女嫌いと、デート当日
早朝。目覚めたら一番にやることといえば――。
「…………」
おれはそっとカーテンを一センチほど開けた。
そこから公園を覗き見る。胸にひときわ淡い期待を抱きながら。
「…………」
おれの淡い願いとは裏腹に、予想どおり、そのベンチにはすでに女が座っていた。
そわそわと周囲を見回して、ときおりこちらを見ては、また周囲を見回す。落ち着きなく、首を振っている。手元の本をめくろうともしない。
「はあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
まだ朝の六時だぞ、おい。
おれはクソ長ため息とともに、顔を洗うために階下に降りた。
「…………」
公園へやってきて、無言でその女を見下ろしていた。
「ぴゃっ……せ、せせ、センパイ! 本当に来てくれたんですね……!」
「おまえが来いって言ったんだろうが……」
ぶっきらぼうにそう言った。
普段は女に対してこんな乱暴な言葉づかいはしない。敵意や下心を持っていると思われて、向こうから変な興味をもたれても困る。
女にはできるだけ丁寧に、物腰柔らかく、そしてできるだけそっけなく。それがおれの処世術だった。いくら軟弱外交だと言われても、これだけは譲れなかった。
(だけど、この女には昨日のことで女嫌いだってバレてるしな……)
もう手遅れというやつだった。だったらいまさらどう言いつくろうが一緒だ。明確な領空侵犯さえ犯さなければ、敵対行動とは取られないだろう。
おれは白いTシャツと紺のジャケット、それにジーンズというラフな格好に、小さな肩かけ鞄をタスキがけにしていた。
一方石原は昨日までの少年スタイルのパーカーではなく、薄緑のヒラヒラしたワンピースに、小さなピンクのポーチを肩からかけてちょこんとベンチに座っていた。足元を見ると、真っ赤なスニーカーが目立った。
いつもは目にかかるような癖っ毛も、今日は肉球デザインの髪留めでしっかりと整えている。
公園の時計を見ると時刻は8時50分だった。
ポケットに手を突っこんで、ふてくされたような顔で石原をにらむ。
「で、でも昨日の反応からして……絶対すっぽかされるものだと……」
「すっぽかすかよ……」
おれは周りを見た。朝とはいえ日曜日なので公園には親子連れも来ている。
できればやりたくなかったが、仕方ない。だれかに聞かれる心配があるからな。
石原の耳元に顔をよせて小声で言った。
「おまえ……」
「ぴゃあああああああ!?」
「ぐえっ!?」
鳩尾にきれいな肘鉄を食らった。
おれは公園の地面に膝をつきながら、ぷるぷると震える。
「な、なにしやがる……ぐ、ぐぇ……!」
「あわわ、ごめんなさい……でもセンパイの息が、み、耳に当たってくすぐったくて、なにされるのかと思って……私っ!」
やはり腹には漫画雑誌を入れてくるべきだったか。
石原は腹を抱えるおれを見て慌てて立ち上がってペコペコと謝りつつも、顔を真っ赤にしながらこちらから距離を取る。こちらが囁こうとした側の耳を押さえて、向こうもぷるぷると震えている。
「周りに人がいるから……いいから、耳貸せ……」
「あ。あ。そういう……」
ちっ、まったくひそひそ話する以外になにがあるっていうんだ。
おれの説明に納得したのか、石原はこちらに耳を持ってくる。
「ん……? くんくん……なんだ、香水かなんかつけてきたのかおまえ? 匂うぞ……」
おれは鼻をくすぐるニオイを感じた。嫌なニオイではなかった。ラベンダーのようなさわやかさの中に、甘ったるい蜜のようなフローラルなニオイだった。
そういえばこのニオイどこかで嗅いだことあるな。どこだったかな。
そう思っていたら、また鳩尾に衝撃を感じた。
「ぴゃああああああ!?」
「ぐええっ!?」
「それ、せ、制汗剤の匂いです! 嗅がないでください、ヘンタイ!」
「お、おま……おまえっ、腹に何度も肘鉄を……!」
「あわわ、ごめんなさい……で、でもセンパイが変なことばっかりするから」
おれが悪いのか?
