叔父さんが言うには、二人は高校時代(マリカは現役だけど)、「良いカンジ」だったという事だ。

 僕は遅めの昼飯の支度をしながら、叔父さんがダラダラと喋るのを聞いた。

「良いカンジ」くらいだったら、門守さんの女でもなんでもないじゃないか。と、人参を乱切りにしながら僕は思った。

 どうせマリカが一方的に、門守さんに纏わり付いていただけだろうと思う。それを物の見方が下品な叔父さんが「門守さんの女」などと表現しているだけだ。

 なんといっても、門守さんは澪さんと結婚している。

 あんな軽薄なマリカなんか、相手にしていなかったに違いない。

 叔父さんはちゃぶ台に肘をついて懐かしそうに喋る。

 僕はジリジリとジャガイモの皮を剥きつつ、耳をそばだてていた。

「マリカは高校一年の時転校してきたんだ」

「へえ……」

 僕は思わず声を上げた。

 じゃあマリカは村で過ごした年月が、生きている時よりも幽霊になってからの方が長いのか。村へ幽霊になりにきたようなものじゃないか。

 叔父さんは何故だか「イヒヒ」と得意げに笑った。

「知らなかったろ。俺らの世代は皆知ってるぞ。まぁ、十年以上前だし、幽霊になったインパクトの方が強いからなぁ。お前は知らないよな。今年やっと同級生だもんなぁ」

「村へ来る前はどこに?」

「東京。今の城みたいな家見ても分かるが……とんでもない金持ちのご令嬢だったみたいだぜ」

「アイツが!?」

「イヒヒ、知らなかったろ、そうだ」

 そう言った後、「俺はマリカの元いた家を見に行ったんだ。更地だったけど」と、叔父さん。行ってみると、屋敷や高級住宅が立ち並ぶ中、広大な更地があったらしい。

「植木の一本もなかったんだぜ。あ、枯れた池の跡があったかな」

 僕はフライパンで玉ねぎを炒めながら、「気色悪い事を」と、思って無言だった。

 同級生の元住んでいた家を、わざわざ見に行く意味が分からなかった。しかも村の外まで。

 勿論、何故かいい気分で話している叔父さんには、僕の無言など取るに足らない事だった。どうしてこんなに気分が良さそうなのか、初めは謎に思った僕も、沸かしたお湯へ炒めた野菜や鳥肉を投入する頃には分かってきた。

 叔父さんはおそらく、今年マリカと同級生となった僕に謎のマウントを取っているのだった。

「お前はマリカの事なんも知らんなぁ」

「……興味なかったからね」

「ふふん、まぁせいぜい臣に目をつけられないよう気をつけろ。俺みたいにアイツからマリカを奪わないようにな」

 ぼちゃん、と、野菜を煮込む鍋にカレールーを落としてしまう。小さく割る前に落としてしまって、慌てて鍋の中のルーを、お玉で突いたり割ったりしてかき混ぜた。

「マリカを奪う?」

 叔父さんが?

 笑い出したくなったが、堪えた。

 ありえない。と、思った。

 しかし、鍋の中で溶けていくルーと同じ速度で、ドロドロとある考えが浮かんで来る。

―――軽薄な者同志、叔父さんとマリカは気が合うかも知れない。

 黙っていれば美男美女の二人。お互い向こう見ずで。

 そんな二人が暮らすのは、若者の少ない村……。

 叔父さんは得意気に言った。

「女なんか簡単だ。傷ついてりゃもっとな」

「……? 傷ついてって、マリカが?」

 マリカが何かに傷つくなど、想像も出来ない。

 叔父さんは尚も得意気に頷いた。

「臣はマリカが幽霊になったから捨てたんだ。アイツは血の繋がった跡継ぎを残さないといけないからな。幽霊は子供を産めるか分からない。産めたとしたって、その子は何者だ? だろ? だから、他所から来たあの澪って女をとっとと嫁に迎えた」

 それが本当ならマリカが捨てられた話だというのに、嬉々として喋る、喋る……。

「……そんな事が……」

 疑いつつも、話の中のマリカに同情しかけた時、叔父さんが大きな笑い声をあげた。

「ひゃはっ、なあ、そんなん大チャンスだと思うだろ!?」

 僕が驚いて振り返ると、叔父さんはちゃぶ台に身を乗り出して目をキラキラさせていた。その表情を見て、コイツは人の不幸や悲しみが本当にどうでもいいんだと、思い知らされた。

