「環様、何事ですか!?」

 私の悲鳴を聞きつけて、巫女さん達がやって来た。

 この神社にいる巫女さんはお婆さんばかりなのに、すごく足が速いんだ。ツルツルの木の床も走り慣れてるみたい。

 スパンと襖を開けて部屋へ入って来た巫女さんたちは、息を飲んでた。

 そりゃそうよね。マリカが千切れて真っ赤な舌を、手のお椀いっぱいに持ってるんだもん。私なんてもうちょっとで気絶しそうだった。

「マリカ様! 禁句を仰ったのですか?」

 巫女さん達に囲まれながら、マリカはご機嫌取りするみたいに血で真っ赤になった口で笑った。

「えへへ……。この子が幽霊だって信じてくれないんだもん、えへ……」

「如何なる理由でも気軽に見せるものではございません! 障りがあったらどうするのです!」

「ないよそんなのー」

 ケラケラ笑うマリカとは反対に、巫女さん達は顔の皺を深くしてる。

「ささ、処分しますゆえ、それをこちらへ。まあなんと五枚も!」

「お顔をお拭きください、マリカ様」

「環様も大丈夫ですか? 驚かれた事でしょう。お気になさらぬよう……マリカ様! 環様は静養中なのです。二度とこの様に環様の御心を乱さぬ様、お気をつけください!」

 巫女さん達は口々に言って、部屋の空気を換えたり、お香を焚きなおしたり、何やら部屋の四隅にブツブツ呟いたり、お掃除道具を取りに部屋を出て行ったりと忙しく動き出した。

「いいですか、マリカ様!」

「はーい。ごめんねタマキ」

 面倒くさそうに巫女さんに返事をして、マリカが口を拭いながらヒョイと近づいてきた。だけど、私はミーちゃんの影にサッと隠れてしまった。

 マリカは眉を寄せて、顔を歪めた。

「え、ショックなんだけど……いっぱい遊んだじゃーん……」

「仕方ないだろ。僕だって子供の頃アレ見て泣いたぞ」

 ミーちゃんが私を庇ったら、マリカは怒ってしまったみたい。

「ふん! 私だって好きでああなるんじゃない!」

「あ、おい……待てよ!」

「何よ!」

「明日は学校……」

「んもーっ!! 行かねぇぇよ! バーカ!!」

 ピシャンと襖を閉めて、マリカは帰って行っちゃった。

「マリカ……」

 放心状態でマリカの名を呟くと、ミーちゃんが頭を撫でてくれた。

「アイツは一晩寝たら忘れるさ」

「そうかな……」

 ミーちゃんの軽い言い方に、ちょっと引っかかって尋ねてみる。

「ミーちゃんはマリカを怖くないの?」

「厄介な悪霊だとは思うけど、怖くはないな。子供の頃から当たり前にいたからかな……環とは感じ方が違うかもしれない」

「まぁ早乙女様、悪霊とは聞き捨てなりませんよ」

 巫女さんの一人が、ミーちゃんに厳しい声で言った。

 ミーちゃんはちょっと「しまった」という感じで身体を竦めたけれど、挑戦的に言い返した。

「悪さばっかしているんですから、悪霊ですよ」

「いいえ」

 巫女さんはキッパリとした声を上げて、ミーちゃんと向かい合って正座をした。ピンと背筋を伸ばして、とても真剣な表情をしてる。

「『いまわの幽霊』は、この世の希望です」

 ミーちゃんと向かい合って話す巫女さんとは別の巫女さんが、そっと私の傍へ寄って来て、何故かうんうんと頷きながら、私に微笑みかけた。私はなんだろうと思いつつ、曖昧に微笑み返した。

 その間にも、ミーちゃんに話す巫女さんは、

「いまわさまの秘儀が健在という証明でもあります。もっと有難く思っていただかなくては」

 と、真剣に話している。

「はぁ……」

 巫女さんは真剣そのものなのに、ミーちゃんはちょっと面倒くさそうだった。適当な返事をした後、私に「やれやれ」といった感じで囁いた。

「この神社の人達は皆、いつもこんな調子なんだ。マリカ教なんだよ」

 ミーちゃんったら巫女さん達の前で、こんな事言っちゃって大丈夫なのかなぁと思ったけれど、巫女さん達は「言い得て妙でございますね」なんて笑っている。

「早乙女様も、いまわさまの氏子ではないですか」

「んー、そうですね。でも早乙女家はいまわさまを拝んでいるだけで、マリカは別ですから」

「まあ、もったいないことを仰る」

「あっそれより、幽霊に弱点とかないですか?」

「ありませんよ、『いまわの幽霊』は最強の存在でございますから」

 巫女さんがおどけた様子で幽霊の――一般的な方の―――お馴染みポーズを真似しておどけて見せた。孫を可愛がるお婆ちゃんみたいな顔してて、ちょっと可愛い。

 ミーちゃんも苦笑いして、「げー」なんて声を上げてる。

 あんまり穏やかな雰囲気だから、マリカを怖いと思ってしまった気持ちが迷子になってきちゃった。

 ここにいる人達全員、マリカをちっとも怖がってないんだなぁ……。それどころか、大切にしているのがよく分かった。

「あら、楽しそう」

 そう言って澪さんが部屋やって来て、涼し気な目を細めた。

 巫女さん達がゆったりとした動作で、澪さんへ頭を下げるので、私もつられて頭を下げた。ミーちゃんもそうしてるから、頭を下げたのは正解だったとホッとする。

「みなさん、お夕食にしましょう。雅弥さんもいかがですか?」

「あ、いえ。僕は遠慮します。あー、もうそんな時間か……」

 ミーちゃんは慌てて立ち上がって、困った顔をした。

 きっと、キヨラさんに夕食の準備してあげなくちゃいけないんだろうな。もう外は暗くなってきているし、間に合うかしら。

 キヨラさんに「遅い!」なんて怒られてしまうミーちゃんを想像して、私までハラハラしてしまう。

 澪さんは、ミーちゃんのそんな事情を知っているのか、微笑んで四角い包みを差し出して言った。

「では、お裾分けを包んでおきましたので、キヨラさんと召し上がってください」

「澪さん……ありがとうございます!」

 ミーちゃんは嬉しそうに包みを受け取ってた。

 私もホッとしちゃった。

 それにしても……ミーちゃんって年上の女の人に弱い気がする。ちょっとデレッてなってるの、気づいてないのかなぁ!



