成仏の条件

 夏休みに入った。村の何もかもが強い陽光の元、姿を鮮明に現し影を濃くしていた。

 そんな明度の高い村を歩き周り、僕は村の人達に情報収集を行った。もちろん、幽霊を成仏させる為の情報収集だ。

 しかし、誰もが首を捻った。それは「分からない」の意でもあるし、「なんでそんな事知りたがるんだ?」の意でもあった。

 僕は、この調査理由を学校の自由研究だという事にした。

「いまわさんや幽霊についてまとめてるんだよ」

「神社の人に聞けばええ。門守さんなら分かるだろ」

 ほとんどの人がそう言った。

 しかし、僕は門守さんと出来るだけ顔を合わせたくなかった。

 マリカを成仏させる事など、門守さんは教えてくれないだろうとも思っていた。

「それだと最初から答え見るみたいでさ、足を使った方がやりがいがあるじゃないですか」

「そういうもんかねー。じゃあ赤池の婆に聞いてみたらどうか」

 村で一番の高齢者の名を聞いて、僕は頷いた。

「赤池の婆か……聞いてみる」 

 

 誰も幽霊の成仏方法を知らないという事に、僕は自分を棚上げして驚いていた。

 いまわさんをして死者を幽霊にするのに、成仏方法は知らない?

 じゃあ、どうして村の幽霊がマリカ一人なんだ?


 赤池の婆は、珍しく若者が訪ねて来て嬉しいと、僕を歓迎してくれた。アイスやジュースを用意しておけば良かっただの、一人で残念がって、お盆に菓子を山盛りにして、おにぎりまで握って出してくれた。

 だけど、僕の質問には村の人同様、困惑気味に「知らない」と答えた。

 僕はがっかりして、食い下がった。

「でも、それならマリカ以外の幽霊はどうなったんだ? 成仏という方法以外で村から消えたのか?」

「わからないよ」

 赤池の婆は、困った様に丸まった背を更に丸めた。着物の上からでも、身体が皮と骨だけになっているのが見てとれる。

 僕はその姿を見て、ふと、老い先短いだろうな、と、思った。

 そう思うと、少し好奇心が出た。会話もなくなって、気づまりだったのもあって、何気なく尋ねた。

「―――なぁ、赤池の婆がいまわさんで幽霊になったらどうする?」

 赤池の婆は目を少し見開いて、僕の方へ顔を上げた。

「そうじゃのぅ……」

 彼女はそう言って、そろりと自分の屋敷の中を振り返った。

 僕もつられて赤池家の屋敷の中を見る。

 雑然とした広い座敷が広がっていた。赤池の婆はたった一人でこの屋敷に住んでいる。雑然としているのは、老体の為小まめな整頓が出来ないからだ。

「ワシはもう縁類がおらん。親しい友達も先立った。マリカと違い、身体は老人。若くてもあんなに綺麗な娘じゃなかったしね……だから、いまわさんを希望しないよ」

 する人もいないだろうよ、誰も望んでないし。

 と、赤池の婆は寂し気に笑った。

 僕は咄嗟に尋ねた。

「僕がしたら怒る?」

 赤池の婆は口を開けて、濁った眼を見開いた。驚きと呆れの表情だ。

「……どうせ成功しないよ」

「成功したら? 幽霊になったらどうする?」

「……やめてよ、そんな、怖いわ、そんな事になったらさ」

 赤池の婆は、悲しそうに小さなしわしわの手で割烹着の裾を揉んだ。

 僕は罪悪感を感じた。お茶やら菓子やら用意して「いらっしゃい」と笑顔を向けてくれた老婆に対して、酷い事をしている。

 それでも、僕は舌を回した。

「ほら……そうなったら成仏したいだろ? そういうわけでさ、もしもの時の為に、成仏の方法を調べておきたいんだ。なんでもいいんだ。何か知らない?」

「神社に全部任せておけばいいよ」

「神社は幽霊を大事にしてるだろ? ずっと幽霊でいなさいって言われたらどうするんだ?」

「そんなご無体はしないよ……でも、そうじゃの……なんでもいいんじゃな?」

 僕は頷いた。赤池の婆の濁った目の中に映る僕の目が、輝いていた。

「昔、ワシが六つくらいの昔だ。それを見た人らはもう皆死んでしまった。一人だけ幽霊になった子供がいたんだよ。まだ三歳くらいだったなぁ。でも、すぐに消えてしまったんじゃ」

 僕は身を乗り出した。

「消えた?」

 赤池の婆は頷いた。

「いまわさんをして、その子は起き上がった。起き上がって、ニッコリ笑って母親へ指をさした。先々代の門守さんったらさ、驚いたのか珍しかったのか、慌てた様子でその子を抱き上げようとしたの。だけど、お母さんがいいに決まってるわよねぇ。母親へぴゅーっと駆け寄ってね……抱っこされにいったんだねぇ」

 僕は自分の両親の葬式を思い出して、羨ましい様な寂しい様な気持ちになりつつ、赤池の婆の話を聞いた。

「母親は喜んだでしょう」

「そうじゃねぇ、でも、子供は母親にぎゅっとしがみ付いた後、ふぅっと消えてしまったの。母親は悲鳴を上げて倒れてしまってね。有頂天から絶望だもの、しょうがないわよねぇ……絶命してしまったんじゃ」

「……そんな……でも、という事は……成仏の条件はやっぱり未練の解消?」

「そうなるのかしらねぇ……その子、とってもいい笑顔だった」

 幽霊が成仏する方法は、未練を晴らすこと?

