⑦
熱い風呂に漬かって、今日見聞きした事を反芻した。
早乙女家の家系図と因縁、女の化け物、叔父さんから聞いたマリカの話、先生から聞いた叔父さんとマリカの母親の話……こんなにたくさん一度に覚えきれんぞ。
特にマリカについては、目眩がしそうだ。
叔父さんと鮎川先生の二人から聞いただけで、これだけてんこ盛りなら、門守さんや他の人からも僕の知らない事がザクザク出て来そうで厭になった。
叔父さんと先生とは、村でも特に僕と密な関係であるはずなのに、今までマリカの話なんて会話に登った事がなかった。
それなのに、今になって堰を切った様にマリカの事を知る事になったのは、何故だろう。
二人を含め、大人達は、僕が子供だから話さなかったのか、それとも、話す必要が無いと判断していたのか……恐らく後記だろう。
何故なら、今までの僕に何か教えたところで、何の作用も起こさず、何の役にも立たないからだ。
しかし今は違う。
叔父さんは、マリカと同級生になった僕を牽制したい。その奥底の感情は如何に、といったところだが、話を聞いた限りでは恐らく嫉妬だ。
よくよく思い返せば、奴の小説――冒頭だけで、続きは投げ出されているものばかりだ――は、ポニーテールのヒロインで埋め尽くされている。そしてそのヒロインは、冒頭から主人公の男に意味も無くぞっこんなのだ。
「うわ……」
僕は、叔父さんの小説とマリカの因果関係(?)に、お湯の中でゾワリと身体を震わせた。
叔父さんは、マリカに未練があるのだろうな……。
それから、鮎川先生。
鮎川先生は、マリカを登校させる為に、僕へ適切な情報を与えて導こうとしてくれている。
だから九条家のデリケートな情報を、僕に教えたのだろう。(それとも、村の大人達は周知の事なのだろうか)
そういえば先生は、門守さんとマリカの仲を知っていたのだろうか。
叔父さんの一方的な話では微妙だから、先生に聞いてみれば良かったと、後悔した。
門守さんがマリカに未練を持っていて、近づくと制裁を受けるという話を、僕は仄かに疑っている。
僕には、叔父さんがマリカに強引に手を出そうとして、罰を受けたようにしか聞こえなかった。
叔父さん自身が話した内容(つまり、かなりの自分擁護が入っている)にも関わらず、明らかにそう聞こえたのだから、なんともはや呆れる、だ。
しかし、マリカは黙って襲われるようなタマだろうか、とも思う。
そう思った途端、幼い頃見たマリカの笑顔がフラッシュバックした。
スカートを捲ろうとしながら、目をキラキラ輝かせて微笑むマリカだ。
―――マリカもその気だったんだ。
脳裏で響く叔父さんの声。
―――まさか。
僕は頭まで湯船に潜った。
自分の心から湧き出る言葉が、お湯に鎮められたらいいのにと願って。
けれど、心の声はお湯の中でも推測を止めなかった。
―――マリカが誘ったんじゃないか? いつもの調子で。
ゆるゆると頭をお湯から出して、手ぬぐいで顔をゴシゴシと擦った。
「ホント最悪だな……」
こんな考えを起こす自分が。
この気持ち悪い疑問の答えを、先生なら知っているかも知れないのに……叔父さんの言う通り、僕は鈍くさいのかも知れない。
僕が何重にも自己嫌悪に陥ったその時。
「ヤッホー」と、マリカの声が、木格子の窓から飛び込んで来た。
僕が驚いて窓を見ると、マリカが木格子の間からコチラを覗いていた。
「!? 何やってる!?」
僕は慌てて湯船の中で身体を縮め、驚きの声を上げた。
覗きまでするとか、どこまで破廉恥な悪霊なんだ!