 よくもまあ、恋人達(仮)の破局をこんなにも嬉しそうに『大チャンス』などと言えるものだ。しかも、幼馴染じゃないのか。

 ハイエナの様に門守さんとマリカの傍をうろついている叔父さんの姿を、ついつい脳裏に浮かばせる。あり得すぎてコッチが恥ずかしいくらいだった。

 僕は今までになかった新たな嫌悪感を抑えて、サッと鍋へ向き直る。

 ノリの悪い僕の背に、叔父さんは熱弁した。

「ちゃんと慰めて、口説いてやったんだぜ。マリカだってその気になってたハズなんだ! もうちょっとだったんだ」

「……」

 僕は皿を出すのに忙しいふりをして、返事をしなかった。

「もう少しで空き家に連れ込めるところだったのに、臣に邪魔されたんだ!」

「空き家?」

 傷心のマリカを慰めて口説く話に、どうして空き家が登場するのか。謎展開過ぎて思わず聞き返したが、叔父さんはどうやら"惜しかったその時"にトリップしてしまっている様子で僕の問いを無視した。

 その間に僕は悍ましい推測をしてしまったので、叔父さんが答えなくて良かったと思った。

―――嘘だろ、まさかな?

 僕は血の気が引いていくのを感じた。

―――まさか、そこまでクズじゃないよな?

―――いや、しかし。

 僕の戸惑いを余所に、叔父さんは悲劇の主人公の様な盛大なため息を吐いた。

「マリカだって、その気だったんだ」

 叔父さんの不安定な声に、僕はギクリとする。叔父さんはこの声を出した後、三秒後に癇癪を起こすからだ。

 被害妄想に取憑かれた時、思い通りにならなかった時、腹が減った時、主にその三種類で癇癪が起こる。これから起こる癇癪は三セット分だ。まずい。

「マリカだってその気だったのに、臣の奴! 俺がマリカをモノにしようとしたら!!」

 ちゃぶ台が強く打ち据えられる音が響いた。

 僕は急いで深皿に盛った米にカレーをかけて、ちゃぶ台の上に置いた。

「ほらキヨさん、カレーライスだよ!」

「クソッ」

 叔父さんはブツブツ言いながらも、ちょっと大人しくなってカレーを食べ始める。

 よっぽど腹が減っていたらしい。

「臣はブスだけど嫁さんをもらったんだ、だからいいじゃねえか。なあ!」

「うん」

 澪さんは決してブスじゃなかったし、なにが「だからいい」のかサッパリ理解できなかったが、僕は叔父さんを刺激しない様に頷いた。

「マリカは幽霊だ。だからちょっとくらい良いんだよ!」

「なにが?」

 僕の心と声帯と口が、勝手に動いた。出て来た声は、自分の知らない大人びた男の声をしていた。

 叔父さんがちょっと驚いて僕を見た。

 僕が見返すと、「なんだよ」と小さく言って目を逸らした。

 僕は自分の思わぬ行動に、内心冷や汗をかいていたので、それ以上は先ほどの叔父さんの言葉を追求しなかった。

 そしてそれを、酷く情けなく思った。

 澪さんを庇えなかった事と合わせると、今夜は自己嫌悪の夜になりそうだ。 

 叔父さんはまだブツブツ悪態をついている。 

 僕は土間台所のテーブルについて、カレーを匙で掬ったものの、食欲がわかなかった。僕は叔父さんのせいで、同年代の平均より痩せている気がする。

「俺はマリカと引き離された……」

 叔父さんが苦々しく呟いた。

 僕はいよいよ匙を手から放して、席を立った。

 叔父さんの気持ち悪い被害妄想を、延々と聞きたくなかった。

 こんなバカな話、叔父さんの妄想だ。

 今度門守さん本人から聞いてやろうか。

 門守さんは笑うだろうか。……否、不快そうにするかもしれない。僕だって今、気分が悪くて仕方がないのだから。

「何処へ行く?」

 席を立った僕を、叔父さんは三白眼でねめつけた。コイツがどうしてこんなに綺麗な白目を持っているのか、酷く不思議に思う。

 お前のいない所なら、どこでも。そう言えたなら。

「……コンビニ」

「あれは本当のコンビニじゃない。ビールとタバコを買ってこい」

「うん……」

「よし行け」

 お許しをもらって玄関を出ようとすると、再び呼び止められた。

「おい」

「なに」

「夜もカレーじゃないよな?」

 死んでくれないかなぁコイツ。

 僕はそう思いながら、微笑んだ。

「もちろんだよ」

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