僕の家とマリカの家について

 僕の家は、神社へ向かう山道の入り口辺りに建っている。

 軒が広い木造平屋で、玄関土間、土間内の台所、長式台と框を上がった所に四部屋が田の字型に襖で仕切られている。その、田の字型部分が元々の本体。そこから増築した八畳間の田の字、三畳廊下で独立した六畳間、四畳半の続き間が一つ。

 本体の方だけ畳敷きで、他は板張りの床だ。何か大人数の集まりが在る時用に畳が納戸にしまわれている。

 早乙女家の男は独身が多いから、廃れてしまって大人数で集まる親戚がいない。だけど、葬式の時に畳が必要になったから、今後もちゃんと管理する予定だ。

 風呂と便所は玄関土間を通り抜けた離れにある。

 ハッキリ言って、僕と保護者の叔父さんが住んでいるだけだから家の中はガランと寂しい。

 そんな家に帰宅し、土間と室内を仕切る雪見障子のガラス部分から茶の間を覗く。

 ちゃぶ台の上に、盆に乗ったお握りが三つと急須と湯飲みが手つかずで置いてある。僕が朝、同居する叔父さんの為に用意した朝ご飯だ。

「まだ寝てる……」

 舌打ちして、台所に置かれたテーブルの上のホットプレートを温める。

「一生寝てろよな」

 冷蔵庫の中から野菜と猪バラ、うどん麺を出す。

 昼飯は焼きうどんだ。作るのが面倒くさいから、あのお握りを食ってやろうかと思わないでもないけど、僕の保護者は自分の取り分や腹が減ると滅茶苦茶不機嫌になるからやめておく。

 アイツはきっと、よく炒めた野菜とうどんに醤油が絡まる頃、良い匂いに釣られてやって来るに決まっている。面倒が大嫌いで、美味しい所だけ持って行く奴だから。

 僕の叔父さんは父さんの、年の離れた弟だ。名前を早乙女清良さおとめきよらというが、全く清くも良くもない男だ。

 十年前に山から下りて町で作家をしていたらしいのに、身寄りのない僕の為にこんな田舎へ戻ってくれると言った彼を、最初はヒーローの様に思った。

 しかし蓋を開けてみれば、問題を起こして村を追い出されていた厄介なオッサンだった。身寄りの無い僕の世話をするという名目で村へ戻ることを許されたのだと、結構後から知って呆れてしまった。

 世話なんてとんでもない。叔父さんは家事が出来ないし、立つ鳥後を汚しまくるし、ずっと寝ころんでいるか癇癪を起こしている。赤ん坊と同じくらい役に立たない。赤ん坊の方がコンパクトで暴力を振らない分ずっとマシだ。

 しかも、作家ではなく作家志望の無職だった。

 コイツがわざわざ村へ戻ってきた目的は、僕の両親が残してくれた財産と、屋根のある家だったのだ。僕が成人するまでに売れっ子作家になれると思っているらしい。

 それなのに、やたらと僕に恩着せがましい。外に出れば「ミヤビを亡き両親の代わりに世話してやっている」というデカい顔をしているし。

 とんでもない。世話をしているのは僕の方だった。

 鮎川先生が――まだその時はただの優しいご近所さんだった――心配して僕の家にご飯を作りに来てくれたり、家事の仕方を仕込んでくれなかったら、一体どうなっていた事やら。

