第三話 輝く虹の宝石4

「おい、起きろ。起きるんだ黒騎くん」再び意識を取り戻した直後に聞こえて来た声は、何故か良く知る人物の声だった。


「あれ、なんで生田さんの声が聞こえて」聞きなれた爽やかな声により呼び戻された意識がゆっくりと覚醒して行き、ぼやける視界は段々とピントが合わさり始める。


 薄暗い部屋、血の沁み込んだオフィスの絨毯。地面には僅かに窓から差し込む太陽の光を反射して、こちらまで届けている無数にある宝石の欠片。周りを取り囲むように何台かのデスクが置かれていて、その中の一つには僕が持ち歩いていた荷物が乗せられている。


 手は後ろに足は揃えて縛られており、背中には人のモノと思われる体温が感じられた。何とか首だけを捻って後ろへ振り向くとそこには、何故か古めかしいローブを身に纏っている見知った顔が有る。


「やあ、ようやくお目覚め見たいだね。黒騎くん」こんな状況でも相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて居るのは、晴香さんの喫茶店で調理担当をしている生田さんだった。


「なんで生田さんが此処に居るんですか」


「悪いんだけど状況を説明している時間は無いよ。また何時奴らが戻って来るか分からないからね。見張りが居ない今の内に、せめてこの拘束だけでも解かないと。すまないけど、この紐を握ってくれるかな」生田さんは僕にそう囁くと、後ろ手のままこちらの手に紐を押し付けて来る。


 僕がその紐を言われた通りに握ると、やけに慣れた手付きですぐに縛られていた手の拘束を解いてしまった。その事に呆気に取られている中、生田さんが自分の足を縛る紐も解こうとした時だった、フロアの奥からカツカツと靴音が聞こえて来る。


「残念。タイムオーバーだ」生田さんは一言そう呟くと、前にのばした手を直ぐに後ろに戻す。生田さんが手を戻したのとほぼ同じタイミングで、フロアの角から追いかけて居た小太りの中年男が現れる。


「……で、……だから……とけと言っただろ。そんなのだからお前は万年平社員なのだろうが」男は携帯電話を片耳に当ててどこかと通話しているといた様子で、ゆっくりとした足取りでこちらに近付いて来た。


 小太りの男が電話越しに通話相手を叱っている様子を目の前で見せられているなか、生田さんが男に気付かれない様に小声で僕の耳元に話掛けて来る。


「黒騎くん。僕が君の手を縛る紐を解くから、あの男に気付かれそうに成ったら、何とかしてバレない様に時間を稼いでくれないか」一方的にそんな事を言って来た生田さんは、自分の手が既に拘束から外れているのがバレない様に背中をくっ付けて来て、その上で僕の手を縛る紐を解き始めた。


 生田さんがこちらに背をくっ付ける際に、生田さんが纏うローブの擦れる音に耳ざとく気が付いた小太りの男が、携帯電話から耳を離してこちらを睨んで来る。


「おい、お前ら今動いただろ」小太りの男は外で見かけた時とは違って、目を血走らせながらこちらへ近寄り始めた。


 このまま近付かれたら、生田さんが手の拘束を解いている事も僕の拘束を解こうとしている事もバレてしまうことだろう。だからと言って、時間を稼げと言われてもいったいどうしたら良いと言うのだ。必死に考えたが当然すぐに思い付く訳も無く。苦し紛れに窓を見て叫ぶ。


「あ、あんな所に、ユーフォ―が!」


「何を馬鹿な事を言っていやがるんだこいつ」小太りの男は僕の言葉に対して、呆れたような眼差しを向けて来る。


「やっぱりダメか」当然の様に窓の方へ振り向く事もしない小太りの中年男は奇異な目で僕の事を見て居た。だが、突然変な事を言い出す僕の事を気味悪がってか、こちらに向かう足を止めてくれる。だが、相変わらず疑わしいモノを見るような目で僕の事は見ていた。


