第3話 噂話
「ねえ、聞きまして? 後宮のあっちこっちに散らばっていた肉片、やはり春妃様のようよ」
「自殺でもなさったのかしら? 最近、
「違うわよ。バラバラにされていたそうだから誰かに殺されたんでしょ」
「あら、それは
「さあ、でも季妃のみなさまって、ほら、ちょっと独特じゃない? 変わっているというか、なんていうか」
ひそひそと飛び交う噂話は後宮という園でも変わらない。
いや、
(こんなところで話さない方が……。下手したら処罰を受けるかもなんだし)
できる限り身を小さくし、牡丹の
「ひどいことをいいますね。危機感がないのでしょうか」
紫苑と同じく身を小さくした雨蓉が声を小さくさせて囁いた。
「舐められているのかな」
「紫苑様は威厳なんてありませんものね」
「必要なかったからね。誰かに威圧的に接するなんて、これからもしない行為だと思っていたよ」
不穏な会話を楽しむのは皇后となった紫苑に、天凱が与えてくれた侍女たちだ。全員が名家の生まれで、美貌も教養もある。
……はずなのだが、今の会話を聞いている限り教養はあっても常識はないらしい。
「それで、いつまでここにいます?」
「出ようにも出れないよ。あの会話を聞いていたと分かれば、皇后としてきちんと処罰をしなければいけないからさ」
「もうっ、だったらどうして〝気分転換に散策に行きたい〟だなんてわがままを言ったんです!?」
「……だって、彼女たちとずっといると皇后を演じなきゃいけないから疲れるし」
天凱が崔紫翠の生家に
——という表向きの理由もあり、めんどくさい儀式と手続きを終わらせて入内したのもあって、紫苑は疲れていた。鳳凰殿では大勢の侍女や宦官がいつも側に控えて、休む暇はない。
屋敷では自由気ままに生活を営んできた分、窮屈でしかたなく、気分転換に庭園の散策を楽しもうとしたのだが、まさか、外出して一刻(約15分)もしないうちに探しに来られるとは思わなかった。
「犯人が後宮にまだいると思うと恐ろしいわ」
「本当にねぇ。慶王様が対策とってくださればいいのだけれど……」
ふっ、と片方の侍女が鼻で笑う。
「無理よ。だって、あの愚王様がそんなことするわけないじゃない」
「うーん。でも、今は崔皇后陛下がいらっしゃるし、対策はするんじゃなくて? たいそう入れ込んでいると聞いたわ」
「異人混じりのご容姿が珍しいだけでしょ」
明らかに侮辱の言葉だ。昔に比べると数多くの異国人がこの地を訪れ、住み着いたが長年、
(やっぱ、こうなるよなぁ)
予想通り、紫苑の存在は厄介なのだろう。重々しいため息を吐き、うなだれる。予想はしていたし、容姿に関する侮辱も慣れているが実際に言葉として耳にすると気が滅入ってしまう。
これ以上、会話を聞きたくなくて紫苑はこの場を去ろうと考えた。雨蓉に声をかけようとするが、その細い肩が小刻みに揺れているのに気が付く。
「雨蓉、どうしたの?」
「なんていうことを……。紫苑様に向かって、ただの侍女風情が……」
ぼそりぼそりと耳に届くのは蚊の羽音のように小さいが、雨蓉の怒りを体現する言葉。肩の震えはいっそうと酷くなり、目は怒りで血走っている。
(あっ、これはまずい)
怒りが爆発した雨蓉は何をしでかすか予想ができない。ここでそんな乱闘をされたら確実に調査の弊害となる。紫苑は慌てて雨蓉の肩に腕を伸ばし、更に口を手で覆った。
「そんなこというものじゃないわ。とてもお優しくて私は好きよ」
「夏妃様みたいな
「確かにね。あそこの侍女たちは八つ当たりばかりされていると聞くわ」
「新入りなんて引っ掻かれて顔に傷ができたそうよ。薬を使ったけれど、完全に消えないって嘆いていたわ」
「私、崔皇后陛下付きで本当によかったわ。……ところで、崔皇后陛下はどこにいらっしゃるのかしら」
「いらっしゃらないわね。庭園じゃないとしたら季妃様の元に? でも、お茶会って延期になったはずよね」
「慶王様のお渡りも夜の予定だし、ここ以外で行きそうな場所なんてないのだけれど」
「こんな非常事態にお渡りって本当に愚王だわ」
もうっ、と小柄な侍女が毒舌な侍女の袖をひいてたしなめる。
「そんな言い方だめよ。慶王様は崔皇后陛下を愛されているから心配なさっているのでしょう」
その言葉が聞こえて紫苑の背中に悪寒が走る。ぶるりと肩を震わせると腕を掻き寄せた。
「し、紫苑様?」
拘束が緩んだことで紫苑の腕から抜け出した雨蓉は主人の様子がおかしいことに気がついた。先ほどまで胸の内に渦巻いていた怒りの感情は霧が晴れたように薄れていき、代わりに不安に苛まれる。
「落ち着いてくださいませ。あれはただの噂、根も葉もない噂話です」
「分かっている。分かっているんだけど、鳥肌が……」
袖をめくると
「下世話な話と言うのは好きになれないな。ここまでの鳥肌、英峰が素直に謝った時以来だよ」
なぜか寒気も感じ、暖を取るために腕をさすっているとふいに影が落ちてきた。雲が太陽を隠したのだろう、と特に気にしなかった紫苑だが妙な視線を感じ取り、
一番に目に飛び込んできたのは、数多の
「……司馬冬妃?」
紫苑が名を呼ぶと、司馬冬妃は涼やかな目元をゆるめて、一歩踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。