女嫌いと、デートと、ニアミス

 店で少し遅めの朝食をとったおれたち。

 石原のやつが出口で開口一番、むすっとした顔で聞いてくる。

「……で、なんでセンパイが私のメニュー勝手に決めちゃったんですか……」

 店内で食べているときも、ずっと不満そうな顔でにらまれていた。

 正直こっちはおまえからにらまれるだけで、ヘビににらまれてる気分なんだよ。カエルになった気分になるから、やめてくれ。

「おまえが隣でいつまでも決めないからだよ。店員さん困ってただろ」

 おれは仕方なく、店内で何度もした説明をもう一度した。

 それに石原といっしょにいるところを、たとえ他人とはいえ店員にさえジロジロと見られたくなかった。

 石原はその説明にまだ不満そうに、両手の指を合わせてで見えないボールをにぎにぎしながら、ぶつぶつと言った。

「だ、だって……センパイとの、はじめての食事だから……そ、それに! 割り勘だって言ったのに、どうして払っちゃうんですか!」

「いや、だから別会計だと店員さんが困ってたから……」

「んもう……! 店員さんと私、どっちが大事なんですか!?」

「店員さん」

「即答!?」

 それにしても今日は本当にテンション高いな、こいつ。

 ファストフード店の前から繁華街の大通りを歩きながら、おれは石原にたずねた。

「それで?」

「それでって、なにがですかセンパイ?」

「駅前まで来たけど、どこ行くか考えてんのか」

「あ……」

 ノープランかよ。

 石原はおれのほうを見て、顔で開ける穴という穴をすべて開いて唖然としていた。

 こいつ、自分から誘ったくせになんも考えなかったな。

 仕方ないので、とりあえず昼まで時間をつぶすため、おれは適当に時間をつぶせる場所を提案した。

「ゲーセンでも行くか」

「げ、ゲーセンってゲームセンターですか?」石原は戸惑ったように聞いてきた。

「それ以外になにがある」

 休みの日によくセキカンなどに誘われていくゲームセンターがこの近くにある。三階建てで店内は狭いが、置いてある筐体やゲームの種類は案外豊富だ。近場の駅前では一番大きな店舗だった。

 隣を見ると、石原がカチコチに固まっていた。

「おい。なんでそんな緊張してる?」

「あ、あの私ゲームセンターはじめてなので……」

「マジか……」

 いまどきゲーセンがはじめてだなんてやるもいるんだな。

「私、ゲーム上手くできるかどうか……もしかしたら、センパイに迷惑かけちゃうかも……」

 ゲーセンをどういうふうに勘違いしているのかしらんが、石原は腰が引けているようだ。顔色もどこか悪い。

 そんなに苦手意識を持っているなら、べつのところにするか。

「嫌ならべつのところに……」

「いや! 行きたいですっ! 私、センパイとゲーセン行きたいですっ!」

 嫌がっているのかと思ったら、ずずいと近よってきて自己主張してくる。ずいぶん乗り気なようだ。

「お、おおう……わかったから、ちょっと離れてくれ。顔を近づけるな」

「ふんすっ!」

 やや興奮気味の石原を連れて、おれはなじみのゲーセンへ向かった。




「わあ。お、音が大きい……」

 はじめてのゲーセンに、石原は入り口で戸惑っていた。

 たしかに各筐体の音が、外の喧騒をかき消すほど大きい。はじめてなら戸惑うのもわかる。

「わあ! センパイ、センパイあれなんですか!? ああ、これは知ってます、クレーンゲームですよね!」

 しかしそれもすぐに慣れたのか、店内にある様々なゲーム筐体に興味を示す石原。

 先ほども言ったとおりここは三階建てで、数年前に開店したばかりの店内はきれいだった。真っ白な壁が照明を反射してより一層清潔感があった。さらに色のせいで実際の店の大きさよりも、フロアが広く見える。

 まだ昼前なので店内に人はまばらだ。しかも一階はプライズコーナーで、いわゆるぬいぐるみや限定製菓を景品にしたクレーンゲームなどが乱立している。ここが混雑するのは日曜の昼過ぎに家族連れが来たときくらいだろう。奥にはプリクラコーナーもあるが、やはりいまは人の気配はない。

