第6話

     八月二十七日・四日目

        アグラ~ 2



 車に揺られ、失敗したなあ、と思っている所へ、一台のリクシャーが近づいて来る。男の父親だと言う。皺の深く刻まれた真っ黒い顔に、象のような耳が付いている。頭にはムスリム(イスラム教徒)を表す白い(よく見ると結構汚れている)帽子を被っている。名前はラール・カーン。

 

 オヤジのリクシャーと交代だ、と男は言った。オヤジは、どこから来た?日本か?と聞きながら、座席の下の物入れから手紙の束を出してくる。日本を含む外国のツーリストから来た手紙、一緒に写った写真などを見せてくる。どうやらこれが彼の趣味らしかった。もちろん、これだけ客を乗せて、感謝の手紙も来ているというアピールの意味も含んでいるのだろう。

 

 多くの国々に、たくさんの友だちがいるのだ、とオヤジは言った。お前も是非、写真を撮って送ってくれ、と言うのでリクシャーの客席にオヤジと息子を乗せて一枚、オヤジと私の写真を一枚撮った。じゃあ送るから住所を教えてくれ、と言うと、あとだ、まず市内観光だ、と言った。

 息子はオヤジに、あとは任せたよ、と言うようなヒンズー語を言い、金はオヤジに渡してくれ、と私に言って去った。


 じゃあアグラ城へ行きたい、と言うと、それは明日だ、今日は市内を案内する、と言った。いつもならここで降りてしまう所だがそうする気にはならなかった。オヤジには、今までのリクシャーのような強引さが無かった。任せてしまってもいいじゃないか、と思った。どうせ行き当たりばったりの旅なのだ。料金はさっきのもひっくるめて十ルピーでいいと言う。いいよ、行こう、と言うとオヤジはリクシャーを漕ぎ始めた。

 

 木立ちに囲まれた建物にアンテナが立っていた。テレビ局でもあるの?と尋ねると、アルミーであると言う。アルミ?何度か聞き返すうちに、アーミー、軍隊の駐屯地であることが分かった。ガイドブックによれば、アグラはインド観光のハイライト、タージ・マハルを有すると共に、首都防衛基地としても重要な土地らしい。


 Bar Restaurantと書かれた看板を見つけた。バーがあるの?と聞くと、ある、バールだ。ビールは好きか、そうか、とリクシャーを乗り入れる。ここで待っているから、行って来い、と言う。折角だから入ってみる。

 客は私だけだった。主人らしき男はテレビを見ている。従業員も暇そうである。席についてビールを頼む。ラガービール六百ミリリットル四十五ルピー。インドで昼間からビールを飲むのは何となく後ろめたい気分だった。


 小さいが店らしい店の並ぶ通りに入って来た。楽器屋で降ろされる。店内にはシタール、タブラ、笛などが置かれている。挨拶が済むと、店主はアルバムを出して来た。ここを訪れて楽器を買って行った客たちと一緒に写っている写真が並べられている。日本人も結構写っている。

 

 次に店主はシタールを持って来て演奏を始めた。インドを代表する音だ。聞き覚えのあるメロディだ。あっ!と思っていると、店主は歌詞を付け始める。

ブンブンブン ハチガトブー

オイケノマワリニ オハナガサイタヨ

ブンブンブン ハチガトブー

 

 弾き終わると私は、インド風ハチガトブに盛大な拍手を送ってしまうのであった。店主は私に、やってみろと言う。弦が五~六本あるが、メロディを奏でるのは端の一本、あとの弦で、ボワ~ンというインドくねくね和音を作る。詰まりながらも、最初のハチガトブーまでは弾けるようになった。ピンと張った固い弦をつま弾くと、指が痛くなった。

 

 次に店主はインドの太鼓、タブラを持って来た。店主が見本を示し私もやってみる。一緒にやろう、と店主は言った。店主がシタールを、私がタブラを。私はパカパカポン、パカパカポンという単純なリズムを繰り返すだけだったが、店主はシタールの音に変化を付けて合わせてくれる。にわかセッションとなった。即興だが、美しいメロディだった。リクシャーのオヤジは、脇に座ってじ~っと聴いている。演奏が終わり拍手のあと、店主は言った。チャイは好きか?