 当時を思い出すと、身震いしてしまう。

 荒んだ生活にあたたかな光をくれた先生に、絶対に恩返しをしなければ。

 先生の為に、マリカをなんとかしなくては。

 僕が気合いを入れて焼きうどんをかき混ぜていると、案の定叔父さんがノシノシとやって来た。

「なんだ、今日から学校か」

「そうだよ。焼きうどん食べる?」

「おう」

 叔父さんは返事をして、ちゃぶ台の前に胡座をかいた。

 皿や箸を出したりは絶対にしない。

 彼は僕の用意したお握りを摘まんで、ポイと皿に戻している。ムカつく。

「お握り食べない?」

「海苔がベトベトになっとるでいらんわ。お前喰え」

 ムカつく。

 僕は黙って、焼きうどんを盛った皿をちゃぶ台へ運んだ。

 そして土間のテーブルに戻る際に、お握りの皿を引く。

 叔父さんは早速「ずぞぞ!」と、汚い音を立てて焼きうどんを頬張っていた。

「……食べたら出かけるから」

「どこへだ。どこへ?」

 叔父さんは僕がどこへ出かけるのかやたら気にする。

 それは保護者の心配としてではなく、僕だけが楽しく遊んだり、余所の家や集まりに招かれて、何かイイモノを貰ったりしないか気をつけているからだ。他人が得をする事が、せんべい一枚だけでも死ぬほど嫌らしい。

「ちょっとその辺へ……」

「ちょっとその辺ってどこだ?」

 叔父さんが三白眼をギョロギョロさせて、僕のいる土間へ身を乗り出す。

「ヒカルのとこか? ヒカルはお前だけ誘うのか? アイツは昔からそういう意地悪な女だ」

 叔父さんは嫉妬と被害者意識も強い。

 僕はコイツに辟易しつつも宥める事に慣れていたが、親族――「ヒカル」は環の母親の名――を悪く言われれば内心穏やかではいられなかった。そもそも、ヒカル叔母さんは、叔父さんの方が従兄弟同士で血が濃いのに。なんでそんな憶測で悪く言うのか理解出来ない。

「ヒカル叔母さんのところじゃないよ」

「そう言えって言われたんだろ、アイツは昔から俺が嫌いなんだ。俺よりずっと姉さんなのに!」

 お前を好きな奴なんかいないよ。いつか笑顔で教えてやりたい所だが、わめき声と暴力を躊躇なく使う相手を挑発するのは危険だ。

 あと一年の辛抱だ。僕は、マリカの事がなくたってこの村……否、この家から出て行きたい。

「そんな事ないってば。担任が鮎川先生になったんだ。それで……頼み事をされたからその用事だよ」

 叔父さんの顔から剣がゆるゆると消えた。

「なんだ、あのブスの用事か」

「世話になったのにそんな言い方……」

「あんな幽霊みたいなブスに世話にならなきゃならんかったのは、お前が中学にもなって何も出来なかったからだろ!」

「……」

 自分を棚に上げまくって、叔父さんは僕の母親をこき下ろし始めた。

「義姉さんもさー、万が一の為に子供を仕込んどけよなーホント使えねぇ嫁!」

 毎日こういう調子だとはいえ、僕は食欲がなくなってテーブルを離れた。

「……僕もう行くから」

「は? 片付けは!?」

 心底驚いた顔をする叔父さんに、僕はなんだか噴き出しそうになる。本当に本当に本当に本当に、何だコイツって笑うしかない。

「後でする」

 僕はそう言って、そそくさと家を出た。



 吐き気を抑えながら、僕は自転車を漕ぐ。

 神社のある山の反対側から集落を見下ろす、丘ほどの山へ向かった。

 その小さな山の上には、マリカの住んでいる洋館の様な豪邸がそびえている。村一番の豪邸だ。

 豪邸までの道は、村では珍しいコンクリートだ。年月を経て汚れてしまっているが、元は真っ白だったのだという。それから、車が通れる幅がある。これも珍しい。

 一応、村の入り口から集落へ車の通れる道が一本作られているけれど、個人で車を所有しているのはマリカの家だけだった。

 近代的で洋風な豪邸は、この村で笑える程浮いているが、それ以上に、一目で分かるほど病んでいた。

 この豪邸は、窓という窓に新聞紙が張り巡らされ、外壁の至る所に拙い筆跡で呪文の様な謎の文字が羅列している。奇妙さからくる錯覚か、文字がクネクネ動いて見えた。土地の囲いや門ときたら、何やら黄色い札を絡め込んだ有刺鉄線でグルグル巻きなのだ。