「まあ、ここで待っとけ」

「……?」

 石原に入り口で待っておくように言って、すぐ近くの両替機まで歩いていって千円札を小銭に替える。

 そして元の位置に戻ってくると石原はいなくなっていた。

「なんでえッ!?」

 おいおい、どこいった。

「もしかして……変なやつに連れされられたんじゃないだろうな!」

 石原の妙にちっこい姿を思い出して、ぬいぐるみのように片手でかついで連れていかれそうだなと思った。

 いやいや、冗談を言っている場合じゃない。

 おれは心配になってゲーム筐体の間を目を皿にして探した。

 するとすぐに筐体の間に例の癖っ毛を見つけた。

「ほっ……」

 ん? なにをほっとしてるんだ。

 それに、あいつの心配をするなんて。

 そんな馬鹿な。

(こんなよくわからんデートさっさとすっぽかして、いますぐにでも家に帰りたいのに……)

 だとしても、脅しの件もある。相手になにも言わずに逃げかえるわけにもいかない。

 クレーンゲームの筐体に夢中になって、ガラスケースに張りついている女に声をかけた。

「迷子のお知らせです……三鷹高校一年の石原さん、石原灯梨さん……お連れの赤の他人の津島旬さんが困っていますので、ひとりでふらふらと出歩かないようにお願いします」

「……っ!? ご、ごめんなさい、センパイ。私……」

 石原が顔を真っ赤にしながら、驚いておれを振り返り謝ってくる。

 おれはそれをスルーしてその頭越しに、筐体を見つめる。正確には中の景品を。

「なんだ、このあざらしが欲しいのか?」

「えっ……あ、いえ欲しいっていうか……ちょっと可愛いなって」

「ふーん」

 目の前の筐体の中にはあざらしの大きなぬいぐるみが鎮座していた。

 おれは石原のうしろから筐体正面に回ると、両替した小銭をコイン投入口横に積んだ。

「え、あの、センパイ……?」

「まあ、見てろって」

 そう言ってコインを一枚投入した。すぐに筐体からは軽快なBGMと、ピカピカと光でプレイヤーであるおれを煽ってくる。

「は、はじまっちゃいましたよ、センパイ!」

 本当にクレーンゲーム自体はじめてなのか、そのすべてに子犬のように臆病に驚く石原。

「静かにしてろ」

 おれは一言つげて、まずは横移動の一番ボタンを押した。

 目当てのあざらしのぬいぐるみはテーブルの中央に鎮座している。筐体のポケットまではかなり遠い。これは普通にクレーンでつかんでもどうにもできないことはわかっていた。

 ただそれでも愚直に、あざらしの胴体をアームで挟むように奥行用の二番目のボタンも押す。

「あ! センパイ、位置ばっちりです!」

 たしかにクレーンの位置はばっちりのはずだ。

 クレーンはアームをパカっと開けて、降下用のBGMとともにゆっくりと下がっていく。

「わ、や、やった……!」

 そしてアームがあざらしの胴体をがっちりとキャッチした。

 石原は歓喜の声を漏らすが――。

「あ……ああ! あーあ……」

 当然のようにアームの弱すぎる腕力はやや大きめのぬいぐるみの重量には耐えられず、投げ出すようにあざらしを台の上に放った。

「そんな、せっかく捕まえたと思ったのに……この機械壊れてません?」

「いや、こういうもんだから」

 ちょっと笑わせんな。いまさらクレーンゲームのアームの弱さにクレームを入れるやつがいるとは。

 おれは女を相手に笑顔を見られまいと真剣な表情で、言った。

「ふっ、計算どおりだ」

「なに格好つけてるんです、センパイ? 失敗しましたよ、センパイ?」

「うるせえ、黙って見とけ!」

 ジト目で鋭いツッコミをしてくる石原に思わず怒鳴りながら、もう一枚コインを投入する。

 さっきと同じようなことが繰り返される。

 ガッチリとあざらしの胴体をとらえるアーム。だけど根性を感じさせないアームは茫然自失とぬいぐるみを吐き出した。

 しかしおれはその結果に大いに頷いた。

「よし、いいぞ!」

