第3話
俺が何をしたって言うんだ。
いや、本当に何をした? 彼の頭にははてなが浮かんでいた。皆目見当もつかなかった。記憶を探ってもみたが、ここまでのことになるような罰当たりはやっていないはずだった。
パーティーを追い出されてから二週間経つ。一週間もしたら泣き言を言ってカレンやらナタリーやらが戻ってきてくれと懇願しにくるだろうという予想も破られ、コツコツと貯めてきた貯金は切り崩され始めていた。
「なんで金のない時に限って支払いがかさむんだ。とりあえず、大家に家賃を一ヶ月待ってもらえるか聞こう。酒の定期配達も次ので一旦解約だ。今から解約しても、月末の支払いじゃ引き落とされるが……」
彼は歩きながらぶつぶつと金勘定をしていた。付いてない時はとことん付いてない。付いてきてるのは汚い野良犬くらいだった。ところでなんでこいつは付いてくるんだ。彼は追い払おうと威嚇したが、犬は尻尾を振るだけだった。野良犬に同情されたら終わりだ。
彼の目に、街の劇場が目に入る。ため息を吐いた。これくらいしか頼みの綱は残ってないのかと思うと、気が重かった。
・・・・・
「あら、ほんと! じゃあ出てくれるの、舞台に!」
リリアン・ベルナールの高い声が響くのを、ルイは眉を歪めて受け止めた。
「気乗りはしないが、役者を何度も頼んできただろ。金がない。しばらく出してくれ」
「なに、願ってもないわよ。あんたが出てくれるならこれ以上のことはないんだから。最初から言ってたでしょ、役者はあんたの天職だって。容姿に恵まれて生まれたのに女遊びに使うだけじゃ宝の持ち腐れよ」
「姉さん、俺は女遊びなんかしてないって」
姉の軽薄な態度にはほとほと嫌気が差していた。なににおいても楽観的で、ルイと意見が合ったことはない。だが仕事という面では誰よりも信頼できるのがこのリリアン・ベルナールだった。この人は生涯を劇場という現場に捧げ、自らが舞台女優であり監督であった。幼い頃からしきりに彼を演技という表現の場に誘おうとしてきたが、ルイは断り続けていた。他人を演じたって自分が豊かになるわけではないから、無駄なことだと思っているのである。
だがここに至っては手段を選んでいられなかった。次の仕事が見つかるまでの辛抱だ。
「お兄ちゃん来てるってほんと!」
舞台袖からリハーサル上がりの妹が顔を出す。今年で十歳になる妹は、姉の影響をもろに受けて、子役としてばりばり働いている。しっとりと汗をにじませて、ロール・ベルナールはルイの元へ走ってきて座る彼の足元に抱きついた。
ベルナール家は、早いうちに陽が傾いた。父親は新しい事業に失敗して、ルイが十一になる頃に蒸発した。母はその後アルコールに精神を頼るようになって身体が使い物にならなくなった。我が家の収入源は、幼い時分から活躍してきた姉のギャラであり、またルイの給料だった。ロールはこの姉弟で立派にここまで育て上げた可愛い天使だったわけである。兄に似て金色の髪の毛に、印象的な水色の目をしている。歳にしては背が高いが、仕草は年相応だった。
「ロール、兄さんも演技をやるって」
「ほんと!」
「少しだけな」
「少しだけって言うけどね、ルイ。公演が始まったらそれだけはやり切ってもらわないと困るよ」
「二週間そこらだろ」
「公演自体はね。でもあなた、一日で台本覚えられるわけじゃないでしょ。準備に一ヶ月はかかるんだから」
「それくらいはやる。その間も金は出るんだろ」
「出るわけないでしょ。売り上げ次第よ」
ルイは頭を抱えた。準備に一ヶ月掛かって、二週間やりきって、やっと金が入るなら、状況はほとんど変わらないじゃないか。だが――。
「にいにとお芝居できるの、楽しみ」
他に方法はないし、あてもない。ロールの嬉しそうな表情まで見せられたら、いまさら後には引けなかった。なにをどうしたって、消えた父親と頼りない母親の代わりに、この妹だけは守っていかねばならない。
「ちょうどね、欠員があるのよ。主役をやる予定だった女優が急病で伏しててね。背の高い女の設定だから、それに見合う女優を探すのも厳しくって。あんたならちょうどいいわ」
ルイは姉の顔を見た。
「待て、女の役をやるのか」
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