「待てよ。お前、どこかで……」男は怪訝な表情を浮かべて独り呟く。そして、何かに納得したかのように「あぁ、あの時の」と言い出し、何かを納得したような顔を浮かべた男は、下卑た笑みを浮かべだす。


「お前、あの時の箱崎彩香に助けられたガキだな」最初男が何を言っているのか解らなかった。だが男が懐から取り出した片手に収まる程度の大きさをしたライトと虹色の宝石を見て、奴が何者で有るかに気付いた。


「お前、お前は」一気に頭に血が上る。気が付くと僕は目の前に居る小太りの男の事を睨んでいる。


「声を聞いた時に、どこかで聞いた事が有ると思って居たんだよなぁ。だが、まさかあの時のガキに出会えるなんて嬉しい偶然も有ったものだ」男はニタニタと笑みを浮かべて、手に持つライトと宝石を見せびらかして来る。


 あのライト、それにあの宝石。間違い無い奴だ。僕が解決屋に入る切っ掛け。僕の両親を消滅させたモノと同じ様な力を使って見せた、連続消滅事件の犯人に違いない。違い無いのだが、見た目が代わり過ぎていて気付くのが遅れてしまった。


 今から丁度五か月程前に見た奴の姿は細身で髪も黒かった筈だ。だが今はその真逆の様な姿をしている。姿を変える魔法でも使っているのだろうか。だとしたら対策組織クローが血眼になって、あの日僕と彩香さんが確認した外見の人物を探していたのに見付からなかった訳だ。


「今の俺にはあの時と違って協力なスポンサーが付いているんだ。今なら、あの日の借りを返す事も出来るからな。いずれ箱崎彩香と共にお前を消してやろうとは思って居たが、まさか自分から現れてくれるなんてな」男は何がおかしいのか、げらげらと笑いながら僕に向かて言葉を掛ける。


「奇遇だな。僕もお前をずっと探して居たんだ」時間を稼ぐという目的をすっかり忘れて、男を睨みつけながらそう口にする。


 すると、僕の態度が気に入らなかったのか男は舌打ちして「死にたく無いとか怯えていただけのガキが、随分と偉そうになったじゃねぇか」と怒りを露わにする。


「黒騎くん。落ち着いて、相手を挑発するような真似をしたらダメだ」生田さんが、僕に声を掛けて来るが、今の僕の耳には届かない。


 だが、男の方は生田さんの声を聞いた途端に突然冷静さを取り戻し、僕の事を再び怪訝な目で見て来る。


「黒騎だと」男は一言そう呟く。そして、何か善からぬ事を思い付いたかのように顔を歪めだす。


「お前、黒騎の家系なんだな」顔を気味の悪い笑みで歪めたまま男は尋ねて来る。


「それがどうした」男が何を思って僕の家名が黒騎なのか聞いた事を確かめるもせずに僕は、そう言葉を返す。


「そうか。そうか。こんな偶然も在るんだな」男は僕が自身の名前を黒騎だと認めた途端に笑いだし、まるで天に祈るかの様に手を合わせる。


「おお、神よ。我の願いを聞き届けて頂いた事を深く感謝します」姿恰好や言動に似合わず神へ祈りを捧げる男は、続けて聞き捨てならない言葉を口に出す。


「今度こそ、貴方への供物として黒騎の血を絶やして見せましょう」男は天に向かってそう口にする。


「今なんて言った」男が言った言葉の意味を考えるよりも先に、口が動いていた。


「落ち着くんだ黒騎くん。奴の言葉に耳を貸すな」生田さんは僕に冷静になる様にと声を掛けて来るが、今の僕には聞こえない。そんな僕の様子を嘲笑するかの様に、男は僕の言った言葉に返事をする。


