幽霊がいる証明
マリカの母親の後について部屋を出て、階段を降りた。
階下のソファには、マリカが起き上がって座っていた。まだ少し辛そうだ。
「まだ辛いか?」
「ん、少し楽になったよ。クソー」
マリカの母親が目を見開いて振り返る。
僕は慌ててソファを指さした。
「あ、ここにマリカが座っているんです」
「指をささないでよねっ」
「……そう」
マリカの母親は、ソファの前まで戻ってくると、ソファに向かい身体を屈めた。
マリカの座っている位置と、かなりズレていた。
悪戯っぽく笑うマリカに、僕は「おまえが正しい場所に行ってやれ」と、手で合図をした。
マリカは素直に従って、ワクワクとした表情で母親を見上げた。
向かい合う母子だ。僕にはそう見えるのだが、実際には違う。
マリカの母親は焦点を何処へ絞ればいいか迷い、黒目が落ち着いていなかった。
「……マリカ……」
マリカの母親は、娘に呼びかけた後、僕の方を見た。
僕は「いますよ」という意味を込めて頷いて見せた。
マリカの母親は不安そうに再びソファの方を見て、意を決したように小さく呼びかけた。
「お茶にしましょう。月子さんがたくさん作ってくれたから……」
「はあい。やったー」
マリカが両手を上げて可笑しそうに返事をした。
「喜んでいます」
僕が伝えると、マリカの母親は嬉しそうに目を輝かせた後、何故かソワソワと不安そうな表情になって急ぎ出した。
リビングの方へ早足で行きながら、月子さんを急かす声がする。
「早く、月子さん、早く早く。マリカが待っているわ! 早くしないと!」
「別に出て行かないよー」
マリカが母親の背に呼びかけてから、ソファからそろりと立ち上がった。
「ミヤビもお茶してくでしょ?」
「うん、誘ってもらった」
「月子婆のサンドイッチは美味しいぞ~。クッキーも~、ケーキも~、クリームも~」
「え、お茶を飲むだけじゃないのか?」
僕の返答に、マリカがゲラゲラ笑った。
「なんだよ……」
「いなかもの~」
「はぁ?」と、少しイラついたが、そこへフワリと甘い香りが漂ってきた。
焼き菓子の匂いだった。
昼飯を食べていない事に気がついて、僕の腹がグゥと鳴った。
釣られた様に、マリカの腹も鳴った。
それを嬉しそうに笑って、「行こ!」と、マリカがリビングへと案内してくれた。
通されたリビングは、巨大なサンルームと続き間になっていた。
窓もサンルームも、カーテンと新聞紙で覆われている。
今くらいの時間なら随分明るい空間に違いないのだが、照明が点いていた。
マリカが家にいる事が分かった事だし、その内明るいリビングになるだろうか。
さて、人数にそぐわない馬鹿でかいテーブルに、「お茶」が用意されていた。
それは確かにお茶だけではなかった。
三段になった大皿が、四席分配置されていた。
各段に、肉の薄切りやサラダ、サンドイッチ、ビスケットやらパン菓子、ケーキに果物が盛られている。お茶は、その横にポットごと並んでいて紅茶だった。
僕は、麦茶か緑茶の冷えたのを出してもらえるだけだと思っていたから、驚いてしまった。
「食事じゃないか……」
「いっぱい食べよ!」
マリカがストンと椅子に座る。どうやら指定席の様だ。
座ると同時に、サンドイッチを摘まんで頬張っている。
「早乙女さん、どうぞ座って」
「あ、はい。凄いですね」
毎日三食用意している身としては、素直に感嘆するしかない。それから、感謝も。誰かの作ってくれる料理はとても美味いから。
「おかわりもありますからね」
月子さんが嬉しそうに言う。僕はかなり久しぶりの客なのだろう。
マリカは僕の横の席で、三枚の皿を縦横無尽にバクバク食べている。
「おいひー」
「落ち着けよ……お前、お嬢様だろ」
「うるさいな!」
そんなやりとりをする僕を見ていたマリカの母親が、食い入る様にテーブルから身を乗り出して尋ねた。
「マリカは喜んでいるの? 食べているの?」
「え!」
僕は驚いてマリカの皿を見た。
