③
マリカを学校に連れて行く。
一体どうやって?
僕は「大変な事を引き受けてしまった」と悩みながらも、職員室から校舎の昇降口へ向かった。
昇降口は密やかなにひんやりとして、薄暗かった。
始業式後の昇降口はさぞ賑やかだったであろうが、僕が先生と話し込んでいる間に、ほとんどの生徒達は帰ってしまった様子だ。
僕は少し焦って、中学生が使う下駄箱の方を見渡す。すぐに傘立てのある隅っこで心細そうに俯いて立っている女の子を見つけた。
女の子は、村の学校の制服とはデザインも色味も違うセーラー服を着ている。
僕は自然と頬を緩めて、女の子に声を掛けた。
「
「あ、ミーちゃん……」
一人だけ町の中学校の制服を着ているその子は、僕を見つけるとホッとした顔をして小股で駆け寄って来た。
その様子が可愛くて、頭をよしよしと撫でてしまう。
普段女性に対してこんなに馴れ馴れしくしないが、彼女は親戚で妹みたいなものだから、ついついやってしまった。
環は撫でられるがまま、子犬の様に僕を見上げている。
年下の親戚ってなんでこんなに可愛いのだろう。
名前を
四歳くらいの時に町へ降りて暮らしていたが、この春母親と村へ戻ってきた。
僕はその事をとても喜んでいる。
環が村と学校に早く馴染めるよう、精一杯面倒をみてあげなくては。
だから、本当ならマリカどころじゃないのだが……先生の為だから仕方がない。
苦々しく思いながら、面に出さずに環へ微笑む。
「待たせてごめん。さあ帰ろう」
環を促して薄暗い昇降口から外へ出る。
暗がりから出た僕らに、日の光が燦々と降り注ぐ。うっそうとした木々に囲まれた校庭が、今は一面桜色に輝いていた。
「満開だね。……すごい」
「毎年こうだよ。朝も見ただろ」
環の感嘆のため息を得意気に聞きながら、駐輪所へ向かう。
一足遅れて環が後ろをついてきた。
「どんなお花見スポットよりも素敵。ここではお花見する場所に困らないね」
環がそう言って、僕の自転車の後部に乗る。延長荷台と座布団で作った環用の特等席だ。
僕は、彼女がしっかり僕の胴に腕を回し、荷台に尻を落ち着けたのを確認してから、地面を蹴ってペダルを回した。
暖かな風を掻いて自転車を漕ぎ出しながら、僕は花見と聞いて動揺していた。
村の下の人達は桜の下で宴会をすると聞いた事はあったが、本当の事なんだと驚いた。桜の下で飯を食うなんてどうかしている。環もそんな事していたのか。だとしたら、村で育った叔母さんはどうしてそんな事を許したのだろう。町に馴染む為だったのだろうか。
ともかく、僕は環へ村では花見がタブーである事を教えてあげなくては。傷つけないように、注意深く。
「環、その……村の人達は花見しないんだ。人を誘ったりしたら変な顔されるから気をつけて」
「え、そうなの?」
「そうだよ」
「どうして?」
「どうしてって……不吉だろ?」
「……ふぅん。どうして不吉なの?」
「どうしてって……」
僕は環の「どうして」に口ごもる。
どうしてもこうしても、桜の下とはそういうものじゃないか。
でも、こんな感覚的な事では環は納得できないのかもしれない。
もっと、環の叔母さんが犯してしまった様な具体例があれば、「どうして」なんて言わなくなるのだろうか。
「……今度門守さんに聞いておくよ。神社の境内に村の伝記みたいなのがあるって聞いた事があるから」
「う、ううん。そこまでしてくれなくても大丈夫だよ。ごめんなさい。教えてくれてありがとう。……えっと、門守さんは、山の中にある神社の宮司さんだよね。そういうのしているのってお爺さんのイメージがあったけど、若かったからビックリしちゃった」
環は聞き分けよく引き下がってくれた。
まごついてしまった僕は、ちょっと情けない気分だった。なので、桜の事はいつかちゃんと納得させようと心に留めておく事にした。
