第11話 慶王が抱える秘密
「――紅琳か?」
天凱は優しい声で妹君の名を呼んだ。
その声にいち早く反応をした曲者は「助けて!」と叫ぶ。
扉の向こうで天凱が息をのむ気配がした。直後、蝶番が音をたて、ゆっくりと扉が開かれる。燭台を手にした天凱が今にも泣きだしそうな顔で立っていた。
天凱は地面に伏した曲者に視線を落とすと次に紫苑に向けた。
「……離せ。これは王命である」
硬い声で命じられた。王命と言われたからには紫苑は従わなければならない。
しかし、拘束を解いていいのだろうか。身体検査を終わらせていないため、どんな武器を持っているか分からない。迷った末に紫苑は英峰を見た。英峰が頷くので黙って従うことにした。
自由になった曲者は天凱の元へ駆けるでもなく、逃げるでもなく、その場でうずくまり震えている。
「慶王サマさぁ、これなんですか?」
「お前には関係ない。その男を自由にしろ」
「いや、自由にしましたよね? 拘束解いたのみえません?」
肝が据わっているのか、はたまた空気が読めないのか、天凱を英峰が挑発する。
「逃げないのってこいつの意志でしょ」
「いいからお前達は帰れ。今見たことは忘れろ。今後、余計なことはするな」
普段の天凱なら挑発にも乗りそうなのに妙に冷静な態度で英峰と舌戦を繰り返す。
どちらも折れる気配がない。紫苑は曲者から意識をそらさず、何かあればすぐ天凱を守れる位置に身をおきつつ、二人の会話に耳を傾けた。
「いやいや、俺達、こいつにつけられたんすよ。何もしていないのに」
その時、ごぷり、と耳を塞ぎたくなる音が聞こえた。先程よりも色濃く漂う血の香り。かひゅと曲者の喉が鳴り、ぐらりと体が傾いていく。
とっさに駆け寄った紫苑がその体を受け止め、地面に横たえた。隠し持っていた小刀で胸を突いたようだ。皮膚と刃の間から留めどなく血が溢れて、地面に落ちてゆく。
紫苑は小刀を抜き取ると布で傷口を圧迫し、止血を図った。だが血は止まらない。恐らく、肋骨の隙間を通り、肺にまで達している。医官を呼んでも手遅れなのは目に見えて明らかだ。
「お前は止血を続けろ。――おい、死ぬなら目的と雇い主を吐いてからにしろ」
こいつは鬼か。紫苑は幼馴染の慈悲もない言動に真顔になった。死ぬ前に雇い主と目的を吐き出させなければいけないのは分かっているが、もう少し言いようがあるだろう。
曲者は英峰の問いかけに答える気力はないようだ。胸が少しでも酸素を多く取り入れるため上下に稼働する。その反対に苦しそうな表情は虚になる。はくはく、と何かを訴えているのか白くなった唇が動く。
「紅琳はどこにいる? 無事なのか!?」
正気を取り戻したのか天凱が焦ったように駆け寄ってきた。曲者の側に膝をつき、何度も妹君の名を問いただす。
天凱の姿を見た曲者は虚な目を大きく見開き、忙しなく唇を動かした。だが音にはなるが、形にはならない。
しばらくして曲者は体を大きく震わせると静かに事切れた。
「……この男の処分は予がしておく。今夜のことは忘れろ」
その命令に、紫苑は素直に従うことは出来なかった。忘れろと言われて、忘れれるわけがない。
それは、幼馴染も同じ気持ちだったようで大股で天凱に近付くとその襟首を掴みあげた。
「いやいや、待ってくださいよ、慶王サマ。ちょっと俺達と話しましょーよ」
行動とは真逆のおどけた言葉遣いだが、弧を描くその目が笑っていないことに紫苑は気付いた。珍しい事に英峰が怒っている。それも、心の奥底から。
「処分する前に色々と調べたいことあるし、あと忘れろってなんすか? 俺達、忘れませんよ。それどころか周りに聞いちゃうかもなー!」
「お前がここまでの馬鹿だったとはな。慶王たる予の命に背くとはどういう結果になるか知らんとは」
「いや、あんたそんな暴言吐かんでしょ。似合わないんすよ。演じる才能皆無すぎて見てて笑えるわ」
はっ、と英峰は鼻で嘲笑う。
「いいんすか? 俺達を突き放しても?」
天凱は舌打ちすると恨めしそうに英峰と紫苑を睨みつけた。その目前に英峰は何やら赤い物体を突き出した。
「これ、この男が帯に下げていたやつ。あんたは気付いていないようだけど、これと時間があれば長公主サマの居場所も分かるんだけどなぁ」
