それはまるで僕の心の内なんだ
道すがら立ち寄った島の集落は、N村よりも自然に埋もれるように存在していた。
あと、なんだか生臭かった。海か魚の匂いだろうか。
山では獣を狩った時くらいしか感じない生々しい匂いと重苦しい気配が、ここでは終始漂っているのだった。
集落では、女性や子供を多く見かけた。
ボロボロの軒下で鞠遊びをしている子供達や、女性達が大きな木の下で談笑をしているのだが、その内の二、三人は全く同じ顔をしていた。
そこを通り過ぎた先に、また同じ人が現れたりするので奇妙な気分になる。
「双子や三つ子が多い島なんだって。ジンのお母さんが言ってた」
「ふぅん……門守さんの母さんも双子や三つ子なのかな」
「神主一族は違うみたい。あ、兄弟姉妹はいるって言ってたな。でもすぐ死んじゃうんだって」
「なんでだ?」
集落から神社へ続く道が土から綺麗な石畳に変わった事に気を取られながら、僕は首を傾げた。短命だなんて気の毒だと思うし、原因を知りたいと思った。
マリカは石畳に不揃いに使われている石の、同じ色を定めて飛び移りながら教えてくれた。
「奇形とか体内の障害が多いんだって」
「それは……」
「あ、N村みたいな意味分かんないのとは違うよ。血縁者同士で子供をつくるのが原因だって」
「血縁者同士で?」
「うん。ミヤビとタマキで♡みたいな?」
「う……しかし、僕らはそれほど近くないから法律的にはアリだぞ」
黄土色から黄土色へ飛び移っていたマリカが、ピョンと身を跳ねさせて僕へ振り返った。
「あれま、もしかしてタマキを嫁に狙ってるの?」
「そういう訳じゃないけど……あの村に女は少ないだろ。環さえよければ、それで落ち着くじゃないか。シキタリが一緒だから面倒くさくないし」
「ええ~、ミヤビ、そんな結婚観だったの? ええ~……」
「そんなもんだろ」
そっけなく言葉を返した僕に、マリカはピョンと飛んで近づいて来た。
「ダメ」
「え?」
「タマキはダメ」
「なんでだよ。近親者だから?」
「ミヤビがタマキの旦那さんになったら、ヤだから」
形の良い唇を尖らせて、マリカが上目遣いに僕を見た。
僕は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「ど……して……?」
「だってぇ、タマキがミヤビみたいに煩い旦那さんを持ったら、夜遊びとかに誘えなくなるでしょ?」
「……クソッ、人妻を夜遊びに誘う方がどうかしてる!」
「いやーん、絶対他の子にしてちょうだいよー、ミーちゃんはイケメンだから、きっと良い子がみつかるってばよー!」
「うるさい! 行くぞ!」
道は石畳から急な石段へと変わっていた。
マリカはスキップでもするように、軽々と石段を登って行く。
神社に辿り着くと、マリカは鳥居にぶら下がりそうなほど高く飛び跳ねて歓声を上げた。
「ついたー!」
「おい、静かにしろよ」
マリカは僕の注意など聞かずに、それほど長くない参道を駆け抜ける。
そして拝殿まで行くと、適当にパンパンと手を打って見せた。
「オハガシさまー、こんちわーおじゃましゃーす!」
「こら!」
手水舎で手を清めようとしていた僕は、マリカの無作法に面食らった。
マリカは拝殿からスキップして離れ、「あ!」と声を上げてまた駆け出す。
「ミヤビこっち! 海が見えるんだよ!」
そう言って手招きするマリカの後ろに柵があり、渋々近寄ると水平線が細く光っていた。
マリカが柵の前で目を輝かせ静かになったので、僕は一安心して境内を見渡した。
木々に覆われた空間に、
全体的に朽ちて薄暗かったが、花の良い香りが漂っていて暗い気持ちにならなかった。香りは社務所横の小さな鳥居の先にある細い道の向こうから流れて来ていた。きっとあの細い道の向こうに、マリカお目当ての庭園があるのだろう。
マリカを探すと、まだ水平線を見ていた。
「マリカ、庭園は?」
声を掛けたが、マリカは気づかない様子だ。
ポニーテールが風に揺れているのを3秒ほど眺めてから、諦めて神社の境内をウロつく事にした。
まずは小さな拝殿に手を合わせる。
