第7話
八月二十八日・五日目
アグラ~ 1
六時頃目が覚めた。大して寝ていなかったが眠くはなかった。窓から通りを眺めると、もう人が歩いている。ホテルの前にサイクルリクシャーが一台いたが、昨晩の青年ではなかったのでホッとする。
さて、今日はどうしようかとガイドブックを開く。アグラ城とジャマー・マスジットをまだ見ていない。パラパラとめくっていたが、まず朝のタージを見ることにしてホテルを出る。タージは隣のようなものである。荷物を部屋に残してサンダル履きで出掛ける。本堂へ入ろうとすると、チケットを買って来い、と言う。最初にここに来たのは無料の金曜だったので、必要なかったのだ。
チケット売り場は東門の脇にあるらしかった。窓口の男に、チケットをくれ、と言うと百ルピーであると言う。え~っ!二ルピーじゃないの?と聞くと、今の時間は百ルピー、七時半から二ルピーになるから、その頃来な、と言われる。そうすることにする。しかし何故五十倍も違うのだ?夜明けのタージ目当てに観光客が来るからか?不可解である。
七時になったので、西門に行き、オヤジを探すが、目印の白い帽子はどこにも見当たらなかった。とりあえず一度宿に戻ることにした。リクシャーの男はまだいた。ラール・カーンを知ってるか?白い帽子の、と聞くと、知っている、サダル・ストリートにいるから連れて行ってやる、と言う。会いたかったが、信用出来なかったので、いや、いいんだ、と言って部屋に戻った。
七時半過ぎにもう一度タージを見に行った。もう二ルピーで入れる時間だ。しかしどうしたことか西門の外まで人が溢れている。タージ本堂まで長い列が続いているのだ。タージ見物は諦めて引き返す。
さっきの男が声を掛けてくる。彼はサダル・ストリートにいる。乗れよ。
とにかくオヤジに会いたかったので、料金の交渉を始めようとすると、どこからか呼ぶ声がする。ふと見ると、手を振りながらオヤジが近づいて来る。もちろん白い帽子を被っている。見つかったよ、とリクシャーの男に言って足早に向かう。
七時に探したんだよ、と言うとオヤジは、十分遅刻したのだ、と言った。
ホテルから十m程の所にチャイ屋がある。チャイ屋と言っても、道の端にチャイを煮る鍋とコンロ、テーブルと椅子があるだけだ。
いつもここでチャイを飲むのだ、とオヤジは言った。先に座っていた少年はこれまたオヤジの息子であった。
昨日の息子よりずっと若い。十七、八だろうか?これまでに見たインド人よりもずっと大きい百八十センチ位のヒョロ長い体で、ガラ入り半袖青シャツに白ズボンというパリッとした格好をしている。名前はジュグヌー。
すっかりくつろいでチャイを飲む。
ホテルのチャイは高い。ここで飲めば一ルピー五十パイサだ、とオヤジは言った。私のホテルの食堂は一杯二ルピー。五十パイサの重みは私には分からない。オムレツを挟んだパンを食べ、チャイのお代わりを頼みつつ、今日の予定を話す。
まずタージを見る。それから景色の良いホテルの屋上でボ~っとする。十二時にチェックアウトしてからアグラ城とジャマー・マスジット、イティマド・ウッダウラーを見る。友人と約束の五時半までにホテルに戻って来る。それからアグラ・カント駅まで送って欲しい。手帳にスケジュールを書いて見せる。分かった、とオヤジは言った。
友人はどこの国からだ?と聞くのでイギリス人、と答えると、イギリスか、友人がいる。多くの国に、多くの友人がいるのだ、と手紙をまた出してくる。息子のジュグヌーの写っている写真もあったが、今より太っていて、髪が長かったので、初めは分からなかった。
東京と大阪はこれだけ離れている、とか、インドにも桜は咲くぞ、とか世間話をしていたが、チェックアウトまであと二時間ちょっとしか無くなったので、切り上げることにした。
オヤジはタージに入ったら注意しろ、ハローハローと寄って来ても相手にするな、チャロ、チャロ(行け!)と言って追い払え、ポケットの財布に注意しろ、泥棒がたくさんいる、と首を掻っ切る真似をして、「カッ!」と言った。
私が立ち上がると、息子は、あなたの友人は僕のリクシャーで行かないか?と言った。聞いてみるよ、と言ってタージへ向かった。
早朝だから混んでいるのかと思っていたが、もう九時半を過ぎているのに列はさらに長くなっていた。並んでいた白人のツーリストに、何でこんなに人が多いのだ?と聞いてみたが、分からないようだった。
その場を離れ、チケット売り場と通りを挟んで向かいのタバコ屋で色々値段を聞いて、コマンド、と言う二ルピーのタバコを二箱買う。ついでにフィルムの値段も聞いてみる。ここでは百五十ルピーだった。
ありがとう、と言って歩き出すが、引き返して、パーンはどこで買えるのか聞いてみる。噛んでいると口中真っ赤になってしまう怪しい噛みタバコ、パーン、、、。甘さのない男の味、とガイドブックに書いてあるパーンはどこにあるのだ?
