部屋の記憶

 マリカの母親と月子さんに部屋のお札の説明をすると、すぐに剥がして欲しいと頼まれた。

 この話のせいで、一段落して安定していたマリカの母親が再び不安定になったが、なんとか宥めると落ち着いてくれた。良かった。


「安定してる時は、普通に婆やと会話とかしてるんだよ。たまにご飯作ったりもするし」

「そうか。じゃあ普段は普通に生活出来ているんだな」

「大体はね。訪問者が駄目なのよ」

 そう聞くと、春に訪ねた事を申し訳なく思った。

 僕はそう思いながら、軽い足取りで階段を上っていくマリカの後についていく。

「ねぇ、はやくー」

 平屋暮らしの僕にとって、なだらかな洋風の階段は珍しい。密かに一段一段味わっていると、マリカが僕を急かした。

「こっち」

 階段を上りきると、長い廊下が左右に伸びていた。

 廊下の端が両方とも床から天井までガラス張りなので、明るかった。

 ドアは五枚あって、全てにベタベタとお札が貼られている。それぞれの足下には、出入りの邪魔にならない位置に、棘のある観葉植物、岩塩を背負った奇妙な動物の置物や、五芒星がプリントされたマットなど、怪しげな物が飾られて(?)いた。

 マリカの部屋は、階段を上ってすぐ右側の一番奥にあった。

 その部屋だけ気合いが違う。

 札の数が尋常じゃなかったし、廊下の天井から木の札がじゃらじゃらした飾り物が吊されていたし、香まで焚かれていた。

「ヤバすぎでしょ。あの大量のお札のどれかなんよ。そのせいでこれ以上近づけない。ミヤビ、はやく取っちゃって!」

 階段の途中から廊下へ身を乗り出してマリカが言った。

「お、おう。なんか……触って大丈夫なのか? 障りはないんだろうな?」

 僕はマリカの部屋の物々しさに、不安になってきた。

 マリカはブンブン首を振る。その勢いの良さが、逆に怪しいと思ってしまうのは、彼女の日頃の行いの悪さのせいである。決して僕が臆病者というワケではないはずだ。

「ないない。ほとんど偽物だから!」

「だって厳重過ぎるだろ。本当にマリカの部屋か? 何かこの家にとって重大なシキタリのある部屋じゃないだろうな?」

 僕の心配を聞いて、マリカはケラケラと笑った。

「ビビり野郎ね! 私の家にシキタリなんかないよ。あるとしたら私個人にあるから大丈夫」

「ああ……禁句か」

「うん。舌を噛むやつね」

「母親もそうなのか?」

 僕の好奇心に、マリカは首を横に振った。

「ママは九条家に嫁いだ人だから関係無い。九条家は男ばっか生まれる家なんだけど、稀に生まれる娘が貧乏くじみたい。それが私ね! さ、分かったらはやく札を取んなさい!」

