女嫌いと、存在しない記憶

「うおおおおお……!」

「旬? どうかしたの」

「見ろよ、ハルキ! これ、レアグミ!」

 おれはグミの袋からシークレットの珍しい形のグミをハルキに見せびらかした。

「いいなあー、旬」

「へへーっ、いいだろう……ちょっとみんなに見せてくる!」

「あ、旬! そろそろ雨降りそうだし、先生たち帰る用意しろって言ってたよ?」

「わかってるー! すぐ戻ってくるから……」

 たしかに空を見ると雨雲らしき濃い灰色の雲が遠くに見えるけど、そんなにすぐには降ってこないだろう。

 おれは五年の同じ組のやつらから離れて、ほかの学年のやつらにも珍しいお菓子を見せて回った。

 その日は遠足で小学校の近くの山に来ていた。

 遠足と言っても、大規模なもので一学年だけでなく四・五・六年の三学年合同の山登りだった。

 いまはやっとたどり着いた山頂でお弁当も終わって、自由時間。

 遠足の自由時間といえば、おやつ=お菓子の時間だった。

 だからおれは馬鹿みたいにレアグミを自慢して回っていたというわけだ。

「ん?」

 そこでおれはみんなとは離れて、ひとりでいる女の子を見つけた。

 どの学年の、どのクラスもみんな仲良しグループで集まっているのに、そいつはひとり山の端のほうの崖付近で地面の雑草を抜いていた。

 おれはずいぶんつまんないことをしているなと思いつつ、変わったそいつのことが気になって近よっていった。

「よっ。なにやってんだ、おまえ? ここらへんはせんせいが来るなって言ってたじゃん」

 この山は傾斜が比較的緩やかで山というより丘といった感じのところだった。けれど、東側だけ一部やや切り立った崖になっていた。おれたちがいるのはその東側の崖付近で、昼食前、事前に全学年の生徒に近よらないように先生からお達しがあったところだった。

「…………!?」

 だれかに話しかけられると思っていなかったのか、そいつはこちらを振り向いて驚いた顔をした。雑草を抜いて縦に並べていた手も止まる。

 半眼の眠そうな目つきの悪さと、跳ねた癖っ毛が特徴的な女の子だった。

 横からちらりと名札の枠だけ見ると、四年生だ。

「なんだ、おまえハブられてんの?」

 おれはあまり言葉が思い浮かばなかったので、疑問に思ったことを口にした。

 一瞬相手からにらまれたような気がして、ひるんだ。

 でも最初からそういう顔つきなんだということに気がついて、一歩前に出る。

「…………!」

 女の子は無言でうーうんと首を横に振る。

「でもひとりじゃん。みんなお菓子食べてるぜ?」

「…………」

「あ、おい! どこ行くんだよ!」

 年下の女はおれが近くに来たのが癇に障ったのか、迷惑そうにその場を立ち去った。

 その態度がどうにも納得できなくって、無視されたような気がしてそのあとを追った。

「ついて……来ないで……!」

「いや、お菓子忘れたのか? だったら、おれのやるから……」

「いらない……!」

 振り返って、その女の子はあきらかにこちらをにらんでくる。

 どうにも憎たらしいという感情と、その女のことが気になって仕方ないという感情がごちゃ混ぜになってそのあとを必死に追った。

「いらないっておまえなあ……あ!」

「あっち……行って……嫌っ!」

「待て!」

 こっちを振り向きながら、どんどんと力強く歩いて遠ざかっていく女の子。

 けど、そっちは――。

「ついて、来ないで……どっか、行って……!」

「違う、そっち……前見ろ、前!」

「え…………っ」

 おれの忠告が届いたときには手遅れだった。

 相手の片足は山肌の崖の先に出ていた。

「あぶなっ――!」

 おれは手に持っていた菓子袋を投げ捨てて、思わず飛び出した。

 なにも考えていなかった。

 女の子が崖から落ちる。そう思っただけで体が勝手に動いたんだ。

「あ、あの…………!」

 女の子が崖から落ちようかという瞬間、手だけつかむことができた。

 間一髪だった。おれとその子は組体操の扇みたいな状態で、崖に奇妙なバランスで立っていた。

 相手はこちらを見て、驚いたように口をぱくぱくさせてなにか言おうとしてるが、ショックでなにも言えないみたいだった。

「危なかったな、とりあえず……」

 ほっと一息吐こうにも吐けない状況だったが、事態はますますややこしいことになる。

――ゴロゴロゴロ!

