早乙女清良の手記①

 階段を見下ろすと、マリカは階下でひっくり返って青ざめていた。


「だ、大丈夫か?」

「うう……吹っ飛ばされた!」

「ドアを開けたから効力が外に出て来たのか?」

「わかんない! でも、部屋から何か蹴っ飛ばさなかった?」


 マリカの言葉に、僕はハッとして廊下に転がっている鈴を拾ってマリカへ見せた。


「これか?」


 クワワン……。

 鈴がのろのろと鳴るのと同時に、立ち上がりかけていたマリカがグラリとよろめいた。マリカは円を描く様にポニーテールを揺らし、慌てたように階段の手すりに掴まった。


「……それだ」

「これ?」

「うん。グワンってなって、苦しいよ。すっごくヤダ」


 そう言って僕を見上げるマリカの顔は、本当に苦しそうだった。

 マリカは僕を見上げて呻いた。


「むり、うー、助けて」


 マリカの助けを求める声は弱々しく、瞳からはいつもの陽気さが抜けてしまっていた。

 僕は、自分の心臓が嫌な規則で脈打ち始めたのを感じた。

 

―――門守さんは幽霊に弱点などないと言っていたが、身体が吹っ飛ぶくらい強力なものがあるじゃないか!

 しかも、あのマリカをこんなに弱らせている……。助けを求めるほどに。


 僕は一旦、鈴をマリカの部屋へ放り込んでドアを閉めた。

 急いで階下のマリカの様子を確認すると、マリカは一番下の段に座り込んでいた。

 慌てて階段を三段抜かしで一気に降りると、項垂れたマリカの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か?」

「むり……なにあれ、こわ……」

「お札じゃなくて、変な鈴だったぞ」


 僕がそう言うと、マリカはよっぽど余裕がないのか「ふぅん」と興味なさそうに返事をして、前に倒れこみそうになった。慌ててマリカの身体を支え、ちょうど階段脇に置いてあった三人掛けのソファへ座らせてやった。マリカは雲みたいに軽かった。