「と、とにかくおまえが、来ないと女嫌いだって学校中に噂するっていうから……おれは仕方なくだなあ……」
おれは腹を押さえながら、なんとか絞り出すように伝えた。
女嫌いであることをあまり公言したくはないのでひそひそ話しようとしただけだとというのに、この仕打ち。やはり女は男のことをサンドバッグくらいしか思っていないのではないか。
「あ、あれを……本気にして……!?」
「はあ?」
両手を口に当てる石原を、おれは涙目でにらんだ。
「い、いえ……」
そんなこちらに石原は一度言いよどんだあと、意を決したように言い放った。
「そ、そうですよ! 来なかったら『女好き』だって噂流しますからね!?」
「なんでえええええええええええええええ!? やめろ、いいか、絶対それだけはやめろ!」
「だったら、今日は一日私とデートしてもらいますからね! センパイの女嫌いを治すために!」
腕組した石原にそう脅されて、おれの最悪の日曜日は開始されたのだった。
「まずは駅前まで行きましょう、センパイ!」
嬉しそうにワンピースの裾をはねさせながら、石原は先へ先へ行く。
「センパイ、早く早く♪」
「わかったから、待てって……」
おれはまだ鈍く痛む鳩尾を撫でながら、石原について公園を出る。
石原は無言で駅前に向かっててくてく歩いていく。その足取りは軽い。
一方その後ろをのろのろと進むおれの足取りはきわめて重い。
「もうっ、センパイ!」
「ん?」
石原はこちらを振り返って、眉根をよせてくる。
「もっと背筋を伸ばして、しっかり歩いてくださいよ」
「そんなこと言われてもなあ……」
石原が歩調を合わせてくるので、おれはより一層とぼとぼと牛の歩みに変えて進む。
「ちょっとー!」
「なんだよ?」
「なんで私から離れるように、後ろを歩くんですか!?」
「おまえとデートしてるなんて思われたら嫌だろうが……」
「なんでッ!」
おれは距離を取りながら素直に答えた。
「なんでって……女と同じ方角に歩いているだけで気分が悪い。死ぬほど嫌だ。せめて、
「センパイ、今日はデートなんですよ!?」
「ああ、わかってる。デートしてるフリな、フリ」
「フリだったらフリでいいですけど、ならせめて隣を歩いてください! そんなんじゃ女嫌いも治りませんよ?」
女の隣を歩くだけで女嫌いが治るなら、医者はいらないんじゃないか。
「そもそも、センパイは女嫌いを治そうという気があるんですかっ」
「ねーよ」
余計なお世話だってずっと言ってる。だれも女嫌いを治したいだなんて言ってないし、そもそもおれのこれは病気じゃない。
「つか、おまえ昨日からしゃべり方違うくね? 学校で会ったときはもっと、おどおどして、きょどってたと思うんだけど……」
そうだ、こんなにも強気でハキハキした口調のやつじゃなかった気がする。
昨晩おれの弱みを握ったのが原因か。そもそも元からこういうやつだったのか。案外こっちのほうが素なのかもしれない。
「そ、そんなこと言ったら、センパイだって普段より口調が乱暴なんじゃないですか……猫かぶってたんですか?」
「そりゃこっちのセリフだよ……おれの口調が乱暴なのはもともと。こっちが素なの。男相手にはいつもこんな感じだしな」
ダルさマックスで、肩をしょげさせてしゃべる。
「はあ……」
「センパイ、気づいてます?」
「なにが……」
「隣、歩いてますよ?」
「…………」
ふと、隣に視線を下すと、石原がいた。
隣で正面を向いて、くすくすと笑っていた。
「ちっ」
「あー。舌打ちよくないんだ!」
「おまえはおれの母親かよ。もうどうにでもしてくれー」
ヤケクソ気味に嘆き悲しみ、おれの涙は三日間、町に降り注ぎのちに大河となったという。
(しっかし……)
おれの隣を歩く女の顔は、頭上の空のように晴れやかだった。
「…………♪」
石原のその顔を見て思う。
おれの女嫌いを治すのが目的だったんじゃないのかよ。
(自分が楽しんでるんじゃねえか……ったく)
住宅街から、大通りに出て一気に交通量が多くなってきた。目の前には二車線の道路が伸び、歩道のこちらにも対岸にも大型店舗が目立ってきた。車道には白や黒を基本にマーブルな色の車が行きかい、歩道でも老若男女が対流を作っていた。
公園からここまで十五分ほど。もう駅前の繁華街までは目と鼻の先だ。
「おい、石原」
「はい?」
「朝飯は食べたか?」
「あ……た、食べましたよー……?」
嘘つけ。目が泳いでんぞ。
「朝六時には公園に来てたのに?」
「え!? あはは、そんな早く……やだなあ、それじゃあまるで私が張り切ってるみたいじゃないですかあ」
そうだよ。おれの目にはそういうふうにしか見えないんだよ、おまえはよ。
おれが起きてカーテンから覗いたときにはすでに公園のベンチにいた。なら、きっと朝食は食べてないよな。
「ファストフードでいいか?」
「へ?」
「朝飯。ハンバーガーでいいかって聞いてんの」
「いえいえ! いいですよ……センパイはお家で食べてきたんでしょ?」
「食ってねーよ。外で食おうと思ってたのに。いいから行くぞ」
おれは近場に見つけたファストフード店に足を向けた。
「ええ……でも今日そんなにお金持ってきてない……」
「もしかして支払いの心配してんのか? おれが払うから……」
金のことで女ともめるくらいなら、おれが払う。ここでいつもの軟弱外交のくせが出てしまうのがちょっとかなしい。
「ちょ……駄目ですよ!? なに言ってんですか、私から無理矢理誘ったの、センパイは嫌々ついてきただけなのに! 駄目です、わ、割り勘で!」
めちゃくちゃ早口だった。おれは石原の唾が飛んでこないか心配で、ばっと後ろに下がったほどだ。
「うわ、めっちゃ引いてます!?」
「い……いや、じゃあ割り勘でな?」
「はいっ!」
おれはそう言ってファストフード店に先に入った。
「あ……センパイとはじめての……? わ、わあ……んふふ♪」
なんだか後ろのほうで驚きや慌てふためき、そして喜びの波動が押しよせてきたが鬱陶しいので無視した。
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