女嫌いの、苦い思い出
おれが女嫌いになったきっかけ?
もちろんある。
でもこれは誰にも話してない話だ。セキカン……仲のいい友だちにだって話してない。
だって、話したところでだれにも理解されない話だ。
そんな話を語ってなんの意味がある。無意味だろ。
それでも聞きたい?
変なやつだな。
仕方ない。そんなに他人のプライベートに踏み込みたいっていうなら、代わりにおまえの貴重な時間を無駄にしてやる。覚悟しろ?
「あれは――小学五年生のときだ」
「小五…………?」
おれがとつとつと話す脈絡のない話を、アキラは静かに聞いてくれた。
「おれにはとある男友だちがいたんだ。いまでも唯一、親友と呼べる友だちだな……忘れもしない。伊馬部春樹」
「いまべ……はるき、さん」
「そう、はるきだ。おれと春樹はなんていうか……そうだな。唐突だが、小学生男子には二種類いる」
「……?」
「女なんて好きじゃないと自分に嘘ついて、格好つけたがるやつ。それから……そういうやつを後目に堂々と女が好きだと公言して、先に大人への階段に足をかけるやつ。おれと春樹はあきらかに後者だった」
「えっ……?」
「いま思えばおれたちは、ずいぶんませたガキだったと思う……小学生で女が好きだ嫌いだ、告白だの……」
アキラは驚いているようだった。そりゃそうだろう。
いまのおれから考えれば、まったくイメージできないような姿だ。
「それで……ともかく、春樹はクラスの女に告白しようとしてた……おれにだけ教えてくれたんだ」
「友だちだったから?」
「そうだ。たぶんな……おれはクラスの女に興味はもっていたが、告白なんてする勇気はなかった。だから、そのときのおれには春樹が輝いて見えた。だって、考えてみてくれ? 春樹の女への告白が成功しても失敗してもクラスの男子にいじられるのは確実なんだぞ?」
さっきも言ったように、小学生男子ってのは二種類いる。
「女なんてって、格好つけたがるやつ。色恋沙汰にいち早く目覚めて大人への階段をのぼりはじめるやつがいて……春樹のようなさらにその先のステップに進もうとするやつは、両者から激しい非難を浴びたのはわかるよな……」
前者は内心本当は女のことが気になっているという反動形成として、後者はただの嫉妬という形で。
「それはともかく。春樹の作戦はこうだった。まず手紙で告白相手を校舎裏に呼び出して、そこで想いを伝える。前半の手紙部分は成功だった。相手はどうやら返事をしたらしい。おれたちは興奮した。とくにおれは一番身近な親友の恋が実るように、全力応援したんだ……応援してたんだ。それくらい親友として秘密を打ち明けてくれたことが嬉しかった」
「そ、それで……?」
アキラがゆっくりと息を飲むのがわかった。
「翌日の放課後。春樹に許可を取って、おれは校舎の陰に隠れて告白の様子を見届けることにした……正直、告白する本人よりもドキドキしていたんじゃないかと思う。おれたちは興奮しすぎて、早く目的の場所についてしまったのか、いまかいまかと約束の時間を待った……しかし相手は約束の時間を過ぎてもやってこなかった」
「え……来なかったんですか?」
「……てっきりすっぽかされたんじゃないかと思った。おれは無言で校舎の陰から出ていこうとした。はじめての告白がこんな形に終わって、残念だったなと春樹を慰めようと思ったんだ……けどさ」
おれは少し言いよどんだ。ここからは思い出したくもないつらいことが続くから。
それを敏感に読み取ったのか、アキラもまた息を飲むのが分かった。
「けど……春樹の告白相手がやっと現れた」
「あ、告白相手は現れたんすね……」
「おれが離れた校舎裏から聞いた声は……三人だった」
「え…………」
「あきらかに告白相手じゃない女の声が聞こえてきた。思わずおれは校舎から顔を出して覗きこむと、春樹の前には三人の女が居た。おれは戸惑ったよ。春樹が手紙で呼び出したのはひとりだけだったはずだから……その理由はすぐにわかった。春樹に呼び出されたクラスの女は、友だちを連れてきたんだ」
