困っている事を解決する

マリカの作戦

 マリカの家は相変わらず不気味な洋館だった。

 まだ昼下がりの明るい光を浴びているにも関わらず、内側から何もかもを遮断して「近寄るな」とばかりの出で立ちだ。

 ゴクリと喉を鳴らして館を見上げている僕に、マリカはニヤッと笑った。

「引くよねー」

「ああ……いや、門柱に鶏の頭飾る家もあるし。マリカの家はこれがシキタリなんだろ?」

「あー、あの家も中々不気味だよね~。でもウチのアレはママが勝手にやってる事なんだ」

「おお……そうか。で、僕はどうやって家に入ればいいんだ?」

 マリカの母親はマリカの姿が見れないのだから、僕一人で訪ねて来たという事になる。前回の様子から、「マリカの同級生なのね、どうぞ上がって」とはならないだろう。 

「あのね、ママは私が見えないのね」

「うん」

「だけど、村の皆に『マリカは幽霊になった。ほらここにいるんだよ』って言われまくったのよ」

「……それは」

 それは随分酷な事だったのではないかと、僕は思い至った。 

 マリカは間近でそれを見てきたのだから、僕以上に母親の気持ちが分かるのだろう。うん、と、小さく頷いた。

「ママは私の事愛してたから、死んじゃっただけでも凄く傷ついて混乱していたのに、幽霊になったとか、ここにいるとか本気で言われておかしくなっちゃったんだ。村全体から騙されているのかとか、いいえ、真実なのよ! とか、希望と絶望を行ったり来たりしてね」

 マリカの睫は濃くて長い。だから、僕の見る角度から今彼女がどんな瞳をしているのかは分からなかった。

 僕はそっとマリカから視線を外し、再び館を見上げた。

 館はやはり奇抜で不気味だったが、追い詰められた一人の人の怯えや叫びを体現しているのだと思うと悪い印象を持つ事は憚られた。

「……春にマリカを尋ねた時、マリカの母さんはマリカはいません、連れて行かないでって言っていた」

「そうそう。私が誰かに連れて行かれちゃうって妄想に取憑かれててさ、私を隠してるつもりなの。それから、私が自分から家の外に行かないように頑張ってるんだ」

「ああ、だからワケわかんないお札をそこら中に貼ってるのか。外敵から守っているだけじゃなくて、マリカも封じているつもりなんだな」

 マリカはクスクス笑った。

「そそそ。色んなツテを頼って、占い師やら霊媒師とかからインチキなお札やおまじないグッズ買い漁ってさー。界隈でママはかなりのカモネギになってんのよー。でも、私の部屋のお札だけは当たり引いたみたいでさぁ! 私が言うのもなんだけど、本物って結構いるんだねー。部屋にいない時でホント良かったよ!!」

 マリカはペラペラと軽い調子で話しているが、僕は軽い感じで聞けなかった。

 だってもし本当に偶然部屋にいる時にその札を貼られていたら、マリカは何年も部屋に閉じ込められてしまっていたという事じゃないか。

 この天真爛漫な悪霊が、昼間に土手で寝転がったり、夕暮れの田んぼ道を鼻歌交じりにブラブラする事が出来なくなるなど、とても耐えられやしないだろうに。

「ねぇねぇ、そんな間の抜けた顔してないで気を引き締めてよ」

「ん?」

「私の作戦はこうよ」

「作戦? なんの話だ?」

「ミヤビをウチに入れる作戦に決まってんでしょ? 私はママに『お友達連れてきたー』なんて出来ないんだから!」

 僕はそれを聞いて頭を抱えた。

 相手がであれば、玄関くらいまで……なんだかんだと理由をつければ部屋までも行けなくないかもしれないが、前回訪ねた時の事を思うと絶望的だ。

 しょうがないので、僕はマリカの作戦を聞いてみる事にした。



 インターホンから、ギャオオオオオーッとかギィエエエエエーッと耳をつんざく絶叫が発せられたが、僕は冷静だった。原因や対処法が分かればなんてことない。僕の心の奥底に居る満たされ切れなかった子供に至っては、この叫びを求め、羨んでいるくらいだ。

 マリカはというと、さすがに母親の絶叫は堪えるのだろう。居たたまれなさそうに手で耳を塞いでいた。

 インターホンから聞こえる意味不明な叫び声が、苦しげな息使いに変わってきた頃、僕とマリカが息を潜めていると別の声が聞こえてきた。

『……陽葵ひまり様……きっともう行ってしまいましたから……』

 疲れ切った老婆の声だった。

 僕はマリカと顔を見合わせた。

 マリカから「ずっとママに仕えてるお手伝いさんがいる」と先に教えられていたものの、今までその存在を知らなかった僕は老婆の登場に少し驚いていた。

 マリカはというと、「ね、いるでしょ?」という顔で笑っている。

『ヒィ……ヒィ……マリカは部屋?』

『ええ、部屋に居ます……ずっとずっといますよ』

 荒い息づかいと、弱々しいマリカの母親の声に、老婆の声が優しく答えている。

 インターホンの通信が切れそうになるタイミングで、マリカが僕を肘で突いた。

「あ、あの。マリカを連れてきました」

 僕がそう言うと、インターホンの向こう側が水を打ったようにシンと静かになった。

 マリカが更に僕を肘で突く。

「部屋に戻りたがっているので、入れてあげてくれませんか」

 ガタン、ガタガタ!