「もうセンパイ、むきにならなくても……お金の無駄ですよ。やめておきましょう」

「なに言ってんだ……あと一回で取れるんだぞ?」

「センパイもクレーンといっしょで壊れました?」

「…………」

 全然納得してない石原を驚かせてやろうと、おれはもう一枚コインを投入した。

「あー、もうっ……もったいない!」

 石原がその投入に驚いて、いさめようとする。けれどいいから見とけとボタンを慎重に押す。

「……あれ? センパイ……押しすぎ……?」

 たしかに。あざらしの胴体を狙うなら、いまのクレーンは移動させすぎだ。

 だがおれの狙いは全然違うところだ。二番目のボタンも慎重に押してクレーンを動かす。

 石原はそんなおれのクレーン操作を見て、あきれたような声を出した。

「あの、センパイ……どこ狙ってるんですか?」

「尻尾だ」

「尻尾……?」

 クレーンはあざらしの少し後方のなにもない空間をつかもうと降りていく。そしてアームは予想どおり空を切った。

「あーあ、ほら……え?」

 石原の目にはどう映ったのだろうか。

 クレーンのアームは空を切って戻るとき、あざらしの尻尾についた商品タグ。布地で輪っかになったそのタグにアームの銀色のヘラ部分がすぽっと入ったのだ。

「ちょ!? センパイ、取れてます、え!? え! あざらしさん、釣れてるんですけど!?」

 そうだよ、石原。おまえの、その顔が見たかったんだよ。

 当然そんな隙間に入ったアームはあざらしを振り落とすこともなく、片方だけで一本釣りにして筐体のポケットまで運んでいった。

 最後にカチャっとアームが勢いよく開いて、ぬいぐるみがポケットへと落ちてきた。

 石原はその光景とおれの顔を、驚愕の表情で何度も見比べた。

 ああ、気持ちいい。

「せ、センパイ取らないんですか。あざらしさん?」

「そんなのいらねーよ。欲しいなら取っとけ」

 べつに景品目的でゲームをやっていたわけじゃない。ただクレーンゲームをしたことがないっていう石原を驚かせたかっただけ。あのぬいぐるみの商品タグの穴を、アームの方向と合わせさえすりゃ取れる確信があった。それだけのことだ。

「センパイ、ひょっとして……わざと……?」

「……?」

 一瞬こちらを見て瞳を揺らす石原。なにか言いかけていたが、すぐに筐体のポケットからあざらしを取り出すためにしゃがんでしまったので、なにを言いたかったのかはわからなかった。

 すぐに自分の胸までありそうな大きなあざらしのぬいぐるみをかき抱きながら、ぺこりとお辞儀してくる。

「あ、ありがとうございますっ! か、かか、家宝にします!」

「たかが三百円のぬいぐるみに大げさなんだよ」

 それを聞いてか聞かずか、石原はなんどもぬいぐるみに頬ずりしてはもう離さないだと、いっしょにお家に帰ろうだの囁いていた。

「よかったら、おまえもやるか……?」

「え、私が……?」

 なにげない思いつきだった。

 やったことも触れたこともないという、こいつがやったらどうなるんだろう。ただそんなふうになにげなく思っただけだったのだ。

 やらさなければよかった。


「センパイ、クレーンゲームって簡単ですね♪」

 後ろの石原が満面の笑顔でそう言った。

 おれは大きな景品袋を抱えてそれを振り返りながら、げんなりした表情でエスカレーターに乗っていた。

 石原が不思議そうにたずねてくる。

「あれ、センパイどうしてそんなに疲れてるんですか?」

「おまえが片っ端からゲーセンの景品巻きあげるからだよ」

「巻きあげるって……ひどい。私はセンパイに教えてもらったとおりしただけなのに……」

 途端しゅんとしたようにうつむいて、ぶつぶつとつぶやく。

 こっちは途中からずっとうしろに店員が張りつくわ、苦い顔で見つめられるわで気が気じゃなかったぞ。

 石原のやつ、やったことないなんて言いながらコツを教えたらすぐに覚えやがって。それからは一コインにつき一つ以上は景品を落としていきやがった。酷いときはふたつ抜きまで。