 セオリー過ぎて、僕は驚いていた。

 しかし、それならこの村が幽霊で溢れない事も頷ける。

 過去の幽霊たちは、何かしらの未練を解消して成仏していったのだろう。

 それなら、マリカにも何か未練があるのだろう。それを解消してやれば……?

「ねぇ、誰にも言っては駄目よ」

 と、赤池の婆が言った。

 考え事をしていた僕は、ハッとして赤池の婆に頷いて見せた。

「わかった。……誰かに言ったらどうなるんだ?」

「わからない。先々代の門守さんに約束させられたの。この話が広まると、村に災いが起こるからって」

 僕は「え」と声を上げて赤池の婆を見た。

 途端に心配になってしまった。神社が口止めするくらいだから、それは真実だろうと思った。

 僕は怯んだ事もあって、赤池の婆を非難する口調になってしまった。

「そんな話をしてしまっていいのか。僕が触れ回ったらどうするんだよ」

 そう言って赤池の婆を見れば、彼女は僕を迎え入れた人の良い婆とは全く違う剣のある顔に変わっていた。

「なんでもいいって言ったじゃないか。いいよ、ワシはもう死ぬらしいからさ。この村は、ワシの死後を面白がる小僧しか訪ねてこなくなった―――未練だってないよ。もう帰って」

「え、面白がるなんてそんなつもりじゃ……」

 狼狽える僕に、赤池の婆はおにぎりを投げつけた。

「もしワシにいまわさんをしたら、アンタの家に住み着いてやるから!」

「しないから……っ」  

「来てくれて嬉しかったのに、死ぬだの成仏だの言われて、今は酷く悲しい。さあもう帰んなさい!」

 赤池の婆は、最後の方は泣き声でそう言って座敷の奥へ行ってしまった。

 僕は赤池の婆を傷つけてしまったのだと気づいた。

 座敷の奥まで追いかけようかと立ち上がったものの、骨と皮だけの小さな姿を思い浮かべ、あれ以上気持ちを逆なでさせるのは老体に良くない気がして止めた。

 僕は座敷の奥へ、謝った。

「ごめん、ごめんなさい」

 ピシャンと障子の閉まる音がした。

「……ごめんなさい」

 夏だというのに、身体の内側が罪悪感で冷たかった。

 僕は静かに赤池の婆の家を出た。

 子供の頃、庭の木に生る果実を採らせてもらったり、今日の様にお菓子を出してもらったりした事を思い出しながら、とぼとぼと帰って行った。 

 許しをもらえない別れは、死別に等しいくらい寂しい。そう思った。


 

 僕が老婆を一人傷つけて手に入れた情報は、ありふれたものだった。

 幽霊が成仏する方法。それは未練を晴らすこと。

 その夜、布団の上で後悔と自分の馬鹿さに身もだえしながら、僕は考えた。

―――マリカは何に未練を残している?

 先生の言う通り、卒業だろうか。だとしたら、さっさとすればいいものを。

 それとも、門守さんとの仲に未練があるのだろうか?

 もしそうだとしたら、その未練をどうしたらいいのだろう。

 形だけでも、白無垢なんかを着せ、門守さんと結婚の儀でも上げさせればいいのか?

―――馬鹿げてる。でも、もしもそれで成仏したら? いや、その前に澪さんはどうするんだよ……。

「……何か、もっと……」

 何かヒントを求めて、赤池の婆の話を思い出す。幽霊となった小さな子供は、微笑んで母親の胸の中へ駆け寄ったという。僕の胸がちくんと傷んだ。可笑しいよな。母親が亡くなる少し前は、反抗期に入ってロクに話なんてしていなかったクセに。

「母親か……あっ」

 僕は自分の呟きに、身体を起こした。

「マリカの母親、マリカが見えないんだよな」

 僕はもう、母と触れたり会話する事は、出来ないと諦めがついている。

 諦めは、年月の作用など、色々な事が重なり降り積もって、僕をじわじわと納得させていった。

 その中でも一番大きな「納得」は、母の姿はもうどこにもないから、という事実だ。

 でも、マリカは母親が生きて目の前にいるのに、認識してもらえないのだという。――あれほど生き生きと存在しているというのに、母親に認識して貰えない十年は、どんな気持ちだっただろう。

 見えるから、そこに存在しているから良いというワケではないだろう。

 もしかしたら、母親に何か伝えたい事があるのかも知れない。

 かなりいい線いっているのではないか、と、思う。

「僕が橋渡しをしてやればいいんじゃないか?」

 しかし、あのインターフォン絶叫母親と、まともな会話ができるのだろうか?

「……とにかく、マリカと接触しないとだな。他の選択肢も探りたいが、成仏させられるって知ったらどんな反応するかにもよる……」

 などと、ブツブツ言いながら考えていると、いつの間にか眠ってしまった。 


 

 




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