「そうそう、門守さんは十七歳の時に宮司さまになったんだ。それから十年だから」
「じゃあ今は二十七歳なんだ。格好いいよねぇ」
「そう。格好いいけど奥さんいるからな」
「えっ、別にそういうつもりじゃないもん」
ホントかなぁ、ホントだよぉ、なんて笑い合いながら、僕は環を乗せて自転車をこぎ続ける。村の入り口にある学校は、人が住む集落から結構離れているから、延々とド田舎を突っ切らなければならない。
田畑を縦断するタイヤ痕の付いたあぜ道や、林に囲まれた田舎道を行く。
タイヤがパンクしないように、週に一度か二度、砂利を箒で掃く当番がある事を、環に教えてあげた。
その内林が開け、道と平行して土手が現れたら、僅かな石段を自転車を担いで登って川に架かる小さな石橋を渡る。川が綺麗と環が言ったので、橋のたもとで少し川の水を触らせてあげた。
それまでに見かける家は三軒。妹尾さん、五十嵐さん、浜崎さんの家だ。木々の生い茂る斜面にへばりつくように、かなりの間隔をあけて建っている。
橋を渡るとまた農耕地が広がって、延々とあぜ道。こちらは車が通れない細い道だ。常に少しだけぬかるんでいて、色んな人の足跡や自転車のタイヤ痕で緩くぬめっている。ここはゆっくり走らないと、危ない道だ。
このぬかるみあぜ道の脇には、間隔を開けてボロボロの半天を着た地蔵が七体、木で作られた屋根の下に佇んでいる。
それが見えてくると、環は神妙な声を出した。
「行きも気になっていたんだけど、あれはお墓?」
「お墓じゃないよ。代表さん達だよ」
「ダイヒョウさん?」
「環は覚えてないのか。まぁ、小さかったし、ここまで出てくる事もなかったよな」
「あー、そう言えば、迷子になるからって家の付近しか行っちゃ駄目だったかも」
「今も危ないから遠くに行ったら駄目だよ。特に山は」
「うん。わかった」
そんな会話をしながら、僕らは代表さんの前を行く。
代表さんには七体全部に名前があって、屋根を支える柱に名札も付いている。
「名前が付いてる……」
「そうだよ」
村の人達は全員七体の名前を空で言える。もちろん僕も言える。
「お墓じゃないんだよね?」
「お墓じゃないよ。お地蔵さんとか町にもないか?」
「ああ、そういう感じなの」
「そういう感じっていう環のイメージは分からないけど、コッチから順番に喜兵衛、およし、お鶴、西蓮寺、上原、松尾、旅芸人」
僕が名前を呼ぶ声に、環も名札を読みながら声を合わせた。
「……変なの」
「そう?」
この七体のお地蔵にどうして名前があって、どういった理由で並んでいるのかは村の年寄り達も知らない。
ただ、この村をまとめている神社が用意したという事は皆知っていて、それならば何か意味のある事なのだろう、と、各々手を合わせたり、気紛れにお供えをしたりしている。
僕らはこの七体に生まれた時から親しんでいて、知り合いの様に呼ぶ。
喜兵衛どん、およしさん、お鶴ちゃん、西蓮寺様、上原さん、松尾の次男さん、旅芸人さん。なんでそう呼ぶのかは知らない。けど、祖父母や両親がそう呼んでいたから、自分達もそうしているって、よくある事だろ。
環は「ふぅん」と言って、桜の時よりかは食いついて来なかったから、僕はちょっとホッとした。
さぁ、代表さんのぬかるみあぜ道を抜けると、ようやく僕や環の家がある集まりだ。
この辺は村の拠点だから、民家がポツポツとある。かなり藪や原っぱや石垣その他諸々を挟むけど、お互いの屋根が見えない程じゃない。西側の山の中腹から、神社が僕らを見守るように建っている。
環を家に送り届けたら、明日マリカをどうやって学校へ誘うか考えなくては。
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