第一話 竜の鱗は貫けない2

 もう一度、最初から資料を読み直しいて気付いたが傍受した情報では、取引の場所が分からず、明日の晩に行われるという時刻に関する情報だけが書かれて居た。


「ってこれ、取引明日じゃないですか」


「だから言っただろ優先すると。それに少なくともこの町で行われる事は確かなんだろ、だったら見つける方法は幾らでも有る」彩香さんは、簡単な事だとでも言うかのように言って、自身の携帯を操作する。


「一応、協力者のSにも連絡したが……。助手、一応この辺りに怪しい人間が出入りしてないかとか聞き込みして来い」彩香さんは携帯を仕舞うとテーブルに置いてある地図を指差してそう言った。


「この辺りってむしろ怪しい人間しか出入りしない場所だと思うんですけど」彩香さんが指差した場所はこの町では曰く付きで、一般人は殆ど出入りしないような場所だ。


 僕も立ち寄った事は無いが、毎日のように薬の取引に使われているともっぱらの噂が立っている場所。そんな所に向かわせて聞き込みをしてこいと言われてもなぁ。僕がそうやって怖気づいているのに気付いたのか、彩香さんは満面の笑みで煽って来る。


「なんだ。聞き込み程度で怖気づいたのか。何なら今すぐここを辞めても良いんだぞ。こんな事で尻込みする様な足手纏いは要らないからな」


「それは、確かにその通りですよね。僕が居ても実際、あの男を捕まえる手助けにもなってない訳だし。そうだよ、僕なんかが居たって……」


 長年染み付いたヘタレ根性故か、分かり易い煽られかたをされると反論や反発どころか、自分がとことんダメな奴だという事実を思い出してしまう。


「お前なぁ、あの日の勢いは、どうしたんだよ。ここは、自分が足手纏いじゃないって証明する所だろ」


「僕のこと貶していた訳じゃないんですか?」


「あぁはいはい、貶しては居ないから早く聞き込みに行ってこい」彩香さんは面倒なものでも扱うようにそう口にして、シッシッと手を払って早く行くように促して来る。


「でも、僕なんかが……」


「良いから早く行け。ウジウジとしている奴を見ていると腹が立ってくる。連続消滅犯を捕まえるのを手伝うのだろ。だったら自分が使える奴だって行動で証明して来い」


 いつまでも自分を卑下して、動かずに居る僕の背中を彩香さんに建物の外まで無理やり押された。


「それじゃあ、一応日が暮れるまでには一度報告しに戻って来いよ」彩香さんはそれだけ行って喫茶店の手伝いに戻って行く。


 建物の窓越しから中の様子を眺めると、丁度昼食どきと言う事も有るのか店内が満席になっていた。慌ただしく動き周る店内の晴香さんの姿を見て、久家さんとの一件で感じた罪悪感から逃げ出す為に、僕は彩香さんの指示通りに聞き込みをする場所へと向かう。


 途中、他人に迷惑を掛けた事を自覚しないと行動も出来ない自分を何度も頭の中で罵った。掛けた迷惑から目をそむけて逃げる自分が嫌いだ。そしてなによりそんな自分を変えて来なかった過去の僕が一番嫌いだ。


 子供の頃の僕は、こんな人間じゃ無かったと思う。もっと前向きに生きていた筈だ。それが誰かにお前はダメだと言われると、すぐに後ろ向きにしか考えられなくなったのは、やっぱりあの日の事が原因なのだと思う。


 あの日、僕の人生が狂ったあの日も今みたいな平穏な昼下がりだった。何の変哲もない筈のいつもの一日。そんな日だったとしても人生なんて簡単に狂ってしまうものだ。


 小学校低学年だった僕は、あの日忙しかった両親が偶々二人とも休みを取れた事も有って一緒に遊園地に遊びに行く途中だった。遊園地までは電車でいける距離だったから、家から何の変哲も無い路地を一緒に歩いていたあの時、僕は道端に咲いた花に近寄る蝶に釣られて両親から少し距離を離れた。


 なんにでも興味を引かれやすかったあの頃の僕は、一匹の蝶が飛んでいる事にも大喜びして後を追ったのだ。そしてその蝶が花に止まると両親に向かって「これ見て」なんてキャッキャと笑いながら口にする。僕の両親はそんな無邪気だった僕の姿を見て微笑みを浮かべていた。


 そんなどこにでも居そうなごくごく普通のでも幸せな家族だった。あの影が現れるまで。微笑む両親の背後に現れた人影が現れたのだ。丁度屈んでいた為、顔が見えなかったから影と呼ぶが、そいつはおもむろに僕の両親に向かい光を放つ。


 虹色の綺麗な光だった。僕はそれに見とれて、光に照らされる両親を見ていた。そう見続けていたのだ。それなのに両親は一瞬にして消え去った。そこに合った筈のものが、目の前にいた筈の両親が一瞬にして消えたのだ。