店主は、この先の寺院で売っている。私は昼からそこに行くのだ。その頃来い、私の名はウンババだ、と言った。握手をして別れた。
並んでいても一時間は掛かりそうだったので、中庭の木陰に座って列を眺めた。リスがちょろちょろしている。手を近づけても逃げようとしない。猿が建物の屋根を渡り歩いている。
眺めながらタバコをふかしている間にも、インド人やら観光客やらがドカドカやって来て列にくっつく。今日は何かあるんだろうかと思いつつ宿に戻った。
私を客引きしたバンティ少年に、チャイを一杯頼む。食堂の席で待っていたが、気が変わったので厨房(と言っても二畳位)を覗く。チャイをぐつぐつ煮ているところだった。ハーフポットにしてくれ、と言って席に戻る。
英字新聞の広告を眺めていると、バンティ少年がチャイのポットとカップを持って来る。屋上で飲むから、と受け取ろうとすると、持って行くよ、と先に立って階段を上がって行く。テーブルに置いて帰ろうとする少年に、サンキューと言ってチップを渡す。
渡したくて渡した初めてのチップであった。少年は、にっ、と笑って降りて行った。
ポットからチャイを注いでゆっくり飲む。今日も良く晴れている。何もしないで、タージの頭をボ~っと見ていた。時折、風が吹いて、パラシュートがパタパタと音を立てる。通りの脇の林の木に、全身黄緑のきれいな鳥がひらりととまる。野グソでもするのか、男が茂みに入って行く。
ホテルとくっついている隣の家では、屋上にいる母親が、下にいる子供と笑いながら話している。目が合ったので、ナマステ、と挨拶すると、ナマステ、と答える。
ただ周りを眺めながら、カップが空になると、またついで飲む。
なんと贅沢な時間なのだ、、、。
ジェームスが洗濯物を干しにやって来た。この天気なら、すぐ乾くだろう。挨拶を交わしたあと、待ち合わせの時間を確認する。何で行くか、と聞くと、サイクルリクシャーで行く、オートリクシャーは高いからね、と言う。それなら、とさっきの息子の話を切り出す。チャイ屋にいるオヤジの白い帽子が見えた。ジェームスは、納得出来る値段ならばもちろん構わない、と言った。
See you!と言って降りて行った。
ポットに残った最後のチャイを注ぐ。六ルピーのハーフポットで、四杯取れた。
ふと時計を見ると十一時半だった。ポットを下に返して荷物をまとめる。シャワーを浴びたかったがまた痺れるのは御免なので、止めた。パラシュートと、タージを撮るためにもう一度屋上へ上がる。バンティ少年が備え付けの電話で何やら話していたが、終わると、撮ってやる、と言った。
タージをバックにと頼み、同じところに座らせてもう一枚撮る。少年は、送ってくれとは言わなかった。今度来る時に渡すことにしよう、とすっかりまた来る気になっていた。チェックアウトするよ、と言うとリュックを下まで持って降りてくれた。支払いを済ませてオヤジの待つチャイ屋へ向かう。
昼はどうする?昨日のとこで食うか?と言うので、いや、行ってみたいレストランがあるんだ、とガイドブックに載っているツーリストお勧めのレストランの名を告げる。Zorba the Budha、、、知っている。グッドレストランである、とオヤジは言った。さすがに走り回る仕事だけある。自転車で走っていればなおさら街のことを隅々まで知っているのだろう。言ってみるもんだ、と思いつつリクシャーに乗る。