 そりゃ店員も監視に来るわ。もちろん石原は不正なんてやってないから注意するわけにもいかない。男性店員には思わず同情する。

 そしてその戦利品はいまおれのもっているこの景品袋にたんまり入っているというわけだ。

「それよりその袋重たくないですか?」

「重たいよ」

「な、なら私が持ちます、私の荷物ですし!」

「馬鹿。おまえがこんな大きなのもったら前が見えないだろう」

 おれが抱えてもパンパンに膨らんだ大きな厚手のビニール袋は邪魔なのに。

 こんなちっこいやつが両手で抱えたら、それこそ視界をふさいでしまう。

「うう、すみません……」

「はあ……。楽しかったか?」

「え?」

「楽しかったのかって聞いたんだ」

 おれはため息交じりに二度問うと、石原は笑顔を見せながら本当に嬉しそうにうなづいてきた。

「た……楽しかったです!」

「あ、そう。そりゃよかった」

 そんな石原のまっすぐな笑顔になにか表情を返すのが癪で、仏頂面でそう言った。

 エスカレーターで二階に降り立ったおれたちはフロアに入っていく。

「な、なんか一階と違ってここは暗いですね……」

 たしかに石原が言うとおり二階はフロア全体が赤黒い絨毯と黒い壁で囲われていて、キラキラとした照明がある割には暗かった。

「ここにはなにがあるんですか?」

「音ゲーとか、ちょっとレトロな筐体ゲーム……そうだな、カーレースだったり拳銃でモンスターを撃つようなゲームがあるぞ」

「わあ、音ゲーは私知ってますよ!」

「やるか?」

「い、いえ……やり方がわからないのでいいです……それにほかの人もいますし……」

 石原はもじもじと尻すぼみな言い方で、ごにょごにょと遠慮する。

 興味はあるが、人の目があるのが不安なのだろう。たしかに一階に比べて、二階はこの時間でもそれなりの人がいた。

 周りに見られながらはじめての音ゲーというのも緊張してしまうのかもしれない。

「だったら、ガンシューティングやるか」

「ガンシューティング?」

「拳銃の玩具でモンスター撃つやつ」

 おれは奥にある筐体を指さして、誘った。

「い、いえ……」

「あれならふたりプレイもできるし……」

「ふ、ふたりプレイ!? センパイといっしょにできるんですか!」

「え、なに? やめて、それ以上近づかないで……」

 石原が急に眼の色を変えて、息が当たりそうな距離に近よってくるので、これ以上近づかないように両手で押しとどめた。


「センパイ! お先失礼しますね……!」

「おま……ドリフトなんてテク教えてねーぞ!?」

 隣の筐体から楽しそうな声が聞こえてくる。

 石原はおれの車体のわずかな隙間をドリフトで攻めて、一瞬で抜いていった。

 結局レースが終わってみればおれは凡庸なタイムに対し、石原ははじめてのコースでレコードをたたき出していた。

「くっ……おまえ、絶対はじめてじゃないだろう?」

「え、え? そんなことありませんよ。きっとセンパイの教え方が上手なんですよ!」

 レースゲームでもおれは石原に勝てなかった。レースゲームだけじゃない。

 石原はおれがゲームのひととおりの操作方法を説明するだけで、ありとあらゆるゲームで高得点を出して、おれを圧倒していた。

「ゲームセンターって楽しいですね!」

「そりゃそんだけ点数出せたら楽しいだろう……」

 三階の格ゲーコーナーに連れて行こうと思っていたけど、やめておこう。おれがボコボコにされる未来しか見えない。

「さて、そろそろ出るか」

「あ……もうおしまいですか?」

「そろそろ昼だから」

 スマホを取り出して、時刻を見せる。

「わっ、もうそんなにたってたんですか!? 時間がすぎるのが早い……」

「楽しんでたもんな。よし昼、食べに行こう。ちょっと体動かして小腹も空いたし」

「はい」

 筐体の横に置いていた景品袋を再び抱えて、下りエスカレーターに乗る。

「さて、昼なにか食べたいものとかあるか?」

「せ、センパイ、それなんですけど……!」

 後ろにそう聞きつつ、正面を見ていた。店内入り口の自動ドア付近を。

 自動ドアが開き、想像もしてない人物が入ってきたことに驚いた。いや想定くらいはしておくべきだった。

「いっ――!?」

 おれは慌てて景品袋で顔を隠した。

「どうしたんですか、センパイ?」

 覗き込むようにエレベータ上から呑気な顔でたずねてくる石原。

(ばっ……! しぃ~~~っ!)

