瓶の中身

鯛谷木

本編

 僕は真児まじくんのことをよく知っている。親の転勤でこっちに引っ越してきた。人と話すのは苦手。だれかと一緒に食事をするのはもっと苦手。好きな色は水色。好きな飲み物はラムネ。極度の乱視と近視で、メガネを取ると本当に何も見えなくなる。毎日やたらと早く登校してくる。最近の悩みは、所属している美術部の部員不足。右足の甲にほくろがふたつ。夏の間は日に焼けて、肌が少し赤くなる。桜色の唇は薄く、乾燥しがちな季節になるとよく切れて血が出てる。困ると眉を撫でる癖があるっぽい。サラサラと風になびく髪。すうっと通った鼻筋。ちょっと茶色めの瞳。何もせずともくるっとカーブした長いまつ毛。伏せがちな目はかんぺきなアーモンドの形。みんなは名前と時代遅れな重く太い黒縁のメガネに気を取られて彼をマジメくんだなんだと揶揄するが、真児くんは実はきっとこのクラスで、いや学校で1番の美少年なのだ。

 じゃあ、大して人付き合いがうまいという訳でもないこの僕がどうやってここまで彼に近づくことができたのかというと、それは単純で、今年転校してきたばかりの頃に校内を案内したのがきっかけである。1度縁が出来ると頼りやすいのか、はたまた冴えない奴だと弄られがちな出で立ちからか、真児くんはことある事に僕を頼ってくれた。そうやってじわじわと仲を深めているうちに、僕はいつからか真児くんにもっと近づきたいと思うようになってしまった。そして彼の見た目の美しさに確信を持ってしまったせいか、最近はいよいよ歯止めがきかなくなってきて、ああ、真児くん。あわよくば、君の素顔を……

 そんな彼を呼び出そうと声をかけたのは、冬休みまで秒読みに入った今日、ついさっきのこと。「放課後 1人だけで来て 美術準備室」もっとスマートにやろうと思ったのに。それだけ書いたメモ帳の紙片を渡すのが精一杯だった。


 押し付けられた掃除当番で遅くなり、慌てて約束の教室のドアを開ける。カーテン越しの橙色の光の中、雑然と置かれた美術用具達に混じり、既に君が立っていた。

「ごめん、待たせた」

「ううん、全然。それで、用件は?」

「えー、あのですね、無茶を承知で言うんだけど…………っ触らせて、欲しいんだ、君の、肌に!その、でもヤリたいとか、そういう意味じゃなくて、だから、上はできれば脱いでもらいたいけど、下はそのままでいいし、あの、えっと」

「いいよ」

「そうだよな、ごめん……えっ?」

「いいよ」

顔を遮るような手に隠れて分かりづらかったけれど、君はとびきり優しくはにかんだ笑顔を浮かべていた。


 ネクタイをするりと外し、ブレザーを床へ落とし、ワイシャツの前を開いた君をすかさず押し倒す。そのふたつの下には何も着ておらず、冷たい空気に肌をさらした君は彫刻のための石材みたいで、静かなこの場によく似合っていた。床に這いつくばり、平たい胸板をゆっくりと舐めるように下から上へと撫でていく。掌が首まで及んだ瞬間、君の息が荒くなる。なんだかそれが憎らしくて、添わせた指に力を入れた。苦しそうに歪んだ顔は、親指に感じる脈拍は、きっと僕だけが知っている。そう思うと離したくなくて、離れたくなくて、いっそずっとこのままでいたくなる。鍵も掛けたし、やろうと思えばできるのだが、そんなことをすれば君とは永遠にさよならをしなくてはならなくなるのはじゅうぶん分かっている。僕は首から手を除けて、再び君の胴体に手垢をつけはじめた。


 どれくらい経ったのか、ハッと気がついて少し身を離す。僕の手により好き放題ベタベタにされた彼は、くたりと横たわり、目を閉じて息を整えている。疲れたのだろう、まるで眠ってるみたいだ。胸の震えに合わせ、唇が空気を求めてぱくぱくと開いている。僕は本能のままそこへと指を突っ込む。尖ったエナメル質の抵抗と温かい粘膜が不思議と心地良い。掻き出すような動きに合わせ、よだれが端からたらりと垂れる。

 ゆっくりと指を抜く。そこまでしても目をつぶったままなのを確認し、とうとうメガネへと手を伸ばす。透明な円のふちをなぞり、くびれた中央をつまむ。そっと引き下げようとした矢先、彼の目がぱちりと開きこちらを見据えた。柔い唇が順番に形を変える。

だ、め、だ、よ。

「っ、ご、ごめん!!」

震える足腰を一生懸命動かして僕は家に帰った。


 次の日、まったく眠つけず寝坊して遅刻した僕と違い、真児くんはいつも通りに学校へ来ていた。休み時間中、僕の視線に気づいたらしき君はそっと首を撫でる。なぜだろう、周りを見渡しても、そこにはっきりとついた痛々しい跡には誰も気がついていないみたいだ。それ以外にも疑問は沢山ある。親にはどう説明したんだろう。なんで僕の冒涜を許してくれたのか。そして、どうしてあそこで止めたのか。真児くんには気になることがいっぱいだ。

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