「なんで……」
「怖かったんだとよ」
「あ……」
「まあ、そうだよな。急に男子に校舎裏にひとりで来いって言われたら、怖いよな。だから相手の女は友だちを呼んできて挟まれる格好で泣いてたんだ……でもそのとき一番泣きたかったのは春樹だったと思うぜ……」
「ひどい……」
「ひどいよな。春樹はただ好きだって伝えたかっただけなのに……それからはリンチだった。女は手さえ出さなかったけど、春樹を罵って人格攻撃にはじまり、この場で謝れだの……おれは……おれは、それで……!」
そのときの記憶が鮮明によみがえって、ただの思い出話だっていうのに手が白くなるほど強く握りこんでいた。
「そのとき感じたのは純粋な怒りだった。おれは正直わけもわからず、校舎の陰から飛び出した。相手の女三人も、春樹も驚いてたのを覚えてる……いま思えばあそこでおれが出ていかなきゃ、あそこまで話はこじれてなかったんだ……でも、おれは大事な親友を馬鹿にされて、我慢ができなかった」
そもそも約束どおり、ひとりできたらよかったじゃないか。
怖かったら怖かったらでいい。だったらここに来なかったらよかったじゃないか。
どうして、ほかの女といっしょに三人で来たんだ。春樹ひとりに、三人でよってたかってイジメるなんてって卑怯だろ。
「おれはそんなドロドロに溶けた怒りで胸がいっぱいになって、女ども三人を指さして怒鳴った……自分でも内容は覚えてないけど、まあ……女どもと大差ないことを言った気が、する……たぶん、ひどいを言ったんだ、おれは」
「お兄さん……」
「そんで……そこから春樹の告白相手の女がわんわん泣き始めてよ……そんで……」もう終わったことなのに、おれは少し言葉に詰まった。「はるきのことを……嫌いだって、大嫌いだって……言ったんだ」
そのときの春樹の表情といったらなくて。
春樹の顔には怒りも悲しみもなく、ただ悔しくて仕方ないという顔で、じっと地面を見つめていた。
「その表情がトゲになっていまもおれの胸に残っているんだ……」
「それが……お兄さんのトラウマなんですか……?」
「いいや」
「…………」
一言で否定したおれにまだなにかあるのかと驚いたようなアキラ。
「まだこれは始まり、みたいなもんで……翌日以降、春樹は学校に来なかったんだ。まあ昨日あんなことがあったんだ、仕方ないだろ? でも……噂はすぐにクラスはもちろん、同学年、そして学校中を駆け巡った」
「あ……そういえば……」
「どうした?」
「い、いえ……なんでもないです。続きを……!」
「あ、ああ。んで、あの告白から一週間くらいたったころ……朝のHRでさ……聞かされたんだよ、おれは……おれは……くそっ!」
いま思い出しても悔しさに奥歯を砕きそうになる。
「なにを聞いたんですか……?」
「先生に……言われたんだ……」
おれは急速に乾いた喉で、絞り出すように言った。
『伊馬部春樹君が……転校することになりました』
「……っっ!?」
「それ以上先生の話は耳に入ってこなかった。春樹が、あの春樹が、おれになにも言わずに……なんて、そんな……。そこでふと目に入ったあの女の……春樹を振ったあの女の表情が目に入ってきて……おれはもう頭がぐちゃぐちゃになって……」
もう思い出すだけで駄目だ。吐きそうになる。
「あ、あいつ……教室の隅で胸に手をあて、ほっとしてたんだよ……! そ、その表情が……おれ、許せなくて……許せなくて! なに……なにほっとしてるんだよ! おまえだ。おまえのせいだ……春樹が転校したのは……!」
おまえのせいだ。おまえのせいで、春樹は転校しなくちゃいけなくなったんだぞ。
おまえが春樹を辱めたんだ。おまえが春樹を転校しなくちゃいけない立場にしたんだ。許せない、許さない、許すもんか。
絶対、許さない……! おまえら女なんて!