 

 大好きです、と答えると、そばでギターを修理していた黒人の男を使いにやる。今度のチャイはショウガが効いていた。飲みながら棚に置いてあるカセットテープを見る。シタールとタブラ、ギターなどで奏でられたインド音楽が山積みされている。ポピュラーなのは?聴きやすいのは?メロディのいいのは?などと聞くと、店主は次々にピックアップしていく。

 

 映画のサントラを見つけた。どのパッケージも男女がうっとりと見つめ合ったり、一緒に空を見上げたりしている。ラブストーリーか?と聞くと、そうだと答える。どす黒い空に稲妻が光っているというパッケージもある。ホラーか?と聞くと、これもラブストーリーであると言う。シタールとタブラの物、ラブストーリーのサントラを一本ずつ買う。一本四十ルピーだった。

 

 楽器はどうだ?買うならケースも付けるぞ、と言う。買わないけど、値段を知りたい、と言うと教えてくれる。

タブラ、、、アルミ製一五二〇ルピー、木製九〇〇ルピー、ブロンド一八〇〇ルピー

シタール、、、大二四〇〇ルピー、中一六〇〇ルピー、小六〇〇ルピー

 小さいシタールは形だけで、ほとんどシタールの音はしなかった。思っていたよりずっと安い。というより日本で売られている物がバカ高いのだ。十倍近い値で売られているのではないだろうか?

 礼を言って、写真を撮って店を出る。


 次に行ったのは宝石屋だった。見たくないよ、と言ったが、行って来い、とオヤジは言った。店に入ると、店員らしき少年は扉を閉め、店主は部屋の電気を消した。真っ暗になった。ここでまた私は疑ってしまう。何する気だ?と思っていると、店主は小さな明かりをつけて宝石を照らす。青く透明な石の中に、光の筋が二~三本浮かび上がる。店主が明かりをつけて石を見せると、光の筋は一本になっている。光の当て方によって石の見え方が変化するのだ。

 

 店主は宝石をとっかえひっかえしながら電気を付けたり消したりする。そのたびに指輪にはまった石の中に、違った筋模様が浮かび上がる。不思議な石だ。これはアグラ・ストーンというのだ、と店主は言った。地中から掘り出されるのだと言う。買わないけど、いくら?と聞いてみる。光の筋が二本から四本になるもので二百五十ルピー。光の模様が複雑に出る物程高いようだった。

 

 ガールフレンドに買ってやれ、と言う。いないんだ、と言うと、ではお母さんとか妹とか、、、土産にどうだ、と言う。要らないよ、ともう一度言って店主の口に目をやると、歯が真っ赤である。パーンだね、と言うと、そうだ、しかし時々だ。いつも噛んでいると、口が真っ赤になっちゃうからね、と言った。

 

 日本人か、と聞くので、そうだ、と答えると、トーキョー?オオサカ?と言う。たまにシズオカ、ヒロシマ、オキナワなどがくっつく。私にはアカサカにトミヤマと言う友人がいるのだ、と店主は言った。


  店を出て、思う。うさん臭く思っていた土産物屋巡りも結構面白い。そして、リクシャーのオヤジのことを考える。何がしかのコミッション目当てで店を連れ回す。それは事実だろう。だけど、この人はもしかして、土産物屋を通して、インドを見せようとしているのではないか?楽器、奇妙に光る石、、、。そう思っていた。


 次もまた宝石店だった。今度は何が出てくるかと期待したが、ありふれた指輪と神様の置物が並んでいるに過ぎなかった。熱烈なる買わないか攻撃を聞き流し、ガイドブックをパラパラとめくる。隣に座っていた店主の息子が、何を読んでいるんだ?と聞いてくる。開いていたページには、アグラで騙された日本人の話が載っている。翻訳してくれ、と言うので要点だけ述べる。

 

 ええとね、トラブル・イン・アグラだ。絨毯屋で絨毯を買い、日本へ持ち帰って買った店の取引先へ持って行くと、二倍の値で買い取ってくれる、と言われて手を出したが、これは嘘だった。こんな感じだ、と言うと、ほう、と頷く。 

 

 話すことが無くなると息子は、日本の物を何かプレゼントしてくれ、と言う。リュックのチャックに付けていた鍵を見つけると、見せてくれ、ミルダケ、と言った。しばらくいじっていたが、我々の指輪と交換しよう、と言う。店主が指輪を一つ取り出してショーウインドウの上に置いた。とても釣り合いそうもない安っぽい物である。だめだね。

 

 息子に暗証番号のセットの仕方を教えつつ、もっといい指輪なら替えてもいいなと思っていた。息子はまだガチャガチャやっていたが、分からないや、と言うように鍵を差し出す。こうやるんだよ、と見せようとしたが、どうしてもロック出来ない。壊れてしまったようだ。あー、あんた壊したね?と言うと、焦ったような照れたような顔で、その指輪はあげる。鍵は要らない、と言った。当たり前じゃ。

 

 怒ってみても仕方ないし、ここまでの旅で盗難にもあっていないので、切実な問題でもないように思えた。

 店を出ようとすると、息子は言った。それは本当に、メイド・イン・ジャパンなのか?


