んでいます。もしかすると大きな怨念が這い出てくるかもしれない。私共は血脈を守り、世が滅びるまで海を見張り、懺悔し続けなければなりません」

「……オハガシ様否定派が残ったのですね」

「はい。不思議と徐々に……否定派が残りました。私個人は、オハガシ様が持ち出されて良かったと思っています」


 ミトジさんはそう言って、薄く息を吐いた。

 薔薇との因果が、この一族の中で終わったのだと感じた。

 ミトジさんをはじめ、今まで部屋の隅でずっと静かに話を聞いていた人達を纏う空気が、少しだけ軽くなった様にも感じる。

 海に沈められた人達に憚っているのだろう、大っぴらにはされない密やかな喜びが部屋を包む中、マリカが不服そうな声を上げた。


「困るよ、私、オハガシ様がもらえると思ったのに!」

「おい、空気読めよ……」

「ねぇ、オハガシ様が盗まれた後の行方は知らないの?」


 マリカは僕を無視して、ミトジさんへ身を乗り出して尋ねた。

 ミトジさんは申し訳なさそうに首を振った。


「かなりの間捜索されたのですが、見つかりませんでした。曾祖父の代くらいからは探してもおりませんでしたし……呪符なら何枚でもご用意いたしますよ」

「そんなぁ……神様って自分で帰って来れたりしないの?」


 マリカのヤケクソ気味な質問に、ミトジさんは丁寧に答えた。


「オハガシ様のお姿は、特別な呪物じゅぶつから出る音です。『聞く』事が『会う』に近い状況となります。私共はその呪物の事をオハガシ様と呼びます」

「お、音ぉ? じゃあ、ここにあったとしても結局持ち帰れないじゃん!」


 マリカが長い睫を伏せて、項垂れた。

 彼女がこの島へ来たがった理由が薔薇を見たいだけではない、と、僕は薄々分かっていた。

 マリカは、恐ろしいモノを剥がせる神様を、N村へ持ち込みたかったのではないか。もしかしたら、村人たちの為に……。

 ミトジさんも僕と同じ考えを持ったらしく、マリカへ尋ねた。


「それは、N村の為でしょうか」

「ううん。単なる好奇心。自分以外の超常現象を見るの好きなの。それに、N村のお化けはオハガシ様でも無理なんでしょ? じゃなきゃとっくに門守家があなた達を頼ってるよ」

「いえ、オハガシ様で剥がす事は可能ですよ。ですが、ミヤビさんに憑いているモノの気配で確信しましたが、N村にいるモノはやはり別格です。それを封じるには、必要な器が多すぎるのです。それこそ、更なる怨念を生んでしまう程には必要かと……」

「ああ、そうか。器が必要だった……それでオハガシ様という選択肢がないんだ」


 僕は内心で膝を打つ。

 当事者としても、多くの犠牲を出して怨念をつくってしまうよりも、シキタリや風習を守ってやり過ごしていた方がずっと良いと思う。

 マリカは少し食い下がった。ああ言えばこう言いたい幽霊なのだろう。


「でも、元は一人に憑いていたのに、器が何人もいるなんておかしいじゃない」

「悪縁や業で憑くのと、無縁無業の者に無理矢理憑けるのでは違うのでしょう」

「……無縁無業の方から、悪縁のある方へはどうなの? 一人で済むの?」

「元に戻す、という事でしょうか? やった事がないので確約は出来ませんが、元の憑き主に執着がある悪鬼なら、元の憑き主一人で済むかと思います」

「ふぅん……そっか」


 マリカがすっくと立ち上がった。

 ぽかんと見上げる僕に「そろそろ帰ろ」と、言う。


「え、もういいの?」

「うん。薔薇の話を聞いたし、オハガシ様はここにないし、もう満足」


 マリカはそう言ってニコリと微笑んだ。

 それはミトジさん達に、いかにも可憐な微笑みに見えた事だろう。

 が、微笑んで細めた瞳の中に野望が灯ってるのを、僕は見逃さなかった。

 

―――やばい、あの目は駄目だ。

 

 僕はそう思った。

 何故ならマリカがあの目をする時は、何か彼女にとって良いこと――大抵はしょうもない悪事だ―――を思いついた時なのだ。

 

 

 


 

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