 僕はもっと話を聞きたかった。――例えば、男ばかり生まれる事などあるのか、とか、何を言ったらいけないのか、とかだ。

 しかし、マリカにハッパをかけられて渋々目の前の問題と向き合った。

 ドアに貼られた大量のお札は、何枚も重なってこんもりと盛り上がっている。

 どれが「本物のお札」か分からない僕が手をウロウロさせていると、マリカが言った。

「ひと思いに全部取っちゃって!」

「いいのか?」

「はよ!」

 ダン、と、苛立たしげにマリカが階段を踏む。僕は慌ててお札に手を伸ばした。

 お札の端の方からソッと捲ってみると、重なり合っていたお札が固まった束で剥がれていく。たまに頑固にこびり付いているお札もあったが、全部剥がす事ができた。

「取ったぞ」

 最後のお札を剥がし、マリカへ見せた。

 マリカは「アレェ?」と声を上げて、首を捻った。

「全然ダメ。近づけない」

「剥がすだけじゃダメなのかもな。部屋の中って事はないか? 入っていいか?」

「えええー恥ずかしいよぉ」

 こちらへ近寄れないなりに、マリカがジタバタして嫌がった。

 コイツに恥とかあったんだな、と、少し新鮮だ。

「普段の行いよりか? 環が来れたら良かったな」 

「そりゃ部屋を見られるならタマキの方が良いけど、タマキだって無理でしょ」

「そうだなぁ、夏休みに神社にカンヅメとか可哀相だな環……。じゃ、入るぞ?」

「わあああん」

 マリカより有利な状況に満足しながら、多少意地悪い気持ちでマリカの部屋のドアを開けた。 

「ひゃん」とか「勝手にいろいろ触んないでよ!」とかいう声を聞きながら、僕は部屋の中を見渡してポカンとした。

 ドアとドアの間隔からして予想はしていたが、やたらと広い。

 大きな窓から光が入っていて、明るく綺麗な部屋だった。

 ただ、ピンク色の多さにたじろぐ。

 女の部屋だと分かっていても多い気がする。

 僕は、特にベッドに驚いた。

 分厚いマットの馬鹿でかいベッドが、ヒラヒラしたカーテンみたいな布で囲ってあったのだ。天蓋というやつだろうか。

 僕は「……姫かよ」と呟いた。

 土手で寝転がるヤツの寝床だとは到底思えない。

 勉強机と思わしき机も真っ白な洋風で、余計な箇所にナヨナヨとした曲線が目立っていた。本棚や飾り棚も机と揃いのデザインだった。これにも「姫かよ」と呟く。

 そんな西洋の姫が使う様な家具には、花柄の掛け布やぬいぐるみなどが飾られていて、絨毯もソファもピンクや白などの愛らしい色で統一され、キラキラと輝いていた。

「誰の部屋だ……?」

 僕は混乱した。

 本当にここはマリカの部屋か? 

 誰か、姫の部屋じゃなく?

 怖くなって、僕は部屋から顔を出し尋ねた。

「こ、ここ、マリカの部屋か?」

 嫌そうにコチラを伺っていたマリカは、キューッと顔の中心に皺を寄せ赤くなった。

「うううう、それはママの趣味なの! はよ札を探せってばよ!!」

 僕は笑いを堪えて部屋に戻った。

 そして絶句した。

 さっきまで明るく、ピンク色にキラキラしていた部屋が様変わりしていた。

 窓には何枚も新聞紙が貼られ、真っ暗だった。

 部屋の外から入る明かりで見渡す室内は、四方の壁に怪しげな札が貼られ、他の部屋のドア前にあるような怪しげな置物や飾りが置かれていた。

 天井から吊された小さな怪しげな鐘――よく見ると家畜に着ける鈴に似ていた――が、廊下から入って来た微かな空気の流れに揺れて鳴った。

「……え?」

「どしたの?」

「部屋が……いや、お邪魔します」

 僕はマリカに何も言わなかった。

 先ほどの様子から、マリカは自分の部屋がどんな変化を遂げているか見た事がないのだと思う。僕が見た、あの明るい部屋の記憶しか無いんだ。

 僕は唇を噛んで部屋へ踏み込んだ。

 カラン、カラン……と、湾曲した余韻を残す鈴の音を聞かない様にして、部屋中のお札を剥がしてまわった。

 窓を塞ぐ新聞紙も勢いよく破ってやった。マリカの母親がヒステリーを起こすかも知れないが、知った事か。

 怪しげな置物も変な飾りも、全部叩き壊して窓から放り投げてやりたいと思った。

 さっき見た、姫の部屋の様な明るい部屋に戻してやりたかったんだ。

「ねー、まだー?」

 マリカの退屈そうな声がする。

 僕は鼻を啜って、

「煩いな、ちょっと待ってろ」

 と、乱暴に答えた。

「んだよー。ねー、鼻啜っちゃって、どしたの?」

「埃が凄いんだよ」

 部屋は月子さんかマリカの母親が掃除をしているようで、埃などなかったが、僕はずび、と、鼻を啜っていた。目元を腕で擦ってから、天井に吊された鈴を引っ張って外し、床に打ち捨てる。

 僕はそれを部屋の外へ蹴り飛ばしてやった。

 クワワン、と、奇妙に鳴って鈴が部屋の外へ飛び出した。

 すると、マリカの悲鳴が響いた。

「うっぎゃー!?」

「え!?」

 ドタドタドタ、と音がする。

 慌てて廊下へ出て見ると、マリカが階段を転げ落ちていく所だった。  

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