めちゃくちゃ食ってる。なんなら、頬に菓子の欠片まで着けているし、皿の上もまんべんなく減っていた。
「食べてますよ、ほら、もう半分以上……」
僕はマリカの母親や月子さんの方を見て言ってから、再度マリカの皿を見た。
すると、皿は出されたままの手つかずの姿に戻っていた。
「は?」
マリカはちゃんと食っている。
瞬きをすると、やはりマリカの皿から食べ物は減っていた。
「……?」
「ママ達には減っている様に見えないみたい」
マリカがもぐもぐしながら言った。
「いやでも、食ってる……あれ、戻った……は??」
謎の感覚に焦りながらも、マリカの母親と月子さんに力説した。
でないと、僕が嘘を吐いているみたいではないか。
「僕の見ているマリカは、喜んで凄い勢いで食べています」
月子さんは僕に優しく微笑んで、頷いてくれた。
「……きっと召し上がってくれているんでしょうね。毎日お嬢様の席にも食事を並べているのですが、下げる頃には……見た目は変わらないのですが、その、なんていうのでしょう。水気というのでしょうか、そういうものがなくなっていて、抜け殻の様になっているのです。わたしは、それを召し上がった印ではないかと思っておりましたの」
マリカの母親は、ジッとマリカの前の皿を見つめている。菓子が何処か一かけでもしていないかと、注意している様子だった。
「へぇ……」
「ですから、わたしは毎日お嬢様がここにいると信じて……いました……」
月子さんは涙ぐんで声を詰まらせ、そんな事を言った。
マリカの母親は、意外な事に月子さんの感傷に取り合わない様子だ。
黙ってマリカの皿を見張っている。
僕の腕を、マリカがツンと突いた。
「ね、おいしいよって伝えて」
僕は――僕は頷いた。
長らく空の席に食事を用意し続けた者と、その食事の感想を伝える事が出来なかった者。その橋渡しを出来る事が、少し嬉しかった。
「おいしいって言ってます」
「マリカお嬢様……」
月子さんが口元に手を当て涙ぐむ。
再会に近い喜びなのだろうか、と、僕は思った。
「もっとありますから、たくさん食べてください。早乙女さん、お嬢様は他に何か欲しがっていますか?」
「チョコチップのアイスー!」
僕はマリカの食欲に少し呆れながら、月子さんへ伝達しようとした。
しかしその時、マリカの母親がテーブルをバンと手で打った。
「うそよ!」
「陽葵様?」
「うそうそうそうそうそよ!!」
マリカがスッと俯いた。
僕には彼女がフォークの先を噛む音が、小さく聞こえた。
マリカの母親はボロボロと涙を零して、月子さんへ訴えた。
「うそよ! だって減ってないじゃない! どうして? あの子には見えているというけれど、どうしたら私は信じられるの!? うそよ! うそよ!!」
「陽葵様……落ち着いてください」
久々の明るい話題に喜んでいたであろう老婆が、悲しそうに席を立ち、マリカの母親の背を撫でた。
マリカの母親はオイオイ泣くという表現通りに泣き出して、僕はどうしたらいいか分からなかった。
「はぁー、始まった。ぶち壊し」
マリカはうんざりした声で呟くと、不満そうな顔をしてケーキをパクパク食べ始める。やけ食いというやつだ。
最悪の空気。どうしたらいいんだ。
だけど、何故か少しこの状況に慣れてきているのも事実だ。
最初はほとんど無関心気味のマリカを「母親だろうに冷たくないか?」と、思っていたが、今はなんとなく気持ちが分かる。
僕は三段の皿を見る。かなりの量だ。
これ以上にアイスまで望むマリカは食い意地が凄いな……と、ボンヤリ考える余裕まであった。
うそよ、うそうそ、という声を聞きながら、僕はどうしたら嘘じゃなくなるのかを考える。
見えないものを見せる事は出来ないし、食べている量が減らずに見えている事も、僕には変えようが無い。
しかし、月子さんは感じていた。マリカが食べた後の食べ物の変化を。
「そうだ!」
と、僕は声を上げて立ち上がった。
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