第4話 親友のために


「まあ、冬妃様。どうなさいました」


 司馬冬妃の存在に気付いた侍女二人がぱたぱたと足音をたてながら近付いてくる。生け垣があるといっても近くに来られれば見つかってしまう。紫苑がどうすべきか迷っていると司馬冬妃は目元に笑みを浮かべた。


「出迎えはけっこう。崔皇后陛下に会いにきただけだから」


 すると足音が止まる。

 司馬冬妃は更に目元の笑みを濃くした。


「崔皇后陛下はどちらにおられる? 殿舎にはいないと言われて、ここに来たのだけれど」


 その言葉に紫苑と雨蓉は視線を交わす。司馬冬妃は確かに紫苑の姿を捉えているはずなのに、まるで存在しないように話を続ける。


「季妃様方は御殿から出てはいけないとお達しが出ているはずですけれど」


 毒舌な方の侍女が軽蔑をはらむ口調で言葉を吐き出した。


「司馬冬妃様の元には届かなかったようですわね」

「ちょっと、そんな言い方」

「許しもなく、単独で鳳凰殿に来るだなんて崔皇后陛下はお許しになりませんわ」


 司馬冬妃は軽く目を細め、侍女をまじまじと見つめた。


「聞いてはいたんだけれど、お耳に入れたいことがあって。姫春妃の件だから早めがいいと思ってね」

「あら、でしたらわたくしどもがお伝えいたしますわ」

「いいえ。信用できない人間に頼むことはできない。私が直接伝えるから大丈夫」


 ぴくり、と侍女の眉が跳ねる。

 小柄な侍女がいさめようと伸ばした手を払いのけると胸に手を当てて、背中を反らした。


「わたくしたちは崔皇后陛下の侍女ですのよ!」

「慶王様がお付けになっただけで、崔皇后陛下が自ら連れてきたのは一人だけだと聞いているけれど」


 主人の権威を振りかざそうとした侍女は、その言葉に顔を赤くさせた。

 その顔を一瞥した司馬冬妃は袖で口元を隠す。


「現に、崔皇后陛下は散策に出た際にその連れてきた侍女しか伴っていない。いかにご主人様が後宮で一番の権力を持っていても、それは君が振りかざしていいものではないことを自覚しなさい」

「な、な、なんて言い方……! わたくしの家はあなたなんかより上なんですのよ!?」

「それでも私は冬妃で、君は侍女。仕える相手が崔皇后陛下でも後宮では私の方が立場は上」


 ふっと司馬冬妃が鼻で笑うと侍女はぎりぎりと歯を擦り合わせ、射殺さんばかりに睨みつける。


「覚えていらして! 絶対に後悔させてやるんだから!」


 裏返った声で吐き捨てると大股で殿舎へと向かって歩きだした。


「あ、あの、彼女が失礼を」


 顔を真っ青にさせた小柄な侍女は司馬冬妃に向かって頭を深く下げるときびすを返して怒り狂う同僚の後を追って行った。




 ***




「崔皇后陛下もじゃ大変ね。ああいうのが四六時中、そばにいるだなんで考えただけで気が滅入る」

「……司馬冬妃、匿ってくれてありがとう。出るにでられなくて困っていたの」


 やんわりと、朝礼での言葉使いを思い出しながら紫苑は清廉された動きで立ち上がった。侍女から逃げるためにうずくまっている姿を見られた時点で威厳とは皆無だが、取り繕えるなら取り繕った方がいいに決まっている。

 司馬冬妃は一瞬だけ固まると笑みをこぼした。先ほど、侍女をあしらった時のような蔑むようなものではなく、柔らかな太陽のような笑みだ。


「演じなくて結構です。今ここには私達以外いませんから、話やすい言葉でかまいません」

「……なら、そうさせてもらうよ。正直、あの言葉遣いは苦手で」


 背中を刺す雨蓉の咎める視線を感じながら紫苑は肩をすくめてみせた。


「分かります。私も苦手ですから」

「司馬冬妃もくだけた言葉でいいよ」

「では、お言葉に甘えて。さっきは侍女達をからかってしまい、すみません。言っていることは彼女達が正しいけど、言い方が腹たって」


 にっこりと笑っているが探るような目だ。

 紫苑はその真意を探るべく、黒曜の瞳を見つめ返した。


「その件はあとで彼女達に注意しておくよ」

「いえ、大丈夫。崔皇后陛下はそういうの苦手そうだし」

「……」


 図星である。相手が英峰なら注意できるが、それ以外の相手となるとどう伝えればいいのか分からない。

 雨蓉もうんうんと頷くので、視線を投げて制した。


「私、崔皇后陛下に話たいことがあるのだけれど、お時間いい?」

「姫春妃のことって言っていたけど、何か心当たりがあるの?」

「ええ、まあ、それなりに」

「なら、場所を移動しようか」

「殿舎は無理。他の人は信用できないから」

「……庭園の四阿あずまやはどうだろう?」

「誰も来ないのなら、そこで。崔皇后陛下と二人で話したいわ」


 司馬冬妃はたいそう警戒心が強いようだ。

 池のほとりに建設された四阿に移動するまでの間、それとなく訪ねてきた内容を問いただしてものらりくらりとかわし、それどころか周囲を観察するふりをして誰もついていないかを確認しているかのようだった。四阿にたどり着くと、彼女はようやくその警戒心を少し緩め、少しだけ深呼吸をして周囲の風景を眺めた。