拝殿の前に大きな箱が置いてあり、その上部に鈴が釣られていたのが不思議だった。吊された大縄を揺さぶれば鈴が鳴るのだろうと予想出来たが、呼び鈴の様に思えたので触らないでおいた。
舞殿は地面から一段高い舞台ではなく一段窪んだ石床だったので、不思議に思った。石床が微かなV字に抉れている。その床自体も排水溝の様な穴に向かって傾いていた。窪んでいるから雨が溜らない工夫だろう。
舞殿の脇にはかなり大きな灯籠が建っている。
竿が短く、火袋が異様に大きい変わった灯籠だった。
大きな火袋をつい覗き込みたくなって見てみると、屈めば僕一人くらいは入れそうだ。しかし、僕のような輩がいる為か火袋には鉄の柵がついていた。
いまわ神社には拝殿と本殿と社務所くらいしかないので、他所の神社の設備を見るのは珍しくて楽しかった。
話のネタにお守りでも土産にしよう、と、授与所へ向かう。
生憎そこは無人だった。人気がなく薄暗いところが妙に僕の気を引いた。
通常はクジや絵馬などが陳列されているであろう棚に、壺や虫かご、縄などが並べられている。
ここへ参り来る者は、幸福の予見や願掛けなど無用なのだろうか。それとも、これらがこの神社のお守りのカタチなのかも知れない。
興味を引かれて虫かごを一つ手に取ると、マリカが後ろから覗き込んできた。
ふわりとマリカ独特の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
「それね、悪いモノを閉じ込めれるらしいよ」
「へぇ、こんな壺や虫かごにか?」
「フフッ、信じる?」
「エセ物なのか?」
「どうだろ? 一つ買って帰ろっか? 早乙女家のストーカー女を閉じ込めれるかもよ?」
「よしじゃあ壺も買おう。マリカはどの壺がいい? 居心地の良さそうなヤツ選べよ」
「どれも可愛くないから、パスー」
マリカはそう言ってクルリと踵を返し、授与所の斜め向かいにある社務所に目を留めた。
薄暗い境内にいるにも関わらず、マリカの大きな瞳が炎の揺らぐ様に光った。
視線を追うと、社務所の出入り口に小さな紙の札が貼られ、潮風にヒラヒラと揺れているのが見えた。
「ひゃは、」と、マリカが唐突に笑い声を漏らした。
見れば、マリカは前屈みになり両腕を抱いて震えていた。
「おい、どうした?」
心配になって彼女の細い肩に触れると、震えが伝わって来た。
マリカは僕を見上げて、凍える様に笑った。
「ふ、ふ、ミヤビ……」
「うん?」
「連れてきてくれてありがと」
「おう、って、まだ庭園に行ってないだろ。大丈夫か?」
「足が震えてしかたがないや。おんぶして」
「どうしちゃったんだよ……ほら」
なにがなんだか分からないまま、僕はマリカを背負った。
相変わらず空気の様に軽い。回された細い腕が鳥肌立っていた。
彼女の震えが背中に伝わってきて、僕まで震えだしてしまわないように気を張った。
小さな鳥居を潜り神社の境内から出て、獣道に近い細道を進む。
漂う花の香りが濃くなる頃、古い大屋敷が見えた。
そしてその大屋敷の脇に、小さな庭園があった。
*
本当に小さな庭園だった。
入り口から大体の全貌が見える。色とりどりの花が咲く美しい庭園だった。
珍しい薔薇は、他の花々の後ろの方にこんもりと茂っている上部だけが見えた。
「良い匂い……」
マリカの深呼吸が、僕の耳をくすぐった。
「うん。花と潮風の香りが混ざってる」
「歩く」
マリカが僕の背中から、ずるずると身体を滑らせた。
僕は屈んでマリカを背から降ろした。
「大丈夫?」
「うん」
マリカは屈伸をしながら頷いた。
「よし行こっ」
「うん」
踏み込めば、小径が花々の影に見え隠れしながら庭園を一周している。
この小径を辿れば、園内の花全てが見られる造りの様だ。
色とりどりの花を眺めながら小径を行くと、小さな広場に出た。
そこに薔薇の茂みがあった。
輝きが滴っている様な、赤い薔薇の群れに僕は息を飲んだ。
山育ちの僕は、花の群生なぞ見慣れている。迫力だって校庭の桜の方が恐ろしい程だ。
しかし圧倒された理由は、他にあった。
それは、「何か怖い」という直感だ。
――――これは薔薇か?