 リクシャーのオヤジは近所のチャイ屋で話をしていた。チャイを二つ頼んで、宝石屋の前のベンチで一緒に飲む。そこへ宝石屋の店主が店から出て来て、私は絨毯も扱っているんだ、と切り出す。しかし私は困っている。日本へ輸出出来る量は限られていて、制限量を超えると、政府が三百%の関税を掛けるんだ。

 

 ほう、と私は相槌を打つ。さんざんガイドブックで読んだあの話らしい。種が分かっていれば安心して聞いていられる。三百%!それは痛いね~などと話を合わせる。

 そこでだ、と店主は続ける。あなたたちツーリストが土産物として送る分には何の問題もない。あなたが私から絨毯を買って日本へ持ち帰る。すると日本にある私の会社の者があなたの家まで絨毯を取りに行き、あなたに十分な謝礼を払うだろう。どうだ、いい話だろう、と言う。

 

 おかしさを堪えつつチャイをすする。それはさっき話して聞かせただろ!と突っ込んでしまいたくなる。リクシャーのオヤジは黙って横で聞いている。

 店主の口調は熱を帯び、絨毯屋のオフィスで話をしよう、と言った。私は先程から考えていた言葉を口にした。

 It is very nice story,but dangerous.(それはいい話だ、でも危ないよ)そう言って立ち上がった。

 

 決まった。今のはなかなかいいセリフだった、と満足しながら、飲み干したチャイのコップをチャイ屋に返して、リクシャーに乗り込む。店主は、そうか、と言って見送ってくれた。

 オヤジはリクシャーを漕ぎながら、半身後ろを振り返って、ユー・アー・グレイトマン、と言った。しっかりした奴だと褒めてくれているのだろうか?もし引っ掛かりそうになったら止めてくれたのだろうか、、、。

 

 そろそろ日が暮れかけていた。次に入ったのは、政府直営の土産物屋。壁にはFixed Priceどうのこうのと書かれたプレートが掲げられている。要するに、掛け値なし、値引きなしの、真っ当な価格の店らしかった。

 ガバルメントがやっているのだ、とオヤジは言った。インド英語はrをしっかり発音してしまうのだ。マーブルがマルボロ、バーがバール、プーアがプーアル、、、。初めは何度か聞き返したが、段々慣れて来た。

 

 店内は静かだった。店員も落ち着いていて、物腰が柔らかい。買わないか、土産にどうだ攻撃をさんざんくぐり抜けて来ると、ほっとしたような、物足りないような、妙な気分だった。ここでもやはり大理石物が多い。タージ・マハル、神様、絵皿、、、。さまざまな材料石から彫られた小さなガネーシャの像を見せてもらい、あれこれ尋ねる。インド石製五センチのガネーシャ二百ルピーを祖母の土産に買った。ヒンズー語の新聞紙にしっかりくるんで渡された。

 

 帰り道にもう一軒、今度は骨董品屋であった。狭い店内に、壺、花瓶、皿、ヒンズーの神様、大きいのから小さいのまで、壁の棚にぎっしり並んでいる。全て真ちゅう製で、すすけたような黄金色をしている。ガネーシャはさっき買ってしまったし、欲しい物も無かったが、とにかく眺めてみる。やはり神様に目が行ってしまう。象顔のガネーシャ、隣にはシバだかクリシュナだかもいる。手に取って見る。そしてチラリと値札も見てみる。

 

 欲しいんだったら、半額にしますよ、と後ろでそれを見ていた店主は言った。穏やかな口調だった。いきなりの半額宣言には驚いた。

 これは私のコレクションなのです。でも、欲しいなら、譲りますよ、と言う。道楽か何かだろうか?と思う。商売っ気がまるで無いのだ。

 

 一つ、気になるものがあった。ライオンか何か、動物が引く御車に、人が一人乗っている。屋根にはお子様ランチに付いているような旗が立っている、、、というこれまた真ちゅう黄金色の置物である。全長五十センチ位とかなり大きかったが、店主は、見たいですかあ?と言って持ち上げ、彼の専用席らしい机の上に置いた。

