第二話 星の欠片と幼きエルフ1
辺り一面が真っ白な部屋。僕は今そこで、自身よりも一回りは大きい身体をしている筋肉の塊の様な男と対峙していた。
「ヘイ、カイザー。お前の実力はその程度かい。だったら今度はミィが攻める番だぜ」
筋肉の塊みたいなごつい拳が、こちらに向かって飛んでくる。
「見えた」僕は正面で、その拳を捉え左に避けてからの相手の顎目掛けてアッパーカットを繰り出す。肘を曲げたまましたから突き上げるような一撃。格闘技で使われるパンチ技の一種で、脳を揺らす事が出来る為、力で叶わない相手との戦闘では役に経つことがあると最近教えられた技だ。
そして僕が繰り出したその技は、相手の顎に見事にヒットした。だが、おかしなことに相手は平然とした様子で立っている。
「え、なんで?」頭に浮かんだ疑問符に答えるかのように、相手が口を開く。
「カイザー。避けた後の切り返しは見事なものだ。だが、ユーのパンチにはキレが足りない。それにウィップの様な、しなやかさも必要だ。これが本物のアッパーカットさ」
そんな言葉が聞こえて来た直後、いつの間にか下に回っていた相手の拳が上がって来る。そうして僕は見事にそれを喰らった事で、今医務室にて横たわっている。
あの日、竜の鱗を奪取して、取引していた組織を捕まえる依頼を受けたあの日から、二ヵ月が経過した。
僕はあの依頼で自分がどれだけ楽観的な考えでいたのか、自分がどれ程無力な存在だったのかを理解し、自分に足りないものを彩香さんに教えられた。だからこそトム達の告別式が終わった後、久家さんのもとへ向かったのだ。
そこで彩香さんの推薦や久家さんの提案もあり、政府直属の異界案件対策組織クローの戦闘訓練メニューに参加させて貰うことになって、今に至る。
この二ヵ月間、銃撃訓練や対人戦闘、特殊な機材の使い方や戦術の勉強など、様々な事を詰め込んでいる最中だ。今日の様に訓練中に気絶する事も数え切れなく成って来たぐらいある程に、ハードな訓練メニューでは有るが自身が成長している事を実感出来ているお陰か、それ程苦とも思わない。
なんたって、これは僕が望んだ事なのだから。相手を殺さず捕らえる為には、自分がまず強く成る他無い以上、途中で辞めるなんて気持ち事態が湧かない事もきっと訓練を続けて居られる理由なのだろう。
一人で医務室の天井を見上げながら、改めて自分が訓練をし始めた頃と今の自分を比較していると、扉が開く音が聞こえた。
「ヘイ、カイザー。元気しているか?」心配そうな声でやって来たのは先程、対人訓練の相手役を買って出てくれた筋肉の塊の様な男。
「さっきは、すまなかった。まっさか受け身を取らないとは思わなかったから全力でパンチしてしまったんだよ。カイザー、どこか痛い所あるか?」
体格に似合わず心配性なこいつの名前はジョンソン。実は僕と同じ17歳で在るのだが、僕よりも数年も前からこの組織で訓練や実戦を経験している事もあり、実力だけなら僕よりも何倍も上の存在である。
だけど、自身の力をひけらかす様子は無く、よく僕の訓練を手伝ってくれたりしてくれたり、今日の様に僕が倒れた時なんかは心配してリンゴを持って来てくれたりと、結構友好的に接してくれる人物だ。
他にも良くしてくれる隊員達は多くいるが、ジョンソンとは歳が近い事や同じ趣味を持つ事も在り、自然とよく話す間柄である。
「大丈夫だよジョンソン。こう見えて結構身体は丈夫だからね。それよりもさっきのアッパーカットは凄かったよ。直前まで見えなかったんだもの」
「カイザーは、ちょっと視野が狭いのだよ。もっとフィールドをビューしないと」
「えっと、周りを見渡せってこと?」
「そうともいうな。遠くから狙われた銃口の向きを見れば相手のターゲットが分かる。相手の視線とボディの動きを見れば次のビヘイビアーが分かるのだよ」ジョンソンは時折母国語が混じるから、どうしても言っている事を理解するのに時間が掛かてしまう。
「え、えーと。動作が分かるか。でも分かった所でそんなに直ぐ反応出来ないとおもうんだけど」
「それは慣れだよ」
「つまりもっと訓練しないといけないって事か」
「グッドルックだよ、カイザー」
