家へ戻る途中、マリカは私の知らない道を教えてくれた。

 ダイヒョウさんが、田んぼを二枚ほど隔てた向こうに見える道だった。

 私はホッとして言った。

「あの道を通らなくても帰れるんだ」

「なのよ。こっちはちょっと具合が悪い道だけどねー、私、あの道イヤなんだよ」

「あ……ふふ、私もなの。ちょっと怖くて」

 村の人達が手を合わせたり、お供えをしたりしているモノに対して、嫌だなんて思ったらいけないと思っていたから、マリカも嫌なんだと知って嬉しかった。

 マリカは「あー」と、小さな声を上げてから、「そうなの」と、言って笑った。

 そしてその後、何故か小さな声で、

「でも、嫌わないでやって」

 と、ぽつりと言ったんだ。

 私は、「え?」って思った。

「代表さんらは、私達の仲間だからさ」

 マリカの「あの道がイヤ」と、私の「あの道が嫌」は、どうやら「嫌」の理由が違ったみたい。もしかしたら、道がぬかるんでいるのが「嫌」なだけだったかも。

 村で暮らす人達が大切にしているのだから、マリカも大切にしているに違いないのに。「仲間」っていうくらいに。うかつだった、と、私は急いで謝った。

「怖いなんて言ってごめんなさい。私の知っているお地蔵さんとちょっと違っているから……」

「いいのいいの。まぁまぁ不気味だよ実際サ。墓みたいなモンだし」

「え……、ミーちゃんはお墓じゃないって言ってたけど……」

「皆のお墓じゃないってだけよ。だから代表さんって言うのよ」

「ふぅん……」

 私は、「ダイヒョウ」と音で覚えていただけだったから、名前の漢字や意味なんて考えてなかった。だから、この会話で初めて「ダイヒョウさん」は「代表さん」だと気がついた。だとしたら、村の人達が大切にするのも分かる気がする。

「偉い事をした人達のモノなんだ?」

 だったら名前があるのも分かる気がする。

「あ、そうそう、そんな感じー」

 マリカは軽く答えてから、声を潜めた。

「内緒ね」

「え?」

「みんなは知らないんだ。私は神社の宮司と特別なカンケイだから知ってるケド、他の人らは深く知らなくて良いコトなんだって」

「どうして?」

「んー、ケンカになるから? かな?」

「え、け、ケンカに?」

「うん、すっごいケンカ!」

 全然意味が分からない。でも、「すっごいケンカ」と言われたら怖くて、私はドキドキした。

「タマキだから教えてあげたの。だから、ミヤビとかに墓とか偉い人とか言っちゃ駄目だよ。わかった?」

「う、うん……」

「まぁ、ホントの墓じゃないし、墓とか言っても『ふーん』って感じで、代表さん代表さんってありがたがるだけだろうけど、じゃあどんな偉いコトしたのってなるのが困るみたい」

 マリカがそう言い終える頃には、民家が集まる集落へ辿り着いていた。

 私は、「どんな偉いコトしたの?」ってマリカに聞きたかったけれど、なんだかそれ以上知るのが駄目な気がして聞くのを止めた。

 マリカとの秘密を持つのは嬉しいけれど、もっと違う楽しい秘密がいいなって思うから。



 マリカはミーちゃんの家まで送ってくれた。

 それから自然に二人でミーちゃんの家の門を潜った。

 玄関まで行く途中の前庭から、茶の間でキヨさんがお酒を飲んでいるのが見えて、私とマリカは顔を見合わせる。

「やだ、キヨさんったら……」

「おー、相変わらずだなアイツ」

 平日のお昼からお酒を飲んでいる親戚を見られて、私はミーちゃんの気持ちがちょっと分かった。恥ずかしい。

 そんな人とマリカを引き合わせたくなかった。

「ごめんなさい。なんか……お酒を飲んでいるみたいだから」

 マリカを逃がす様な気持ちで言ったのだけれど、マリカは目をキラキラさせてキヨさんを見ていた。

「いいね、いいね。私にも一杯くれるかしらん」

 マリカはそう言うと、いそいそと玄関へ向かって行く。

 私は驚いて、マリカの腕を掴んだ。

「ね、ねぇ、だめ。ちょっと面倒くさい人なの」

「アハハ、アイツなー。そうだったそうだった。あ、ヤベ」

 マリカはそう言って、庭の茂みの影にしゃがみ込む。

 ちょうどキヨさんがこちらを向いたタイミングだった。

 キヨさんは私に気づいて、縁側へ這うように出てくると、声を上げた。

「タマじゃねえか。どうした」

「あ、あの、ミーちゃんのお見舞いに」

「はぁ? ミヤビがどうした?」

 家にいたのに、ミーちゃんの体調の事を知らない様子にびっくりしちゃう。

「え、登校途中に気分が悪くなってお家へ帰ったハズですけど」

「へー、そうなんか」

 キヨさんは欠伸をしながらそう言って、「上がってくか?」と聞いた。

 私は頷いて、茂みに隠れているマリカをチラッと見る。

 マリカは手をヒラヒラさせて、声を出さずに「行け行け」と、口を動かした。

 キヨさんがちゃぶ台の方へ戻って行ったので、私はマリカへ「ありがとうございました」と小さく言って、玄関へ向かった。

 本当は酔った人がいる所へ一人で向かうのは怖かった。

 そんな私の背後でカサカサ音がして、「もうマリカ帰って行っちゃうんだ」と、心細く思った。

 

