女嫌いと、きっかけ

 そこから週末まではあっという間だった。

 学校はいつもどおり何事もなく過ぎていった。

「あ……せ、センパイこんにちは……」

「ああ、こんにちは」

 ときどき石原と廊下ですれ違うことはあったが、ほかの女と同じく挨拶をされればそれを返すくらいだった。

 さすがに相手が挨拶してきているのに、堂々と無視するわけにもいかない。それに挨拶を返せば呼び止められることもなく、無駄話をしてくるでもない。べつにつきまとわれるわけでもないし、ことさら気にすることでもないだろう。

 おれはできるだけ学校では女を目に入れないように静かに過ごした。

 一方、帰宅後いつものルーティンをこなしてアキラと会って話すのが最近の毎日の楽しみだった。

 同じ男子とはいえ、歳も学校も違う男友だちと話すというのは楽しかった。

 お互い学校であったことなどを話して、おれの好きな食べ物が卵料理全般だということや、アキラが本好きなことなどいろいろな話をした。

 そしてそうやって楽しく話していると、ときどきアキラが急にふさぎ込んだように黙りこくってしまうことが増えていった。

「…………」

「どうしたつまんないか? それとも気分でも悪いのか、アキラ?」

「い、いえ……お兄さんと話すのは楽しいんすけど……」

「……?」

 アキラは言いよどみながら、何度か口を開こうと戸惑うような雰囲気があった。なにかを躊躇して、でも勇気が出ないといったふうな。

「やっぱり、なんでもないっす! それよりお兄さんのおすすめの本教えてくださいっす!」

「ああ……」

 結局アキラはなにかを濁すように、関係なさそうな話題で話を流してしまうのだった。、

 なにかある。そう思うけれど、それ以上おれからアキラの胸中を聞き出すことはできなかった。

 そんな夜を楽しんでいたら土曜日になってしまった。




「よっ、アキラ」

 土曜日なので学校は休みだったが、特に外に出る予定もなく家でだらだらとしていた。

 夜になるとそそくさと家を出て、公園にやってきた。

「あ、お兄さん!」

 すると予想どおりそこにはアキラがいた。今日もベンチでおれが来るまで、文庫本を読んでいたようだ。文庫本からフードをあげて、おれのほうを見つめてくる。

 まあいまだにフードの中にある目を見たことはないけれど。

「今日も来たのか……」

「当たり前っすよ。そういう、お兄さんもきっちりやってきたじゃないっすか」

「そうだな」笑みを浮かべながら、おれはアキラの隣に座った。

「お兄さん、今日は休みだったんすか?」

「ああ、進学校ってわけでもないからな三鷹高校は。そっちも休みだろ?」

「はい」

「今日はなにやってたんだ?」

「朝から本読んでたっす」

「本当に本が好きなんだな」

 そんな当たり障りない話から入って、いつものように他愛ない会話を繰り返す。おれはそれだけで楽しい。

「ああ、そうなんすね……へえ…………」

 けれどしばらく話していると、飽きてきたのかアキラはまた口数が少なくなっていった。

 それとも手に持ってる本を読みたくなったのかな。もともとこの公園に来ている理由も、静かなところで本を読みたいってことだったし。あんまり邪魔しちゃ悪いよな。

 そうなると、仕方なくおれはスマホで動画を見たり、ネットを見たりして時間をつぶした。

 ただ正直、おれとしてはアキラと過ごすこの無言の時間も嫌いじゃなかった。顔見知りと同じ空間で同じ時間を共有しているのがなんとなく心地よかった。

「…………」

 アキラはどう思っているのかな。

 いまは本に集中しているようで、その表情を隠しているフードはかすかに揺れている。たぶんおれを気にしているんだろう。ひょっとしたらこの状況に、無言の圧力を感じて、萎縮しているのかもしれない。それで余計無言になっているのかもしれない。

 年上としてはここでできることは……。

 そう思って、またいつもの当たり障りない話題を振った。

「なんか勉強で困ってることあるか?」

「んー、ないすね」

「友だち関係とかは? いじめられてないか……?」

「別に。大丈夫す……心配してくれて、ありがとっす」

「ああ、うん……」

 駄目だー、これ!