励ましの言葉を言い終えたジョンソンはいつの間にか切り終わったリンゴを皿に乗せて近くのテーブルに置く。
「そうだカイザー。お詫びも兼ねて、今度時間がある時に、前言っていたシュラインにいかないか」
僕とジョンソンは神社巡りが趣味なのだ。僕はどちらかと言えばオカルト方面に興味があるからその延長見たいな所では有るのだが、ジョンソンは子供の頃から神殿巡りが好きなんだとか。
「そうだな。時間があればの話だがな」
僕がそう口にすると、ジョンソンは楽しみだと言って医務室を出て行った。僕はジョンソンのその背中を見送って、切り分けてくれたリンゴを食べた後、再び訓練に戻る。
* * *
「今日もキツかったな。でも先週よりは動きが見切れるようになって来たし。少しは成長している筈」今日の訓練を終えた後、建物の外で大きく伸びをする。
町中のどこにでも在りそうなビルに囲まれた小さな空間、そこに存在する地下に続く階段を登り地上へ出る。
町中の新鮮とは言い難いが空気で深呼吸を終えた後、何食わぬ顔で隣のビルに入る裏口の扉を開き中へ。カードキーで幾つかのロックを開けて正面玄関まで行ったら、受付にカードキーを返して、ようやく大通りに出れる。訓練の為に入る際は逆の手順でしか入れない。
少し面倒に感じるが、訓練施設の場所を知られない様にする為には必要な事なのだとか。僕が正面から出たビルも表向きにはスポーツジムとして運営されているし、此処と同じように表向きはレストランだったり、ブランド店だったりの店が実際は、政府直属の組織クローが管轄しているカモフラージュの為に建てられた店だったりする。
そんなカモフラージュの為に建てられた店は全世界に存在して、此処のスポーツジム施設のように地下にある訓練所や研究所等の施設へ入る際に、一般人が迷い込まない様に出入りを管理しているのだとか。
流石世界政府の直属組織だな、使っている資金が解決屋と比べて段違いだ。そんな事を頭の中で思い浮かべて、大通りを歩いて居ると電話が掛かって来た。
電話の着信相手は彩香さんからだ。この時間に電話を掛けて来るなんて珍しい。何か急用でも有るのだろうかと、思い浮かべながら電話を取る。
「遅い。次からは着信が在り次第直ぐに電話に出る様にしろ」携帯電話を耳元に当てた瞬間聞こえて来た第一声はそれだった。着信が掛かって来てから、電話を取るまで大して時間を掛けて無かった筈なんだけどそれでも遅いと言われるとは。
「分かりました。えっと、それで急用か何かですか?」反論したところで勝てない口論に発展するだけなので、文句を押し殺して彩香さんが電話を掛けて来た理由を聞くことにした。
「用って、お前なぁ。今日のこの時間に一度連絡を入れると昨日言っただろ」それを言われてようやく昨日言われて居た事を思い出す。
今着信を取ったこの携帯電話は、つい昨日彩香さんから連絡を取り易いようにと渡されたものだ。元々僕が持って居た携帯電話よりも高性能な物で、通話内容が傍受され難いのだとかの機能が付いているらしい。
つい最近、政府直属組織クローの研究開発機関が作って完成したばかりの物で試験運用として、彩香さんの所まで回って来た二台の内一台を僕が使っている訳だ。勿論試験運用が目的なので、一日に数回はお互いに連絡を取って、使った際にノイズが発生しないか等を確認するようにも頼まれていたのだ。
「そうでしたね。思い出しました。確か明日は僕が連絡を入れる番でしたよね」
「思い出したって、もしかして忘れてたのか? まったく、明日はちゃんと時間に成ったら忘れずに掛けて来いよ。なんたって試験運用中のデータを取るだけで金を貰えるだ。こんな楽で美味しい依頼なんて滅多に来ないんだから」
そう解決屋は、この試験運用のデータを取って研究機関に送るだけでお金が手に入るのだ。解決屋で働く様になってから最近ようやく分かった事なのだが、一つでも依頼を達成出来なければ、それだけで赤字に成る程金銭的余裕が無い。
元々安定した仕事では無い事は入って直ぐに解って居た事だが、出費が多すぎて収入が殆ど無いも同然だという事実は、収入と支出の計算を手伝わされた時に分かった衝撃の事実だった。