 しかしこっちは必死だ。景品袋の陰で石原にだけわかるように人差し指を口元に当ててジェスチャーした。

 そっと景品袋の陰から片目だけ出して入り口を覗く。

「…………」

 そこにいたのはセキカンだった。

 やつはいつものようにのほほんを笑顔を浮かべながら、昇りのエスカレーターに乗ってきた。

 おいおいおい……。まずい。マズすぎる。

(女といるところなんか見られたら、なんて言われるかわからねえ!)

 そりゃそうだ。このゲーセンのなじみなのはおれだけじゃない。セキカンもしょっちゅう来てるんだから、こうなることは本当に想定しておくべきだった。

 おれは仕方なく引き続き景品袋でなんとか顔だけ隠した。

(なにやってるんですか、センパイ?)

(いいから静かにしてくれ……!)

 下り昇りのエスカレーターでセキカンとすれ違う。

「…………♪」

 ふう。どうやら馬鹿みたいに鼻歌歌っておれたちのことには気づいていないようだ。

(よかった、セキカンが馬鹿で……)

 ほっとするおれは思わぬ裏切りにあって、後ろからブスりと刺された。

「せ、センパイ、お昼なんですけど……!」

 突然石原が大声で話しかけてくる。

 そうだ、結局石原にはなにも伝わっていなかったのだ。こちらの切羽詰まった状況が。

「おまっ……!」

「……?」

 い・し・は・ら~~~!

 セキカンがエスカレーターの上からおれたちのほうを振り返ったのが気配でわかった。おれはそれでもできるだけ顔を正面に向けて、関係ないフリをしていたのだが。

「あれ? 旬……?」

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい……!

「おい、旬だよな。なにやってんだよ……後ろの子、誰だ?」

 いったん二階まで行ってエスカレーターを降りたセキカンが、慌ててエスカレーターの下りに乗り換えてくる。

「あの、センパイ……あの人呼んでますけど?」

 石原、おまえも余計なことは言わなくていい。

 顔は見られていないのだからこのまま逃げてしまおう。

「くっ。行くぞ、石原!」

「おい旬、待てよ!」

 おれはエスカレーターを下りて出口から出ていこうとして、一瞬躊躇する。

 駄目だこのまま逃げてもきっとセキカンはおれたちのあとを追ってくる。

 ならここは――。

「石原、こっちだ!」

「あ……ええ!?」

 ゲーセンの入り口から引き返して、クレーンゲームコーナーをとおり、一階の奥へと急いで向かった。

 そうだ。普段ならおれたち男が入れない場所。だけど、女連れなら入れるゲーセンの一角。

 プリクラコーナーだ。

 おれは適当に選んだプリクラの筐体のカーテンの中に入って、石原も急いで中に入れる。

「あれ~? 旬だと思ったんだけどな……でもさすがにあいつが女連れでこんなとこ来るわけないしなあ。おれの勘違いかな?」

 カーテンの隙間から外を覗く。

 セキカンは首をひねりながら、いまだにプリクラコーナーをうろちょろとしていた。

 いいから、はよ出ていけ。ここは男子禁制の魔の領域だぞ。

「あ、あのあの……センパイ……!」

「ん、なんだよ」

 隣の石原がガクガクと震えながら、口をわなわなとさせていた。

 そして相手と思ってたよりも、距離が近かったことに戸惑う。普段はプリクラなんて撮ろうとも思わないから、入らないが、案外ブース内は狭かった。

「こ、ここってプリクラコーナーですよね……? 知ってますよ、と、撮るんですか?」

「はあ? 違う、これはセキカンから……知り合いから逃げるために仕方なくだな……そんなことよりちょっと離れてくれ」

「む、無理です……これが限界です……!」

 石原はなんとか距離を取るように離れるが、拳ひとつ分くらいしか距離が取れない。

 本来なら女と同じ空間の空気も吸いたくないというのに。体温を感じるほど近い距離に女がいる。女の荒い鼻息が聞こえ、なんだか例の制汗剤の匂いがブースの中に満ちてくる。

 なんだかむしょーにこの場から逃げ出したい。とても不愉快だ。

 それにこちらのドキドキも相手に聞こえてしまわないか心配で、すこぶる居心地が悪い。

(絶対許さんからな、セキカン……!)

