第22話 波に攫われ




 彼は、ひとりぼっちで野原の中に立っていた。

 彼は小さな子供で、草鞋わらじも履かずに、左手に細い木の枝だけを握っている。

 風が吹いた。

 胸が痛いと感じ、頬が涙で濡れているのを感じた。

 彼は泣いていた。

 西の空では、陽が沈もうとしている。

 しかし彼は、戻りたくなかった。

 戻らぬなら、前に進むのみである。

 野原の向こうに続いている山に向かって、彼は歩き出した。

 空には、うっすらと淡い月が浮かんでいる。

 

 痩せた子供の裸足の足で、彼は山を登る。

 黄昏時の木々の下は、足元が見えないほど暗い。

 それでも岩を越え木の根を跨ぐうち、少し開けた場所へ出た。

 そこには見覚えのある、小さな石碑があった。

 月光が注ぐその場所に、彼と同じくらいの子供が立っている。

 子供の髪は、月明かりを吸ったような白銀色をしている。

 白い子供の右手には、彼と同じように木の枝が握られていた。

 彼が手を振ると、それを真似たように白い子供も手を振った。

 笑顔を浮かべた彼は、友達に歩み寄っていった。







 ろうは目を覚ました。

 安宿の板の間で仰向けに転がり、天井を見ていた。

 頭は枕から落ちて、両目が開いている。

 眠っている間に、包帯をむしり取ってしまったようだった。

 左右を見ると、宋十郎そうじゅうろうの背中と孔蔵くぞうの横顔が見えた。

 孔蔵は今日も鼾をかいている。

 眠る宋十郎を見るのは久し振りだと思ったら、宋十郎がむくりと起き上がり、彼を見下ろした。

「孔蔵どのが起きる前に、身支度でもするか」

 起きていたらしい。

 彼は転がったまま頷いた。

 立ち上がって部屋を出てゆく背中を追いかけようとして、振り返った宋十郎に制止される。

 宋十郎は床の間へ戻ると、床の上から篭の包帯を拾い、簡単に彼の左目に巻き付けてから、再び歩き出した。

 包帯を巻かれている間、十馬の夢を見たと言おうか、篭は考えた。

 しかし眠っている孔蔵を気遣っているうちに、言う機会を失った。







 鴛房おぶさはそれなりに整備された大きな町だったが、鎌倉かまくら太畠うずはたと比べると、随分と静かだった。

「何か、きれいなところだけど、人が少ないね」

 朝の街を歩きながら、篭は感想を口にした。

 孔蔵が繋ぐ。

瑞城たまきは将軍家の分家でしょう。ちょいと前は鴛房あたりでも、随分華やかだったって聞きましたけど」

「瑞城は先の戦で西隣の榁川むろかわ夏納かのうに敗れ、多くの財や人を失ったはずだ。当主の惟人これひとは病床についており、今は子の希人まれひとが事実上瑞城家を宰領していると聞いた。以前の勢いを取り戻すのは難しいのだろう」

