第47話 同舟に乗る




 日が昇った。

 旅籠や茶屋が暖簾を掲げる時刻を辛抱強く待ち、宋十郎そうじゅうろうは通りへ出た。

 行き先は、昨夜のうちに嫌というほど吟味した。

 最初に、酒家の娘がろう孔蔵くぞうを見掛けたという、町外れの通りに向かった。

 案の定、通りを抜けて辿り着いた寺で、二人らしき旅人が死人の財布を納めに来たという話を、老住職から聞くことができた。

 住職は二人組に、寺で一夜を明かしていってはどうかと勧めたそうだが、二人組は用事があるからと言い、街へ戻っていったという。

 昨夜、宋十郎が町中の宿を訪ねた直後に、入れ違いで二人が宿を取った可能性はある。

 彼はまた一から旅籠を回り直すことにして、その途上にある紫檀楼を訪ねた。

 置屋の戸を叩くと、戸が細く開き、昨日とは違う男が顔を出した。

「どちらさまですか」

「宋十郎という。昨夜桜葉さくらばに会って話すはずだったが、あちらが体を悪くしたということで、会えなくなった。どうしても聞きたいことがあり、何とか話せないだろうか」

 男の目が細められた。どうやって追い払おうかと考えているのだろう。

 男が言い返す前に、宋十郎は言った。

「私は昨夜、沫鶴あわづるの手紙をここへ届けた者だ。桜葉は、昨夜は健康そうに見えた。何かあったのか」

 その時、通りの向こうから一直線に、人の気配と足音が近付いてくるのを感じた。

 考える前に宋十郎は、腰の刀に手をやっていた。近付いてきた気配が、纏いつくような殺気を孕んでいたからである。

 振り返ると、気配の主は、影貫かげぬきだった。

「桜葉いう芸者、ここにいてはります?」

 置屋の男に向かって影貫は言ったあと、まるで今宋十郎に気付いたように、わざとらしく彼を見遣った。

「おや、以前どっかで会うたかいな?」

 宋十郎の刀を握る手に、力が入った。

 細められた目が更に笑い、影貫は言う。

貴方おうち、蛇の娘の相方はん? 相方追い払うてやったのに、あんさんらまだ懲りてはりませんの?」

 影貫の殺気が、刃物のように突き付けられるのを宋十郎は感じた。影貫も刀の柄に手を置く。

 気付かれてしまったと、宋十郎は思う。しかしそこには誤解もある。彼は言った。

「何を仰っているのか、心当たりがない。貴殿が仰る蛇の娘とやらは、ただの行きがかりだ。あの娘が、何かしたのか」

「しらばくれるのやめてもらいまひょか。あんさん、桜葉はんに用ある言わはりましたやろ。俺もどしてなあ。妙な偶然やと思いません?」

 彼らのやり取りを見、置屋の男が慌て始めた。店の軒先で斬り合いなどされてはかなわぬと思ったのかもしれない。

「あ、あの旦那様がた、今、上の者を呼んでまいります。どうか、少々ここでお待ち願えませんか」

 宋十郎は黙って頷く。それを見届けた男は、足早に奥へ引っ込んでいった。

 影貫が、宋十郎に問う。

「そちらさんは、芸妓げいこはん相手にどないなお話で?」

 宋十郎が桜葉に訊ねていたのは寺本の動向だが、それをここで明かすのは、得策ではないだろう。それに影貫はまだ、宋十郎と篭の繋がりを知らないと思われる。

「共通の知人がいる。その者について、桜葉から話を聞くつもりだった。そちらこそ、名家の家臣とお見受けするが、一介の芸妓に何のご用だろうか」

 目をさらに細め、影貫が笑う。

「あんさん、どうにも口の硬いお人らしいなあ。もしかしてご同輩どすか? この間はむさいかっこしてはったのに、今日はちっといかつうあらしまへんか。妖者の匂いしたさかい、ちょいと気になったんえ。俺、化物を片付けるなおすんが仕事でしてなぁ。でもご同輩ゆうことなら、鍔迫り合わすことありまへんな」