「聞こえなかったか? お前を消して黒騎の血を完全に途絶えさせると言っているんだよ」男は歪んだ笑顔のまま答えた。


 どいうことだ。なんでこの男が知っている。その事実を知っているのは僕と、恐らくもう一人しか存在しない筈なのに。……そう言う事なのか。長年探して居た相手は、こいつだったのか。気付きと共に憎しみが込み上げて来る。


 僕の苗字、つまり黒騎を名乗る人物は今や僕一人だけだ。両親が消滅してから僕の事を引き取った叔父さん達だって苗字は別の名だし、遠い血縁と言う訳でも無い。


 なら何故叔父さん達に引き取られたのか。それは、あの時には既に僕以外の黒騎の名を継ぐ人間全てが居なくなっていたからだ。理由なんて考えれば簡単に思い付く、僕の両親と同じ様に消されたのだろうさ。


 消滅させられた人間はこの世に最初から居なかった事として世界に認識される。その為か、消えたモノと縁を持つ消滅を免れたモノは辻褄合わせの様に無理やり現在存在しているモノの元へと送られる事となる様だ。


 そして後に残るのは、そうして別の場所へと送られた残されたモノと何かが消滅したという痕跡だけがこの世に残る。彩香さん達はその痕跡だけを頼りに、この連続消滅事件の犯人を追っていた。当然彩香さん達も何が消えたのかを知りはしない。


 記憶も記録さえ世界から消えるのだから当然だ。だが、消滅したものが何かを知る人間は存在する。僕の様に消滅する瞬間を目撃した人物だ。当然それは消滅させるなんて事を引き起こした人物も同じで、世界から何が消えたのかを唯一知っている存在になる。


 さて話が長く成ってしまったが、此処からが本題だ。今目の前に存在している小太りの男、こいつが何故僕以外に既に黒騎の血が絶えている事を知っているのかだが、そう難しい話でも無い。単純に今まで黒騎の血を継ぐもの達を消滅させて来たと言うこと。


 つまりあの日、僕の両親を消滅させた影であり長年僕が夢に見て来た悪夢の正体が、今目の前に居るこいつだと言う事だ。


「お前か。お前が父さんと母さんを」ようやく見つけた怨敵に対して長年の憎しみが解き放たれ、強い怒りが露わになる。


「ははは。良い顔するじゃないか。その憎しみに染まった表情は最高だな」男が笑う。その憎たらしい笑顔が余計に怒りを掻き立たせる。


「いやー。まさかあの時のガキが十年間も探していた黒騎の生き残りだった問わな。箱崎彩香さえ来なければ今頃、俺が世界の支配者に慣れていたって事じゃねぇか。やっぱりあいつは俺の手で殺しておかないと気が済まねぇ。いや、今は取り敢えずお前を消さないとな」


 男はそう言いだすと手に持つ宝石にライトを近付けだす。一見、なんの危害も加えなさそうなその行為。だが僕はその行為が持つ意味を知っている。


 阻止しなければ、頭では解って居ても縛られて動けないままではどうしようも出来ない。何も出来ない事の不甲斐無さと悔しさから強く奥歯を噛み締める。


 とその時「出来た」短くも確かなその言葉が背後から聞こえて来た。その瞬間、解放された両手で思いっきり地面を押して、前のめりに成るかの様にライトの電源をつけようとした男に頭突きをお見舞いしてやった。


「うぐっ」短い男の呻き声と共に後ろへ崩れ去り、宝石とライトを手放して地面に落とす。僕は頭突きした男の上に乗り上げて、組み伏せる様に覆い被さる。


「流石だね黒騎くん。今の頭突きは見事なものだったよ」足の拘束を解いた生田さんが立ち上がり、そんな事を口に出しながら宝石を回収した。だが僕の耳には称賛する彼の言葉は届かなかった。