 宋十郎が声を低くして言うと、孔蔵が、他人事のように言った。

「頼みの綱の将軍家も、随分揺れてるって言いますしねえ」

 二人のお喋りはこの日も篭には意味不明だが、昨日の後だと、それを聞くのも悪くないように思える。

 横並びに歩く二人の後を進みながら、篭は秋晴れの空の下を眺めた。

 右前方からこちらを眺め返す美しい山は富士と呼ばれているのだと、孔蔵が教えてくれた。

 鴛房を出ると、風景は再び野原と林に変わり、さらに進むと海が現れた。この辺りの浜の砂は黒く、深い青との対比が穏やかだった。

 街道沿いに散らばる小さな漁村に差し掛かったところで、浜辺に人が集まっているのが見えた。

 がやがやと騒いでいるのは日焼けした漁師たちと、その家族のように見える。

 人だかりの中央に、壊れた舟と、倒れた人間らしきものが見えた。

「何ですかね」

 孔蔵が言い、笠の影から浜辺を見遣った宋十郎が短く答える。

「事故か」

「ちょっと見てきますよ」

 一人で街道を外れた孔蔵が、人だかりへ近付いてゆく。

 それを見送り、宋十郎は立ち止まった。

 ふうと溜め息を吐き、篭を振り返った。

「仲直りしたと聞いたが」

 篭は少し考え、孔蔵のことだと思い至った。

 そして、別に喧嘩などしていたわけではないと思う。

 彼は首を傾げた。

「忍者に騙された時に、助けてくれたよ」

 宋十郎は頷いた。

「変わった御仁だが、人は善い」

「宋どの、篭どの!」

 呼ぶ声を振り返ると、僧侶は浜辺から長い腕を振って手招きしている。

 宋十郎がそちらへ向かって歩き始めたので、篭はその後を追った。


 浜辺に打ち上げられていたのは、大破した小舟と投網とあみ魚籠びく、漁師の亡骸だった。

 亡骸は胸を裂かれ、首には獣に噛まれたような大きな傷があった。

 漁師の一人が言うには、同じような死に方をした者は、先日から二人目だという。海に出た翌日、無残な遺体となって浜に流れ着く。

 村人たちが口々に言う。

「化物が出た」

「このところ景気も悪い上に、これじゃ漁にも出られねえ」

「明日は我が身かもしれねえと思うとなあ」

 白髪の老婆が、孔蔵の前へ進み出てきた。

「お坊さま、こりゃあ、おうねさんの仕業です」

 孔蔵が反応する前に、周囲の村人がどよめく。

さとばあちゃん、よせって。そんなのは村の噂だろ」

 男が言い、老婆は男を睨んだ。

「噂じゃないよ。お坊様に、嘘は吐けんよ。お坊様、聞いてくだせえ」

 孔蔵に向かって老婆が語ったのは、こういう話である。

 老婆がまだ子供の頃、四人の村人が、街道を一人歩いていた旅の男を襲った。当時も戦続きで生活に苦しんでいた漁民は、旅人の身ぐるみを剥いで殺し、遺体を海へ捨てた。

 しばらくして、旅の女が一人で村を訪れた。女は、殺された旅人の許嫁であり、行方不明になった男を探しに来たのだった。四人の村人は、この女のことも身ぐるみ剥いで殺した上、海へ遺体を流してしまった。秋のことだった。

 それ以来、海に出た漁師が体を裂かれ死体となって戻ってくるということが、度々起こるようになった。

 いっとき収まった時期もあったが、漁村の生活が荒れてきて季節が秋になると、同じことが起きるという。一度の秋に殺される漁師の数は、四人である。

 お畝というのは、殺された女の名前だった。

「わしのばあさんも父さんも、村の恥だと言うて隠しておりましたが、きっとこれはお畝さんの仕業です。殺されたお畝さんが化物になって、この村の漁師を殺すんです」

 老婆が語る間、他の村人は口を閉ざして青い顔をしていた。

「お坊さま、どうにかして、お畝さんを鎮めていただくことはできないでしょうか」

 とうとう老婆は孔蔵の袖を掴むと、若い僧の顔を見上げて懇願した。

 篭は老婆の話を聞いて慄然としていた。

 恐ろしい話である。

 きっとお畝という女は、怨みに憑かれ、海に棲む鬼になってしまったのだろう。怒りと悲しみに暮れ、我を失い人を傷つけ、命を奪う。

 一方で話を聞き終えた孔蔵が、宋十郎を振り返った。

「宋どの、一晩だけ、この村に泊まってきませんか」

 宋十郎は目を細めた。

「私たちは鴛房を出てから、まだ半日も歩いていない」

 すると、孔蔵は何かを閃いたように、老婆と村人へ向かって言った。

「村の衆よ。そのお畝さんとやらを見てみようと思うが、どうだ。で、もし俺がその魔物を鎮められたら、この人にいくらか謝礼の金をやってくれんか」

 そう言って孔蔵は、宋十郎を指す。

「孔蔵どの、」

 すぐに宋十郎が声をあげた。しかし、村人の一人が被せた。

「で、ですが謝礼つったって……ここも貧乏村ですから、まともな銭なぞ置いとりませんよ」

 孔蔵は答える。

「別に、謝礼は銭でなくともいい。米や干し魚なんかでもいい。この人達は旅人だが、道中でごろつきに路銀を奪われてな、このままじゃ立ち往生だ。金に換えられるものでなくても、旅の役に立つものなら何でもいい」