「すまん……取り乱した。でも思い出すとどうしてもな……だからあんまり思い出したくなかったんだよ」
「ごめんなさい、こっちもそんなつらい思い出を聞いてしまって……」
「いいや。なんかだれかに話したら少し楽になった。一応こっから続きもあってな…………」
おれはそこから少し続きを話した。
◇ ◇ ◇
「おい、ブス。近寄んな……バイ菌がうつるだろ!」
「うっ……うう、津島くんがバイ菌って! うえぇ~~~ん!」
小学六年に上がったころ。おれは隣の席の女が嫌いだった。
いや、目に見える範囲にいる女。目に見えない範囲にいる女。年下も、年上も女は嫌いだった。
嫌いで嫌いで仕方なくて、心底恨んでいた。
だからヒドイ言葉でののしってもいいと思っていた。むしろそれが当然で自然なことだと信じていた。おれにはその権利があるし、女にはそしりを受けるだけの咎があると思っていた。
女が素知らぬ顔でおれの側で生きているだけで、鬱陶しくて仕方なかった。
許せなかったんだ。
「ひどいよ、津島くん!」
「そうよ、そうよ! 津島くん、謝りなさいよ!」
そうやって近くの女をののしっていると、どこからともなくクラスの女どもが集まってきて、おれの暴言を追及してくる。
「なによ、その目……! に、にらんだって怖くないんだからね!」
「もう、いいよ……うっ、うっ……私が気にしなければいいだけだから……」
「ミカちゃんは悪くないよ。悪いのは全部、この津島なんだから!」
どうしておれが怒られるんだ。どうしておれに罪をかぶせてくる。
おれは言い知れぬの怒りを胸に、黙って女どもをにらんでいた。
「ふん!」
「どこ行くのよ! 逃げるの、卑怯者!」
言ってろ。
「おい、ドッジしに行こうぜ!」
「お、おう……」
おれは近くの席の男子たちを誘って校庭に向かった。
「ちょっと、アンタたち男子も同罪だからね! 泣かした分謝りなさいよ!」
後ろで女どもがなにか叫んでるが、知ったこっちゃない。
「なあ、津島、謝ったほうがいいんじゃないか……?」
「はあ? なんで、おれが! 女なんて無視だ、無視! ……そんなことより隣のクラスの男子も誘おうぜ?」
「あ、ああ……!」
おれには男の友だちさえいればそれでいい。
中学に上がったら、絶対に男子校に通う。おれはそう心に決めていた。ただ、その願いはおれの住んでる地域に男子校がなかったことで断念せざるを得なくなる。
そんなふうにおれが女を邪険に扱っていると、ある日変化が起きた。
「なあ、今日もドッジやろうぜ?」
「……! あ、津島悪い、おれべつのクラスのやつと約束してんだ!」
「え、あ……おい! ほかのやつは……」
だれもいなかった。
おれの誘いに乗る男子はだれもいなかった。
クラスの中にも、外にも。
「…………」
「おい! なんで視線をそらすんだよ!?」
「…………」
それどころか、だれもおれと視線を合わせようとはしない。
まるでなにかに怯えるように。
「な、なんだよ、どうなってんだよ……あっ!」
すぐに理解した。
「おい、女ども! なにをした!」
クラスの女どもをにらんで回った。
ほとんどの女は恐怖からか、おれと視線を合わせようとはしなかった。けれど、何人かの女グループはおれの視線を正面から受け止めて、にらみ返してきた。
やつらは教室の隅で集まって、クラスの男子から無視されるおれを笑っていた。
グループのリーダーらしき女が一歩前に出て素知らぬフリで言った。
「はあ? 勘違いはやめてよ……私たちはなにもしてないし」
「そんなわけあるか! 絶対お前たちだ!」
「なにか証拠があるわけ?」
一触即発だった。
女グループとおれは、お互いにらみ合い、教室の中心を挟んでバチバチと電撃を飛ばしていた。
おれたちの煮えたぎるような確執とは裏腹に、クラスはしんと静まり返り、外野のクラスメイトたちは固唾をのんでその様子を見ていた。
「おまえたちが『女』ってだけで理由は十分だ!」
「なによ、それ……女性差別じゃない!」
「そうよそうよ!」
「まったく、どうかしてんじゃないの?」
「アンタ、頭どうかしてるわ!」
女どもは俺の一言に矢継ぎ早に、全員で反論してくる。
おれ、ひとりに対してだ。
「差別されるだけの『理由』があるだろ、おまえらには!」
自分で言ったその一言に、おれはキレた。
自分の一言でいままで溜まっていた女へのうっ憤が爆発して、気がつくと女どもに飛びかかっていた。
「ちょ、きゃあああ……!? なにすんの……せ、先生呼んで……!」
「ああ……!」
女の悲鳴を聞いて、クラスの男子がひとり教室を出ていった。
完全に頭にきていたおれは、そんなことには気づかなかった。
「くそ、くそ……くそ、おまえたちさえいなけりゃ……!」
嗚咽混じりに呪詛の言葉をつぶやいて、暴れた。
その日の放課後、学級会が開かれた。最後に親まで呼ばれて女どもに謝罪させられた。
