とある一族

 マリカが薔薇の枝を切ると、姿の見えない海鳥の鳴き声が空に木霊した。

 花と蕾の豊かな蔓枝を手てにしたマリカは、枝の香りを少し嗅いでポイッと捨ててしまった。

 そしてまた新しい蔓枝にハサミを入れ、すぐポイと捨てる。

 ジャキン、ポイ。ジャキン、ポイ。

 その捨て方からは、花や蕾のついた蔓枝への執着が感じられなかった。


 花は要らないのか……?

 

 気づいてしまうと、理解は速かった。

 マリカは薔薇を刈っていた。

 それどころか今や、ハサミを使わず素手で枝を引きちぎっているではないか。

 マリカの蛮行に薔薇の茂みがザワザワ揺れる。

 辺り一面、姿の見えない海鳥の鳴き声で埋め尽くされていた。

 僕は慌ててマリカを止めた。


「やめろ、棘が刺さるぞ!」


 マリカの細い腕と小さな手は、すでに傷だらけだった。


「大丈夫だよ。どいて!」

「この神社の大事な薔薇だろ!?」

「邪魔しないで!」


 マリカは僕を突き飛ばし、花びらを散らして薔薇の茂みに潜っていく。

 ぼとんぼとんと薔薇の花が落ち、花びらが飛び散っていた。

 マリカは棘だらけの茂みに上半身を突っ込んで、僕には見えない相手ともみ合っている様にも見えた。


 ギャアギャアぎゃあ……


「ぐああ……」


 姿の見えない海鳥の鳴き声が、辺りを押し潰しそうな程騒がしい。

 僕は耳を塞いで蹲った。

 恐ろしい程の喧騒の中、マリカは薔薇の茂みを無残な姿に変え、更に根を引っこ抜こうと格闘している。

 薔薇の頑強な蔓枝と棘に、目をギラつかせて挑む血みどろの少女。その周りには、薔薇の花の残骸。

 少々信じがたく、全く好ましくない光景だ。


「やめろ!」


 僕は再度マリカに駆け寄って、今度は突き飛ばされないよう、彼女の腰に腕を回した。

 

「離してよ! 痴漢! バカ!」

「やめろよ、こんな事しに来たのかよ!?」


 僕はマリカの腰に回した腕に思い切り力を込めて怒鳴った。

 マリカはそれでも止まらなかった。


「そうだよ! この薔薇を引っこ抜いてやるんだ!」

「なんで!」


 僕らが揉み合っていると、数人の足音が聞こえてきた。

 まずい、と、僕はマリカにしがみついたまま足音の方を見た。


「げ! どうするんだよ、見つかるぞ」

「へーきだよ」

「なんで!」


 ほどなくして花の茂みから三人の男女が現れた。

 初老の女性と、二十代くらいの女性、それから僕より少し年下の少年だった。

 三人とも袴姿だ。どう考えても神社の関係者に違いなかった。

 彼らは僕らを見つけると、息を飲んで棒立ちになった。

 僕は頭から血の気が引くのを感じながら、そろそろとマリカから離れ、事態を収めようと――平謝りしようとした。

 それなのに、マリカはその隙に薔薇を根っこから引き抜いてしまった。

 一際騒がしく姿の見えない鳥が鳴き、群れが一斉に空へ飛び立つ様な気配が僕の前髪を煽った。

 

「うおりゃあああああ! やったぞーーっ!!」


 マリカが無残な根っこのついた薔薇を空へ突き上げて、歓声を上げる。


――――詰んだ。


 僕はそう思った。

 確かここでしか咲かない貴重な薔薇のはず。

 マリカから根っこを取り上げて再び地面に埋めれば、まだ間に合うだろうか?

 この暴挙は、もしかしてN村へ通報されてしまうのでは?

 一体どう償えば?


「マリカ……マリカお前……」


 息も絶え絶えに、僕はマリカを視線で責めた。


「抜いたった!」


 マリカは「ふんす」といった顔で、目をキラキラさせている。


「いまわの幽霊……」

 

 と、少年が声を上げた。

 僕は三人に向かって土下座をしようとした。

 しかし、それよりも早く三人が地面に跪いた。


「……え?」


 ポカンとする僕の横をマリカが小走りで横切り、三人の前に立った。

 そして、


「ほら」


 と言って、彼らの前に根っこ付きの薔薇を放った。

 あれほど茂っていたというのに、今では萎れた一輪の薔薇だった。

 彼らはそれを見て、わなわなと震えつつ手を合わせた。

 そして初老の女性が懐から白い紙を取り出し、何か唱えながら薔薇を包んだ。その間、若い女性と少年の方も同じ詠唱をして手を合わせていた。

 しばらくしてそれが終わると、三人は再びマリカへ恭しく頭を下げた。

  