「そう言えば助手よ。今日の夕飯はカレーだと晴香が言っていたぞ。だが福神漬けを切らしているらしくてな。と言う訳で買って帰れ」彩香さんは言いたい事だけ言って電話を切った。
「買って帰れって、彩香さんも人使いが荒いよな」今いる場所から福神漬けが買えるような店まで、それなりに歩く事になる。更に事務所まで戻るのに合計で三時間程、時間だけ見れば今から向かえば丁度夕飯までに間に合わせようと思ったら……走るしか無いか。
「遅くなったら彩香さん絶対に怒るもんなぁ。そんなに時間に厳しいなら自転車くらい買ってくれても良いじゃないか」そんな事を口にしつつも時間を気にしながら走り出す。
基本的に僕は解決屋の仕事を手伝った所で給料は貰えない。給料を払える程の余裕が無いのでそれは諦めるし、最初に契約した時も給料無しで僕が応じた以上今更それに文句を言うつもりも無い。なんたって衣食住の内、食と住の方は働いている限り無償で提供してくれるのだから、そこに関しては文句をいう権利も無いのだもの。
でも、服や消耗品、道具等の必要に成った物は、彩香さんに頼めば働きに応じて買ってくれるという約束をしていた。だから、訓練を行うように成った際、彩香さんに自転車を用意して欲しいと頼んだのだが却下されたのだ。
理由としてはどうせすぐ壊れるたり、必要がなくなるのだからお金が勿体無いとの事だった。僕ってそんなに物をぞんざいに扱う様に見られて居たのだろうか。自慢じゃ無いが物持ちは良い方だと思うのだけどな。
彩香さんにそんな事を思われて居るので在れば、早い所見直して貰える様にならないと。今の僕はそんな事を考えながら出来るだけ彩香さんの要望に答える様に行動している。それが憧れのマイ自転車を手に入れる近道だと信じて。まぁ怒られたく無いという気持ちも有るが。
ぜぇはぁと息を切らしながら事務所前に辿り着く。鍛え始めたとはいえ、訓練後にあの距離を走ると流石に疲れる。玉の汗を拭いながら、買い物袋を持ったまま息を整えて居ると二階から彩香さんが下りて来た。
「なんだ、思ってたよりは早かったじゃ無いか。急いだ事は評価してやる。でもあの程度の距離を走った後にしては疲れすぎじゃないか?」
「はぁはぁ、あ、彩香さんの体力がおかしいだけですよ。あの距離を走ったら、はぁ、誰だって疲れますからね」こっちは鍛え始めたのだって最近の元一般人だ。むしろ、ここまで走り切る程の体力を付けた事に、凄いと褒められても良いのでは無いだろうか。
第一彩香さんが規格外過ぎるだけという事も有ると思う。彩香さんの体力は底が無いのかと思える程ある。二十四時間走り続けても次の日には何事も無かったかの様にもう一日走り続ける事さえ難なくできる程の体力があるのだ。
正直信じられないような話だが本州の端から端まで休みを取らず走り抜いた事だって有るのだ。僕だってその話を聞いた時は流石に冗談かと思って居たが、訓練所に残っていた映像記録が見た後は、信じざる負えないと言う訳だ。
本人曰く今の身体になってからは肉体的な疲れは一度たりとも感じた事が無いのだとか。逆に精神的な疲れを感じ易く成ったそうなので、疲れ知らずの身体だからと言って良い事ばかりと言う訳でも無いらしい。
「お疲れ、黒騎君。相変わらず彩香さんに振り回されているみたいだね」彩香さんと僕が話ている所に、喫茶店の入口から出て来た爽やかなイケメンが声を掛けて来る。
この爽やかイケメンは生田さん。解決屋の事務所がある小さなビルの一階で喫茶店で厨房として雇われている人だ。厨房担当として雇われるだけあって、料理の腕が凄く良く。賄いの次いでに僕と彩香さんの夕食も作ってくれる良い人だ。
「あ、そうだ。これ、福神漬けです。彩香さんから切らしているって聞いたので多めに買って来ましたよ」
「おや、助かるよ黒騎くん。隣町にある、あの店の福神漬けが有るのと無いとでは、美味しさが段違いだからね」
「いえ、生田さんにはいつも夕食を御馳走させて貰ってますから、これぐらい大した事じゃないですよ」
「助手に生田も、二人とも早く準備してくれないか。いい加減空腹で倒れそうなんだが」
グ――と彩香さんがお腹の音を鳴らしながら、食事の準備をしろと急かして来る。
