女嫌いと、強制参加

「なあなあ?」

 チョンチョン――。

 いまは帰りのHR前。

 つい先ほど、六限を担当した現国の先生が教室を出ていき、担任がやってくるまでのほんのちょっとした隙間時間。

 もっともクラスがざわつく時間だ。

「なあなあなあ?」

 チョンチョンチョン――。

 六限みっちり詰め込まれた授業がやっと終わったという解放感と、このあとの放課後どうするかに思いを巡らせるお楽しみタイムである。

 後ろの席の友だちとどこに遊びに行くか相談する人間、部活の準備をする人間、それからなぜかトランプを取り出しゲームをはじめるグループまで目につく。HRが終わればトランプなんて、いくらでもやる時間があるっていうのに。

 どうせ担任が来るまで5分くらい。中途半端なゲームになるならHR後にしたらいいのに。

「なあなあなあなあなあなあなあな……」

「だああー、もううるっせえなあ!? なんだよ!」

 おれはさっきからしきりに背中を突いてくる、後ろの席のやつに振り返った。

「へへへ!」

 そこにいたのはせきつかさという男だった。クラスの連中からはセキカンという名で通っている。

 短髪でさわやかな笑みを浮かべて真っ白い歯をおれに見せている。

 認めたくないが、友人である。あくまで友人で、決して親友などではない。

「なんだよ、オレはオマエのこと親友だと思ってんだぞ?」

「他人の心を読むな!」

 この男、ときどき異様にするどいのである。

「それよりも昨日オマエどうしたんだよ?」

「どうしたってなにが?」

「午後の授業出てなかったじゃん? 早退したのか?」

「いや。保健室で寝てた」

「健康優良児のオマエが?」セキカンが疑いの視線でこちらを見てくる。「授業がかったるくてサボってたんじゃなくて?」

「おまえじゃないんだぞ」

「どういう意味だよ!? オレは保健室で寝るくらいなら教室で寝てるよ!」

「おれは、おまえじゃないんだぞ……」

「なんで二回言った! なあ、なんで!?」

「普通に病欠だ」

「風邪か?」

 セキカンは意外にも心配してくれているのか、真剣な表情でこちらを見つめてくる。

「いや……」

 一瞬本当のことを言おうかどうしようか迷った。

 こうやって、普段は馬鹿なことばっかり言ってるやつに、真剣な表情で見つめられると嘘つくのも良心が痛む。

 どうせセキカンにはバレていることなので正直に言った。

「女に触った……素手で」

「セクハラか?」

「真剣な表情のまま言うな」

 おれはセキカンの肩を軽く殴った。

「アイタ!」

「違うわい。間違えて触ったの」

「またかよ」

 またというのは、以前女に触れられて倒れ、セキカンに助けられたことがあるからだ。

 それがおれが女嫌いだとバレた理由なのだが、幸いなことにセキカンはこのことを他の誰にも言ってないようだ。

 馬鹿なやつだが、この世の誰よりも信用ができる男、それがセキカンである。

「にしても、全然治らないよな」

「なにが?」

「オマエの女性恐怖症……」

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~???」

 思わず立ち上がった。

「おれは女性恐怖症じゃないですぅ~! 女なんて怖くないんですけどぉ~~~????? 嫌いなだけなんですぅぅぅ~!」

「お、おおう……いいのか? 声が大きいぞ……」

 おれは慌てて周囲を見回す。

 どうやらクラスの連中は自分の話に夢中でおれたちの話を聞いている様子はなかった。

 ほっとしつつセキカンに顔をぐいと近づける。

「顔が近い、顔が近い……」

「だいたいだな! 二階東校舎の音楽室に行くときに、おれが手前の女更衣室前はとおらずにかならず一階に降りて多目的室前をとおって音楽室前の階段を二階にあがっていくのも覗きと間違われるのが嫌だからで、着替えてる女どもが決して怖いわけじゃないしぃ? 昼休み学食ダッシュせずに遅れていくのも、長蛇の列でもし長時間女にサンドイッチにされたらどうしようとかビビってないし! ただコッペパンが好きなだけだしぃぃ~?? それにプールの授業だって前の時間女が入ってないか確認して前日に塩素消毒してる日は入れますしぃぃぃ~~~!?」

 おれはセキカンに向かって小声でわめきながら、歌舞伎役者もたじろぐほどの見得を切った。

「いや必死になって語られても……てかオマエいつもそんなことしてたの?」

「お、おほん。そういうわけだからおれは女が怖いんじゃない。嫌いなだけだ」

「旬、だったらさ……」

「なんだよ」

「いっそのこと女子どもにオレは女嫌いなんですってバラしたら……」

 おれはセキカンの肩を思いっきり殴った。

「イダっ! なにすんだよ……ぐえっ!?」

 文句を言おうとするセキカンの肩にきつめに腕をまわして、ひそひそ話をする。

(馬鹿やろう……! そんなことできるか!)

(なんでだよ?)

(考えてもみろ、おれがどうしてスポーツも勉強もここまで頑張ってると思う?)

(女にモテたいから?)

(おまえは馬鹿か! 違う! 女どもに舐められないためだ! 女はヒエラルキーの動物だ! 自分たちの小さく矮小な世界で階級を作って、上に媚びへつらい下強気に出る生き物なんだよ! おれの心のバイブルである『男の心理術! ナンパ100選! これで女の心も丸裸!』にもそう書いてある!)