 思わず、宋十郎は目を細める。

 その時店の奥から、置屋の楼主と思われる、年配の男が現れた。

「お侍さま方、お待たせいたしました。桜葉が何をいたしましたか。お話を伺いましょう」


 その後、宋十郎と影貫は楼主に付き添われ、寝込んでいる桜葉を訪ねた。

 影貫が楼主に説明したところによると、今朝早く影貫が旅籠へ戻ると、主の昂輝のぶてるが消えていたらしい。

 錆丸さびまるの亡霊を鎮めに姫川岳へ行くと、短い書置きだけが残されていた。

 普段の大人しい主からは説明もつかない奇行なので、何かあったに違いないと影貫が宿の者に訊ねるが、宿の者たちは、手紙を預かっただけだと口を揃える。

 ただ、昨晩昂輝の座敷に芸妓が呼ばれ、その席に何者かが同席していたようだと、下働きの小僧が言った。小僧は芸妓でなく男が歌う声を聞き、何となく不気味に思ったので、走って廊下を過ぎ去ったと言う。

 まるで主が物の怪に誑かされたとでも言いたげな影貫の口調に、楼主は怪訝な表情を隠さなかった。しかしそれを横で聞いていた宋十郎は、昨夜感じていた悪い予感が、ここでも実感になりつつあるのを感じていた。

 桜葉の寝室へ入った時、宋十郎は瘴気を感じた。

 布団の中で寝込んでいる娘から、魔物の気配がする。それはこの娘の気配ではなく、娘を病ませているものの気配である。

 どうやら同じものを感じたらしい影貫が、娘の前に跪くと、ふむと鼻を鳴らした。

「どうやら、殿を攫ったんは魔性の類どすなあ」

 背後で控えていた楼主が、顔を青くした。

「そ、それはどういうことでございますか」

 影貫は答える。

「俺も見たわけやないからはっきり言えへんけど、昨晩殿の座敷でうとてたっちゅうもんは、人と違うかもしれへんねえ。芸妓はんは瘴気にてられてはるわ。こら、当てが外れおしたなぁ。慌てて姫川岳行く前に、ちょいとでも魔性のこと聞けたらええ思うたんどすけど」