走りながら、今日のリクシャー代はいくらなの?と聞いてみる。昨日の払いは、少な過ぎたと思っていた。ミネラルウォーター一本分の値段でしかないのだ。四十五ルピーのビールは何気なく飲んでしまうくせに、彼には十ルピーしか払わなかった。
吹っ掛けて、無茶苦茶な要求をするリクシャーの反動で、ついこっちも安い金額を口にしてしまうようになっていた。
彼がオーケーと言ったのだから、商売として割り切って考えれば、何の問題も無い。私がよそで使う金と彼に払う金とは、全く関係が無い。分かってはいるが、リクシャーを漕ぐオヤジの背中を見ていると、自分の行動が、矛盾しているような気になるのだった。少なくとも、私が飲むミネラルウォーターより多くの汗を流しながら走り回っていることは間違いない。
金のことはあとでいい。まず食事だ、とオヤジは言った。
金額を決めないで乗ることは避けるべきであることは分かっていたが、法外な値を要求されるとも思えない。昨日一日乗ってみて、すっかりオヤジのリクシャーが好きになっていた。万一そんなことになったら、諦めるしかない。そして、今後出会うインド人とのコミュニケーションも、一緒に諦めてしまうことになるだろう、、、。
後だ、まず飯。腹減った。
朝から気になっていることを聞いてみた。タージは人が一杯だったけど、今日は何かあるの?
そうだ。今日はスペシャル・デイだ。クリシュナズ・バースデー(クリシュナ誕生祭)、ヒンズー語では、ジャンマ・アシュトミーと言う。
そうか、、、神様の誕生日だったのか、、、。
レストランへ向かう途中で、若い男女のツーリスト二人を乗せたリクシャーに出会う。どちらからともなくスピードを緩めて並走する。どこから来た?とオヤジが聞くと、二人は、ドイツだ、と答える。
結婚しているのか?
している。
そりゃあいい。こいつはしてない、と私を振り向いて笑う。
ビールは好きか?
イエス。
私も好きだよ、と話に混ざると、二人は笑って頷く。ついでにウインナーの話でもしようと思ったが、ばかばかしいのでやめた。
ビールとウインナー、フジサンとゲイシャ、丸っきり発想が同じだ。オヤジはまだああだこうだと話していたが、互いの方向が分れたところでお開きになった。
レストランに着いて、リクシャーを降りる。客は誰もいなかったが、私が席に着くとすぐ、ツーリスト男女二人が入って来て、斜め向かいのテーブルに座った。ハイ、と挨拶すると、一緒に座らないか、と言うので、喜んで席を移る。
またしてもドイツ人だった。恋人同士だろうかと思ったが兄妹だった。二人とも病院に勤めていて、機械を扱う仕事をしているとかで、夏休みなので旅に出たと言う。ドイツでは夏休みが四週間あると言う。私は一週間しかない。そして週に六日働いている、と言うと信じられない、という顔をする。
イモとトマトのカレー、ナン、チャパティを食べながら話す。飲み物無しで食べている私に、彼らが頼んだミネラルウォーターを注いでくれる。
仕事は何を?
テレビや映画で使われるモンスタースーツを作ってる。
そりゃあいい。給料はどうだ?
まあまあだね。
大企業だと、給料はいいのか?
いいだろうが、ハードワークだ。
住まいは?