「しんどいか?」

「うん」


 ソファにクタリと横になったマリカの額には、汗が浮かんでいた。


「すぐっ、すぐどっかやってやる」

「うん。まど。窓から捨てて。アレを持ってここを通らないで」

「わかった。帰る時に拾って外へ持っていく」


 せわしなく頷いて部屋へ戻ろうとする僕の手に、マリカが指先だけ触れた。


「ミヤビー、部屋に入れそうにないよ」

「捨ててもダメか?」


 マリカは頷いて、うつ伏せの姿勢で蹲って言った。凄く小さな声だった。


「わかんない。でも、部屋の方からクワンクワンって音がしてて嫌だ」


 マリカの言葉に耳をすませてみたが、僕にはあの鈴の音は聞こえなかった。


「ミヤビが図鑑を持ってきて」


 本来の目的をスッカリ忘れていた。

 部屋にある図鑑を見たいだけなのに、随分大変な目に遭っているじゃないか。


「ああ……どこにある?」


 自由奔放だと思っていたマリカが、これほどの不自由を強いられている事に愕然としながら僕はフラリと立ち上がった。


「本棚」


 と、マリカが小さな声で言った。


「よし」

「いや、勉強机だったかな……」

「勉強机だな」

「んんん……チェストの引き出しだったかも……」


 図鑑をどこにしまったか、思い出せないらしい。

 とぼけたマリカに、僕は少し苛立ち、少しホッとした。


「……おい、ちゃんと思い出せ」

「まかせる」

「……わかった」

「でもあんま漁らないで」

「興味ないから安心しろ」


 僕はそう言って、再びマリカの部屋へと向かった。

 本当なら、弱ったマリカを彼女の母親や月子さんに任せたかった。

 だけど、それは不可能な事だ。

 マリカはこの家でたった一人なのだ、と改めて思った。



 マリカの部屋へ行くと、すぐに鈴を拾って窓の外へ放った。

 鈴はクワワンと鳴りながら、敷地内の草むらに落ちた。その位置を確かめてから、僕はマリカの部屋を改めて見渡す。

 僕がめちゃくちゃにしたせいもあるが、惨憺たる部屋だ。

 引き千切ったお札や壊したまじないいの品の欠片が、僕の方を見ている様な気がして長居したくないと思った。

 僕はまず本棚に並ぶ本の背表紙を調べた。

 マリカはファッション誌しか読まないと思っていたが、誰もが知っているようなタイトルの文芸書が並んでいた。まぁ、実際読んだかは知らないが。

 最初に見た明るい姫の部屋に似合う、少女向けの小説本も幾つか並んでいる。 

 図鑑はなさそうだった。

 しかし、本棚に並ぶ本の背表紙を眺めていると、著者名に馴染みの名前を見つけた。僕はその名前にギクリとして、思わず本を手に取った。

 それはポケットサイズのメモ帳くらいの大きさだった。紙を束ね、厚紙で表紙をつけた手作りの本だ。タイトルは無い。

 その本に記された著者名は、『早乙女清良』だった。

 つまり、僕の、あの清良おじさんの名前だったのだ。


「うわ、嘘だろ。ふ……、はっ」


 思わず変な笑いを漏らして、僕は恐る恐る小さな本を開いた。

 押し花の栞がはらりと落ちる。

 僕は落ちた栞の側に座り込んだ。

 中身はメモ書きの束を綴り、表紙と背表紙を付けたものだった。

 ページによって使っている紙がところどころ違う。罫線の入ったメモ紙だったり、わら半紙の切れ端だったりだ。学校でもらうプリントの裏を使った切れ端の割合が多かった。

 手書きの文字。清良おじさんの字とは思えないほど綺麗な文字だ。

 そういえば、と、背表紙を見る。著者名の文字も綺麗だった。

 もしかしたらおじさんは字が綺麗だったのか?

 首を捻りながら最初のページを読むと、村の風景を描く散文だった。


『民家の集まりから外れると、山林のふもとまで田畑が広がっている。

 田畑を囲む山は低く、長く留まる日を浴びて、作物は上へ上へと茎や蔓を伸ばしている。

 山林も田畑も青々と茂り、どの緑も香りが良く、果実はたわわに実っている。

 木登りをすると里がよく見える。笑い声も泣き声も、木々が包んでくれる。

 盛り上がった木の根は、腰掛けて果実を囓るのに丁度良い。

 流れる川は浅く穏やかで魚が光る。

 日当たりの良いなだらかな土手は、緑の色が他より若い。

 あたたかい草の上に寝転がれば、自分が何者でも良いような気になる。』


 筆者は叔父さんではない、と、僕は思った。

 目に映るもの全てが気に入らない叔父さんが、こんな事を言うはずがない。

 これは誰だ?

 僕はページを捲る。

 

『田畑には並々と水を通す細い水路と、村人たちの通るあぜ道が交錯している。

 子供たちは細い水路に草花や草履など様々な物を流して遊ぶ。

 おおらかな升目となっているあぜ道は鬼ごっこに最適だ。

 あぜ道を征すれば、誰よりも強い鬼になれる。または、決して鬼に掴まらない。

 日が暮れる前に、みな代表さんへ手を合わせて家へ帰る。

 代表さんは、それぞれ名前を持っている。

(喜兵衛どん、およしさん、お鶴ちゃん、西蓮寺様、上原さん、松尾の次男さん、旅芸人さん)

 草葉の隙間からさす橙色の光の縞をゆく。

 夕空を受けて羽虫が一面に揺らめき教えてくれる。

 ここの大気は美しいのだと』


『いまわ神社の裏手には、野生の花を寄せ集めた花畑がある。

 花には蜜のあるものがあり、どれも青く甘い。

 木のベンチが木陰にひとつあり、腰掛けて、花々に黄金色の光が降り注ぐのを眺めていると西洋の天使の降臨を想える。

 端を囲う柵の向こうは崖だ。

 崖の下は岩場で、集落の北側の外れから入る坂の険しい小道から行ける。

 柵の側は吹き上げてくる風が顔を打つ。

 顔を上げよと』


 ページを捲る度、僕は確信していった。

 書かれたものの中に、叔父さんの片鱗は全くないと。

 そして同時に、筆者の描く村の風景のいたる所に、マリカの姿が鮮明に思い浮かぶという奇妙な感覚に戸惑っていた。

 

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