早乙女家のお化けに名前をつけようと思うの。

 だって最近しょっちゅう夢に出てくるんだ。

 その度に早乙女家のお化けって呼ぶのが、イヤになってきちゃった。

『早乙女家の』っていうのも、『お化け』っていうのも、言葉にする度どんどん早乙女家に負ぶさってくる様な気がするんだよね。

 私はこの思いつきを、お昼過ぎに私へ着替えや差し入れを持ってきてくれたお母さんに、さっそく話してみた。だけど、お母さんは顔をしかめて反対した。

「おかしな事を考えるのはやめなさい。学校へ行けなくて退屈なのは辛いと思うけど、他に出来る事があるでしょう? また本を届けてあげようか?」

 私の与えられた部屋に新たに加わった三段ボックスを眺めて、お母さんが言った。

 そこには真新しい漫画や小説、小動物の写真集が並んでいる。

 お母さんには悪いけれど、私は物語が好きじゃない。

 物語には障害があったり悪役がいるでしょ?

 私はわざわざ、苦労して文字を追ってまで障害や悪役を見たくないんだ。

 最近は特にそういう気持ちが高まってる。

 何故かというと、漫画の悪役―――特に女性の悪役の顔が、前の中学のあの子達のどれかに必ず似ている様に見えるの。

 小説はもっと酷くて、悪役の名前をあの子達の名前で読んでしまうんだ。

 例えば、恋敵役のエリコという登場人物がいたとしたら、あの子達の中で一番語感が似ているルリコちゃんの名前で読んでしまうの。「アレ?」って思って読み返すとちゃんとエリコなんだよね……海外の名前だとどうなるんだろう。試す気はないけどね。

 でね、当然悪役って何度も出てくるでしょ?

 だから何度も読み間違えちゃって、その内あの子達の事で頭がいっぱいになっちゃうんだ……。今何しているんだろうとか、どこにいるんだろうとか。

 今の時間なら学校かな、とか、もう帰宅中かな、とか、家にいるかしら、それともどこかへ出掛けているかしら?

 ああ、どこにいるのか無性に知りたいって、なってしまうの。

 だから、小動物の写真集が一番良いんだけど、すぐ見終わっちゃう。

 さておき、三段ボックスから目を離して、お母さんへ名付け話の続きをした。

「名前があった方が報告しやすいし、何も知らない人に聞かれても変に思われないよ」

「知らない人に聞かれる場所で話さないでちょうだい。名付けたりしたら、縁が出来てしまうよ」

 私はお母さんの言葉に軽く笑った。

「縁ならずーーーっと昔からあるんだから、今更じゃない?」

「そうだけど……わざわざ強固にしなくてもいいでしょ? ソイツは、杏珠を……あなたの兄さんを連れていってしまったヤツなのに、名前なんて」

 私は、無神経な事を言ってしまったなぁという気持ちと、お母さんは本気でお化けを信じてるんだという不思議な気持ちを同時に持って、お母さんの顔をボーっと見た。

「早乙女家のお化けの事、信じてるんだね」

 お母さんは、私が「どうして?」と聞いた時にミーちゃんがする顔をしたの。それから「もちろんよ」と答えた。

「そっか……私もね、本当の事なんだなって思ってるよ。だって見てるんだもん。マリカが幽霊って事も、ビックリしたけど事実なら仕方ないよね。でも……。ねぇお母さん、お母さん前はお化けとかそんな話しなかった。だけど今は……村の人達みたい。この村は変だよ。どうして神社が村の人達のお金を払っているの? この村に来るまでは、お父さんとお母さんが働いたお金で暮らしていたでしょ? どうして町のほとんどの土地を持っていて凄くお金持ちなのに、こんな山奥に引っ込んでいるの?」

 私はお母さんだけは変わらないで欲しかったのかも。私はお化けとか幽霊とかを受け入れなくちゃいけない状況だったけど、傍に否定してくれる人が欲しかったんだ。

 お母さんの返事はシンプルだった。

「お母さんは村の人よ」

 なにを当たり前の事を、という感じだった。

 それから続けて、言った。

「環もね」

「……」

「環の気持ち、わかるよ。お母さんだってお化けだとか因縁だとか信じたくない。そんなものを信じていたら、村の下の人にどう思われるかも分かってる。多分、村の人達よりかずっと分かってる。分かってるのよ。今の環がお母さんをどう思っているのかも分かる。それはお母さんが、お母さんのお母さんやお父さん、おじいちゃんおばあちゃんに対して思っていた疑問や気持ち悪さだっていう事もね」

「……お母さん……」

 分かるんだよ、と、お母さんは俯いて呟いた。

 お母さんはちょっとだけ昔、私だったんだ。

 でも、お化けは正面から現れて杏珠を奪ってしまった。

 お化けやマリカをこの目で見れる私と一緒。

 信じられないのに無視が出来ない。

 そう思うと、さっきまで遠く感じていたお母さんに、少し追いついた気がした。

 少しホッとしたのも束の間、お母さんはキッと顔を上げて、言った。

「でも、私は息子を取られた。遺体さえも返って来なかった」

「……誘拐だとは思わなかったの?」

「思えなかった。跡を残していったから。人の仕業ではなかった」

「どういう跡?」

「酷すぎて……環に言いたくない」

 ウッと、お母さんが嘔吐いた。

 慌ててお母さんの背中をさすりながら、私は「何が酷かったのか」想像してゾッとしていた。聞いちゃいけないって、本能的に分かったんだ。そういう怖い予感ってあるでしょ?