 戸惑うように顔を見合わせている村人たちに向かって、老婆が言った。

「なあ、まずはお願いしてみようじゃないか。今夜のうちに、出せるもんを搔き集めたらいいだろう」

 村人たちは不安そうに、しかし口々に同意を表した。毎年四人も家族や働き手を失うことに、小さな村の人々は疲れ切っているようだった。

 溜め息を吐いたものの、宋十郎はそれ以上反論しなかった。ただ、小さく頭を下げた。

「かたじけない。恩に着る」

 宋十郎の表情は暗い。

 孔蔵は笑うと、宋十郎の肩を叩いた。

「困った時はお互い様って言うでしょう。宋どのもまだ顔色悪いから、ちょいと休んでてくださいよ」







 郷という名の老婆が、一夜の宿を貸してくれることになった。

 早めの夕餉を済ませ、日が沈むのを待って、孔蔵は郷の息子と二人で海へ出て行った。

 泳げそうにない篭と怪我人の宋十郎は、留守番である。

 二人は暫く郷の一家と過ごしたが、日が落ち切ると、家から少し離れた納屋へ移った。郷の一家は出掛けた息子を抜いても六人家族であり、狭い家には客人が寝泊まりする場所がなかったのである。

 潮臭い道具が転がった、辛うじて屋根と戸がついた程度の納屋の中で、二人は腰を下ろした。

「孔蔵、大丈夫だよね」

 暗がりの中で、篭は言った。

「あの御仁なら、魔物退治はお手の物だろう。海の上ということが心配だが」

 宋十郎の声が答えた。

「泳ぐのも得意って言ってたから、きっと大丈夫だよね」

 そう言いつつ、欠伸あくびが出た。

 安心して欠伸などしていられるのも、孔蔵が頼もしいおかげだろう。坊主は、忍者が二人がかりで太刀打ちできなかった黒い腕を、瞬く間に倒してしまった。

 篭は、地面に寝転がった。耳殻に砂の感触が伝わる。手の平で、柔らかい砂を撫でた。

 このままこうしていれば、穏やかな眠りが訪れそうに思えた。

 ふと、思ったことを口にする。

「宋十郎がいると、よく寝れるよ」

 闇の中で、宋十郎の視線を感じた。

「寝れないことがあるのか」

 記憶を辿りつつ、彼は答える。

「宋十郎がいない時に寝ると、鬼が出る」

 沈黙が返ってきた。

 しばらく置いて、静かな声が言った。

「一人では、不安を感じるということだろう。お前が心身ともに健やかにあることが魔物を押さえると、藍叡らんえい和尚が仰っていた。京まで、私と孔蔵どのがお前を助けてゆく。思い悩まずに、眠るといい」