「いまわの幽霊様でございますね?」

「うん」

「私は三十九ミトクと申します。N村へ嫁いだ四十ヨソとのご縁で来てくださったのでしょうか?」

「うん。生前、とても良くしてくれたの。薔薇を最後まで気にしてた」

「そうでしたか……ゆっくりお話ししとうございます。私どもの屋敷へ招待させていただけませんか。お怪我の手当もさせてください」


 おとがめなさそうな上に、歓迎されている。

 僕は蚊帳の外で事態を見守りながら、心底ホッとしていた。


「お家に呼んでくれるって」

「う、うん。船の時間までな……」


 それを聞いた初老の女性が微笑んで言った。


「船なら、お好きな時に出しましょう。ごゆっくりなさってください」

「じゃあ、飛行機に間に合う時間まで」

「どのくらい居れる?」


 マリカが僕の腕を取って、腕時計を覗き込む。

 僕も一緒に時計を見て、ここから空港までの時間を逆算する。


「帰りの便は遅めを取ったから、一・二時間くらい」


 と、答えた。


「もっとゆっくりしていただきたいのですが……五十三イソミ六十ムト、先に行っておもてなしの準備をしてちょうだい」


 ミトクさんは少し残念そうな顔をしたが、すぐに若い二人に命じて、僕らを屋敷へと案内してくれた。

 


 僕らは海を見渡せる広々とした座敷に通された。

 座敷の隅には、袴姿の数人が正座をし頭を下げていた。

 座卓にお茶とお茶菓子を配膳していた五十三イソミさんと六十ムト君も、僕らを座卓の前に座らせると、平伏した。

 僕とマリカが戸惑っていると、壮年の男性が顔を上げ、僕らの向かいに移動して座った。

 他の人たちも顔を上げて僕らを見た。

 彼らは全員、門守さんに似ていた。

 ここまでの道中、マリカから聞いた近親婚の話を思い出す。


「ようこそお越しくださいました。私はこの島の神主の三十二ミトジと申します」

「N村の九条マリカです。十年前に幽霊になりました!」

 

 マリカが朗らかに自己紹介をした。

 変な自己紹介だな、と苦笑いしつつ、僕も自己紹介をした。


「僕は早乙女雅弥です。お手数ですが、男と分かる呼び方をしないでください――どうか、呼び捨てでお願いします」


 僕の自己紹介も十分変だった。

 みんなマリカの方ばかり見ていたが、僕の方にも注目し、途端に顔をしかめた。


「先ほどから笛の音が聞こえると思ったら」

「これは酷い。女だね」

「盲目だ。生き血のみ見えている」


 彼らは僕を見て口々に囁き交わした。

 戸惑っていると、無言で僕を凝視していた幼い男の子と女の子が、突然真後ろに倒れてしまった。


六三ムツミ六六ムロクが失神してしまった」

「子供には強すぎる。別室へ連れていきなさい」

「だ、大丈夫ですか!?」

「ああ……お騒がせしてすみません。私共は見鬼けんきが生業ですので、お気になさらず。しかし、これほどの気配だと本体は尋常ではありませんな。N村には、あなたの様な方が集まられているのですね」


 しみじみと言うミトジさんの言葉に、僕は戸惑った。

 

 

「確かに、一族にそれぞれシキタリや風習があって、それを厳守していますが……集まっているという意識はありませんでした。村人は生まれた時から村人ですので」


 と、言ってから、なんとなく心もとない気持ちで「多分」と付け足した。

 ミトジさんは、一つ瞬きをしてから「そうですか」と答えてその話を切り上げた。

 彼はマリカの方へ向き直り、再度深々と頭を下げた。


「いまわの幽霊様、あの薔薇を抜いてくださって、ありがとうございます。わが一族が滅亡を免れる希望が出来ました」


 僕は「どういう事?」という視線をマリカに向けた。

 マリカは少し罰が悪そうにヘラついて、気軽に答えた。


「あの薔薇はそういう薔薇って事!」

「そういう薔薇ってなんだよ」

「私が説明いたしましょう。そしてこの説明を機に、我々はこの件を締めくくりたいと思います。どうぞ菓子を召し上がりながらお付き合いください」


 マリカの説明不足に焦れる僕を見かねたのか、ミトジさんがそう言ってくれた。

 そうなると僕は、疑問を持って質問してしまった事に後悔した。

 隣人の風習さえ知らずに置いて生きてきたのに、他所の島の事に首を突っ込むなんて。

 でもまぁ、締めくくられるのなら……大丈夫だろう、と思う事にした。

 しかし、大事な事は伝えておく。


「飛行機の時間がありますので、手短にお願いします」


 マリカが軽蔑混じりの驚嘆の表情をして見せた。まったく表情豊かな幽霊だ。


「かしこまりました。それでは手短に。まず、私共の先祖一族は見鬼の能力の為世間様に疎まれ、島へ逃げ込み、海神様に手を合わせひっそりと暮らしていました。しかしある時、何処かからやってきた人物がオハガシ様を私共に授けました。名前の通り、悪鬼を「剥がす」神です。大抵の悪いものは、剥がしてしまえます。しかし、出来る事は剥がすだけなのです」

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