 そうとは知らずに生田さんは僕の足の拘束まで解いてしまう。足が自由になった瞬間僕は男の上に馬乗りになり、男の首を絞め始めた。


「黒騎くん! 一体何をしているんだ」僕がそんな事をするとは思っても見なかったのか、生田さんが驚いた様子で止めに入ろうとする。だが、怒りの感情に支配された僕は生田さんの妨害も身一つで振り払い、段々と腕の力を強めて行く。


「う、うぐぉ、が」と、どんどんと男が苦しみ始めた。彼の死が間近という所で、再び生田さんが止めに入る。


「待つんだ黒騎くん。冷静になれ。今殺してしまったら、彼が捕らえている異世界人達の居場所が分からなくなるんだぞ」生田さんのその言葉が耳に入った瞬間、シーナの姿が頭に浮かんだ。気が逸れた事で腕の力が一瞬弱まる。


「俺を助けろ」首を絞める力が緩まった瞬間、男は荒々しくそんな言葉を吐く。当然その言葉ば僕や生田さんに向けられたモノでは無い。怒りと憎しみに支配されていた頭は、その事に気が付くのに遅れてしまう。


 次の瞬間、真横に黒い巨体が突然現れる。気付いた時には手遅れで、でも何故か上っていた血が引いて頭の回転だけは早くなり、身体は逃げる事よりも優先して片手が腕輪型の身体強化装置の起動ボタンへと向かう。


 だが、出来た行動はそこまで。ボタンを押した瞬間、身体の横から強烈な衝撃が加わる。馬乗りに成っていた身体は力で無理やりにも投げ出され、近くに居た生田さんを巻き込みながら壁へと弾き飛ばされる。


 フロアの壁に叩きつけられた、全身に強烈な痛みを伴いながらも何とか身体を動かす事が出来て立ち上がれた。だが、僕の巻き添えを喰らった生田さんは血を吐いて倒れている。装置を起動して居なければ今頃僕も同じ様に倒れていた事だろう。


 倒れる生田さんか目を離して、小太りの男がいる方へと向き直る。男が首を摩りながら息を整えているすぐ横には、大きな身体を持つ黒い異形が立っていた。姿から見て人間で無い事だけは簡単に窺い知れる。


 異世界人だろうかとも思ったが、何故だかそれともまったく異なるモノの様に思えた。


「ほう、こいつの攻撃に耐えるとはな。流石は、黒騎の血を継ぐだけの事はある」男がそんな事を口にして、こちらを睨んだ。気に成る言葉を聞いた気がするけど、それよりも今は、あの黒い巨体から目を離さないようにしなければいけない。


 あいつから目を離したが最後、僕の人生は終わりを向かえるだろう。そんな予感めいた何かが、黒い巨体に僕の視線を釘付けにさせている。


「宝石を取り返せ」男が命令を下した瞬間、黒い巨体はこちらに向かて前進して来た。殺せでは無く宝石を取り返す? なぜそんな命令をしたのだろうかなんて悠長に考えている余裕は無い。唯、一つだけ分かるのは宝石を黒い巨体にも、小太りの男にも取らせてはいけないといった直観めいた何かが頭に浮かんだと言う事だけ。


 感じた直観に従うままに身体が動く。倒れる生田さんが掴んでいた宝石を取って、必死にビルの外へ向かって走った。だが、外へ向かえる通路は一つだけ、相手も馬鹿では無い。僕が宝石を取った時には既に黒い巨体が行く手を阻んでいた。


「オマエ、ニガサナイ」走っている僕に正面から覆い被さるように突っ込んでくる黒い巨体。急いで横に飛び退き衝突を避けようとする。だがおかしな事に身体全体の力が突然抜けた。


 なんで? 意思に反して力が抜けて行く事への疑問に答えるかの様にある言葉が再生される。


「今のモルモット君の身体は身体強化装置の連続使用でボロボロなの。分かり易く例えれば水の上に浮かぶ泥船みたいなものね。今は平気に感じるかもしれないけど、何時沈んでもおかしく無い様な状態なのよ」今朝李加奈さんに別れ際、言われた言葉だ。