「ありがとう……だから、今日も大丈夫」

 彼は半ば自分に言い聞かせるように、呟いた。

 砂と潮の匂いを呼吸し、目を閉じる。

 しかし、すぐに閉じた目を開いた。

 隙間だらけの戸の向こうに、突然気配が立ったのである。

 あるいは、気配が敢えて彼らに悟らせたといったほうが正しいかもしれない。

 緊張が立ち上がり、神経の上を走る。

 篭は考える前に、体を起こしていた。

 宋十郎が剣の柄を握る、かちりという音がした。

 かんぬきも錠もかからない戸板が押されて開く。

 二人は立ち上がる。

 月光の薄明りの中に、黒い影が立っていた。

「よう」

 黒装束に長刀を背負い、いぬの面を着けている。

 篭は思い出すなり言っていた。

らい

 仮面の頭が首を傾げる。

 いつの間にか立ち上がっていた宋十郎が刀を抜いた。

「何者だ」

 面の向こうの声が答えた。

「今、あんたの連れが教えてくれたぜ」

 忍も長刀を抜き、小屋へ足を踏み入れる。

 剣を構えたまま、宋十郎が相手を睨んだ。

遠夜えんやの忍か」

 ふんと、面の男は顎を上げた。

充國みつくにさまが、俺の主だ」

 二本の刀が、狭い小屋の中で向かい合っている。

「充國の忍が、何用だ」

 一寸先は長刀の間合いに入る。宋十郎は構えて微動だにせず、唇だけを動かした。

「あんたに関係ねえ。用があるのは兄貴のほうだ。死にたくなけりゃ、そこ退きな」

 來が乱暴に言葉を吐くと同時に、長刀の切っ先が微かに揺れた。

 そう見えた瞬間、宋十郎は一歩を踏み込んでいた。

 面の向こうで息を呑む気配がした。

 長刀の間合いに入った宋十郎が、剣を切り下げる。

 刹那遅れて來はそれを刀で受けるが、角度がまずい。

 宋十郎が撃ち込んだ二撃目も、辛うじて顔の前で受け止めた。

 狭い小屋の中で後退りし、來の背は傾いた木戸に激しくぶつかった。

 脆い戸板が外れる。

 忍びは人外の脚力で、小屋の外へ大きく飛び退さった。

「くそ……!」

 狗の面の下で声が唸る。

 真っすぐに追う剣士が追い付く前に、忍は長刀を振った。

「燃えろ!」

 しかし、振り下ろされた長刀は空を薙いだのみである。

 來が驚きに目を見開いている間に、宋十郎が追い付いた。

 剣士はがら空きになっていた相手の肩から胸を、無言で斬り下ろした。

 篭は小屋から飛び出し、月光の薄明りが注ぐ浜の上で、黒装束の男が崩れ落ちたのを見た。

 面を着けた頭が、砂の上に落ちる。

 宋十郎は相手がもう動かないのを見届けると、袂で刃を拭った。

 篭は思い出した。來は前の晩、胸を貫かれたのに、間もなく起き上がって歩いていた。

「宋十郎、そいつ」

 まだ動くかも、そう言おうとした時、まさに黒装束の体が跳ね起きた。

「痛てぇんだよ!」

 同時に長刀が振り上げられていた。

 反射的に身を捻った宋十郎は、相手の獲物が普通の刀ならば躱し切っただろう。

 しかし長い獲物は、宋十郎の左上腕を裂いた。

 剣士の代わりに、篭が叫んでいた。

「宋十郎!」

「人間が!」

 唸り声をあげ二斬目を構える來の動きが、妙にゆっくりと流れて見えた。

 斬られた衝撃で、宋十郎が次に備えるのが遅れる。もとより剣士は、肩に傷を負っている。

 それでも持ち上げた右腕の剣で、宋十郎は辛うじて長刀を受け止めた。

 しかし、人外の腕力を振るう來の一撃は重い。盾にした刀はもぎ取られ、剣士の手を離れて飛んでゆく。

 忍が三斬目を振り上げる。

 篭は我知らず、叫んでいた。

『や め ろ !!!!!!』

 來の足元で、浜の砂が弾けた。

 巨大な黒鬼の手が、黒装束の真下から生え、忍の体を鷲掴みにした。

 それだけでなく、同時に篭の足元でも砂が盛り上がった。

 現れたのは黒い左肩である。彼を乗せたまま肩はせり上がり、一つの肩から繋がる二本の腕が、砂を散らしながら持ち上がった。その一本の先に、來が握られている。

 耳の奥で心臓が鼓を打つのを聞きながら、篭は目の前の光景を見た。

 黒い手の一つが、黒装束の体を握り潰した。ものの壊れる音が、耳を塞ぎたくなる悲鳴に掻き消される。

 実際に、篭は両手で耳を塞いでいた。

 もう一本の腕は無闇に暴れ回り、それを躱した宋十郎が叫んだ。

「篭!」

 剣士の顔が青褪めている。

 篭が立つ黒い肩の横に、頭のない首があり、彼はそこへ寄りかかった。

 眩暈がする。恐怖で全身が痺れている。

 巨大な鬼の胸は半ばまで、砂の上に姿を現している。

 納屋のそばの小さな家から、悲鳴と音を聞いたのだろう、郷とその家族が飛び出してきた。

「来るな!」

 彼らを振り返った宋十郎が叫び、黒い腕を避けた。一方で、浜の別の方向から駆けてくる人影が二つある。

 一つは雨巳だった。闇に紛れそうな忍装束を着ている。

 もう一つは、妙に背の高い男だった。こちらは着物を着て長い棒を持っているが、どう見ても人間ではない。

 男の肌も髪も青白く、頭の半分には髪がない。髪がないほうの頭と顔とそこから繋がる首の皮膚が、古い貝殻のように硬質化し罅割れている。罅割れた皮膚の上に、文字や文様がびっしりと描かれている。夜闇の中で光る瞳は、蛍のように見えた。