 お母さんは両手で顔を覆って弱々しく言った。 

「環はソイツの姿を見た。これからも見続けるって。どうして私の子ばかり?」

「……お母さん」

「お母さんは信じるしかなくなった。環、あなたもね。村の人にならなくちゃいけない」

 お母さんは、ふ、と笑った。

な人達の中で、おかしなしきたりや風習を抱えて生きられない」

「……」

「暮らせない事はなかったわ。お母さんとお父さんは息子の死と非化学を受け入れたくなくて、町へ逃げたんだもの。町では上手くやっていた。でも、お母さんと環は女だったし、お父さんは対象外だったから大丈夫だったのよ。もしもあなたに弟が出来ていたら……町で暮らすのはきっと無理だった。他の村人はどうかな? 江角さんの家は鏡を見たらたたき割らないと駄目。山見さんの家は愛玩動物に近寄るのが駄目。三上さんの家は、千切ったニワトリの頭を十七日周期で玄関の門に飾り置いておかないと駄目……」

 しょうがなく覚えた校則を暗唱する様に、お母さんはつらつらと言った。

 ハァ、とかフゥ、という息をお母さんが吐いた時、部屋の襖が静かに開いた。門守さんが立っていて、ハッと見上げた私達へ淡々と言った。

「集落外に住む鴛淵さんの家は、寝る前に家長が外へ向かって絶叫しなくてはいけないので、通報されるでしょうね。どうせ隣人を気にしなくてはいけないのなら、村の方が楽でしょう。村の者ならお互い様で理解がありますから。コンビニを始めた酒井さんは、一日中明かりを絶やしてはいけません。一昔前なら異様なお宅だったでしょうが、今なら酒井さんは二十四時間営業のコンビニとして、町でも適応できるかな?」

「ハハハハハ!!」

 お母さんがほとんど天井を見上げる様にして、笑い声を上げた。

「ねぇ環、江角さんや山見さんや三上さん達、どうやって町で暮らすの。私達の様にはいかないんだから、あの人達! だから神社に面倒見て貰うしかないでしょ?」

「早乙女さん落ち着いてください」

 呆然とする私の前で、門守さんがお母さんを宥めてくれた。

 お母さんは「あんまりよ」と、床に突っ伏してしまった。

 門守さんと同じ様に音もなく傍に来ていた澪さんが、お母さんを宥めている。

 門守さんは、お母さんを気遣う様子を見せながらも、私へ向き直って尋ねた。

「どうしてこんな話をしているんだい?」

「あ、あの……」

 なんて応えたら良いのか分からなかった。

 口ごもる私の横で、お母さんは澪さんに背中を撫でられながらすすり泣いてた。

 私、その姿を見て思ったんだ。

―――ああ、この人は今の私よりも全然まとも。昔も今も、ずっとずっとまともだったんだ。

 だって私は、お化けに名前なんか付けようとしてるんだから。

 こんな話は、まともな人に話してはいけないんだ。きっと。



 夜、私は鈴のたくさん釣られてるあの部屋に呼ばれた。

 私を呼んだのは門守さんだった。

 きっと昼間のお母さんの事を何か言われるんだろうって、ビクビクしながら部屋へ行った。

 門守さんは私が部屋へ入ると「やあ」と、優しく微笑んだ。

 私は先回りして頭を下げた。

「昼間は、その……母がすみませんでした」

「いえいえ、君とお母様のお気持ちはよく分かるよ。大変な目に遭っているからね」

 門守さんはそう言って、「本当だよ」とわざわざ付け加えた。

「この村は変だよね。町で育った君には不気味な事が多いと思う。そこを気遣えていなかったみたいで申し訳ない。だから話をしようと思ったんだよ」

 私はこの言葉にちょっと身構えた。

 門守さんは「この村は変」なんて、一番そう言わなそうな立場の人だったから。

「……」

「環ちゃんは、金銭的援助にも疑問を持っているみたいだけれど、それは昼に光さんが言っていた通りだよ。神社が与えなければ、町で暮らせない村の人達は大昔の農村より貧しい不便な暮らしを強いられてしまう。分かるね?」

 私は頷いた。確かに、町で暮らせないならお仕事も出来ない。村で食べる分の農業はしているけれど、食べ物を造っているだけじゃ、今の時代に合わせた暮らしは絶対に出来ないと思う。トイレットペーパーすら使えない生活かも。