(なんだよ、その胡散臭い本は……)

(それはどうでもいいんだよ! もし……もしもだぞ? おれが女のことが怖いとバレたらどうなる?)

(やっぱり怖いんじゃないか)

(いいや、怖くない! だれが女性恐怖症の軟弱外交大臣だ、コラ!)

(誰もそこまでは言ってねえよ)

(うるさい。とにかく、もしそんなことが知れたら、いままで成績優秀、陸上部のエースである文武両道の津島旬の幻想は打ち砕かれ、女どもに愛想をつかされ……)

 それだけならいい。むしろ大歓迎だ。

 女どものいない世界。女どもを気にしないでいい世界。最高じゃあないか。

 だが現実はそう甘くはない。

(絶対に、女どもの視界に入るなり足蹴にされ、立っているのを見られたが最後パシりにされ、逆らえないことをいいことにサンドバッグにされてしまう! そんなふうに人格を疑われるのは嫌だ!)

(どっちかというと、オマエの言った内容を実行する女の人格を疑うけどな、オレは……)

 女は恐ろしい。容赦がない。ヒエラルキーが下の人間を人間とは思っていない。

 だからおれは極力女から舐められないように、だからといって必要以上に近寄られないように、ありとあらゆる手段を使って対策せねばならぬのだ。

 そのために勉強したり体を鍛えたりするのは当然のことなのだ。

「おれは……女に人格が疑われたくない!!」

「想像力豊かすぎんだろ」

 そこで一言切って、セキカンはおれの後ろを指さす。

「それよりも前見たほうがいいぞ……」

「へ?」

 慌てて教室の前を振り向くと、いつの間にか担任の館山たてやま女史が教壇に立ってこちらを見つめていた。

「…………」

 相当ご立腹なのか、額に青筋が立ってらっしゃる。

 あれ、そういえばあれだけ騒がしかった教室がいつの間にやら静かだぞ。

 すごすごと無言で前に向き直って着席した。

「はあ……津島くんが着席してくれたことでやっと先生、HRが開けます」

「すみませんでした」

 苦手な女教師の心象にマイナスイメージを植えつけてしまった自分の過ちを悔いつつ、静かにしていた。

 けれどそんなおれに館山女史は話しかけてくる。

「ところで津島くん、大丈夫?」

「はい?」

「あなた昨日倒れたでしょ?」

 うおお、それ以上言うな。なにも言うな。口を開くな、閉じるな。クラスの連中に原因はなんだったのか勘繰られるだろうが!

「ああ、それならもう大丈夫です。ただの貧血だったんで!」

 おれは口早に、満面の笑みで嘘をついた。

 たとえ担任といえど、女だ。おれが女嫌いであることがバレてはいけない。

 日本男児たるもの女に相対するときは、常に抜き身の刃であらねばらない。

 おれは常に真剣だ。

「そう、それなら大丈夫そうね……今日のボランティア活動」

「は?」

 おれの真剣は粉々に砕けた。思わず情けない顔で聞き返してしまった。

 寝耳に水とはこのことである。

「ボランティア活動ってナンデスカ?」

「ああ、そういえば言ってなかったかしら。昨日津島くん、倒れていたものね」

「ええ」

「あのあとHRで明日……つまりもう今日のことなんだけど、放課後、急遽学区内で清掃ボランティアをすることになったからみんなに伝えたのよ。各学年、各クラスでひとり候補者を選任しなくちゃいけないんだけど……」

 なんだか嫌な予感がするぞ。ものすごく嫌な予感だ。一か月放置した米びつを覗くときの予感だ。

「そこでみんなから信頼厚い津島くんが他薦されることになったのよ。ぱちぱちぱち、すごーい! 津島くんモテモテね!」

「はああああ~~~???」

 おれがNASAの素材開発者ならものすごく柔軟なトランポリンを開発して、あんたを乗せて成層圏まで打ち出す実験をしているぞ。よかったな館山女史、おれがNASA職員じゃなくて。

「つか、病人を他薦で選任しないでくださいよ、先生!?」

「でももう大丈夫なんでしょ?」

「いや体調が大丈夫とかそういう問題じゃ……」

「ごめん! もう決まっちゃったから……ね!?」

 ね、じゃねえ。片目を瞑るな、ウィンクのつもりか、歳を考えろ。両目に眼帯つけさせるぞ。

「おいおい、みんな! おれでいいのか、本当に意識もなく倒れていたおれを選んでいいのか!?」

 おれはクラスのみんなに希望を託した。いわばパンドラの箱の底を覗いたのである。

「津島くんなら大丈夫!」

「津島ならあっという間に終わるだろ。教室掃除も得意じゃんか」

「いけるいける、お前なら学区内のボランティアくらい……スペードの10」

 もう絶対信用しない、こいつら。パンドラの箱の底には暗闇しか広がっていなかった。

 向こうのグループは先生に隠れて、まだトランプやってるし。

「旬、頑張って来いよ!」

「セキカン、まさかおまえも投票したのか!?」

「うん」

「うん、じゃねえええ!?」

「あたしも津島くんなら大丈夫だと思いまーす」

「大丈夫、お前ならやれるさ……クラブのK!」

「ダウトオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

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