アパートを借りてるけど、高いよ。大学時代、地方都市に住んでたけど、もっと安い家賃で一軒家を借りてた。
食事が終わると、彼らは、デザートを頼もう、と言いメニューを眺めている。覗いて見ると、妙な名前の物ばかりである。ストレインジ、と兄は言った。予定外だったが、ピンクエベレストというのを頼むことにする。腹も膨れて、話すことも無くなったので、本棚にあったメディテーションヨガの本をパラパラとめくる。一服したかったが、このレストランは禁煙だった。
アイスクリームが到着する。おしゃれなガラスカップの真ん中にアイス、周りにヨーグルト、それらにピンク色のストロベリーソースが掛かっている。雲の海であるところのヨーグルトから、雪の積もったエベレストのバニラアイスがぽっかりと頭を出している。それらに掛かる夕日のような赤いストロベリーソース。おお、これはまさにピンクエベレスト!ばかばかしい想像力を働かせつつ口に運ぶ。甘くて、おいしい、、、他には、、、甘くて、おいしい。どこで食べようと、アイスはアイスである。それ以上の感想は出て来なかった。
一息ついてから勘定を済ませて、一緒に出る。それじゃあ、良い旅を。それぞれのリクシャーに乗り込んで、それぞれの道に分かれた。
今日は時間が無いから、観光だけしてくれ、とオヤジに言う。まず、マハトマ・ガンジー・ミュージアムに行くのだ、とオヤジは言った。デリーには確かにあるが、アグラにそんなとこあったっけ?と思いつつ、着いた先はやはりと言うべきジュータン屋だった。でかでかと看板が出ている。おかしくなりながら、昨日のこともあるのでどこか期待しつつ降りる。オヤジを外に残し、案内の男に付いて中へ入る。
ここは、インドでも大きい絨毯工場なのだ。世界中の良質なウールがここに集まって来る。カシミール、オーストラリア、ニュージーランドなどから入って来るのだ。私が作業の工程について説明する、と男は言い、地下一階への階段を下りる。
数人の青年たちが雑然とした部屋で図面を描いたり、模様を色分けしたりしている。まずここで、絨毯の模様を考えるのだ。そしてこれが絨毯に使う毛である、とそばに置いてあるのを手に取る。
チョットミテクダサイ、と少しおかしな日本語で言い、手にしていた糸を差し出す。ほほう、これが、と眺めていると、ところで、「チョット」という言葉は、、インドではオ○○コを意味するのだ、と言い、にやにやしている。え~っ、オ○○コですか!と叫んでしまった。
男は、でもインド人はこのことを知っている人はあまりいないから大丈夫だ、と言った。何が大丈夫なのかよく分からなかったが、ここから話は脱線し、ガールフレンドはいるのか?シックスナインは素敵だ、とか言って指をくねくねさせていた。
次に、織るところだと言って表へ出る。その道具は非常にシンプルだった。一m程の間隔をおいて立てられた木版の間に横棒が二本渡され、その間に細かい間隔をあけて紐がギターの弦のように張られている。そこへ様々な色の糸を通しては切ることを繰り返し、積み重ねることによって模様を付けていくのだ。気の遠くなるような作業である。しかも炎天下で。
一枚の絨毯を作るのにどれ位掛かるのかと聞くと、百五十×九十センチの物で四か月掛かると言う。四か月!また大声になってしまう。インド人の恐るべき忍耐力をここでも見てしまった。
次はそうして織った絨毯の毛足を揃える作業であった。少年たちがでこぼこした絨毯の表面をハサミで切り揃えると、下から見事な模様が現れる。その後に水洗いの係に引き継がれる。完成品を見せるよ、と男は言った。ついに来たか。
クーラーの効いた商談部屋に通される。外とはガラス戸一枚隔てて別世界である。絨毯を広げて見せるのに十分だだっ広い部屋で、男は隅に巻いてある絨毯の一枚をゴロゴロと広げた。写真を撮ってやる、というのでその上にあぐらをかく。
どうだ、気に入ったか?
きれいだとは思うけど、要らないよ。
それを皮切りに、買わんか?要らない。何故だ?といつもの問答が始まる。そして、膠着状態に入ると、チャイは好きか、そうか、と買いにやらせる。彼にしてみれば、チャイが来て、飲み終わるまで私を引き止めていられるのだ。
熱いチャイをすすっていると、男は座布団サイズの絨毯を色々出して来て床に並べる。
どの柄が好きだ?
