第9話 内心がわからない
上司への怒りと寝不足からいつもより
(……誰かに見られている?)
深夜遅いためできる限り人気のない場所を選んで歩いていたつもりだが騒ぎすぎたのだろうか。心配になる。
直後、違う、と己を叱責した。
(これ、一般人じゃない。茂みの中から私達を見ているのは)
奇襲——という言葉が脳裏をよぎる。紫苑はさっと自分の格好を思い出し、武器になるようなものを持ち合わせているか考えた。今の自分は深夜に外出するからと夜着に上掛けを羽織った格好だ。一応、上掛けの袖に小刀を一本仕込んではあるがこれだけでは心もとない。
英峰も今さっきまで仕事をしていたのだからそんなものは持ってはいなさそうだ。
どう行動すべきか考えつつ、英峰に刺客のことを伝えようと顔をあげた。
「朝議で豚達磨が意味もなくでしゃばるのもやめてほしい。あいつのせいで吏部全体の評価がガタ落ちだ」
英峰の朱吏部尚書へ愚痴は佳境に差し掛かっていた。朝議での態度がどうだの、扇の風で汗臭いのを周囲に撒き散らすなだの耳を塞ぎたくなる
(なんて
警戒のけの字も意識していない様子に紫苑の中に焦りだけが積もっていく。それが小さな山となる頃、英峰の様子がいつもと違うことに気付いた。
「他の部署が俺達を見てなんて言っているか知っているか?」
「知らないけど。なんて言われているの?」
「〝死んでもあの部署には所属したくない〟〝手柄は全部上に取られるなんて可哀想だ〟だ!」
身体能力は低いがこの男の感の良さは自分と並ぶものがある。
実の両親にすらあまり性格はよくないと称されているが意外と世話焼き気質な英峰は紫苑が相談があると会いに行けば茶々を入れつつもきちんと話を聞いて、助言をくれる男である。「聞きたいことがある」という名目で連れ出した今、紫苑のことを気にせず大袈裟な手振りで自分の話ばかりするのは曲者の存在を知ってのことだろう。
「お前、俺の話をきちんと聞いているのか? さっきからぞんざいな返事ばかりだが」
「聞いてるって。朱吏部尚書様は仕事ができないし、他人に仕事を押し付ける癖にその手柄だけ横取りするんでしょ」
「酷いと思わないか!?」
「うん、酷いね」
「さすがの俺でも他人の手柄を横取りなんてしないのに!」
「えっ、したことあるよね」
「したことないぞ」
英峰は足を止めると腕を組み考えだした。
紫苑は山賊退治の報酬について話したのだが、本人には心当たりはないらしい。
「私とあなたで山賊退治したことあるでしょ?」
「五年前と二年前のどっちだ?」
「二年前。あなたが依頼を引き受けて〝後は頼んだぞ〟って私に押し付けてきたやつ。結局、私一人で山賊退治したのに報酬は山分けだったじゃない」
「いや、だって、依頼を見つけたのも俺だし、依頼主に報告したのも俺だ。普通に報酬は五対五の山分けでいいに決まってる」
「あなたのやったことはほんの数刻で終わるけど、私は退治に二日もかかったよ。単純に労働時間が違うでしょ」
昔のように英峰が作戦を練り、それを自分が実行すると紫苑は考えていたが英峰は近所の子供と
どう考えても紫苑の仕事量の方が多い。その時は報酬の割合について文句を言わなかったが二対八でもよかったと時々考えてしまう。
「……で、俺を呼び出してまでしたい相談ってなんだ?」
英峰はいい笑顔でわかりやすく話題を変えた。これ以上突かれたくないらしい。本当に腹が立つ。
「どうせ慶王様の女嫌いについてだろ?」
勝手に悩みを決められた。違うと否定したいが現状的に言えないので言葉を飲み込む。
「慶王様の女嫌いは凄いだろ」
「ちょっと、声大きいよ」
曲者に聞かれでもしたら、と声を落とすように言うが英峰は気にしない。
「みんな知っていることだから別にいいさ。知られてもどうにでもなる」
どうやら曲者に聞かれてもいい内容のようだ。それなら紫苑も気にすることはないなと考える。
「どうにでもって……。本当に怖いもの知らずだね」
「お前にどうにかできそうか?」
「嫌い、というよりも苦手なだけのようだし、少しずつ慣れていけば大丈夫だと思うけど」
紫苑は口元に指を添えると考え始める。
「見た限り聞いてたほど深刻ではなさそうだよ」
「早く女嫌いを克服させてお渡りするように言ってくれよ」
お渡りとは慶王が後宮の妃嬪の元へ行くことを指す。
「いつまで経ってもお渡りがないからお妃様方が超お怒りだ。宦官や宮女に当たり散らしてる奴もいるらしい」
ため息をこぼしつつ英峰は紫苑の肩に腕を回してきた。
「——次の曲り角で捕らえる」
紫苑にしか聞かれぬよう耳元でそっと囁かれた言葉は酷く強張っていた。
「いつまでもぐだぐだやってるとお前も刺されるぞ」
一転して急に冗談めかした言い方に変わる。その内容が不穏すぎて紫苑は「なぜ」と固まった。
「慶王様がお前を気に入っているって後宮にも噂で広がっているから嫉妬に狂ったお妃様に刺されるってこと」
「えっ……。すごく嫌なんだけど」
「頑張るしかないな!」
英峰はからからと大声で笑った。笑い事ではない内容なのに。
曲がり角まであと少し。曲者は一定の距離を保ちつつ、ついてきている。
「他人事のように言わないで」
「他人事だから」
「元はと言えばあなたが持ってきた仕事でしょ……」
これ以上、反論する気にもなれず紫苑は肩を落とす。そうすると英峰が全体重を乗せてきたので苛立たしく思い、その背中を拳で叩いた。
「ぐえッ!」
思ったよりも強く叩いてしまったらしく鈍い音と共に英峰は床に膝をつく。痛む背中をさすろうとも手が届かないらしい。
「あ、ごめん。強く叩きすぎた」
短く謝罪すると紫苑は叩いた部分をさすってやる。
(本当にこの人って分からないな)
英峰は阿呆だ。地頭がいいためどんな状況でも自力で回避できると甘んじているところがある。そんな男があのような切羽詰まった声で、真剣そのものの表情で「気を付けろ」などと言うときは決まって良くないことが起きる。
(私を巻き込みたいのか、守りたいのか)
背中をさする手を止めず、紫苑は自分が思ったよりも複雑な環境にいることを知り心の中で深くため息をはいた。
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