英峰は物体――紅玉の房飾りを左右に揺らす。
「いいのかなぁ、慶王サマは長公主サマが大切じゃないんだぁ」
英峰は意地悪く笑うと房飾りを紫苑に投げて寄こした。
「これ、分かるだろ?」
房飾りを見つめた紫苑は微かに目を細めた。
「恋人同士が着ける装飾品に見えるけど」
「恋人だと?」
天凱は両目を丸くさせる。
知らないのも無理はない。この房飾りは城下で流行っているもののため馴染みがないのだろう。紫苑も知人から聞いていなければ、ただの帯飾りだと勘違いしていた。
房飾りに使われているのは小ぶりだが紅玉石だ。宝石言葉は「愛情」。結び目や房の長さ、素材が同じものが対で売られているため、恋人とお揃いにできると評判だ。
それを曲者は帯飾りとして着用していた。
つまり、
「この男には恋人がいるというのか?」
「そうっすよ。そんな事も分からない、相談する相手もいないあんた一人で公主サマを見つけ出せると思ってんすか?」
天凱はさも不快そうに眉を寄せる。
だが、反論はしない。黙って英峰と紫苑を見つめた。
「どうせ、あんたの事だ。
「……」
「率直に言います。公主サマ、行方不明になったんじゃなく、連れ去られたんでしょ?」
「……ああ」
天凱は喉奥から声を絞りだすと「だから」と続ける。
「英峰、君の言う通りだ。紅琳は連れ去られた。この男は予を……私を監視するために付けられた宦官だ」
「やっと教えてくれるんすね。ほら、だったら早く頼んでくださいよ。〝妹を助けるのを手つ——いで!!」
ガン! と鈍い音が闇夜に響くと同時に英峰が頭部を抑えてうずくまる。
「あなたは言い過ぎ」
地面で丸くなる幼馴染を紫苑は冷めた目で見下ろした。黙って二人の会話を見守る予定だったが、英峰が面白がり始めたので力づくで止めた。やはり、ゲスな性格は簡単に治らないものだな、と痛みでのたうち回る幼馴染を見てそう思った。
「だってさぁ! 素直に助けてって言えばいいのにさぁ!! どーせ、〝予一人でいい。お前達は忘れろ〟って馬鹿の一つ覚えで繰り返すんだぜ!?」
「うるさい。騒がないで」
もう一度、脳天に拳を振り下ろす。英峰が再度、地面に沈んだ。
「あの、慶王様」
「……なんだ」
「そんな警戒しないで貰えますか……」
話しかけたらあからさまに顔が強張り、重心が後ろに下がった。確かに英峰に暴力をふるったが、ここまで警戒させるとは思わなかったので紫苑は悲しい気持ちになる。別に自分は暴力人間ではない。ゲスな幼馴染と山賊等に対してしかふるわないと誓っている。
「英峰は無事か」
いつものぶっきらぼうな物言いではないことに紫苑は目を剥く。あの粗野な言動は英峰が言っていた演技なのだろうか。
「ああ、すぐ回復すると思いますよ。いつもそうですし」
「いつも……。君は大人しいと思ってた。私の嫌がらせにも耐えていたし」
天凱は俯いた。
「今、ここで立ち去るなら君達に危害は加えないと約束する。今夜見たこと、聞いたことを全て忘れるなら」
「それは、命令ですか? 慶王様としての」
「……いいや、お願いだ」
「では、お断りします」
はっきり告げれば天凱はバッと顔を上げた。繊細な美貌は驚愕に満ちている。
紫苑が大人しく従うと思ったようだが、そんな可愛らしい性格はしていない。今までの話が本当なら天凱は一人で戦い続けるということだ。自分はただの護衛だが、崔大将軍の孫。最後まで付き従うつもりである。
そう伝えると天凱は泣きそうに顔を歪めた。
「……すまない。あんな嫌がらせしたのに、そう言ってもらえるなんて思わなくて」
「いや、あれが嫌がらせなんて生温いぞ」
痛みから復活した英峰は地面に横たわりながら口を挟む。(敬語と言っていいのか微妙だが)敬語をやめると、まるで親しい友相手に語らうように馴れ馴れしい言葉遣いで言葉を重ねる。
「熱湯でもかけて大火傷負わせたり、階段から突き落とせば嫌がらせともいえるが」
「それは嫌がらせじゃなく、傷害罪だ」
顔を青くさせた天凱が訂正する。
「本当に君は変わらないな」
「まあな、これが俺さ」
褒められているわけじゃないのに英峰は嬉しそうに胸を張った。
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