う~ん、、、これ。タージ・マハル模様と、神様の物。
そうか、それが好きか。それなら軽いし、持って帰れる。
でも、要らないよ。
安いぞ、四十五ドルだ。買うなら負けるぞ。
必要ないから。
記念にどうだ?インドのいい思い出になる。
「要らない」「必要ない」は言い飽きていた。思い出は、、、ここに入ってる、と頭を指さした。
そうか、だがお前は分かっていても、家族には分からない。これを土産に持って帰ればいい。
話して聞かせるよ。
我ながらうまくかわせるようになったと思う。昨日さんざん揉まれて、楽しむ余裕が出て来ていた。
このままいても話は平行線をたどるだけだったので、チャイを飲み干し、じゃあ、これで、と立ち上がる。帰ろうとする私に、男は、お前は絨毯を買わないならば、見学料として五十ドル払わなければならない。私はお前を案内して、色々説明してやったのだ、来た人は皆払っていく、と言った。嘘だと分かっていたので、そのまま外に出る。リクシャーに乗ろうとすると男は、さっきのは冗談だ、と言った。
分かってるよ、グッド・バイ。
アグラ城へ向かいながら、ヒンズー語を教えてもらう。昨日から目に留まった物を、あれはヒンズー語で何と言う?と尋ねてメモしているうちに、オヤジのほうから色々教えてくれるようになっていた。
牛=ガイ、ロバ=ガダ、水牛=パァース、木=ペール、、、。
まだ熟れていない緑色のバナナを積んだトラックがリクシャーを追い越して行く。ケーラー(バナナ)だね、と言うとオヤジは、そうだ、あれはそのままでは食べられないバナナで、カッチャー・ケーラーだ。カレーなどに入れるのだ。そのまま食べられるバナナは、パッカー・ケーラーだ、と言った。
市場の細い通りをチャロー!チャロー!(どけ!)と人をよけさせながら進んだ。露店に並んでいる物を教えてくれる。靴=ドゥータ、ショウガ=アドラック、人参=ガージャル、ココナッツ=ナリアル、、、。
アグラ城に着く。でかい!全身茶色の要塞である。ファティプール・シークリーと同じく、アクバル帝が造らせた物だ。城の周りには堀がめぐらされている。
入り口に至る橋の上に、若い物乞いが座っていた。左腕の肘から下がきれいに無かった。子供が物乞いとして生きていくために、親が切り落としてしまう、と本で読んだことがある。どうやら本当のことらしい。物乞いとしてしか生きられないなら、せめて五体満足でいさせてやれないのか、、、そう思ったが、そんなことは彼の親も考えたに違いない、、、。
入場料二ルピーを払って中に入る。日差しが強く、露出した肌がヒリヒリする。持って来ていた日焼け止めを塗りたくった。
最上階まで登ってみる。ここもヤムナ川に面していて、遠くに小さくタージ・マハルが見える。どこが三キロなんだ?とても歩いて来られる距離ではない。
腰を下ろして眺めていると、下で言葉を交わした白人ツーリストが登って来て写真を撮っていた。フィルムはいくらするか知ってる?と聞くと、そうだな、、、フジの二十四枚撮りで二百ルピー位かな、と言う。やはりそれ位するのか、、、高いね、と言うと、そう思う、と答えた。写真を撮り終わると、スケッチブックを開いて、写生を始めるらしかった。見ていたかったが、時間が無かった。じゃあ、と言って来た道を引き返した。
外に出てオヤジを探した。通りの向こうで待っている、と言った。車が多くて渡れないでいると、そばにいたオートリクシャーの男が声を掛けてくる。どこまで行くんだ?乗れよ。
リクシャーを待たせてるから、と断る。オヤジが、ここだ、と手を振った。
ジャマー・マスジッドは賑やかな市場、キナリー・バザールの中に窮屈そうに建っていた。入口までもうすぐ、というところで、前方で手を振る男がいる。見ると、昨日最初に乗ったオヤジの息子だった。たまたまなのか、彼がしょっちゅうこの辺にいるのか分からなかったが、ばったり再会してしまったのには驚いた。握手をして、少し話すと息子はどこかへ去って行った。
門をくぐり階段を登ると、正面にジャマー・マスジッドがそびえ立っている。脇にある靴屋に二ルピーで靴を預けて裸足になる。
ジャマー・マスジッドはムスリムのためのモスク(礼拝堂)だ。かなり破損している。大学四年の時だから三年程前、ヒンズーとムスリムが対立し、暴動が頻発していた。報復に次ぐ報復で寺院が焼き討ちにあい、各地のジャマー・マスジッドも壊されたらしい。今修理しているのはその名残なのだろうか?