 しかし、その眼差しは依然として鋭く、何かに注意を払っているようであった。


「なに?」


 紫苑の視線に気が付くと首を傾げる。さらりと黒髪が流れ落ちた。


「いや、妙に周囲を警戒しているなと思って」

「誰が茉莉花を殺したか分からないから」

「お二人は親友だと聞いているよ。姫春妃の件は一刻も早く解決させることを約束する」

「大変ね。皇后になってすぐのお仕事が殺人鬼探しだなんて」


 胸元に流れる黒髪に指を絡ませつつ、司馬冬妃はため息をこぼす。


「崔皇后陛下だけ。ここで今、信用できるのは」

「なぜ、そう思う?」

「関係ないから。殺人鬼ではないことは確実だし、慶王様からの寵愛争いに参加する必要もない」


 姫春妃の殺害時刻は分かっていない。

 ——というよりも判定が難しい。宦官に命じて後宮の各地で見つかる肉塊を集めさせているが、見つかる肉塊は全て拳ほどの大きさにバラバラにされていた。そのせいで正確な殺害時刻と殺害方法が判明するのは困難である。


 分かっていることは肉塊を分断するのに鋭利な刃物が使用されたこと、解体作業および後宮の各地に散らばせるのに複数人の手が必要であることのみ。


「崔皇后陛下が後宮に来たのは朝方だから。あと、さっきまでいた侍女のお姉さんも白」

「外出禁止令を破ってまで私に話したいことがあると言っていたが、司馬冬妃は犯人に心当たりはあるのか?」

「犯人、ね……」


 髪をいじるのを止めると指先を唇へと持っていく。妖艶な容姿だが、喋り方といい、仕草といいあどけない少女のように紫苑の目に映る。


「ない、と思う」

「ひどいことをいうが、姫春妃はえらく恨みを買っていたようだ」

「細切れにされたからね」

「生前、彼女は誰かと問題を起こしていなかったか?」

「葉夏妃にはよく叱られていたけれど、それは私や謝秋妃もだったから違うと思う」


 うんざりだと顔を歪ませる。聞けば、紫苑が入内するまで葉夏妃はまるで皇后のように振る舞っていたようだ。皇后がいなければする必要もない朝礼をはじめ、茶会や芝居鑑賞などを開いては三人に参加するように命じた。体調不良で断ると烈火の如く、怒り散らすので可能な限りは参加していた。


「茉莉花は怯えていたわ」

「怯えていた?」

「そう、怯えて閉じこもっていた」

「姫春妃が殿舎から出てこないのは病気だと聞いたけど」

「心のね」


 姫茉莉花は一ヶ月前から塞ぎ込み、房室へやから出てこなくなった。侍女や宮女、司馬冬妃ですら面会することはできなかった。


「茉莉花が塞ぎ込むのは寵愛を得られないからだと思っていた。故郷からは頻繁に咎めるふみが届いたし、本人も国母になることを夢見ていたから。時間が経てば、傷は癒えて出てきてくれると思ったのだけれど、違った。こうなるなら無理やりにでも会いに行くべきだったわ」


 その時のことを思い出したのか司馬冬妃はそっと声を落とす。


「一度だけ、私に言ったの。〝どうして、こうなったの〟と。……理由を聞いても、教えてくれなかったけれど。今思えば、あの言葉は後宮に入ったことではなく、誰か……、茉莉花を……」


 司馬冬妃が唇を噛み締める。徐々に目尻には涙が溜まってゆく。涙が頬を滑り落ちる前に乱暴な手つきで拭うと鋭い目で崔皇后を見つめ、強い決意を込めて言った。


「ねえ、崔皇后陛下。茉莉花を殺した犯人、必ず見つけてね」

「もちろん。約束する」

「必ずね。私も手伝うから」


 崔皇后は静かに頷き、目を逸らさずに応じた。


「それは心強い。私よりも先に後宮入りしたあなたの協力があれば百人力だ」


 桃がほころぶように、司馬冬妃はふわりと微笑む。少しだけ力を取り戻したように見えた。

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