④
次の日、私は学校を休む事になった。
どうしてかというと、ミーちゃんの顔を覗き込んでいた女の人の話をしたら、私とお母さん、ミーちゃんとキヨさんの四人で、村の神社へ出向く事になったんだ。
お母さんは着物を着た。私の入学式の時に着てきてくれた着物だった。
引っ越して来て神社へご挨拶に行った時は、普通の洋服だったのに。
キヨさんも文句を言いながら、スーツを着ていた。
私とみーちゃんは制服でいいかしらねってお母さんに言われて制服を着て、四人で出掛けたの。
なんだか大事になってしまい、何も言わなきゃ良かったって思った。なにより、アレは正装をして神社に行かなければいけなくなるような事だったのかと思うと、怖かった。
神社は十五分くらいで登れるお山の上にある。
山道を登って、途中から石の段々になったのを登り切ると、小さな赤い鳥居がまっている。鳥居を潜って参道に入った所を振り返ると、大きな木々の間から村を見渡せて、眺めが良い。
山奥の古い古ーい神社というと、ボロボロで怖い建物を想像されちゃうかもしれないけれど、キチンと整備されているし、拝殿や本殿とかも観光地の神社みたいに綺麗な建物なの。
境内には、宮司の門守さん一家の他に、神職の人が常に何人かいるみたいで、やって来た私達へ、紫色の袴を着た人がハキハキとした挨拶をしてくれた。お母さんとミーちゃん、そしてキヨさんまでもが深々と頭を下げて挨拶をかえしていたから、私も慌ててそれに習った。
それから、巫女さんも五人か六人いるみたい。全員お婆さんで、魔法とか使えそうな迫力がある。
不思議なのは、この人達を村で見かけない事だった。
お母さんが言うには、この人達は余所の神社から年代わりでお勤めに来ていて、常に境内の近くにある宿舎で生活をして、村にはめったに降りて来ないのですって。
とっても由緒ある神社から来た方や、高名な神主様・巫女様たちばかりだから、失礼の無いようにね、との事だった。
そんな凄い人達が、どうしてこんな山奥の寂れた村の神社にお勤めに来るのか、よく分からなかったけれど、「そういうものなのよ」と、お母さんが言うから「ふぅん」と言って頷いておいた。だって神社の事なんて分からないし。
お母さんは私達を連れて、『社務所』と看板の下げられた建物を訪ねた。
社務所の受付では、巫女さんが私達を迎えてくれた。
「おはようございます。早くから何かございましたか」
この巫女さんは、宮司の門守さんの奥さん。
挨拶の時に「妻の
お母さんは澪さんに深々と頭を下げて言った。
「ハンコかオモムキ疑いでございます……念の為ご相談を……」
「わかりました。ご案内しますのでこちらへ……」
お母さんがしきりに頭を下げている後ろ姿を見守りながら、私はミーちゃんの腕に縋り付いていた。
それから、澪さんに案内されて、長い畳の渡り廊下を静かに皆で歩いた。
畳の廊下を何度か曲がって辿り付いたのは、閉じられた四枚の襖の前だった。
普通の襖より幅が長くて、大きい。でもそれよりも私のどこかをギュッと押しつぶ そうとしたのは、襖いっぱいに描かれた絵だった。
フワフワと雲が漂う世界で、何人かの男の人と女の人が描かれてる。中には、私より小さな女の子もいた。
どの人も無重力空間にいるみたいに色んなポーズで浮かんでいて、穏やかでホッとした様な笑顔を浮かべているんだけれど……何か黒い靄の様なものを掴んでいたり、腕の中に捕まえていたりしている。霞には目玉がついていて、それは一つだったり二つだったり、それ以上だったりして気持ちが悪かった。
そんな襖の前で澪さんが正座をして頭を下げて言った。
「
お母さんとキヨさん、ミーちゃんもそうしたので、私も慌てて同じ様に正座をして頭を下げた。
襖の向こう側から、「どうぞ、お入りください」と、男の人の優しい声がした。
「はい」
澪さんが膝をついたままスススと襖へ移動して、襖を静かに開けながら、ビックリするくらい大きな声を上げた。
ヤッテキタルハー
サオトメノーナナ、ハチダイメー
インヨウノイン ニ
インヨウノヨウ ニ
マイリマスマイリマス
澪さんは歌う様に言ってから、
「イチ、早乙女光ー、インヨウノインガワー」
と、お母さんを呼んだ。
お母さんは畳につくくらい頭を下げて、開けられた襖の先へ入って行く。
「ニ、早乙女清良、インヨウノヨウガワー」
キヨさんも深々と頭を下げて、向こうの部屋へ。
「サン、早乙女雅弥、インヨウノヨウガワー」
ミーちゃんも呼ばれて、向こうの部屋へ行ってしまう。
最後になった私は、なにがなんだか分からなすぎて、ドキドキする。
「ヨン、早乙女環、インヨウノインガワー」
呼ばれた!
