僕とマリカとの距離について
①
神社の山を下りる道中、叔父さんは意外にも静かだった。
もっと色々な方向へ文句や愚痴を垂れ流すのだろうと予想していた僕は、意外に思いつつもその沈黙をありがたく思った。
生まれた時から染みついている「なんとなく悪い事」が目の前に――それも奇妙な執着を背負って――現れた事で、僕の頭の中も忙しかったのだ。
一体、双寿郎といかいう僕の先祖は何をしてしまったんだろう。
女の人を弄んだのだろうか。それで代々恨まれているのだろうか。
僕は人を弄ぶ様な人間は嫌いだ。だから、先祖がそうなら情けないと思った。
それにしても環が気の毒だ。
村に来て早々、こんな事を聞かされるなんてさ。
でもまぁ、すぐに慣れるだろう。
もう既にマリカと仲良くなっているくらいだしな。
そうだ。早乙女一族の歴史より、アイツの方がよっぽど悩ましい。
環に下品な事を教えたり、不良の道へ引きずり込まないように気を付けてやらなきゃな。
僕はそう思いながら、背中を丸めて歩く叔父さんの後ろを黙々と歩いていた。
寺から帰った叔父さんは、スーツの上着を茶の間へ放って直ぐにビール缶を開けた。
「あー疲れたあー疲れた。クソ、タマのヤツ変なモン見やがって。どうせヒカルのせいなのに」
「……でも、今まで通りで大丈夫だから良かったね」
「いいもんかよ」
叔父さんはそう言って、シャツを捲って裸の脇腹を見せてきた。
そこには、薄ピンク色に盛り上がった傷痕があった。
「料理バサミでドスリよ。女は怖ぇぞ」
「いや、キヨさん何したの……」
「俺がやられてんだろっ! 俺じゃねぇよ! 俺は何も悪くねぇ!」
何をしたら料理バサミで刺される事があるんだと聞きたい僕に、叔父さんは自分は被害者だと鼻の穴を膨らませる。
「ストーカーに遭ったんだ」
叔父さんはそう息巻いた。
それなら同情も出来るかなと思ったものの、ヒモをやっていたぐらいだ。経緯が怪しい。詳しく聞く気なぞ更々ないが。
それにしても、もう五年程一緒に暮らしているのに、そんな傷があった事を初めて知った。真っ先にくだらないドヤ話にしそうなネタであるのに、そうしなかったのだからやはり自慢出来る傷ではないのだろうと、僕は推測した。
適当に「凄いね」などと言っていると、叔父さんは納得したみたいだ
それから、こんな事を言った。
「お前、マリカと同級生になったのか」
ギクリとして、頷く。
「アイツとあまり仲良くしない方がいい。『仲良く』ってのは、アレだ、ガキじゃないからわかるよな?」
望むところだったが、叔父さんから言われるとイラッときた。普段はガキ扱いするクセに。しかも微妙に濁してくる所が気持ち悪い。
「……どうして?」
「村を追い出される」
僕は驚いた。
「まさか。大人は皆マリカを可愛がってる」
「だから、そういう付き合いはいいんだよ。やっぱガキだな。アイツは綺麗だろ、惚れたりするなよって言ってやってンだよ!」
僕は更に驚いた。それから、そういう類いの話を叔父さんに突きつけられた事に強烈な嫌悪感を覚えた。
惚れる?
僕が?
マリカに?
それから?
どうして?
お前にそんな忠告をされなければいけない?
今までに無いほど腹の奥が締め付けられる感覚がして、僕は拳を握る。
僕がどんな顔をしているのか、自分では分からない。しかし、叔父さんは僕の顔を見て、何か面白い虫を見つけた子供の様な顔をした。
そして、何か見透かした様に僕を見てあざ笑った。
見透かされる様な事など、僕には一切ない。だから余計にムカついた。
叔父さんは芝居じみた同情の顔をつくって、同時にニヤニヤ笑う。
「へへ、可哀相になぁ。でも手を出そうとするなよ」
「そんな事しない。そんな気ない」
「誘惑されるな」
「されない! 誰がマリカなんかに!!」
声を荒げてしまった僕を、叔父さんはひっくり返って笑った。
殺してやりたいと衝動的に思うくらい、腹が立つ。僕は子供なんだろうか。
「ホントに冗談じゃねぇからな。アイツは、ジンの女だったんだ」
「―――え? 門守さんの……?」
「ジンはアイツに近寄る男に容赦しない。多分お前みたいなガキでもだ……気を付けろ。お前にはまだ村にいてもらわにゃならんのだから」
僕は再三驚いてしまって、どうして、と呟いた。
叔父さんは「へっ」と笑ってビール缶を煽る。
「男も怖ぇってことさ」
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