母親に無理やり頭を押さえつけられたが、涙をこらえておれは無言を貫き通した。
そのときは自分が悪いなんて思えなかった。悪いのは女どもで、どうして自分がこんなに母親を泣かして、謝らされてるのかわからなかった。
母親には胸を締めつけられるような表情で女の傷は一生モノなんだからとか、きつく説教された記憶がある。
幸いというか、なんというか。そのとき相手の女どもに痕に残るような傷はなかった。かすり傷とかそんなところ済んだのは、いま思えば奇跡に近かった。
でもガキのおれはそんなことがあったのに態度を改めなかった。
結果、学校で孤立した。
仲が良かった友だちですら、おれとは挨拶しなかった。
あんなことがあったので、教師もどこからおれを腫れもののように扱っていた。
女どもは言わずもがな、だ。
おれが不登校になるまでそれほどの月日は必要じゃなかった。
「くそ……くそ……!」
おれは家のベッドの中でひとり涙して、頭の中に何度も女どもの言葉がリフレインしていた。
『まったく、どうかしてんじゃないの?』
『アンタ、頭どうかしてるわ!』
女どもに人格を疑われ、教師はおれを問題児扱いしたし、仲が良かった男子にすら挨拶されなくなっていた。
「いや、だ……無視されたくない……ううぅっ……!」
おれは悪くないのに。女どもなんていなくなりゃいいのに。
「どうして……どうして……」
ある日、タブレットで電子書籍を眺めていた。
引きこもって、勉強もしないならそれで本でも読んでなさいと、母親から渡されたものだった。
まあ引きこもって一日中、なにも言わずに布団に突っ伏してる息子を心配してのことだろう。
おれはいまでもこのことにとても感謝している。
なぜなら、あの運命の本に出会うことになったのだから。
「なんだ、これ……」
マンガを読むのにも飽きてきたので、ほかのジャンルを興味もなくぱらぱらと見ていたときだった。
サブカルチャーの雑多な書籍の中に、そいつを見つけた。
『男の心理術! ナンパ100選! これで女の心も丸裸!』
「ぷっ。なんだよ、これ……」
運命の一冊だった。
決して高くなかったので、遊び半分で購入ボタンを押した。
「ふん……ふんふん……!」
おれはその日から、夢中でその本を熟読した。
本にはナンパ術なんて書かれていたが、内容は女の生態そのものだった。
なぜ女は群れるのか。なぜ女はあんな無茶苦茶な内容の話を、あんなにも延々とできるのか。なぜ女は感情的で、涙もろく、自分を正当化するためなら手段を選ばないのか。
そういったことがこれでもかと、すべて網羅されていた。
「そうか……そういうことだったのか……」
おれの不登校引きこもり生活はその日から劇的に変わった。
「あら? 旬、こんな時間からどこ行くのよ……もうすぐ晩ご飯よ?」
「ランニング」
「……?」
おれは母親に言葉少なにそう言って、運動靴に履き替えて夜の住宅街に飛び出ていった。
まずは運動。元々得意でもなかった運動だが、引きこもってなまっていた体に急なマラソンはこたえた。
「はあっ……はぁっ……はああっ!」
だが動かなかった分、久しぶりに体を動かしたことでもやもやした気分がいくらか晴れた気がした。
「旬、入るわよ……あらっ?」
母さんが、おれの部屋に入ってきた。
「旬、あんたこんな朝早くから起きて……って、勉強してるの!?」
勉強机に広げた参考書の量に母さんは驚いた声を出す。
でもおれは後ろを振り返らずに、参考書にかぶりついていた。
「うん……掃除ありがと。でもあんまりうるさくしないでね……」
「はあ……あんた、どうしちゃったの?」
母さんはそんなふうにしばらくの間、別人のようになったおれを心配していたが、一か月もたつころにそれが普通になっていた。
セミがうるさくなって、家の外で同級生が元気に遊ぶ声が聞こえる季節も。
窓から見える木々が紅葉し、落ち葉が降り積もる季節も。
外では焼き芋売りや灯油を売る車の声が聞こえて、ときたま雪が降る季節も。
おれは朝から夕方にかけて勉強し――。
「ランニング行ってくる」
「はーい。車には気をつけなさいよ」
「わかってる」
夜はランニングを欠かさなかった。
「旬、本当に受験しなくてよかったの? いや、母さんはあんたが学校行ってくれるなら、べつにどこでもいいんだけど……」
「なにが言いたいのさ、母さん」
おれは制服を着て、玄関で靴を履きながら問いかけた。
「いや、あんた学校に通わなくなってから頑張ってたから、いい中学行きたいのかと……ほら、いろいろあったから……」
「違うよ、母さん……」
おれは靴を履いて、立ち上がって母さんのほうを見た。
「おれは女どもから、人格を疑われたくないだけだから!」
結果、おれの不登校からの、中学校復帰はスムーズにだった。
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