 それは、風習やしきたりとは一線を引いていて、明らかに人が考えた人による強引で軽率な忌み払いを体現していた。

 固く閉じられた門の脇には、インターホンがある。

 知り合いが勝手に玄関土間へ入り込んで「こんにちわ」と尋ねる方法を、絶対に許さない。

 僕は本や漫画でインターホンの存在を知っていたが、ボタンを押す事をためらった。

 何故なら、マリカの母親が狂っていると言われているからだ。

 狂っている奴と一緒に住んでいる僕としては、「あ、お宅もですか」くらいに思っていたものの、初めて間近で見るマリカの家の病みっぷりに、「あ、全力・本気でいらっしゃる」と、完全に気圧されてしまっていた。

 インターホンのボタンを押したら、この豪邸を飾り付けた女主人が応答するのだと思うと、深呼吸を繰り返してしまうのも仕方がないと思う。

―――それに、マリカが出たら?

 そう思うと、僕の喉がカラカラに渇いてしまった。

 マリカと話をしに訪ねて来たというのに、マリカの応答を恐れてしまうなんて可笑しいと我ながら思うのだが、何故だかドキドキと脈が速くなってきた。これは館の呪いか?

 やっぱり帰ろうと、僕は思い直した。

 わざわざ家を訪ねなくても、マリカが村をブラブラしている時に捕まえればいい。

 そうだ、そうした方がいい。

 僕はそっと回れ右をして、自転車にまたがろうとした。

 すると、背後からキィン……がが……と僅かな機械音がした後、「マリカはいません」と女性のか細い声がした。

 驚いて振り返ると、インターホンから声が出ていて「マリカはいません」と繰り返している。

 マリカの母親だろうか。僕は自転車に乗りかけた足をギクシャクと降ろして、答えた。

「あ、あの、マリカ……マリカさんはどちらにいますか」

『……ハァ、ハァ……いません。マリカはいません……』

「あ、そうですか、えっと僕、今年マリカさんと同級生になりまして」

『……ハァァ……ハ~……いません』

「あ、はい。じゃあ、一緒に学校へ行こうとお伝えください。では失礼します」

 相手の息づかいの荒さに戸惑いつつ、叔父さんの興奮状態の時と似ていたから、なんとか堪えて要件を伝えた。

『……』

 インターホンは静かになったが、まだ息づかいと気配は感じた。

 僕はいよいよ不気味に思ってそっと門から離れ、急いで自転車にまたがった。

 その瞬間、インターホンから絶叫が響いた。キャアアとかそんなヤツじゃなくて、牛や馬が死ぬほど痛い目に遭った時の様な、太くて鬼気迫る絶叫だ。

『マリカは出しません!! 出しません!! 連れて行かないで!!』 

 地団駄でも踏んでいるのか、ドンドンドンという音と機械音がキンキン響いた。

 僕は自転車を漕いだ。もう夢中で漕いだ。坂道だったから助走が取れて助かったが、曲がりくねった道なので、途中二回も藪に突っ込んだ。

 そして最後に、勢い余って車道を越えて、田んぼに突っ込んでしまった。



 田植え前の田んぼは、ブチュリと僕を受け入れた。

 僕は先ほどの事で動転していたから、泥の中でもがいてあわや溺れそうになってしまった。

「クソ、クソ、結局家にいるのか、いないのか!?」

 毒づきながらもがいていると、笑い声が聞こえた。

 息も絶え絶えに見上げると、車道からマリカがゲラゲラ笑って僕を見下ろしていた。

「ミヤビじゃーん、何やってんの? 妖怪かと思ったウケるー!!」

「マリカ……クソッ」

 僕はなんだかもう、心が折れて気を失った様に泥の中へ倒れ込んだ。

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