 いまだに立ち去ることのないセキカンに恨みの念を募らせる。

 そんなとき石原が遠慮がちにしゃべりかけてきた。

「センパイ……このままじっとしてても怪しまれるだけなんじゃ?」

「そんなこと言われてもどうすりゃいい」

「普通のお客さんみたいにすれば、誤魔化せませんか?」

「…………」

 つまりプリクラを撮れってことか。

 おれはもう一度外の様子をうかがう。

「旬~、旬や~、どこ行った~?」

(やめろ。恥ずかしい!)

 やはりセキカンが立ち去る気配はない。それどころかおれの名前を呼んでうるさいことこのうえない。

「仕方ない。一枚だけな、一枚だけ」

「…………!」

 言うが早いか、石原はすでに取り出していたサイフからあっという間に取り出した五百円玉を投入した。

「はやっ!?」

「せ、センパイ……フレームを選べるみたいです。どのフレームがいいです?」

「そんなのどれでもいいよ……」

 外のセキカンが気になって仕方ないおれはすべてのオプションを石原に任せて、カーテンの隙間から外を覗き、ひたすらこっちに来ないようにと祈っていた。

「センパイ、センパイ! もうちょっとしゃがんでください。カメラから顔がはみ出してます!」

「ちっ……面倒だな。こうか?」

 身長差の問題で、おれがしゃがまないと石原と同じ画角に写らないらしい。正直おれは胸部でも写してくれたらいいんだが、顔認識があるらしくそうもいかなかった。

 おれは仕方なくしゃがんで、石原の頭と同じ位置に顔をよせる。

「せ、センパイ、近すぎますって!?」

「そ、そんなこと言われても……仕方ないだろ、こうしないと顔写らないんだから……」

 おれだって女の顔が隣にあるなんて、さらし首と記念写真撮るような気分だ。

 そんなさらし首はやけに血色がよくて、耳まで真っ赤になっている。鼻息どころか、頬っぺたから生ぬるい体温が伝わってくるようで、やけに緊張してしまう。

「うっ……ちょ、うっ……」

 それにさっきからこいつの癖っ毛が頬に当たってくすぐったい。

「ご、ごめんなさいぃ……」

 石原もそれを自覚しているのか、髪の毛を必死で手櫛でなおそうとするが、頑固な癖っ毛はまたぺろんとおれの頬をひっかく。

 ふたりしてお互いの距離が近いことにドキマギしているうちにカウントダウンがはじまった。

『5……4……』

「ちょ、待って待って……髪の毛が!」

「いやもう時間が……くっ」

『2……1……はい、チーズ!』

 パシャリ。

「あうう、変な顔じゃなかったかなあ?」

 石原ずっと髪の毛を気にしていたし、おれはその癖っ毛のせいで厳めしい顔になっていた気がする。

『プリントできたよ! プリントの取り忘れに注意して、またきてね☆ バイバイ!』

 少しして、写真がプリントアウトされた。

 それを恐る恐る手に取って、石原は無言で見つめていた。

「どうした……やっぱりおれ変な顔だったか?」

「…………」

 石原はずっと黙ったまま、じっとその写真ひとつひとつがシールになったプリントを見つめていた。

「石原?」

 しばらく写真を見つめていた石原の左目の目尻から、つーっと一筋きれいな涙がこぼれた。

「お、おい! 石原!?」

「あ、あっ……違うんです、ほこりが目に入っちゃって! よかった、ちゃんと取れてます……ほら!」

 そう言いつつ、石原は目をごしごしとこすって笑顔でその写真をおれに見せてくる。

 16分割されたシールのひとつにはやはりガチガチに緊張した女と、やたら目つきの悪い男が並んで写っていた。

「あの、半分こしますね……」石原が備え付けのハサミで半分に切ろうとする。

「いや、おれはいいからおまえがもっとけ」

「でも……」

「おまえが全額払ったんだから、もっとけって」

 石原はまだおれになにか言って渡してこようとしたが、さっさとさきにブースを出た。

 外にはすでにセキカンはいなくなっていた。

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