「選りによって今かよ」なんて悪態も突けずに倒れて、そのまま黒い巨体に抑え付けられた。


「ホウセキ、トッタ」片言で黒い巨体は僕の手から奪った虹色の宝石を掲げて、小太りの男に報告する。男が「早くこっちに寄こせ」と言ってライトを持って近付いて来ている姿が目に映る。


 両手両足が動かない。このまま消されてしまうのか。こんな所で終わるというのか。まだ全然シーナに交わした誓いを果たせて居ないのに。嫌だ、こんな終わりなんて嫌だ。殺される事、死ぬ事自体は構わない。でも今じゃ無い。この男に捕まっている異世界人だけでも、せめて助けないと終われない。


 その為になら悪魔にだって魂を売ってやる。だから誰でも良い。誰でもいいから僕の命をこんな所で終わらせないでくれと組み伏せられたまま心中で祈る。


 宝石を受け取った小太りの男がにやりと笑みを浮かべて、再び宝石にライトを近付けて今度こそ僕を消そうとして居た。 


 視界の端で赤い何かが映る。それを見た時、僕が縋る相手なんて最初から一人しか居なかった事を思い出した。聞こえるか聞こえないかなんてどうでも良い、出来る事が叫ぶ事しか残って居なかったから、最後の力を振り絞って全力で叫ぶ。


「此処だーー」突然発したからか、小太りの男と黒い巨体は驚きながら耳を抑える。


「っ、うるせぇなぁ。叫ぶんじゃねぇよ」男が悪態を突きながら改めて宝石越しに光を当てようとする中、ガッシャンと窓ガラスが砕け散る音と共に赤い何かがこちらに向かって外から飛んで来た。


 その赤い何かは黒い布で僕を覆い隠して、宝石越しの光を遮る。


「悪いが、私が来た以上。そう簡単に死人は出させてやらんぞ、連続消滅事件犯」布を被せられた僕のすぐ隣からは女性の声が聞こえて来る。とても力強く芯の通ったような声。


「な、な、な、箱崎彩香! なんで貴様が此処に居る」小太りの男はあの日と同じ様に驚き、後ろへ後ずさる。


「何でも何も無いだろ。私の助手が世話に成ったな」赤い髪を靡かせて、彼女は凛々しい声でそう告げた。


「ぐぅ、何をしている。早くそいつを殺せ。お前の役割は箱崎彩香を殺す事だろ」男は慌てた様子で黒い巨体に命令する。だが巨体は動かなかった。何故かって? 理由は簡単だ彩香さんに睨まれているのだから、動ける訳が無い。


 相手の力量を計れるような人物や弱肉強食を心得ている者で無かろうと、彼女が本気で睨んで来れば、誰だって動く事は出来なくなる事だろう。生物としての本能が訴えて来るのだから、動けば殺されるのだと。


「なんでだ。なんで動かない。クソ、使い物にならん奴め。こうなったら俺が」黒い巨体が微動だにしなく成った事に憤慨した男は、彩香さんに向かって虹色の光を当てようとする。


 だが、彩香さんは僕に被せた布を素早く男へと投げて虹の光を遮り、布事男に殴りかかった。顔面に諸に彩香さんの拳を受けた男は一撃で気を失う。倒れる彼の顔の変形具合が彩香さんのパンチの威力を物語っている。


 彩香さんは気絶する男を一瞥するとこちらに向き直り黒い巨体を再び睨む。睨まれた巨体は肩をビクつかせながら、そっと圧し掛かっていた僕の上から身を引いて、隅の方で身体を震わせながら「コワイコワイ」と呟いて怯えだした。