 

 マハーバーラタを知っていますかあ?と店主は言った。知りません、と言うと、自分のメモ帳に図で示してくれた。

 王には百人の子供と五人の王子がいた。この二つの勢力が戦争になった。クリシュナは五人の王子に味方して百人を滅ぼした。これがマハーバーラタの物語です、と説明してくれた。つまりこれは戦いに赴くクリシュナの御車らしかった。

 

 ヒンズーの神様を知っていますかあ?と店主は続けた。ガネーシャは知っていますが、、、と言うと、また書いてくれる。

一、 ブラフマ 世界の創造

二、 ビシュヌ 世界の操縦

三、 シバ   破壊

シバの妻パルワティ、その息子、幸運の神ガネーシャ、娘のラクシュミ、お金の神。

 

 まさかこんな所でヒンズーの講義が受けられるとは思わなかった。時間が止まったような、薄暗い黄金色の部屋で神様の話を聞いている。不思議な気分だった。

 あなたはどこから来ましたかあ?と店主が聞く。日本からです。名前はたくです。TAKUとメモ帳に記し、ついでにヒンズー語でも書く。

ほお、と店主は言いメモ帳に何やら書く。「たく」

 

 あっ!平仮名が書ける、と驚くと、店主は日本語をしゃべり始めた。私は昔日本語を勉強しました。でも、使わないと忘れます。漢字は難しくて分かりません、と言った。その他にも何か国語か話せると言う。ますますこの商売は道楽ではないかと思ったりする。


チャイは好きですかあ?

はい。私はインドのチャイは大好きです。

 相手は相当のインテリで、日本語も聞き取れると分かってはいるが、つい中学生の訳したような言葉でゆっくり喋ってしまう。

 

 店主は店の少年をチャイを買いにやる。ふと壁を見ると、大きく引き伸ばされた写真が額に入れて掛けてある。首相がここを訪れたのです、と言った。その時記念に彼の写真を撮ったのだと言う。ますます何者か分からなくなる。

 

 チャイを飲みながら商談に戻る。壺はどうですかあ?と手に取って見せる。花やら動物やらの細かいスジ彫りが施されている。彼がデザインして、少年たちが彫るのだと言う。二十センチサイズの物で一か月、大きい物だと三か月掛かると言う。恐るべき根気と技術である。ちょっと見て下さあい、と店主は、きれいに着色された部分をキュキュ、とこすって、この塗装は何年経っても絶対に剥げないのです、と言った。


どうですかあ?壺いりませんかあ?

いえ、要りません。

何故ですかあ?

生活するのに、必要ないからです。必要ない物は買えません。

そうですかあ。お皿要りませんかあ?

いえ。

何か欲しい物は無いのですかあ?


 一つあった。店主の持っているボールペンが欲しかった。自分のボールペンをどこかで失くしてしまっていた。一本しか持って来ていなかったから、メモが取れないのだ。見たところ普通のインクペンだったが、店主は、しかし、これは高いのです。二十五ルピーするのです、と言った。


 学校帰りの自転車少年は、私のボールペンを、インドでは二ルピーだと言った。本当にそんな値段なのか分からないが二十五ルピーと言えば八十円することになる。

しかしい、と言って、店主は机の引き出しをゴソゴソやっていたが一本のボールペンを出してきた。


 それはいくらですか?と聞くと、これはあげますと言った。妙な気分だった。今までに多くのインド人から、ボールペンをくれ、とさんざん言われてきた。今は逆に、インド人からボールペンを貰ってしまったのだ、、、。


 外はもう真っ暗だった。ボールペンと、チャイと、ヒンズーの講義の礼を言い店を出た。街灯が無いから、明るいのは車のライト位である。ライトそのものが付いていないオヤジのリクシャーは暗闇の中、タージへの道をゆっくりと走った。


 途中、オヤジの勧めるレストランで、野菜のカレー、ライス、ジュースの夕食を取る。食べ終わって外に出ると、オヤジは、ちょっと待っていてくれ、と言った。私の息子がじきここへ来る。私の今日の仕事はここまでだ。息子がホテルまで送る。ちょっと待っていてくれ、、、。


 待つよ、いくらでも、、、。私が店であれこれ見たり、レストランで食事している間、オヤジはずっと待っていたのだ。あまり待たせてはいけないな、と思いつつ、知り合ったツーリストや、店のおやじと話し込んで、つい長くなってしまう。店を出て、待たせたね、と言うと、オヤジは言うのだ。私の義務だ。イッツ・マイ・デューティと。


