オハガシ様の島
島の船着き場は、古く頼りない桟橋と、受付窓のある小さなプレハブ、そしてボロい麦わら帽を被った老人が立っていた。
降り場の老人は、乗り場にいた老人とうり二つだった。
「ねぇ、あの爺さん……」
マリカも気づいて、渡ってきた沖の方と老人を交互に見ている。
僕もマリカも、船が元の場所へ戻ってしまったかの様な錯覚を受けていた。
もしもそんな馬鹿な事が起こったとしたら、次の島への便は数時間後だ。帰りの飛行機に乗れなくなってしまう。
飛行機に乗れなかったら、日帰りではなくなってしまう。
そうなってしまったら……。
笑しくないのに微笑む門守さんと、発狂するマリカの母親、逃亡した奴隷に憤るご
動揺して船を降りる僕へ、老人が近寄り微笑みかけてきた。
「オハガシ様の島へようこそ」
挨拶をしながら、手を差し出して来る。
少しポカンとしてからハッとして、乗船券を二人分手渡した。
「……ここは島、ですよね?」
「そうだよ。オハガシ様の島さ」
「良かった」
「じーさんが同じだからビビったねー」
老人は「ハハハ」と歯の無い歯茎を見せて笑った。
「儂ら三つ子なんだ」
そう言って、老人は船のコックピットの方を指さした。
見れば、一人の老人がコックピットから出て伸びをしている。その老人もまた、受付係の老人とうり二つだった。
「うわ、三人ともそっくりじゃん!」
「三つ子だからね」
「間違えられたりするんじゃない?」
「いつもバラバラで決まった場所にいるから、大丈夫。俺がシマ爺、あれがフネ爺、向こう岸にいるのがリク爺ってね」
シマ爺さんは、マリカと当たり前に会話をして、眩しそうに目を細める。細められてほとんど黒目になったそこには、若い光が煌めいていた。
「こんな綺麗な娘さんは初めて見た」
「きゃん、ありがとうお爺ちゃん。私ほどの美少女は中々いないのよ~」
さっきは「あの爺さん」呼びだったのに、ゲンキンなヤツだ。褒められた途端にシマ爺さんに媚びを売って微笑みかけている。
シマ爺さんはそんなマリカにニコニコしてから、僕へ言った。
「この娘さんは、オハガシ様でも無理だと思うよ」
またオハガシ様か、と、僕は少し警戒した。
N村では村の外の者に対して、自分達の信仰対象――いまわさんをこれほど会話の前面に出しはしないからだ。大抵そうじゃないか?
それに、村へ来ただけで、葬式に行う「いまわさん」目当てにやって来たなどと結びつけたりもしない。
だけどリク爺さんもシマ爺さんも、真っ先に口に出したのはオハガシ様の名前だった。マリカと絡めて名前を出してくるところも、嫌な予感がする。
ここは、マリカを連れてきてはいけない場所の様な気がしてきた。
もしかしてマリカはそれを知っていて、珍しい薔薇を目くらましに使い、僕に連れて来させたのではないか。
「オハガシ様というのは、どういった神様なのですか?」
「おや、知らないで来たのかい? それはないでしょう、人ならざる者を連れてさ」
「……珍しい薔薇を見に来ただけなので」
僕は横目でマリカを睨みながら、シマ爺さんの問いに答えた。
マリカは知らん顔で、船着き場から見える売店の方へサッサと歩いて行ってしまった。
いいさ。どんな目的を達する神さまか分かれば、マリカが何を企んでいるのか分かる。
「薔薇を? そうかなぁ? あの娘は剥がしたくないのかなぁ」
「剥がす……? 邪気払いの類い神様ですか?」
「うん、悪いモノを剥がしてくれるんだ」
「……へえ」
僕はシマ爺さんの返答に上の空になってしまい、気の抜けた返事を返した。
頭には、早乙女家のお化けの事が浮かんでいた。
―――いや、僕の家系だけじゃなくて……もしかしてN村の人々の大半は、オハガシ様に助けてもらえるんじゃないか?