狼狽える僕に、マリカは木格子の木の間から手を入れて、ヒラヒラ振った。
「いい湯ですか~」
「な、なに、なんなんだよー!」
僕は手近にあった桶で、窓へ向かってお湯をぶっ掛けた。
「ぎゃっ! あつつ……なにすんのさー。アンタ、年寄りみたいな温度のお風呂にはいるんだねー」
マリカは一瞬窓から離れたものの、すぐに戻って来た。
「あっちへ行け! へ、変態幽霊!」
「ちょちょちょ、シー……あんまり騒ぐと、キヨラが来ちゃうでしょ」
そんな事になったら、裸のまま面倒くさい事になりそうで、僕は声のトーンを抑えた。何より、なんとなく叔父さんとマリカを会わせたくなかった。
「おまえ、ここまでやりたい放題して……幽霊だからって……!」
「えっへっへ。幽霊は法で裁かれないのダ!」
「何しに来たんだよ、見るな!」
「あのね、謝りに来たのよ」
は? と、声を上げて、僕は窓からコチラを覗き込んでいるマリカを見上げた。
「な、なにを……?」
「いやそのほら、脅しちゃったから……ごめんね」
僕はポカンとして、「今なの?」と力なく呟いた。
マリカはフフフと笑って、
「スッポンポンでは、追っかけてこれないデショ?」
「……それ、謝る者の思考回路なの?」
「謝りたいけどー、追い回されるのはイヤなのー。私は追いたいタイプなんだよ」
「はぁ……?」
本当に謝罪に来た者の態度とは思えない。
しかし、僕にとってマリカが「謝りに来た事」事態が驚くべき事だった。
マリカは窓ごしにコチラへ向かって、大きな目をウルウルさせて見せた。
「ミヤビ、ごめんね」
「……まぁ、別に……」
マリカの大きな目に逆らえる奴なんか、いるんだろうか。ましてや、潤んでなんかいたら。
僕はかなり寛大な気持ちになって、マリカの悪ふざけを許そうとした。
そもそも、マリカは幽霊だしなんやかんや許されるんだと思い込んでいて、泣き寝入りするしかないと思っていた。
しかし、マリカは檻に入れられた囚人のように木格子の木を掴み、頼み込んできた。
「許してくれる? ジンにチクらない?」
僕の寛大な気持ちが、みるみる萎む。
なんだコイツ、自分かわいさで謝ってきたのか。
「百叩きイヤだよぅ~!」
「僕、マリカは何しても許されるんだと思ってた」
「え?」
マリカはキョトンとした後、「しまった!」という顔をした。
僕はその顔を見て、ニヤリと笑って見せた。
「ふーん、幽霊も百叩きされるんだ」
「い、いや!? されないよ、だってだって幽霊だから怒られないモン!」
「さっき百叩きイヤだよぅ~って言ってただろ?」
「うぐ、ね、ねぇ、言わないよね?」
珍しくマリカが焦っているのが面白くて、僕は伸び伸びと湯船で身体を伸ばした。
見るなら見ろ、父親譲りだから割と立派な方だぞ。
なんだか凄く良い気分だ。
「ねえ、ねえったら、ミヤビぃ~」
縋るような声が心地良い。僕は手ぬぐいで顔をゆっくりとぬぐう。
それから、言ってやった。
「どうしよっかな~」
「この、クソガキぃ」
「あれ、そんな態度でいいの?」
「ミヤビさま、お背中流しましょうかぁ?」
それはなんか困る。
「いらん。許す代わりに、学校へ行けよ」
「……やだ」
「じゃあ交渉決裂だな」
僕は余裕でそう言って、勝ち誇ってマリカを見た。
マリカは唇を引き結んで、眉を寄せていた。
長い睫が小刻みに揺れる奥で、瞳をギラギラさせている。
いい気味だ。
「ふふん、学校行くしかないぞ」
僕がそう言うと、マリカはブンブンと首を横に振る。
なんでそんなに学校へ行きたくないんだ?
不思議に思っていると、マリカが泣きそうな顔で言った。
「百叩きでいい」
「え……」
「ジンにチクればいいじゃん。罰を受けるよ」
「……本気?」
「うん。好きにして。こんなか弱い私が棒で叩かれてもヘーキなら」
「……」
僕は、マリカが濡れたズタ袋を被せられ、棒で打たれる姿を想像する。
百叩きは、骨が折れるほど滅多打ちにすると聞いた事がある。
マリカの華奢な身体が耐えられるのだろうか。
想像すると、自分が百叩きされるよりも辛い気分になってしまった。
「……許すよ」
「ほんと?」
パッと顔を上げたマリカの唇が、「ヤッター」を隠しきれずに歪んでいた。
僕はソレを見て、マリカが僕の良心に自分を賭けたのだと分かった。
ああッ、僕のなんとお人好しなことか。と、いうか、手玉に取られたというべきか……クソッ!
しかし男に二言はない。
「うん。でも、もう二度としないで欲しい」
マリカはコクコクと縦に素早く頷いた。なんかいちいち動作が軽薄なんだよな。腹立つ。
「それから、学校への誘いはこれからもやるからな」
「ええ~……ダルッ!」
「お前なぁ……」
「だってぇ~。でも、ありがとミヤビ! ホントにごめんね!!」
マリカはそう言って、木格子から手をヒラヒラと振ると、その場からとっとと立ち去って行った。
「あー、もうッやられた!」
僕は、お湯の水面に手ぬぐいを打ち付けた。
折角弱みを握ったと思ったのに、一瞬でひっくり返されてしまった。
「ホントにマリカはマリカだな!」
僕はマリカの今までの十年間を、まるで知らなかった。
都会のお嬢様だったマリカ。こんな山奥の村に来て、すぐ死んでしまったマリカ。幽霊になって、恋人は生きてる女性と結婚。その後頭おかしい奴に襲われて、母親には姿を見て貰えないマリカ。
僕の知らないマリカだらけだ。
だけど、僕の知っているマリカだって、ちゃんと存在している事に、何故だかやたらとホッとした。
叔父さんと先生からもたらされた厭な気分が、ゆるゆると解けていく事が不思議だった。
きっと、風呂のおかげに違いない。
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