「村の下で暮らせない村人達にだけ、どうして我慢をさせられるだろう? 町の人々は、なんの不自由なく暮らしているというのに。そうは思わないかい?」

「思います……」

 門守さんはニッコリ笑った。

「じゃあ、神社が村人達の生活を援助している件については、いいね。お金の出所も後ろめたいものではないと、聞いている?」

「……はい。町の土地のほとんどをN村の神社が持っているって聞きました」

「うん。この神社の土地に町がいくつも出来たんだ。この神社の土地で町の人達は生活をしているわけ」

「でも、町ではN村出身だとからかわれ―――差別……そう、あれは差別。差別をされました」

 まだ一年も経っていない厭な思い出だ。

 好奇心でカラフルな毛虫を見る様な目、馬鹿にした態度、排除しようと発せられるプレッシャー……それらを思いだしながら、私はイジメグループの残りの四人の名前を思い出していた。

 ルリコちゃん、ユミちゃん、ハルナちゃん、フウカちゃん……今どこにいるの。

「環ちゃん、大丈夫かな?」

 門守さんに肩を少し揺らされて、私はハッとした。いけない。お話し中なのに。

「―――……あ、すみません。えっと、差別されるくらいN村の印象は町ではとても悪いです」

「N村は閉鎖的だからね……中身が分からない箱は不気味なんだろう。土地の事も、一般人は知らないだろうし。それに、わたしはそれでいいと思っているんだ。町の人はN村の人と交流をあまり取らない方がいい。それが町の人の為でもあるし、禁忌が犯される確率が上がってしまうから」

「禁忌……N村の人達が町で暮らせない様な禁忌を持っているのは、何故なんですか?」

 この村の誰も疑問に思っていないのかしら?

 どうして理由を分からない事を守っているのか、私には分からない。

「禁忌の先と接触出来る環ちゃんには明かすけど、村では言わないでね。ただ守っていればいい事で必要以上に恐れさせたくないので」

 と、門守さんは前置きして応えた。

「一言では言えないのだけど、もらい事故の様に持ってしまった縁や、生まれながらの縁もある。早乙女家の様な因果応報とかね……勿論、一方的な執着かもしれないからもらい事故に当たるのかもしれない。皆それぞれの事情で禁忌を持っている。そして、どうやっても逃れる事が出来ない。だけど対策なら出来る。風習やシキタリとして禁忌する事が対策なんだ」

「どうしてN村の人達だけそんな目に遭ってるんですか?」

「N村の外でも、そういう悪縁に苦しんでいる人達は大勢いると思うよ」

 私は門守さんの言葉に驚いてしまった。

 N村の外でも?

 どこ。どこに?

 笑ってしまおうかと思ったけれど、頬が突っ張って笑えなかった。

「……そうでしょうか」

「うん。君の住んでいた町にもいるかも知れないね。大勢に紛れて目立たず、解決策も分からないまま人知れず人生崩壊しているかもしれないね」

「そんな……」

「N村にいらっしゃればいいのにね。なんとか原因と対策を考えて禁忌をさしあげられるかもしれないから」

 門守さんは冗談っぽく言って笑った。

「変な村だよね。でも、君の違和感の先には、自分や誰かを守る理由がちゃんとある。万事そう思って足並みを揃えてくれると嬉しい。悪い村ではないから」

 良い村かと聞かれたら、長としてはちょっと自信がないんだけどね。って、門守さんは笑った。

――――自分や誰かを守る理由……そっか、村の人達は生まれた時からそんな風に感じているのかもしれない。だからあんなに自然で穏やかなのかな。

 禁忌って聞くと怖いけれど、自分や家族や誰かを守る為のものだと思えばそんなに怖くない気がする。

 私の中で、村への不審がちょっとだけ薄らいだ。

「そう感じる様にしてみます」

 そう出来たなら、気持ちが楽だ。

 お母さんはどうしてこういう説明をしてくれなかったんだろう。酷い目に遭ってしまったから、そうは思えないのかな。でも、禁忌を破ったのはお母さんだし……。

「分かってくれてありがとう。じゃあ、そろそろ就寝しよう。遅くに呼び出して悪かったね」

 お話しが終わりになりかけた時、私はもう一つ門守さんに尋ねた。

「あの、早乙女家のお化けに名前を付けてもいいでしょうか? 実は、その話が原因で昼間あんな風になってしまったんです」

「ええっ、名前を……? それは光さんも穏やかではいられなかったでしょう。仇ですからね。どうしてそんな事をしようと思うのかな?」

 私が名前を付けたい理由を説明すると、門守さんは「なるほど」と言った。

「きっと環ちゃんは言霊がイヤなんだね。確かに『早乙女家のお化け』だと縁を認めて公開している様なものだ」

 門守さんが理解を示してくれて、私はその返事に自分も「なるほど」って納得したし、嬉しく思った。

「……あ、でも、縁が強くなっちゃうって母が言うんです。どう思いますか?」

 私がそう尋ねると、門守さんは声を上げて笑った。

「いやいや、環ちゃんなら大丈夫だよ。ご加護があるんだからね」

「ご加護……? ああ、杏珠のでしょうか」

 兄の杏珠が私の事を守ってくれている。

 この予想には、とても気持ちを助けられている。

 私が早乙女家の幽霊の夢を見ても、気持ちを強く持てるのは、杏珠のおかげなんだ。

 門守さんはちょっとニヤッと笑って頷いた。

「そうだね。良い名前を付けてやるといいよ」

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