「…………!」

 そのときいつ崩れてもおかしくない空から、ついにぽつぽつと雨が降り出した。

 さっきまで山の上は晴れていたのに、いつの間にか見あげると雨雲に覆われていた。

 山の地面は瞬時に雨を吸い、やわらかくなっていく。その雨を受けたせいなのか、女の片足を支えていた崖の土が解けて砕けて、崩落した。

「きゃっ!?」

 いきなり右手に体重がかかる。

「ぐお……!?」

 まずい。いくら男のおれでも小学五年生。同じくらいの女の体重は支えられないと思った。

「た……助けて……」

「わかって、る!」

 おれは両手でその手をつかんで引きあげようとするが、結局力が足りなかった。それにさっきから降ってくる雨に手が濡れて、すべってその手を放してしまいそうになる。

「くっ…………!」

 だからおれはそれを放すくらいならと、飛んで女を抱きかかえた。

「…………!?」

 おれたちは山肌の崖を滑り落ちるように砂煙をあげて、崖下に落ちた。

 崖を落ちている途中上のほうで大人たちが騒ぐ声が聞こえてきた。


 五月雨がしとしとと降り注ぐ中、おれたちは崖下を歩いていた。

 おれは女の子に肩を貸し、一歩一歩遅々として進まぬ歩みに辛抱強くつき合っていた。

「なあ、大丈夫か……」

 隣の足元を見ながら問いかける。

 あの女の子は片足を引きずっていた。どうやらさっき崖から落ちたときにくじいたかひねったかでケガしたようだ。

「…………」

 女の子は無言で顔をゆがめながら、こくりとうなづいた。

 どう見ても、大丈夫そうには見えない。

 一応かばおうとしたんだけど、上手いこといかなかった。おれもおれで、落ちたとき山肌に生えた枝や草で全身擦り傷だらけになってしまっていたし。崖下が草地で、山肌に沿う形で落ちたために大ケガはしなかったのが不幸中の幸いって感じだ。

 けど、これじゃあんまり長時間歩けないのもわかっていた。 

「そ、そっか……うっ、冷たっ!」

 崖肌からたれた葉が雨を溜め、ふたりに意地悪するようにぴちょんぴちょんとその雫をこぼした。

「クッソ……とりあえず雨宿りできるところまではあるこ!」

「あ……」

 自分の上着を女の子の頭にかぶせた。

 それに気がついたのか隣から声をかけられる。

「あの、上着……寒いよ?」

「おまえのほうが寒いだろ?」

「ううん……」

 女の子が震えるように首を振る。

「嘘つくな。体震えてんじゃん」

 肩を貸してるので、こいつが寒さで震えてるのが肌感覚でわかった。

 女の子が雨に濡れないようにしながら、雨宿り場所を求めて山をさまよった。

「そういやおまえ名前は?」

「……?」

「名前だよ、名前……おれは津島旬、五年生」

「……いし、はら…………」

「ん、なんて?」

「石原……あかり、四年生……」

「ふーん。じゃあアカリ、ちょっとここで待っててくれるか?」

「え……」

「雨宿りできそうなところ探してくるから……絶対動くなよ!」

「う、うん……」

 おれはアカリをできるだけ雨がしのげる大木のそばに座らせて、雨宿りできそうな場所を探しにいった。

 ひとりで歩いているとき、その場を離れるときとても心細そうにおれを見ていたアカリの視線を思い出した。こんな山の中、ひとりじゃ心細いだろうから早く落ち着ける場所を見つけてやらないと。