「あ、それじゃあ僕は、荷物置いて来ますね」話ている内に閉店準備を終わらした後、生田さんと彩香さんを残して自室に一度戻る。持っていた鞄を下ろした後、顔を洗おうと洗面所に向かう際に、布団の上で何かが白く光っているのが目に入る。
「あ、これって、この前拾った。あれ、でも拾った時は真っ黒だったと思うんだけど」
僕が布団の方に近付くと白い光は序所に薄れて行き、力を失ったかのように真っ黒な石の塊に成った。この石はつい先日とある依頼で山の方へ向かった際に、偶然見つけて拾った石だ。
見た目は真っ黒と言う事以外何の変哲も無い石の様に見えるが、吸い込まれそうな程真っ黒なその色合いのその石が、パワーストーンの一種なのでは無いかと思い。後で調べるつもりで持って帰ってからというもの、そのまま放置していたものだった。
「まさかこんな真っ黒な石が光り出すなんて……ん? 石が光る!」頭に電撃が走った様な衝撃を受けた直後、居てもたっても居られず、慌てて階段を駆け下りる。
「あ、彩香さんこれって」喫茶店の扉を開けて中へ入って直ぐ、既に食事を初めていた彩香さんに食い気味になって、石を突き出しながら尋ねる。
「この石ってもしかして、連続消滅事件に関係在ったりしませんか?」
「急にどうしたんだよ助手。食事中ぐらい静かに……おい、助手。これどこで見付けたんだ」僕が手にした石を目にした瞬間、彩香さんは声色を変えてどこで拾ったのか聞いて来る。
僕はもしかして、本当に連続消滅事件の犯人を見つける手掛かりなんじゃ無いだろうかと思い。焦る気持ちを抑えつつ、先日の依頼で向かった際に見つけて拾った事を伝えた。
「成る程な、あの蛇神件の時か。だが、どうして拾った時に言わなかったんだ」
「あの時は、これが光るのを見てなかったから、パワーストーンの一種かと思って」
「光っただと。何時だ。何時光ったんだ」
「さっき、荷物を置きに部屋に戻った時に、光ってて」
「そうか、出かしたぞ助手」
「そ、それじゃあ。もしかして、これで連続消滅事件の犯人を捕まえられるんですね」
「え? あぁいや。その石は、それとは別件の方に関係していてな。その石が在れば依頼を直ぐにでも達成出来るかもしれんのだよ」
「そ、そうですか」僕が追っている連続消滅事件の犯人を、ようやく捕まえられると思って勝手に盛り上がっていただけに、違うと分かると一気に興味が失せてしまった。
「助手よ。明日私は、研究機関の方に顔を出す予定がある。その次いでに、奴らに石を渡したいから暫くの間、預かるぞ」
「え、あぁはいどうぞ」僕は、そのまま彩香さんに持っていた真っ黒な石を手渡す。
その様子を晴香さんは不思議そうに見ていた。当然だ。晴香さんは解決屋の仕事がどんなものなのかは大まかに知っているものの、話に入れる程詳しい訳でも無いのだから。だから晴香さんが不思議な表情をするのは分かる。
でも生田さんは、異界関連の知識は晴香さんより無い筈なのに、全然不思議そうな目で見てこなかった。僕はむしろその方に驚いている。何も知らない一般人がさっきの僕と彩香さんのやり取りを聞いていれば、怪しげな目で見てきてもおかしく無いと思うのだけど。
「ほら、黒騎君。早くしないとカレーが冷めてしまいますよ」頭に浮かぶ疑問符を掻き消す様にカレーを食べる様に、生田さんが進めて来た。
「そうだぞ、助手。折角美味いカレーなのに冷めたら不味くなってしまうだろ。それに、早くしないと私が残りを食べつくすぞ。と言う訳で生田御代わりだ」
彩香さんは細身の癖にやたらと食べるんだよな。実はそれが強さの秘訣とか? いやそんなどうでも良い事考えている暇があるなら手と口を動かさなければ、僕だって訓練や福神漬けを買いに走って来たお陰でお腹が空いているのだ。食べつくされる前に僕も食べないと。
なんとか、僕も彩香さんが食べつくす前に御代わり合戦に乱入出来て、十分に食事を取る事が出来た。意外と晴香さんも結構食べる方だから、出遅れると食べ損ねる事もあるから気を抜けないんだよなぁ。
「あれ、そう言えば、なんで食べ遅れんたんだったっけ? まあ良いや、明日も早いし今日は早く寝よう」
そんなこんなで、真っ黒な石の事なんてさっさと忘れた僕はその日の夜、満腹感と共にぐっすりと眠りに付いく。この時の僕には、翌日どんな事に巻き込まれるかなんて考えもしてなかった。