 夕食は、門守さんと澪さん、それから神社にいる皆で食べた。

 巫女さん達は、マリカがボトボト舌を落としたのを『禁句の舌』と呼びながら、門守さんへゆるく報告してた。

 報告を受けた門守さんも、

「へー、では環ちゃんはさぞ驚いたでしょう」

 という感じで、緊張感が全然なかった。

 私の感覚がおかしいのかなって、思ってしまう。

 そういうの、N村に来てから多いんだよね。

 その内この違和感さえ、慣れっこになってしまうのかな。


 夜になって布団に入ると、一気に寂しくなった。

 昨日の夜も一人で眠って寂しかったけれど、それとはケタ違いの寂しさだった。

 床の間を浮かび上がらせる照明の灯りを頼りに、何か気を紛らわせる物がないか探していると、マリカが持って来てくれた小さなクマのぬいぐるみが目に入った。

 恐る恐る手に取ると、ふわふわと柔らかかった。

 お見舞いに来てくれたマリカを思い返す。

 マリカが幽霊なんて常識って顔をしてる人が、どこにもいない内に。

―――マリカ……舌は痛くなかったのかな……幽霊だなんて。

「幽霊、幽霊……幽霊……?」

 嘘みたい。

 早乙女家のお化けと同じだって言うの?

 あんなに元気いっぱいなのに?

 

 私は、とある五月の半ば頃の日を思い返す。

 その日見たもの、聞いたもの……感じたものを胸に抱くと、襲ってくる自己否定や不安を和らげる事が出来る。そういう宝物みたいな日なんだ。

 可笑しいけど、それはミーちゃんとマリカが喧嘩をした日なの。

『学校へ行く行かない』っていうお馴染みのやり取りの最中に、ミーちゃんとマリカが本気の喧嘩になっちゃったんだ。

 その時の二人の迫力、すごかったんだよ。

 もの凄い勢いで言い争う二人の傍で、私はオロオロするしか出来なかった。

 浮世絵みたいな顔をして怒るミーちゃん、かなり怖かった。   

 だけど、マリカは全然怖がってなかった。

 それどころか、猛烈と暴言を吐きながらミーちゃんの脇腹に回し蹴りをしたの。

 その姿が、とんでもなくキラキラして見えた。

 私思ったの――――マリカ、すごく綺麗。

 小さな卵型の輪郭に、お人形みたいに整った顔。長い睫に縁取られた大きな瞳。艶やかな黒髪。華奢で折れてしまいそうな手足。儚げで可憐な姿は、強い風でも吹いたら花みたいに散ってしまいそう。

 だけどそれはただの器で、その時私が彼女を綺麗だと思ったのは、風に踊る炎みたいな中身だった。

 私の身体のどこか奥底が、ジーンと痺れるのを感じた。 

 地面に崩れて膝を突くミーちゃんには申し訳なかったけれど、その瞬間、私はマリカにハッキリと憧れを抱いたんだ。

 私は凄く臆病で、町で自分の居場所を守れなかったから。人の顔色ばかり伺ってしまったから。こんな風に強かったらなぁって、感動しちゃったんだ。

 ミーちゃんを降参させたマリカは、身体中で声を出してた。

「キャハーッ! ざまあみろぉぉぉぉぉー!!」

 大声に驚いた周囲の鳥たちが一斉に飛び立つ中、マリカはこれ以上ないってくらいに清々した顔で笑ってた。

「気が触れてる……」ってミーちゃんは呻いていたけれど、私は、私も、こんな風に感情のまま生きたいって思ったんだ。

 それなのに―――。

 

 物思いながらクマのぬいぐるみ触っていると、クマの背中の部分が小さな小物入れになっている事に気が付いた。

「手紙……?」

 小銭が何枚か入れられるくらいの小さくて柔らかな中には、ハート形に折られた手紙がねじ込まれてた。

 恐る恐る手紙を開くと、とても綺麗な字で一言書かれていた。


『はやく元気になりますように』


「マリカ……」

 自分は死んでしまっているのに、他人の回復を祈っちゃうの。

「それって幽霊のする事……?」

 私はマリカの筆跡を指でなぞりながら、しゃくりあげた。

「怖がってごめんね……」

 本当はマリカが幽霊なら怖くないよ。

 舌の件は怖かったけれど……。

 それよりも私が怖いのは、マリカが死んでしまっていると、皆みたいに受け入れる事だ。

 幽霊やお化けなんて不確かなものよりも、事実の方が怖いなんて変だね。

 ねぇ、目の前の憧れが、既に死んでたらどんな気持ちになればいいの?

 幽霊なら、いつ気紛れに消えちゃうのかもわからないよね。

 目に見える不確かと、目に見えない絶対なら、私は目に見えない絶対の方が残酷じゃないと思うの。

 こんなの酷いよ。きっと、もう会えない人と夢の中で会うより酷いよ。

 心が痛くて、すぐには受け入れられないよ。

 ねぇマリカ、どうして死んでしまったの?

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