「はあ、はあ……アカリ、見つけた!」

「あ……お兄ちゃん…………」

 おれが雨宿りの場所を見つけて戻ってくると、アカリは少し座ったまま眠っていた。

 ぼうっとした目でこちらを見つめて、ひょっとして軽く気を失っていたのかもしれない。

 それを見て、ひょっとしたらおれたち危ない状況なのかもと、子供心ながら思った。

「こっち来て……立てるか?」

「うん……お兄ちゃんは大丈夫?」

「え? おれ? ああ、大丈夫だ!」

 なに言ってんだと思った。むしろ足をケガしてるアカリのほうがつらいだろうに。

 おれはまたアカリに肩を貸して、雨宿りできそうな崖のくぼ地に連れて行った。そこは半分洞窟のようになっていて、天井がある。子供ふたりなら隠れられる程度のスペースがあった。

 そこからおれたちはずっと待った。ずっとずっと。何十分も、何時間も。

「お兄ちゃん、せんせいたち探さないでいいの?」

「いいんだ……テレビで見た」

「……?」

「山で遭難したときは動かないほうがいい」

「そうなの?」

「ああ。上から落ちたとき、せんせいたちが騒いでた声が聞こえてたから……たぶんおれたちが落ちたのはわかってると思う……」

「お兄ちゃん……?」

「だ、から……下手におれたちが、落ちたところから動くと……せんせいたちが見つけられなくなって……うぅ、ごほごほっ!」

「お、お兄ちゃん!?」

「くっ……なんか頭がくらくらして……っ」

 駄目だ。ぼーっとする。なんだろう、目の前もぼやけるし。

 このときは気づかなかったが、薄着で雨の降る中動きすぎて肺炎を発症しかかっていたんだろう。

「お兄ちゃん、ちょっとごめん」

 アカリが小さな手をおれの額に当ててきた。

 ひんやりして気持ちいい。

「……!? 熱い、お兄ちゃん体が……! わたし、誰か呼んで……」

「ごほっ、ごほっ……! 待て……! う、動いちゃダメだって……」

「でも、お兄ちゃんが……!」

 アカリがなにか叫んでいる。

 おれのこと心配してるのか。

 大丈夫だから。おれは大丈夫だから、そんなことよりおまえ外にいったら濡れるぞ。

「大丈夫、だ、アカリ……だれか来たら、おまえが……おれたちがここにいるって……教えて…………っ」

「お兄ちゃん? お兄ちゃん……お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」

 おれの目の前が真っ暗になって、なにも聞こえなくなった。雨が草木を打つ音も、アカリの泣きそうな悲痛な声さえも。


◇ ◇ ◇


「――ハッッッ!」

 汗びっしょりになりながら、起きた。

「はあっ、はあっ………」

 いまだに動悸が収まらないのは、さっきの夢のせいだろうか。

 とても怖いし、苦しいのに、なんだかとても懐かしくて暖かい夢だった。

 なんだ、いまの夢。

「ゆめ…………?」

 いや、夢じゃない。

「夢……じゃ、ない!?」

 じゃあなんだ、おれは小五のとき本当にあんなことを体験して。

 そんな大事なことを、肺炎で入院して忘れてたってのか。

「馬鹿じゃないのか」

 そんな大事なことよく忘れられたもんだ。

「アカリ……」

 そうだ。石原灯梨。

「アカリだ!」

 はっとして、立ち上がって勢いよくカーテンを開けた。

 そこから見える夜の公園に目をやった。ひょっとしたらそこにいるかと思った。

 偶然でもいい。そこにいてくれ。

「……いるわけないよな」

 公園にはだれもいなかった。そのまましばらく公園を見ていたが、その日はだれもそこを訪れる気配はなかった。

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