 黒い手に玩具のように握られている來を見て、雨巳が毒づいた。

「馬鹿野郎」

 宋十郎が、忍の接近に気付いた。

 黒い腕を躱して浜の上を転がり、剣士は刀を拾う。

 黒い手が新たな敵に意識を移したかのように、握っていた來を放り投げた。

 それを追って軌道を変える雨巳が、青白い妖怪に向かって言った。

「黒鬼任せた!」

 頷く妖怪の眼は眠たげに見えるほど静かだが、足は速い。彼らの方へ真っすぐに駆け込んできた。

「篭!」

 宋十郎の呼び掛ける声がする。

 篭は大木の幹のような首に取りつき、眩暈と動悸に襲われていた。彼の恐怖と怒りを引金にして起ち上がった鬼が、今は彼に恐怖と怒りを流し込んでくる。

 暴れ回るものを止めたいが、どうすればできるのかわからない。鼓膜の底に、來の悲鳴の残響がある。

「篭、こちらを見ろ!」

 鬼の爪を剣で防ぎ、宋十郎が言う。目を閉じて鬼の首に額を預けている篭は、その声を妙に遠くに聞いた。

 青白い妖怪が、暴れ回る腕を器用に躱し、腕の一本に飛び乗った。

 異物を落とそうと振られる腕から篭のいる肩まで駆け上ってくると、棒を構えて彼を覗き込んだ。

「おまえが十馬とおまか」

 聞き慣れない低音に、篭は僅かに反応する。

 それを見て、妖怪は棒を繰り出し、篭を肩の上から突き落とした。

 篭は横向きに落下しながら、彼を追って飛び降りてくる男が白い波のような影を背負っているのを見た。きらきらと発光する雫が、砂地の上に、彼の上に降り注ぐ。

 砂の上へ落ちた篭の体は仰向けに倒れ、その上に棒を構えた妖怪が降ってくる。

 棒が彼の胸を突く瞬間、宋十郎が叫んだ。

 それは人の声でなく、風の唸る音のようだったが、その音は篭の耳には届かなかった。

 胸を突かれた篭の体は糸が切れたかのように動きを止め、黒い腕が突如として消える。

 青白い妖怪は倒れた篭の体の両側に、飛蝗ばったのように長い脚を着地させた。

 そこに、剣を握った宋十郎が斬りかかった。

 咄嗟に構えられた棒が刃を受け、はがね同士が火花を散らす。

 一度退きつつ宋十郎が再び口を開く。流れ出す音は人の声には聞こえない。

 青白い妖怪は蛍火の目を細めた。

霊喰たまぐいか……?」

 その推量は的外れではないと、宋十郎は考える。彼の術は來には効いたが、青白い妖怪には効かないらしい。

 彼は、痛む肩を無視して歯を食いしばる。

 突き出した剣で、棒使いの隙を縫って胸元を狙った。

 がつんと硬質な手応えがあり、妖怪は面食らった顔で彼を見遣る。

 その隙に、彼は弾き返された刀を横に薙いだ。妖怪は寸でのところで身を反らした。

 次の一撃は、人並みに柔そうな体の右側を狙った。妖怪はそれも辛うじて棒で防ぐと、微かに眉を顰めた。

 妖怪は後ろ向きに跳び、退避するなり頭上に上げた手の平を躍らせた。

 相手の奇妙な動きになど構わず、宋十郎は敵を追う。しかし横の浜辺に打ち寄せていた波が、まるで生き物のように持ち上がった。

 何だありゃあと、遠く背後で郷ばあさんが叫ぶ声がする。

 逃げろと言ったのにと、変なところで苛立ちに似たものを感じる。

 水の壁が月光を翳らせる。

 宋十郎は、頭上から降り注いだ波に飲み込まれた。




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