 一緒に空を見ながらタバコをふかした。うっすらと天の川も見える。東京は空気が汚いから、星は見えないよ、と言うと、そうか、と言った。そしてオヤジは、明日の朝一緒にチャイを飲もう、と言った。私はいつもタージの西門の前に七時にいる。目印はこの帽子だ、と頭を指さす。


 必ず行くよ、と言いたかったが、目覚まし時計は持って来なかったので約束は出来なかった。起きれたらね、と答える。お前を見つけたら手を振るよ、とオヤジは言った。

息子がやって来たので、オヤジにリクシャー代を払い、息子のリクシャーに乗り込む。ホテルは決めていなかったが、昼間見たパラシュート付きのホテルに泊まるつもりでいたのでそこまで行ってもらう。空いているか調べて来るから、と待たせた。道端の男からチェンジ・マネー?と声が掛かる。


 部屋は空いていた。ダブルベッド。シャワー・トイレ共同、五十ルピー。絶景の屋上あり。ここまでの宿で、最安値にして最高のホテルだ。ようやく旅のスタートラインにたどり着いた気がした。


 息子にここまでの分五ルピーを払う。息子と話していた若いリクシャーマンが、明日は俺が観光に連れて行く、と言うが、彼のオヤジさんのリクシャーに乗りたいんだ。だから、ノーだ、と断る。

それでも俺はあなたを待ってみる。起きるのは何時だ?十時頃か?とにかく待ってみる。アイ・トライ、と彼は言った。彼の必死の熱意はよく分かる。客が欲しいのだ。だからこっちも曖昧な返事は出来なかった。

だめだ。ノー。


 チェックインを済ませ、ベッドに横たわって一息つく。もう十時を過ぎていた。汗まみれだったので、シャワーを浴びることにした。共同トイレ、シャワーは部屋を出た正面にあった。電話ボックス二つ分位のスペースしか無く、ほとんど身動き出来ない。電気はつかなかった。真っ暗な中で生ぬるいシャワーを浴びる。

 

 コックをひねる手がピリピリする。恐る恐るもう一度触れてみると、やはり痺れる。漏電しているのだ。タオルでひねって水を止め、早々に引き上げた。それから屋上に行ってみた。風が気持ちいい。パラシュート・パラソルの下のテーブルには、二人の先客がいた。


 ジェームス、イギリス人、マイケル、オランダ人。

一か月位インドにいて、これからバラナシに向かうという。ヒンズーの聖地バラナシ。あのまま車に乗っていれば、今日はガンジス川を眺めていたはずだ。

いいな、行ってみたいよ、と言うと、どれ位滞在するのかと聞かれる。


 一週間だよ、たったの、と言うと、それは短い、と口を揃える。

私もそう思う。でもとりあえず来たかったんだ、と言うと頷く。

飛行機の話になる。彼らも私と同じく格安航空券を使っているが、イギリスの物は格安券でもシャンパン飲み放題であると言う。

え~っ、そうなの?エア・インディアはビール一本に二ドル取られる、と言うとオー・ノーと言うように首を振った。


 病気はしたか?と聞くと二人とも下痢をしたと言う。腹がルーズになった、と。ジェームスは国を出る時、予防接種をさんざん受けてきた、と言って注射を打つ真似をした。マイケルの英語は訛が強くてほとんど聞き取れなかった。何度か聞き返していると、しょうがねえなあ、と言う顔をしたが、根気よく話してくれた。


 二人とも私より四つ五つ年上だが、学生だった。夏休みでインドへ来たのだ。私の仕事は映画やテレビで使うモンスタースーツを作ることだ。人が中に入ってアクションするのだ、と説明すると、そいつは素敵な仕事だ、と言ってくれる。


 明日デリーに戻るんだ、と言うと、ジェームスもそうだと言う。飛行機だか汽車のチケットを変更に行き、またアグラに戻って来ると言う。時間を尋ねると、同じ列車、タージ・エクスプレスに乗ることが分かった。一緒に行って、デリーで宿を探そうと言うことになった。明日の夕方五時半に、下の食堂で待ち合わせることにする。


 まったく奇妙な成り行きである。しばらく話していたが、もう寝るよ、と言って二人は降りて行った。またしばらく一人でタバコをふかしてから部屋に戻った。二時を過ぎていたが興奮してなかなか寝付けなかった。



                  ~続く~


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