第3話 新婚旅行作戦その1

 魔王と勇者が婚約して数日が経った。勇者と魔王が婚約したという事実は幹部を含めた一部の者たちにしか伝えていない。争い合った勇者との婚約を許さないと考える者も多いからだ。

 だがそんな中、大きな壁が立ちはだかることになったのだ。

 

「なあディアベル、新婚旅行に行こうぜ。いや行くべきだ」


 ディアベルとは私の名だ。魔王として職務を行う時は皆魔王と呼ぶため、今までこの名を呼ばれることはあまり無かった。だが実際どうだろう。下の名で呼ばれるとなんだか心の奥がムズムズするような感覚だ。

 いや待て違う違う。我はあくまでも勇者を利用するために……。


「どうした、考え事か」

「あ、いや、すまない。それで何の話だったかなアリサ?」


 勇者の名はアリサ。攻め込んできた際に身にまとっていた純白の鎧は彼女の固有能力であるらしく、どのような姿にも自由に変えることが出来るらしい。今は異国のものであろう見たことの無い服装をしている。

 鎧を脱いだ彼女は想像していたよりも遥かに小さく華奢であった。見たところ16歳ほどか。……改めて思うが、このような少女に負けるとはなんと不甲斐ないことか。


「新婚旅行だよ。婚約したんならやっぱりやるべきだろ」

「しかし新婚旅行と言ってもいったいどこに行く気なのだ? 我らの関係は魔族にとっても人間にとっても歪なものであろう?」

「そうだよな……」


 勇者と魔王の禁断の婚約。そんなものを受け入れてくれる者などどこにいるのだ。


「隠れた名所なんてものが有ればいいんだがな」

「隠れた名所か……あるにはある」

「あるのか!?」


 魔王軍が管理しているビーチ。今の時期、ここであれば人も魔族もいないはずだ。


「我々魔王軍が管理しているプライベートビーチであれば誰にも目撃されることはあるまい」

「ビーチ……いいじゃんそれ! 行こうぜ!」


 こうして我とアリサの新婚旅行はビーチに決まった。



 青い空、白い雲、そして澄み切った海。今が常夏でないのが残念だ。いや、むしろ目撃されてはいけないのだから夏で無い方が良いのか。


「うっひょーー!」


 アリサは能力を使い純白の水着を着用し、海へと入っていく。


「ディアベルも来いよー!」

「わかった。我も今行こう」


 水着などいつぶりだろうか。

 思えば魔王になってから忙しい毎日を送っていた。まともに休むことも出来なかったな。


「ディアベル……大きくね……?」


 アリサは我の胸部をじっと見つめそう呟いた。この者には羞恥とかそういった感情は無いのか?


 言われるまでも無く、自身のスタイルの良さは何となく自覚はしている。下等な種族の前に出たときには視線が痛いほどに伝わってくる。どれだけみだらな視線を向けられようと、上に立つものとしての責務を全うするだけだ。


「ま、まあ我は魔王ゆえ、女性としての魅力も一流なのだぞ」

「すまない……流石にデリカシーが無かった。私が悪かった」

「いったいどうしたのだ急に!?」

「ディアベル、私が胸のことを言った後、少し表情が曇ったんだよ。てっきり魔王だっていうからその辺すっごい淫らなのかと思ってた。けど、そうじゃないんだよな……? 頼む。私の前で虚勢は張るな」


 アリサ……この者、この年でこの鋭さと深さを持ち合わせておるのか。しかし、表情に出ていたとは……迂闊だった。上に立つものとして失格だな……。


「ほら、楽しもうぜ!」

「う、うむ」




「魔王様、大丈夫ですかね」

「このビーチには時期的に二人しかいないはずだから大丈夫なはずよ~」

「いえそっちでは無いですよアリス。いやそっちも大事ですが。魔王様、まともな恋愛経験あるのでしょうか」

「そういえば聞いたことないわね。でも大丈夫じゃないかしら。心配性なのは変わらないわねアレキサンダー」


 木陰から勇者と魔王を見守る者が二人。魔王は事前に幹部に新婚旅行のことを伝え、もしものことがあれば対処を行うように『新婚旅行作戦』を発令していた。


『こちらイガラシ、不味いことになった』

「何かあったんですか?」


 イガラシは別動隊としてビーチ近海を監視している。そのイガラシからの通信があったということは近海で何か問題が起こったことを意味していた。


『実験施設から開発中のクラーケンが脱走した』

「クラーケン? その程度なら魔王様にも勇者にも対して脅威にはならないのでは?」

『それがな。このクラーケンは魔力を無効化する特殊個体なんだ』

「それなら魔力無効を無効化すれば……」

「その結界、勇者に破壊されてから復旧したのか?」

「……してないですね」

「それでは俺がどうにかしよう」


 魔王は魔力を無効化されると遥かに戦闘力が下がるのだ。そうは言っても物理能力も低いわけでは無く、幹部以下の能力であれば魔力を封じられても勝てる。

 逆に言えばそれ以上の相手には苦戦を強いられるということだ。


「不味いぞどうする!?」

「落ち着きなさいアレキサンダー。魔王様が魔力を封じられたくらいでクラーケンに負けると思う?」

「それは……ですが、もしものことがあったら」

「私たちがクラーケンを対処している間に他の問題が起こったらどうするの。この件はイガラシに任せるわよ」

「イガラシ……頼みますよ」




「私は少し深くまで潜ってくるぜ。付いてくるか?」

「いや、我はここで休憩していよう」

「そうか。じゃ行ってくるぜ!」


 アリサは凄い速さで潜っていった。肺活量とか水圧とかどうなっているんだ……勇者パワー侮れないな。


「こうやってゆっくりできるのも、久方ぶりか」


 魔王として、民の期待や責任に押しつぶされそうになる。その重圧から逃げるために、ただひたすら魔を統べる者として良くあろうとがむしゃらに突き進んできた。

 そんな我に、休む暇などなかった。


 勇者との婚約などという状況は全くもって意味が解らないが、せめてこの束の間の休息を楽しませてもらおう。


 この時、気を緩ませていた我は自身に向かっている脅威に気付くことが出来なかったのだ。

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