「動けるか? 助手」彩香さんはそう言って手を差し出して来るが、今の僕の身体ではその手を取る事も叶わない。


「すみません、無理そうです。正直今は指先にも全然力が入らないんですよね。まぁ、僕は動けないだけなんで、大丈夫ですけど。生田さんの方が重症だと思うので、そっちに行って上げて下さい」僕がそう口にすると、彩香さんは周囲を見回す。


「あぁ、確かにあれは重症だな。だが応援が到着するまでの間は放って置いても大丈夫だろ。まったく、潜入する必要は無いと言いつけていたと言うのに、自分から危険に首を突っ込んだのだ。暫くはあのまま反省させとけば良いのさ」倒れる生田さんの姿を見つけた彩香さんは、何とも辛辣な言葉をわざわざ生田さんの元まで聞こえる程の大きな声で告げる。


「彩香さんは容赦無いですよね」先程の彩香さんの言葉に対しての感想を述べるが、彩香さんは僕の言葉には耳を貸さずに、ある一点を見つめていた。僕も視線だけを動かして、彩香さんが見つめる場所を見てみたが、何も無い様に見える。


「どうかしたんですか?」


「今誰かに……いや、多分気のせいだろう」彩香さんは何か含みを持たせた様な言い回しをした後に目を逸らし、気絶する小太りの男が持っていたライトと宝石を回収して、男を拘束し始めた。


 その後、遅れて階段を昇って来た異界案件対策組織クローの隊員と事後処理部隊の人間達が駆けつけて来て、彩香さんはその後の対処を任せた。僕と生田さんはそのまま医療班の手によって運ばれて行った為、あの後の事は後日報告書を呼んで知った。


 どうやら囚われて魔宝石の製造をさせられていた異世界人達は小太りの男から、居場所を聞き出して無事に救出されたらしい。そして、異世界人達と共に銀次くんも囚われていた様で、同じく救出されたそうだ。


 なぜ銀次くんがあそこに囚われていたのかと言うと、小太りの男があのビルを私物化して悪事を働いていた事が会社にバレた際、交渉手段として使うつもりで捕まえて生かされて居たとの事らしい。


 男と共に拘束した黒い巨体は彩香さんに怯えて以来、随分と大人しく成ったようで、組織内の施設の一つで監禁して様子を見ているそうだ。


 *  *  *


 ここ最近の魔宝石が裏市でばら撒かれている問題も片付いて、解決屋の依頼も一般のモノだけに成っていたある日、僕は彩香さんに呼び出されてとある場所に向かっていた。


「なんですか、彩香さん。復帰祝いにしては中々物騒な所になんか呼び出したりなんかして」身体全体に力が入らなくなった後、僕は李加奈さんの居る研究所で元通りに動けるように成るまでの間、治療とリハビリ訓練を受けていた。


 それが昨日全て完了したので、ようやく解決屋に戻れると思っていたら突然彩香さんから、監獄施設の方に来いとか言われて今此処に来たのだ。


「こっちだ。付いて来い」着くなり早々に、そう言われて中へと入って行く。そして看守にも呼び止められる事も無く、最近入って来たばかりのある囚人の牢へと案内される。


 その牢の中には、つい最近ビルで対峙したばかりの小太りの男が正座で座らされていた。彩香さんは躊躇いも無く牢の扉を開き、中には入らずに銃だけを渡して来る。


「どういうつもりですか?」


「どういうもこういうも無いだろ。助手。お前はこいつが憎くて殺す為に私の助手に成ったのだろ。だから準備をしてやったんだ。安心しろこいつから聞き出す事はもう無い。遠慮せず撃てば良い」彩香さんは冷ややかな言葉でそう言って、手にした銃を押し付けて来る。


「彩香さん、何か勘違いしてませんか。別に僕は憎いから殺すんじゃないんです。その気持ちはもう捨てましたから」


「そうか? 生田からは、この男を殺そうとしてたと聞いていたが。まぁ、別にそれならそれで構わんさ。引退前に復讐を成し遂げさせようと思ったんだがな」彩香さんは少しだけ残念そうな表情を浮かべて、向けてきた銃を構えて男に向ける。