翌朝、日が出る少し前の時間、いつもの様に目覚ましアラームで目を覚ます。
「う、うー」唸りながら、被っていた布団から手だけを出して目覚ましを止める。少し肌寒く成り始めた今の時期には、こんなにも心地の良い布団から出るだけで、ぞれなりに時間が掛かってしまう。
そして、目覚ましを止めてから再度鳴り始めるアラーム。自分で掛けておきながらも親の仇の様に布団をガバっと蹴り飛ばしてから目覚ましを止める。一度だけでは布団への恋しささから、再び眠りに付いてしまう為、二回連続で鳴るように設定していたのだ。
二回目が鳴れば必ず目覚める様に習慣付いているお陰で、なんとか、二度寝の誘惑を断ち切る事が出来ている。やはり習慣は大事だなって、今はそんなことどうでも良いんだよ。早く準備しないと。さっさと身支度を整えて二階に向かう。
「あ、そうだったな。今日は居ないんだった」二階に彩香さんの姿は無い。昨日の研究機関に顔を出すと言っていたから、もう既に向かったのだろう。まぁ、居ないなら居ないで起す手間が省けるから良いや。
テキパキと本日分の資料を仕分けして、優先の依頼を確認する。
「彩香さんが言っていたのは、この依頼の事か」昨晩彩香さんが口にした依頼についての資料を見つけたので手に取り、軽く目を通す。
内容は、最近異世界から、なんらかの原因で迷い込んで捕まった異世界の住人が愛玩動物の様に売られるオークションが近日中に開催されるとの情報が入ったと書かれていた。
解決屋として依頼されたのは、そのオークション会場を見つける事と、その日程の確認、それから異世界人の安全確保と、現地協力関係にある異世界人の安否確認をする事等と書かれている。これだけ見ると、やる事は沢山ある様に思えるが、僕が手伝えそうな事は、あまり無さそうだ。
彩香さんから以前、この世界に巻き込まれた異世界人の多くが政府の庇護下で一般人に扮して生活していると聞いたことがある。異世界人の多くが来たくてこちらの世界に来た訳では無いと言う事と、庇護と言う名目の監視をして居なければ、被害が出るのを未然に防げないからなのだとか。
だが、政府とてこちらに迷い込んで来た異世界人を全て把握出来ている訳じゃない。裏世界の金持ち達は、異世界人をペットか何かと勘違いしている用で、捕らえてオークション等で競りにかけている事があるのだとか。
異世界人はこの世界とはまったく異なる未知の力を使う事がある。場合に寄っては災害並みの被害を及ぼす事だって在り得るのだ。そして、得てしてそれらの被害を起す場合は大抵、異世界人に強い精神的負荷が掛かって起こる事が殆どだ。
最近はそれが認知され始めているからなのか、それとも異界対策の政府関係者が妨害をしたり、機に乗じて裏組織を壊滅しているお陰なのか、その手のオークションが開催される事自体が減っているとは聞いた事が有るが、どうやら完全に無くなって居ないらしい。
そして、資料に目を通していると、聞いた事のある名前が書かれている事に気付く。なんと今回のオークションの主催はビッツファミリーだと言う事だ。
ビッツファミリーは、以前竜の鱗を奪取する依頼にて捕らえたローブを着た人物や黒服達の所属するマフィアの事だ。残念ながら捕らえて数日後、拷問や自白剤投与で情報を吐かせる前に全員が体内に仕込まれていた薬物を使用して死んでしまった事で、ビッツファミリーの幹部らを捕らえる事が叶わなくなってしまった。
だが、今回のオークションにビッツファミリーが関与していると言うので在れば、なんとしてでも捕らえて情報を聞き出したいと言うのが文面を読んでいると伝わって来る。
政府がと言うか、この依頼書を用意した久家さんがビッツファミリーに拘るのには訳がある。僕も話に聞いた事が有るだけで、詳細な事を知っている訳では無いが、何でもビッツファミリーは久家さんの弟、そして彩香さんや晴香さんの両親を殺害した人物が作ったマフィアとの事だ。
僕個人としても、日頃お世話に成っている事もあって、手助けが出来るので在ればしたいと言う気持ちは有るのだが、まだまだ彩香さんと肩を並べられる程の腕を身に着けられた訳では無いので、こういった明らかに戦闘を要する様な依頼には彩香さんが参加するのを許可してくれないのだ。