お母さん達みたいに、ちゃんと礼儀正しく出来ているのかよく分からないまま頭を下げて、私は立ち上がった。すると、私の背後にスッと澪さんが立った。
「最後の人は、私と一緒に入ります。肩に手を置かせてね」
環さんはそう言って、私の後ろから両肩に手を置いた。
それから、また歌うような大きな声を出し、私の肩を押して一緒に襖の向こうへ。
ヨメイー、ヨメイ、マイリマシタ
ワガアトツヅクモノ
マネカレザルモノナーリー
襖の向こうは、広い畳の間だった。天井も凄く高くて、人の頭くらいありそうな大きな鈴がぎゅうぎゅう詰めにぶら下がってた。
白い袴姿の門守さんが、私達を迎える様に正座をしている他は、何もない。
お母さんとキヨさん、ミーちゃんが一列に並んで正座している。
私もその横に並ぶように澪さんに促されて、ミーちゃんの隣に正座をした。
「よくお越しくださいました」
門守さんがそう言って、頭を下げた。顔を上げる時に、黒縁メガネの鼻の所をクイッと上げて、微笑んだ。クラスにいたら絶対優等生で、おまけに学級委員だったんじゃないかしら。目の前にいるだけで何故か頼もしい気持ちになっちゃう人だなぁと思う。
「さて、ハンコかオモムキかという事ですが……」
門守さんは、言いながら私達を見渡す。澪さんが答えた。
「娘様が見たご様子です」
「環ちゃんが? ……ああ、そうですか」
私はドキリとして、ギュッと頭を下げた。
ここまでくると、本当に何かとんでもない事をしてしまった気分だった。
「娘が見たのはオモムキでしょうか。それとも誰かがハンコを……」
「いや、早乙女さん。そういう感じはないので、おそらく心配無用でしょう」
「でも……娘が言うにはミヤビを指して『どちら』と尋ねたと言うのです。それは男か女かという意味ではないでしょうか」
お母さんがそう訪ねると、門守さんは形の良い顎に親指を添えて、メガネの奥から私を見た。真剣な目に、思わずドキリとしてしまう。
「そう言っていた?」
「……はい」
「他には何か言ったかい?」
「ええと……たやたや、おりおり……? みたいな事を言っていた様な……」
「環、ちゃんと答えなさい!」
曖昧な私を叱ったのは、お母さんだった。
私は焦ってあの時を思い出そうとするけれど、それくらいしか思い出せない。
あわあわする私に、門守さんは優しかった。
「大丈夫だよ。どんな姿をしていたかな」
「髪の長い女の人で、綺麗でした」
「綺麗? 目鼻があったんだね?」
「え……? ……はい……アレ……?」
門守さんのおかしな質問に、そうです、と答える自信がない事に驚いた。
だって、私を見て目を見開いたハズ――困った様な、怒った様な顔をしたハズ――
記憶が曖昧になっていく。薄い夢を見た朝みたいに。
私の自信の無い様子に、門守さんは「大丈夫だよ」と言ってくれた。
「見たのなら見たのだろう。ただ、それはハンコでもオモムキでもない」
はぁ、と、キヨさんが息を漏らした。ちょっとだけ姿勢も崩して、ネクタイも緩め出す。ミーちゃんがそれをイヤそうにというか、ハラハラしているみたいに横目で見ていた。
キヨさんのその様子を見て、私もなんとなく安心する。なんとかでもかんとかでもないらしいなら、それで大丈夫なのかなぁ……きっとそうだよね?
「では、娘が見たものは一体何です?」
お母さんが前のめりになって尋ねた。
門守さんは、小さく頷いて、答えた。
「男の名に反応して絡め取るモノです。早乙女の男を恨んでいる」
それとも、と、門守さんは顎に親指を添えて、
「酷く愛している」
それを聞いた途端、私の頭の中で声がした。
―――そうじゅうろうさま。
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