寺院には歩く幅の絨毯が敷かれ、道を作っている。祈り終わった男たちとすれ違う。私と同じくムスリムの帽子を被っている。私の頭に乗っている物は、リクシャーに乗る時オヤジがもう一つ持っていたのを被せてくれた物だ。ちょっと恥ずかしかったのでリクシャーを降りると外して、戻るとまた被っていたが、慣れてしまったのでそのままだった。
男の一人に、お前はムスリムか?と聞かれて、違う、と答える。お前の宗教は何だ?と聞かれたら何と答えようか、とドキドキしていると、そうか、と言って去って行った。彼らの手元を見て、失敗した、と思った。靴を自分で持って歩けばタダだったのだ。
石畳の地面は熱く、裸足では絨毯の上しか歩けない。建物のそばまで行ってじ~っと見るが、面白くなるわけでもないのですぐに引き返した。入口の立て板に書かれた建物の説明を写す。
このジャマー・マスジッドは一六四八年にシャー・ジャハーン帝の娘、ジャハーナーラー・ベーグムによって建てられた。建設には五十万ルピー掛かった。このメインゲートは一八五八年に壊された。このモスクは一八六四年に、ムスリムのために修復された。
宿への帰り道、上り坂でオヤジは、ちょっと降りてくれ、と言う。息が切れている。降りて、一緒に車を押した。
この仕事を何年やってるの?
十五年だ。
今、いくつ?
五十五だ、、、四十まで何してたんだろう?
ハードワークだね。
そうだ。だが息子が私を助けてくれる。
二人の息子が?
いや、息子は一人しかいない。一人の息子と、二人の娘がいるのだ。
あれ?おかしいな、、、。どちらが息子で、どちらが息子でないのか?不思議だったが、それ以上は聞かなかった。仲良くやっているのだ、それでいいや。
坂を上り切って、再びリクシャーに乗る。すごいスピードで下り始めた。風が気持ちいい。
オヤジは、ヒンズー語の数の数え方は、、、と言い、エーク(一)、ドー(二)、ティーン(三)、、、と数え始めた。知っていたので、声を合わせる。チャール(四)、パンチ(五)、チェ(六)、サート(七)、アート(八)、ノォー(九)、ダス(十)!
平坦な道まで下り切ってから、またゆっくりと漕ぎ始める。自転車に二人乗りした男たちが近づいて来て話し掛ける。
ナマステ。
ナマステ。
どこから来た?
メーン・ジャパニ・フン(私は日本人だ)
おお、ヒンズー語が喋れるのか?
ちょっとだけどね。
トーキョー?オーサカ?
メーラー・ガル・トーキョー・メーン・ヘー(私の家は東京にある)
メーラー・ナーム・タク・へー(私の名前はタクだ)
アープ・ケェーセー・ヘーン(ご機嫌いかがですか?)メーン・ティーク・フン(私は元気です)
知っているだけの言葉を喋ってみた。発音はどう?と聞くと、いいと言う。アープカー・ナーム・キャー・ヘー(あなたの名前は?)と聞くと、それぞれ、パルディック、クマールジ、と名乗った。
ギラギラしていた太陽も傾いて、穏やかな夕日に変わって来ていた。オヤジがまた教えてくれる。ヒンズー語では「ちょっと」は「トラトラ」だ。
~続く~
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