思わず後退る僕へ、少し前方にいたマリカが振り返った。
「この薔薇、なんか怖くない? ゾワゾワしちゃう」
「マリカもそう思うのか?」
「うん。この薔薇は悪い愛の化身なんだって。独占欲とか嫉妬とかさ」
そう聞いて、僕は「何か怖い」の正体に納得がいった。
目の前の薔薇は、僕の罪悪感と束縛感を引き出してくるのだ。
なんと説明したらいいのだろう。
想いに応えられない相手の悲しげな目を見ている様な、「私としか遊ばないで」と責められている様な、そういう嬉しくない愛情表現の様々をまとめたモノが、この薔薇から発せられていた。
そして薔薇は、僕に自身と同じ感情をも抱かせてくる様だった。
僕はこっちの方が怖かった。
コレに溺れてしまったらどうなってしまうのだろう、と。
しかし僕は、薔薇に怯えている事をマリカに知られたくなかった。
だから、少し話を混ぜっ返した。
「独占欲と嫉妬は愛なのか?」
「悪い愛って言ってんでしょ。愛じゃないかもね。でもさぁ、そうやってアレもコレも本当の愛じゃないって分けていったら、何も残らないと思うケドなー」
マリカはそう言いながら、自分の鞄の中を漁ってハサミを取り出した。
文具用のハサミではなく、大きめのハサミだ。
マリカと刃物の組み合わせに、僕は今度こそ後退った。
「おい、なんだ?」
「一枝もらうんだよ」
「そ、そんな事していいのか?」
「良いわけねーだろ、騒ぐんじゃないぞぉ」
「おいおいおい、やめろ」
「あ、そーだ」
薔薇の枝にハサミを入れようとしていたマリカが、僕の方を見た。
そして、セーラー服のスカートの裾を摘まんで上げる。
「うわ、ちょっと……!」
かつて見た光景に目を見張って固まる僕へ、マリカがニッコリ笑って言った。
「連れてきてくれて、本当にありがとう」
マリカのその姿を見て、僕は……僕は殴られた様な衝撃を受けた。
スカートを捲った過去のマリカが、僕の脳裏であざ笑ってドロンと消える。
僕は震え声でマリカに聞いた。
「ねぇ、そのポーズってなんの真似……?」
マリカはキョトンとした後、少し不機嫌そうに教えてくれた。
「えー、なに。分かんないの? お姫様のお辞儀だよ。最高の感謝を示してんのよ。光栄でしょ?」
* * * * *
本当は僕に結婚感なぞない。
よって、結婚願望もなかった。
僕は村から離れて、離れて離れて、遠く離れて、誰か生きている女に痛みが伴うほど心奪われたいと願っている。
だけど、それだけでいい。
その人の一生に、僕は責任を持てない。
どうしても村へ帰りたくなってしまう日が、来るかも知れないから。
心失う程の焦燥感に炙られようと、それでもいいと思ってしまう日が来てしまうかもしれないから。
僕はあの薔薇がこわい。
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