意外と押しが弱い所も有るし、何かもっともらしい理由を言ったら連れて言ってくれるかもしれないけど、お世話になっているお礼をしたいからとか言っても、「邪魔」の一言で片付けられる事だろう。
だったら最初から余計な事は言わずに、心の中で応援しておくだけに止めて置いて、少しでも早く彩香さんと肩を並べられるように成る方が賢い選択と言うものだな。それに、まだ相手を殺さずに捕らえるなんて出来る程、銃の腕前が上達してないし。
日々の訓練によるお陰か、妙に変な自信を付けた僕は、何故かこの時自分が殺されるなんて事が頭の片隅でさえ考えて居ない事に気付かなかった。もし僕が過去に戻れたならこんな甘い考えの自分を殴り飛ばしていた事だろう。
そう、僕は浮かれて居たのだ。少しずつだが確実に成長している自分に。そして、少しずつでも成長していると言ってくれる周りに甘えていた。自分が今どういった世界に足を踏み入れているのかさえ忘れて。
その日は、いつもの様に雑務を熟し、簡単な依頼を片づけて今まで通り訓練を行った。そして帰り道、一本の着信が入る。相手は晴香さんからだった。
「ごめんなさい黒騎くん。私、今日が町内会の集まりがある事をすっかり忘れてて、今から店を出ないといけないのよ。生田くんも急用が入ったとかで帰っちゃったし、彩香も今日は居ないから、夕食を用意出来る人がいないでしょ。お店に夕食代を置いておくからこれで何か買って食べてくれないかしら」
晴香さんは毎回では無いが時折、町内会に出席する事がある。ご近所付き合いと言うやつだ。何度か誘われた事があったが僕はその手の集まりがどうも苦手で、基本的に断っている。今までは生田さんか、彩香さんが居たから食事を作って貰う事が出来たが、今回は二人とも居ないから連絡を入れて来たのだろう。
「別にそこまで気を使って貰わなくても大丈夫ですよ。一応前のバイトで稼いでいた分がまだ在りますし、それに一食ぐらい食べなくても」僕がそこまで口にすると、晴香さんの少し怒った様子の声が返って来る。
「ダメでしょ。食べられない理由が無いなら、ちゃんと食べないと。彩香みたいに強く成りたいなら尚更でしょ。良く食べて、良く鍛えるのが強さの近道って、彩香も言っていたんだから。ちゃんと食べなきゃダメよ」
食べない事は悪とでも言いたげな晴香さんの言葉に押されて、気付けば「うん」と頷いていた。
「よろしい。一応幾らかカウンターの奥に置いておくから、足りなかったら使ってちゃんと食べるのよ」晴香さんはそれだけ言い残して、通話を切る。
通話を終えた時、丁度スーパーマーケットに続く十字路に差し掛かっていた。
「自炊挑戦してみるか?」道端で一人呟いてみたが、まるで料理を作れる姿が想像出来無い。当然だ、生まれてこの方自炊なんて一度もした事が無い。たった一食、食べる為にわざわざした事も無い料理に挑戦しようなんて気が起きる筈も無く、無難に弁当を買って帰る事にした。
「弁当を買って帰るなんて久々だな」少し彩香さんの助手になる前の事を思い出しながら、帰路につく。
冬が徐々に近付いて来て暗くなるのが早くなって来た今の時期、街灯も先月より早くから点いて、薄暗い道を照らしている。そんな帰り道を僕はいつもの様に、歩いて居た。
そこを、曲がり角から小さな影が飛び出して来る。咄嗟の事で避ける間もなく、その小さな影にぶつかるも、僕は少しよろけただけで、体格の小さい影の方だけが尻もちを突いた。
後ろに倒れ込んだ影の姿は街灯に照らされて、その姿を露わにする。
銀色の美しい髪、透き通る様な色白の肌、緑色の瞳の美少女だ。歳は恐らく五歳や六歳位だろうかと言った背丈。直ぐに親らしき人物が追いかけて来る様子も無いし、迷子とかだろうか。
「大丈夫かい? お嬢ちゃん」泣き叫ばれても面倒なので、少女の目線まで屈んだ後、出来るだけ優しい声を心がけて、少女に呼びかける。
だが少女は直ぐに返事を返す事はなく、泣き出す事さえせず、唯じっと僕の事を見ていた。
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