「何してるんですか」


「どのみち、こいつは死刑が決まっている。早いか遅いかだけの違いだ。だからお前にやらせようと思ったんだが、必要無い見たいだからな」


 僕の目の前で、彩香さんは引き金を引こうとする。その様子を見ていると何だかちょっと不快感を感じて。気付いたら彩香さんから銃を取り上げて居た。


「何をするんだ」彩香さんはジトリとこちらを見て来る。どうやら僕のとった行動が不可解と思っている様子。


「えっと……」でもそれは僕も同じだ。なんでこんな事をしたのか自分でも分からない。だけど、なんでか一言文句を言ってやりたく成った。


「彩香さんって、いつも一人で背負おうとかしますよね。僕は彩香さんの助手なんですから頼って下さいよ」


「何を言っている。お前とはこいつを捕まえるまでの契約で」


「そんな事はどうでも良いです。僕はやめるなんて一言も言ってないですからね。それから」そこまで口にした後、彩香さんから奪い取った銃で躊躇い無く男を撃つ。


「撃たないとは一言も言ってないですから」憎しみでは無く、彩香さんに殺して欲しく無いという気持ちで撃った。撃ったのだけど結局殺した事に代わり無い訳で。


 更に言えば自分の気持ちもちゃんと整理が付いている訳でも無いしと、頭の中はぐちゃぐちゃだ。だから思い浮かんだ言葉をそのまま伝える。


「良いですか。僕は彩香さんの助手をやめるつもりは無いんです。それから僕が助手でいる間はこういう事は一人で背負おうとか、もう考えないで下さい。そりゃ彩香さんからしたら僕は頼り無いかもしれないですけど。ちゃんと強くなりますから。だから、これからも一緒にやって行きましょうよ」


 整理されて無い言葉は、自分でも分かる程ぐちゃぐちゃで、でも気持ちだけは伝わってると信じて最後まで言い切った。


「じゃあ、お前はまだ私の助手で居続けてくれるんだな」


「そう言ってるじゃないですか」


「そうか。……そうか。だったら引退祝いじゃ無くて、復帰祝いをしないとな。良し今日は寿司に行くぞ」さっきまでの暗い雰囲気はどこへやら、突然明るい表情に変わった彩香さんは出口の方へと歩き出す。


「え! ちょっと、これどうするんですか。放っておく訳にはいかないですよね」


「大丈夫大丈夫。後の事は処理してくれるように既に頼んで居るから」彩香さんは、明るくそんな事を言って、先に行ってしまった。


「えーー、マジか。これを放置していけとか」


「助手。早く来い」


「うーー。分かりました。分かりましたから叫ばないで下さい」憎い気持ちは捨てたとはいえ、怨敵をそのまま置いて行く事への後ろ髪は引かれつつも、呼ばれて彩香さんの元へと駆けつける。


「と言うか人の生き死にを見た後に、よく直ぐに食事に行こうとか言い出せますよね。後今日はクリスマスですよ」


「細かい事は良いだろ。私が寿司を食べたい気分なんだよ」そんな事を言い合いながら、二人して監獄を去る。


 彩香さん本人にも言ったが、僕は彩香さんの助手をこれからも続けていくつもりだ。それにそもそもの話、今の僕が解決屋を辞めたりなんかしても行く場所なんて無いのは分かり切っていることだし、無理やり辞めさせられても一人でだって異世界人を助ける活動は行うつもりなのだ。


 きっと彩香さんには僕の覚悟が伝わってないものと思える。こうなったらとことん解決屋で働いて僕がいかほどの覚悟を持って助手を続けて行くことを決めたのかを、知らしめてやらないと。


 僕は、夜空を見上げながら改めて自身の胸の内でそう決意する。

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異界案件解決屋のお仕事 針機狼 @Raido309lupus

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