 ここ数日で気づいたんだがおれ、案外コミュ障かもしれん。

 しかもこちらが気をつかうどころか、逆に気をつかわれている。

 自分の話題カードの少なさに絶望しながら、次なる話題を振ろうとしたところアキラから口を開いてきた。

「逆に聞きたいんすけど……ひとつ質問いいすか?」

「なんだ? なんでもいいぞ……」

「お兄さんは、悩みとかないんすか?」

「は……おれ?」

「そうす。僕の心配してくれんのは、なんつーか嬉しいすけど……お兄さんはなんか悩みとかないのかなって」アキラ少年の表情はあいかわらずフードでわからず、ずっと手元の本だけを眺めながらたずねてきた。

 悩みか。

「ああー……」

 少し考えたあとおれは答えた。

「いや、べつにない――」

「女の悩みとか……」

「――――!?」

 お互い向き合って、しまったと思ってすぐにお互い視線をそらす。

「ごめんなさいっす。いまのは忘れて……くれっす」

「あ、ああ……」

 そういやアキラにはおれが『女嫌い』だってバレてるんだよな。

(アキラは学校の友だちと女のことを平気で語れるのかな……)

 隣の静かに読書する少年を見て、正直ぞっとした。

 でも、そういう年頃といえばそういう年頃なのだろうか。

 おれは改めて考えてみる。

 たしかにおれがアキラぐらいの歳のころ、周りは女のことばかり話題にしていた。おれは周囲から浮くのが嫌で、女嫌いだなんて人格を疑われたくなくて、そういった話題には上辺だけ乗っかっていた。

 あたかも、おれも女が好きであるかのように。

 反吐が出る。

 なにが「おれも彼女が欲しい」だ。笑顔でなに常識人のふりをしているんだ。

 女が怖くて仕方ないくせに。近くに女がよるだけで冷汗をかくくせに。

 おれは嘘を吐くたび、自己嫌悪に陥っていた。

 だからそういったことを話すと、いつも途中で気分が悪くなって、理由をつけてそんな話題から離れていた。

 でもそれは世間一般から見ると、おれのほうが特殊なだけだ。おれがどんなに避けても、目をそむけても、この世界には男が居て、女がいる。それは否定できない事実だ。

 ひょっとしたら、アキラだって当たり前のように女に興味をもっているのかもしれない。

 いや、きっとそうだろう。

「…………」

 一瞬、嫌な思い出がフラッシュバックした。

 胸の奥深く突き刺さったトゲのせいで、ありもしない疼痛を感じた。

「お兄さん」

「なんだ」

「お兄さんって女の人が嫌いなんすよね?」

「ああ……」

「べつに、責めてるとかじゃないす……ただ、女嫌いになった、理由が聞きたいなって」

 少年はおれを見あげて、見つめてきた。フードの中から瞳だけが真摯にこちらを見つめているのがわかった。おれはそのまっすぐな眼光に耐えられずに思わず言った。

「この前、聞いたら僕が思っているような理由と違って。それで気になって……」

「アキラが思っている理由?」

 それってなんだろう。おれは逆にそこに興味があるけど。

 ともかくおれが女嫌いになった理由に関しては、他人に語るようなことでもない。

「まあ、たいしたことじゃない。ホントしょうもない理由だ……だからわざわざ……」

「さっき質問してもいいかって聞いたら、お兄さんなんでもって言いましたよね?」

「そ、それは……」

 たしかに言った。

 たしかに言ったが、いまここで言えっていうのか。

 おれの昔の汚点を。どうしようもない恥部を。情けない屈辱を。

 いまここで言えっていうのか、アキラ。

「どうしても……聞きたい?」

「はい。お兄さんがどうして、女の子こと嫌いになったのか……聞きたいっす」

「どうして、か……」

 そうだな――。

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