 茶の間へ上がると、キヨさんは「お見舞いは?」と言った。

 何も持って来ずに、しゅんとしてしまった私に、キヨさんは大袈裟にため息を吐く。

「はぁ~、見舞いに手ぶらで来たん?」

「ごめんなさい、学校から直接きたので……」

「しょうがねぇなぁ、ったく。昼時に来たからテッキリ食いもんでも持ってきたかと思って損したわ。人んち来る時は何か持ってけって母親から教わってねぇか」

 お母さんの事まで言われて、私はムッとしたけれど、酔ったキヨさんは昨夜のキヨさんよりも、もっと面倒くさそうだったから、怖くてひたすら謝る事にした。

「……ごめんなさい」

「まー、いいわ。今度から気を付けろよ? ん?」

「うん……あの、ミーちゃんは何所にいますか?」

「あー、帰って来てんなら、部屋だろ。バーッと行って小せぇ廊下の先」

 私はペコリと頭を下げて、茶の間の奥の襖を開けた。

 その時、キヨさんが「あ」と声を上げたから、ドキッとする。

「俺の部屋を間違って開けんなよ」

「……はーい」

 私はムカムカしながらも、襖を静かに閉めてミーちゃんの部屋へ向かった。

 この家の間取りは、幼い頃の記憶が教えてくれた。

 小さな廊下に面したミーちゃんの部屋まで辿り付くと、ちょっと緊張しながら襖をそっと引いた。すると、引いた細い隙間からヒュッと冷たい風が吹いた。

 ミーちゃんの部屋は、庭に出入り出来るガラス戸がある。開けっぱなしにしていると、こうして障子の隙間から風が吹く事を思い出して、懐かしくなった。

 そのままそーっと襖を開けると、部屋の隅に敷かれた布団と、そこに横になるミーちゃん、それから……ミーちゃんを覗き込んで座っている若い女の人がいた。真っ直ぐな黒髪が、流れ落ちるみたいに腰まであって、その人の身体をほとんど隠してる。

 お見舞いの先客がいたのだと思って、私は慌てて「すみません」と謝った。

 けれど、その人はこちらを見もせずに、ミーちゃんの顔を覗き込んでいる。

「あの……」

 不審に思ってもう一度声を掛けると、その人はやっと私の方を見た。

 綺麗な人だった。その人は今私に気がついたとばかりに目を見開いて、困った様な、怒った様な顔をした。それから、苛立たしげにミーちゃんを指差して、

「ドチラ……?」

 と、湿っぽい声で尋ねてきた。

 お見舞い相手に「どちら?」なんて尋ねるの、おかしいよね。

 私は心臓の鼓動が、勝手にだんだん早くなるのを感じた。

「あの、ミーちゃんのお知り合いですか?」

「タヤ……タヤ……ス……オリオリト……」

「え? あの……」

「そうじゅうろうさま……」

 なんだか変な人だ、と、私は怖くなって、キヨさんを呼ぼうと後ずさった。

 すると、女の人はスッと立ち上がって、ガラス戸から庭へと走って出て行ってしまった。

「えええ、うそ、変質者……!?」

 私は心の底から驚いて、ドタバタとミーちゃんに駆け寄った。

 何かされていたら大変だ。

 ミーちゃんの顔を覗き込もうとした時、庭から更に別の声が聞こえた。

「わ、なによなによ? おい、ぶつかっただろ、謝れ~!」

 マリカの声だ。

 私は慌ててガラス戸から顔を出す。

 庭を走り去っていく女を、振り返る姿勢でマリカが見ていた。

「マリカ!」

「おー、庭からお見舞いしよっかなって思って来たんだけど……なあに、アレ。やあねー」

 唇を尖らせて言いながら、部屋へ入って来たマリカに、私はひしと抱きついた。

「きゃあんビックリ」

「な、な、なんか、ミーちゃんの部屋に先にいて……どちら様って事聞いてきたの!」

「ゲー、ヤベーなぁ」

 うんうん、と、私はマリカにしがみついたまま頷いた。

「こ、こ、怖かったよう」

「よーしよしよし、もう大丈夫よ。行っちゃったから」

「キヨさんに……おまわりさんに言わなきゃ!!」

 私が騒いでいると、ミーちゃんがモゾッと布団の中で動いた。

「んんン……うるせーなぁ……」

「あ、ミーちゃん」

「環……どうし……」

 ミーちゃんは目を開けて、私とマリカを見ると顔を歪めた。

「なんでマリカがいるんだよ!?」 

 ミーちゃんは呻く様にそう言って、バッと布団を深く被ってしまった。

「あー、なんだ、その態度は!」

 マリカが言って、布団の塊へバフンとダイブした。ギャッ、と、聞いた事の無いミーちゃんの声が上がる。

「こちょこちょするぞ!」

「ヒッ、ヤメロ……!」   

 ビクンとする布団の塊。 

 なんだか、いつものクールで優しいミーちゃんの、意外な一面が見れて可笑しい。

 でも、ミーちゃん病人なのになぁ……。

「助けてくれた人には、なんて言うのだ?」

 マリカがそう言うと、布団の塊が静かになった。

「……」

「オウオウ、もっとこちょこちょか?」

 慌てた様に、布団の塊から小さな声が漏れる。

「サ……ンキュー……」

 マリカが「どう思う?」という顔で私の方を見たので、私は小さく頷いた。

「良いと思います。その、病人だし……」

「ん、ならばよろしい!」

 マリカは満面の笑顔で、布団をポンポンと軽く叩いていた。

 やっぱり、とっても仲が良いみたい。

 私はちょっとだけ、マリカを羨ましく思ったんだ。

 ううん、イヤイヤそんな事よりも!

 ミーちゃんにさっきの女の人の話をしなくっちゃ。





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