目の前の老人をよそに、そんな考えを浮かべた矢先、マリカが入って行った売店から「コラ~!」と声が聞こえてきた。
そちらを見ると、マリカが店から飛び出して来るところだった。
「こら、お待ち! 幽鬼が何しに来たかと思ったら!」
「見えてないフリするとか卑怯じゃない!?」
また万引きをしようとしたらしい。
カンカンに怒った老婆が、マリカを追いかけてくる。
「悪さをするなら、器に入れるよ!」
「うわん、怒ったババアこわーい!」
僕の背にサッと身を隠したマリカを、少し笑ってしまった。
N村では、老人はマリカを甘やかす存在だから、叱ってくる老人が初めてだったのだろう。マリカは、おっとり微笑み甘やかしてくれる老人しか知らないのだ。
老婆は息を荒げて走って来ると、マリカを背に庇う(様に見える)僕を見上げた。その皺くちゃの小さな手には、筒にした新聞紙が掴まれている。
老婆はそれを振り上げた。
「こんなモン連れてきたんはお前か!」
「うわっ」
何故か僕が新聞紙で滅多打ちにされてしまった。理不尽だ。
マリカが店で悪さをした手前、謝るしかない僕を庇ってくれたのは、シマ爺さんだった。
「まぁまぁ、謝っているじゃないか」
シマ爺さんは老婆を宥めながら、曲がった背中の後ろに僕らを庇ってくれた。
「謝って許されるなら、皆泥棒になるさ!」
「陸から来た久しぶりのお客さんだよ。勘弁してやって」
「こんな幽鬼を渡らせて、リク爺は何してんだか! モウロクしちまったんじゃないのかね? あたしなら海を渡らせたりしないよ!」
「いいや、リクはモウロクしてないよ」
船からフネ爺さんが降りてきて、シマ爺さんに加勢した。
「リクが渡らせたのだから、大丈夫だ」
シマ爺さんは老婆を宥めながら、後ろ手で僕らに「行け」と合図した。
それにいち早く応じたのは、マリカだ。
マリカは僕の手を引いて、島の入り口へと足を向けた。
僕はシマ爺さんとフネ爺さんの背中へ小さく頭を下げて、マリカの後に続いた。
申し訳ないと思ったが、夕刻前には島を出る予定だ。時間が惜しかった。
先を急ぐ僕とマリカの背に、老人達の会話が断片的に聞こえていた。
「なにをしに」
「薔薇を見に」
「オハガシ様」
「いいや、薔薇を見に来ただけだ」
「しかし、あの娘には何かついている」
ほとんど駆ける様にしていたマリカが、ピタリと足を止めて振り返った。
彼女の華奢な背にぶつかりそうになって、僕も慌てて足を止めた。
マリカは大きな瞳をギラギラさせて、老人達を見ていた。
彼女に習って老人達の方へ振り返ると、彼らはパタリと黙って僕らを見ていた。
マリカは大きく息を吸い、彼らに向かって大声で尋ねた。
「何がーついてるー?」
老人達は顔を見合わせた。そして、老婆が一歩踏み出して答えた。
「手だよ。お前の首に這っている」
僕は老婆の言葉に驚いて、マリカの首を見た。しかし、白くほっそりした彼女の首に手など見当たらなかった。
マリカは大きな目を半分に細め、地面に唾を吐いた。
「インチキババアめ。行こ、ミヤビ」
「お、おう……おまえ、唾とか吐くなよな。帰りも世話になるんだぞ」
「うるさいなーキミは親かよ。ほら、薔薇を見に行くよ!」
マリカはそう言って、老人達に背を向けて歩き出した。
僕は再度老人達へお辞儀をして、マリカの後について行った。
そして、揺れるポニーテールを追いかけながら、完全に罠にハマった小動物の様な心地になっていた。
ヤバい島に来てしまった。
N村に来た人間も、こんな気持ちになっているのだろうか。
だとしたら……僕は初めて気の毒に思った。
僕は、この島で薔薇以外のものが決して目に入らないように、どこかの神様に祈りたい気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます