次の日、ミーちゃんの言った通り、マリカは何もなかったみたいな顔をして、お昼前に神社へ遊びに来た。

「おっはよー!」

 マリカは軽い足取りで私のところへやって来ると、明るく挨拶をした。「昨日の事は、私だけが見た夢だったの?」って思っちゃうくらい、いつも通りのマリカだった。

「ア……お、おはよ」

 私はマリカの姿を見て、昨夜の胸が締め付けられる様な切なく泣きたい気持ちに襲われそうになった。

 だけど、お昼前の朝日がさす境内や、木々から降って来る小鳥のさえずり、それから当のマリカが、「おっはよー」って挨拶しなきゃどうするの、っていうくらい明るくて、昨夜みたいな気持ちが湧いてこない。

 そんなの不謹慎だよ、私は悲しいのっ、って思う頑固な気持ちが、私を俯かせる。   

 地面を見る私の視界に、マリカの学生用革靴がピョンと入り込む。

「なになに? お掃除してたの?」

 私は俯いたまま、手にしていた箒の柄をギュッと握りしめた。

 今朝はちゃんと早起きして、境内のお掃除を手伝ってたんだ。

「う、うん。お世話になっているから、お手伝いくらいはって……」

「へー、お利口さんね!」

 マリカは私の頭をヨシヨシと撫でた。

 顔を上げると、眩しいくらいのマリカの笑顔があった。

 お昼前の朝日がさす境内、小鳥のさえずり、笑うマリカ。

 あなたも笑いなさいよって、私を取り巻くものが明るく光って伝えてくる。

 心が溶かされかけて口角を上げようとしたその時、自分の心の声が聞こえた。


――――ほら笑いなさい。これが普通なんだと気にしないで。


 みんなの当たり前とか周囲のほのぼのした雰囲気とかで、私は心を安心させて、自ら目隠ししようとしてる。


――――ああ、私を取り巻くものは、こうやって騙してくるんだ。私が弱い事を知ってるんだ……。

 

 私はキッと顔を上げて、マリカを見た。マリカは大きな目を更に大きく開いた後、ちょっと笑って言った。

「わは、その顔……ミヤビみたい」

 私は笑わない。そうはいくもんか。

 私は目の前のマリカを見て、自分の気持ちに素直に生きたいって思ったんだ。

 そう思い始めたら、もう一回頑張ろうって思えたんだから。

 だから、周囲と自分の弱気に誤魔化されるもんか。

 そう思ったらようやく、私の頬をポロリと涙が転がっていった。

「どうしてそんな平気な顔してるの? どうして笑ってるの?」

「どうしてそんな悲しい顔してるの? どうして泣いてるの?」

「私が聞いてるんだよ」

「私も聞きたいんだよ」

「私が先だよ」

「駄目だよ、名前を尋ねる時は自分が先に名乗るでしょ? それと同じだよ、タマキから答えなきゃ」

「ぜ、全然同じじゃないよ。わ、私が泣いてるのはマリカが幽霊だからだよ」

「そっか。それはどうもしてあげらんないわ。あ、私が笑ってるのはね、今日もタマキに会えて嬉しいからだよ」

 マリカはそう言って、私の鼻の頭をツンと突く。

 私は「もうっ」と手にした箒を振り回した。

「本当は死んでるなんて、悲しいよ、寂しいよ」

「目の前にいるじゃないのよ」

 えぐっえぐっ、と泣きながら、私は首を振った。

 そしたらマリカがこんな事を言ったの。

「うーん……死んだばっかの時だったら嬉しかったんだろけどさー、今更なんだよねー。だから泣かれても困るのよ。幽霊で悲しいって泣かれても、そんなんどうしたらいいか謎だし。じゃあさー、生き返らせてくんない?」

 私は鼻を啜って黙り込んだ。

 自分の感情に嘘をつかないって事は、反発される事があるって事だった。今まで気持ちに嘘をつき続けてたのは、反発が怖かったからだってすっかり忘れてた。

「……幽霊を生き返らせる方法なんて分からないよ」

「でしょぉ? だったらもう、しょうがないこと言わないの!」

「でも、マリカの死を知らんぷりしたくない」

「それはタマキの都合だから、勝手にやっててよ。私は付き合わない」

 マリカ本人にそう言われちゃったら、どうしようもない。

 そもそも私は悲しむ事で、マリカにどんな反応をしてもらいたいのか分かってない。ピッタリのものをマリカがくれるものだと思ってた。自分の素直な気持ちは自分だけのもので、隠したり捨てたりしなくていいけれど、欲しい結果をもらう為のものじゃないんだね。

「……それでも私はしょっちゅう泣くかも」 

「だめだめ、悲しまれたら生き返りたくなっちゃう」

「マリカは生き返りたいんだね……生き返れないかな」

「別にこのままでいいよ。かわいいままだし、生きてたらこんなに気ままにできないでしょ?」

 女子高生のままなんて女の永遠の夢でしょ、なんて言って、マリカが笑う。

「そうなのかな……ねぇ、あの……どうして死んじゃったの?」

「ああ、自分で死んだんだよ」

「え……っ」

 私はビックリして声を上げた。 

 マリカはクスリと笑って、「だから同情しないでよ」と言った。 

「……でも、どうして?」

「んっとね、この神社の裏にいい感じの崖があってー、そこから……」

「違うよ、どうして自殺なんてしたの?」

「そんなの死にたかったからだよ」

 何度も誘惑されたその行為、マリカがそれを選んだなら、私も我慢しなきゃ良かった。でも、『いまわさん』で幽霊になって結局この世にいる事になってしまって、やる瀬なくないのかしら。

「そんな難しい顔しなくていいの。十年も前の話だってば」

 それより遊びに行こうよ、と、マリカが私の手をとった。

 その手はとっても冷たくて、私はまた泣き出した。

「ごめんね……やっぱり悲しいよー」

「しょうがないなー。花の蜜でも吸いに行こうよ」

「花の蜜?」

「うん。おいしいよ」

 汚くない? ってマリカに聞いたら、この世に汚くないモノなんてないよって笑った。

 この世は希望も何もないのかな。

 だから皆、ほのぼの知らないフリをしてるのかな。



 マリカは自分の飛び降りた崖を見せてくれた。

 神社の裏の茂みを抜けたところにお花がたくさん咲いている小さな原っぱがあって、その先が崖だった。ちゃんと柵が建っていて、危ない場所ではなさそう。

 恐る恐る崖下を覗いて見ると、木が茂って揺れてた。

 マリカは自分の自殺現場だというのに、鼻歌なんて歌いながら、花を物色してた。

「ジンのお母さんがここでガーデニングしてたんだ。だから、いろんな花が咲いてるんだよ。蓮華はもう終わっちゃったけど、スイカズラがまだ頑張ってるから、スイカズラを吸おう!」

 マリカはそう言って、白いストローみたいな小さな花びらをチュッと吸う。花の妖精みたいで、ミーちゃんがここにいなくて良かったって思った。

「ねー、タマキも吸おうよー」

「う、うん。どうやって吸うの?」

 マリカは蜜の吸い方を教えてくれた。

 青臭い蜜は一度にちょっとだけしか味わえなくて、いつしか私もマリカと同じように夢中で花びらを摘んでは咥えてた。

 子供に戻ったみたいに楽しくて、心が癒されていく。

 私はこの時間、この場所、それからマリカを独り占めできている事に幸せを感じた。

 あんまり幸せで楽しかったから、ふと、胸の中を不安がよぎった。

「他の人ともここで蜜を吸うの?」

 もしそうなら、厭だなって思ったんだ。勝手に嫉妬したの。

「へ?」

 マリカは花の茂みから顔を出して、きょとんとしてた。

「えっと……他にも友達いるでしょ? ……あっ、私のクラスに北城さんって子がいるんだけど、マリカと仲良くなりたがってたよ。他にもマリカと仲良くなりたい子いるんじゃないかな」

「あー、私、歳をとらないから出来るだけ友達を作らないんだ。みんな大人になっちゃうし、神様かなんかと思ってる感じもちょっとムリ」

「そうなんだ……」

「うん。でも、タマキは特別! ずっと一緒にいようね!」

 マリカにキラキラした笑顔でそう言われて、私は舞い上がっちゃった。

「ありがとう……でも、どうして私は特別なの?」

 私はドキドキして聞いた。

 マリカにとって私が特別な理由が分かっていれば、それをずっと維持して頑張らなきゃいけないでしょ?

「え、だって……」

 マリカは何か言いかけてから、口に手を当てた。

 またマリカが舌を噛むのかと思って身構えたけれど、マリカは何か言葉を呑み込んで、歯切れ悪く言った。ミーちゃんに悪戯を問い詰められた時と同じに、目がキョロンと泳いでる。

「えっと、タマキはお化けが見えるでしょ?」

「うん、そうだよ。だけど、お化けが見えるのとマリカの姿が見えるのは別でしょ? マリカは村人みんなに見えるんだから」

「うんうんうん……そうなんだけど、え~と……だからね、お化けの見えるタマキは幽霊の私と相性がいいんだよ、霊感少女と美少女幽霊は分かり合えるモノでしょっ? うん!」

「お化けが見えるから、村の人たちよりも近く感じるって事かな?」

 だったら、早乙女家のお化けが見える事がちょっと嬉しい……かも、しれない。

「うんそう。えへ、ねぇお腹空かない? もうお昼ご飯の時間じゃないでしょうか、タマキさん」

 マリカがやたらおどけてそう言った時、神社側の茂みからガサガサっと音がして、澪さんが現れた。

 澪さんはかなり焦った表情で、額に大粒の汗が光っていた。

「環様、ここにいらしてたんですね、良かった……!」

 澪さんは息切れ混じりの声でそう言うと、その場にへなへなと座り込んじゃったんだ。私はビックリして、澪さんに駆け寄った。

「澪さん、大丈夫ですか!?」

「ええ、大丈夫です。境内からいなくなってしまったのかと思いました。あなたのお母様からお預かりした大切な娘さんですのに、何かあってはと思って慌ててしまいました。良かった……」

 澪さんは本当に安心した様に、ほぅ、と息を吐く。

「ご、ごめんなさい」

「ミオ、ごめんね。タマキと蜜を吸ってたの」

 マリカも澪さんの様子に申し訳ないと思ったのか、一緒に謝ってくれた。

 息を整えた澪さんは、ニッコリ笑ってくれた。

「いいんですよ。お昼ご飯の用意が出来ているので、食べましょう。マリカ様もご一緒にどうですか?」

 マリカは「わーい!」と飛び跳ねた。

「食べるー!」

「ありがとうございます」

「たくさん食べてくださいね。さあ、戻りましょう」

 澪さんがそう言って、神社の方へ戻って行く。

 私とマリカも、澪さんのあんな慌てた姿を見た後だったので、ちょっと可笑しくなって、「くふふ」と笑い声を上げながら神社の方へ戻って行った。 

 ……もちろん、私は「怪しい」って思ってたよ。

 ああもう、わたしの周りはどうしてこんなに「どうして」が多いの!

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