 すると、楼主が言った。

「あの、桜葉は、どうしたらよいのでしょう。桜葉はこのまま目覚めぬのでしょうか」

 ちらりと顔を上げた影貫は、興味なさげに言った。

「俺は、魔性の気配は捉えても、毒の除き方やら分からしまへん。お寺かお宮にでも行かはって、その道の人に祓うてもらうんがええんちゃいますか」

 宋十郎は、熱を発しているのに土色の顔をし、硬く両目を閉じた桜葉の顔を見下ろした。

 果たして楼主は、芸妓をわざわざ医者に診せるだろうか。あるいは診せたら、桜葉はまたその代金を、働いて返さねばならぬのか。

 密かに、宋十郎は唇を開いた。

 彼の鳴声は、誰にも聞こえないはず、である。

 しかし、影貫が振り返った。

 彼は、彼を凝視する忍を無視して、最後まで音を唱えきった。

 箕緒みのおの時と同じように、桜葉から漂っていた瘴気は消える。

 影貫が、普段は細めている瞳を開き、宋十郎の顔を見つめている。

 その前で、桜葉の顔に、みるみるうちに血の色が戻ってくる。

 娘の瞼が動き、やがて、瞬きした瞳が開いた。

「あ、」

 楼主が声をあげる。

「楼主さま……」

 掠れた声で、桜葉が言った。

 次に桜葉は、宋十郎の顔に目を止めた。

「お侍さま……?」







 四半刻後、宋十郎は影貫と並び、柳坂の町外れを早足に歩いていた。

 意識を取り戻した桜葉が、昂輝を連れ出したのが坊主と癖毛の若者の二人組だと明かしたのである。

 宋十郎はそこで、その二人組が自分の連れだとは、一言も言わなかった。

 ただ、影貫と彼が追うものは同じ場所にあり、影貫はこの先にあるものと宋十郎の関わりを怪しんでいる。

 忍の先回りをできる足は彼にはないし、逆に敢えて影貫を先に行かせれば、先に篭と孔蔵に追い付くのも当然忍である。

 やむを得ず行動を共にしたものの、この先で何が起きるのかは、もはや彼には予測もつかない。

 桜葉を病ませていた瘴気と、桜葉が語った若者の様子から、宋十郎の予想は確信に変わっている。

 十馬が出ている。

 篭に何かが起きたのだろう。

 胸の内が冷え、渦巻いている。

 富多川ふたがわのほとりで再会した時、篭のが変わり始めていることに、宋十郎は気付いていた。

 彼はまた、守れなかった。

 自らの無力さに、彼は打ちのめされている。

 やはり彼では、守れないのかもしれない。

 所詮しょせん彼は守る者でなく、殺す者である。

「なあ」

 沈んでいた思考に、影貫の声が差し込まれた。

 影貫は歩きながら喋った。

「で、あんたがなんでその、物怪もののけ坊主と化物ばけもの役者を追うてはるのかは、やっぱり秘密なんやろか」

 宋十郎は、隣を歩く忍に、視線だけを向けた。

「……貴殿に明かす義理はない」

 にいと影貫は笑った。

「あんたに義理はないんかもしれへんけど、俺には大事なことどすえ。あんたの知り合いがうちの殿に妙な術かけてかどわかしたんやとしますやろ、ほしたら俺はあんたをなますにしてでもお話聞かなきゃなりまへんのよ。なんで今、それをしてへんかわかります?」

 影貫の笑う顔は、少なくとも宋十郎には、凍りつき温度を失った能面のようにしか見えない。

 彼は答える。

「一刻も早く、主に追い付いて安否を確かめるためだろう」

 再び影貫は笑う。

「そうそ。それがあるから、あんたを片付けるなおす暇もあらへんわなあ。ですけど、俺にあんたをなおさせる前に、その物怪二人組が何者か、俺に話して恩着せるのも、悪い話やないと思わはりまへん?」

 大した自信だと、宋十郎は思う。

 魔物を操るというのは、本当なのだろう。

 宋十郎は、答えた。

「坊主のほうは人だが、歌い手の若者は、恐らく魔物だ。私はその魔物を封じるために、二人組を追っている。貴殿とご主君には迷惑をかけたが、これ以上は貴殿を煩わせない。二人の身柄は私が預かる」

「その魔物って、あんたの身内やろか? 鬼や魔物とは違うてはるけど、あんたもあっちのもんとおへんか?」

 既に彼らは町外れも抜け、沼や林が続く街道沿いを歩いていた。点々と農家が見えるが、人影はない。

「……それも、貴殿に明かす道理はない」

 宋十郎は言った。

 そして、徐々に予感する。恐らく影貫は魔物や怨霊の類は操るが、宋十郎のようなものは扱えないのだろう。その名の通り影に針を刺し糸で操るのなら、操ることができるのは、影を持つもののみである。

 そうでなければ、とっくに彼のことを傀儡くぐつにしているか、そうしようと試みているはずだ。

 にいと、影貫は笑った。

「同じこと、二遍にへん聞くとは限りまへんえ」

 その言葉は反応を求めるものではないと、宋十郎は判断した。

 代わりに彼は問うことにした。

「貴殿は寺本の家臣と仰ったが、寺本の御子息がこんな場所で何をされている。もちろん、貴殿にも答える義理も道理もないが」

 影貫は歩調を緩めずに答える。

「まあ、義理や道理の話じゃおへんけど、お偉いさんの仕事なんて、そうそう意外なこともありまへんでしょ。あんたが想像されはったら、大体恐らく合うてますわ。俺は殿にくっついて、暇潰しさしてもろてるだけどすなぁ」

 暇潰し。彼には耳慣れない言葉に、宋十郎はわずかに目を細めた。

 宋十郎は返事をしなかった。

 彼らはお互い、必要とあらば戦うしかない相手である。

 彼の沈黙を受け入れた影貫と、彼は並んで歩いた。




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