 誰かが膝からくずおれた様な音がインターホン越しに聞こえた。

『奥様!』

 と、慌てる老婆の声も。

『一体誰だい、奥様をこんなにからかうのは!!』

 真摯に怒った老婆の声に、僕は怯んだ。声だけでも十分に主人を守ろうとする気迫を感じたからだ。

 僕は声が細くならないように姿勢を正した。

「僕は早乙女家の早乙女雅弥です。マリカさんの同級生です」

『マリカ! マリカが外に!?』

 慌てふためいた様子の足音が、インターホンから遠くなる。

『いけません奥様……! あなた、前にも来たでしょう? どういうおつもりなの?』

「マリカが外にいたので僕が連れてきたんです。家に入れてあげてください」

 老婆の声が僕に何か言い返す前に、館の入り口の方でガチャンと音がした。

 門から庭を挟んで少し離れた玄関の立派な両開き扉が開き、小柄な女性が飛び出して来た。

「ママだよ」と、マリカが言った。

 マリカの母親は門の外にいる僕を見ると、愕然とした様子で立ち竦んだ。恐らく、マリカの姿が無い事に事実を突きつけられているのだろう。

 そんなマリカの母親の容姿に、僕は息を飲んだ。

 彼女はとても若く、遠目だと少女の様だった。そして、マリカにそっくりだった。 

 僕が目を見張っている刹那、彼女は愕然とした表情の中で「ああそうだった」と理解をしている様子が見て取れた。

 僕はその変化に「まずい」と思った。

 母親がガッカリしてパニックになるか、館に戻ってしまうかと思ったのだ。

 しかし、ゆっくりと門の方へ向かって来た。玄関ドアの奥から駆けつけて来た老婆が、慌てて彼女にサンダルを履かせて寄り添った。

 近くに寄れば寄る程、マリカの母親が若く、マリカに似ている事がよく分かった。

 凄く綺麗な人だった。そして、この人こそ幽霊と呼ばれるべきであろう薄暗い魅力があった。薄く青い目の下のくまが、妙にそそる。僕は普段女性に「そそる」などといった言葉は断じて使わないし、思い浮かべたりもしないのだが、彼女のくまの前では屈するしかなさそうだ。

 鉄格子の巻かれた門の向こうから、病的な儚さを湛えた瞳で見上げられた時には、くらりと来てしまった。

「ちょっと! しゃんとしてよ!」 

 マリカに脛を蹴られて、ハッと我に返る。

「マ、マリカさんを連れてきました」

「早乙女さんと仰いましたか? 奥様は心身弱っていらっしゃるので、あまり刺激させないで頂きたいわ。どうしてこんな事をなさるの? 私共に幽霊は見えませんのよ。どうか騒がず、そっとしておいてください」

 老婆がマリカの母親の横で僕を見上げ、そう言った。

 口調は厳しかったが、どこか懇願の様でもあった。

 この老婆も、村人の悪意なき残酷な言葉に困惑し、傷ついてきたのかもしれない。

 申し訳ない気持ちになっている僕を、マリカが容赦なく肘で突く。

 さっきから痛いんだよ、と少しイラつきつつ、僕はマリカのいる辺りを手で示した。

「マリカは家に帰りたがっています。ここにマリカがいます。マリカは今こう言っています」

「月子婆や、早く家へ入って婆やの手作りマドレーヌが食べたいわ」

 マリカが言った言葉を、僕はそのまま復唱した。

 老婆――月子さんは目を見開いて、僕と僕の示した手の先を見比べた。

「冷凍庫のハーゲンダッツも一緒に出してね。今はキャラメルとストロベリーが残ってるから~、ストロベリー味の方をお願い! ……だ、そうです」

 月子さんはポカンとした顔で僕を見ている。

「冷蔵庫の中身じゃパンチが薄いかな……」

 マリカが少し弱気そうに言った時、マリカの母親が口を開いた。

「月子さん、門を開けて。マリカを家に入れてあげて」

「陽葵様……」  

「はやくはやくはやく!! お願いマリカ、家へ入って! はやく門を開けて!!」

 ボンヤリとした様子だったマリカの母親が、再び不安定になってきた。

 鉄格子の巻かれた門の柵を素手で掴み、ガチャガチャと揺すり始めてしまった。

「陽葵様! 手を傷つけてしまいます!」

「ねぇ門を開けて! はやく、マリカが入れない! 連れて行かれちゃう!!」

 月子さんはマリカの母親を門から引き剥がす事を諦めて、急いで館の中へ駆けていった。

「ウチの門、家の中から開けるタイプなんだ」

 マリカは錯乱する母親を見慣れているのか、門の説明なんかしている。

 僕はなんとかマリカの母親を宥めようとして、それどころじゃなかった。

「あの、落ち着いてください」

 彼女の手を何とか門から離させようと手に触れると、血だらけの手で掴まれた。

「マリカ、マリカ、お願い、連れて行かないで!!」

「つ、連れてきたんです、僕が家の中まで連れて行きますから」

 門が開き始めた。慌てて手を引っ込めて、開いた隙間から入り込みマリカの母親を門から引き剥がした。マリカの母親は見た目通り、何もかもが華奢で小枝の様だった。

「ほら、マリカがありがとう、ただいまって言っています」 

「言ってないよー」

「家の中に入ろうって言ってます。僕も一緒に家へ上がらせてもらってもいいですか?」

 僕が顔を覗き込むと、マリカの母親は僕の周囲へ視線をウロウロさせた後、館へ振り返って金切り声を上げた。

「月子さん!! 門を閉めて! 門をしめてぇぇーーーっ!!」

「だ、大丈夫ですっ、マリカはどこにも行きません、ここにいますから!」

 門がゆっくりと閉まりだした。

「やったね」

 と、マリカが僕へ親指を立てている。

 ガシャン、と背後で門の閉まる音が響いた。  

 僕はその音を聞いた時、巨大な罠にハマった様な気持ちに襲われた。

 マリカの母親を見ると、閉まった門を見て別人の様に表情を明るくさせていた。 

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