 我が目を疑った。自分でも気付かない内に目をはなしてしまい両親が別の場所に移動しただ、それしか考えられなかったから辺りを見回したのだけど、僕の目には慌てた様子で走り去る影の後ろ姿しか映らなかった。


 両親が突然消えた事を頭が理解するまでの間僕は、その場で固まってしまい、影の後を追う事も無く思考停止。いつもなら僕を驚かせる為に両親がかくれんぼをしていると楽観的に考えていた当時の僕でも、何か嫌なことが起こったと言う事だけは理解できた。


 理解できると急に不安に成り、急いで家に戻る。家の鍵は両親が持っていたから当然玄関から入る事は出来なかったが、僕はその日ベランダの鍵をし忘れて出て行った事を思い出してアパートの裏へ。


 いつも探検でよく窓から出入りしていた為、鍵さえ開いて居れば簡単に部屋の中へ入れる。そうして、僕は部屋の中へ入ったがそこで驚くべきものを目にする。なんたってそこには何も無かったのだから。


 そう、僕が勉強していた机も、母が料理を作っていた台所の食器棚も、父の趣味だった釣りの道具一式さえも全て無かった。まるで、最初からそこに誰も住んでいたかったように家具という家具全てが無くなっていたのだ。


 意味が分からなくて、混乱して、どうすれば良いかも解らず唯々何も無いその部屋で、座り込んで居ると。玄関から人が入って来る。もしかして両親が!そう思って玄関へ向かうと知らない人が居た。


「なんだこのガキ。どっから忍び込んだんだ」「あらあら、迷子かしら」「子供が簡単に入れる様な所に住みたく無いぞ」玄関の前で好き勝手に言って来る大人達。僕は訳も分からずに泣き出してしまった。それを邪魔に感じた大人達は僕を警察へ突き出す。


 警察の人が僕に事情を聞いて来たから、僕はありのまま起こった。見たままの事実だけを語った。両親が目の前で消えた事、家に返っても家具が無くなっていた事を。警察は正義の味方だと教えられて来た僕は、この人達なら何とかしてくれると信じて疑わず、少し調べて来ると言った警察を待って、大人しく交番で待って居た。


 すると警察は見た事も無い人達を連れて来て、僕を虚言壁のある厄介な子供だから、目を放さないようにと、その人達を怒った。僕には何が何だか分からなかった。


 そして気付いたら、僕は警察が連れて来たその見た事も無い人達の子供と言う事に成っていた。何を言っているのか分からないって?そりゃそうだ。僕だって分からなかったんだもの。


 これは、ずっと後に成って知った事だけど。僕の両親は最初から存在していなかった事になっていたのだ。役所に忍び込んで戸籍を見たから確かだ。両親が存在していた事実だけがこの世から無くなって、僕という二人が産んだ子供は身寄りの無い子供の一人として、会った事も無い親戚に引き取られていた事に成っていた。


 その事実を知らなかった頃の幼かった僕は、本当のことを信じてくれる人を見つけて助けて貰いたいが為に何度も何度も事実を話していたが、その言葉に耳を貸す人間はだれも居なかったのだ。それどころか僕を嘘つきと揶揄する人間ばかりが周りに集まり、僕をダメな奴だと言ったり、信用成らない人間としてのレッテルを張って行く。


 そうして僕は社会的な信頼を子供の頃から、無くして言った。常に周りから馬頭を浴びせられ、理由の無い暴力は日常に成り、いじめも何時ものことで。そして……僕は、その信用の無さを利用されて、身に覚えの無い罪で高校を退学することになる。


「お前、もしかしてカイザーか?」「え、まじで。なんでまだこんな所に居るんだ」


「つうか、高校辞めさせられたのにまだこんな所に居るとか。もしかしてマゾだったりするんじゃね」不快な声が聞こえて来た。


 嫌な過去を振り返って俯いていた顔を上げるとそこは目的の場所で、何故かそこには、去年まで通っていた高校のクラスメイトがたむろしていた。


「銀次……くん」目の前には、いじめの主犯であった人物と、その取り巻きが座り込んでおり、僕を見て笑っている。


「カイザー風情が二条さんを名前で呼ぶなよ」「そうだ、お前だってこの人が誰だか知らない訳じゃないだろ」取り巻きたちは、僕が彼を名前で読んだ事に怒って、座っていた腰を上げ、こちらへ詰め寄って来る。


「まぁ待てよお前ら。此処でカイザーと合ったのも何かの縁って奴だろ」


「に、二条さん?」取り巻きが彼の言葉に疑問を持って首を傾げるなか、彼はこちらに近寄って来る。


「カイザー。お前も此処に来たって事は、あれを買いに来たんだろ。残念だが、今日じゃ無くて明日になったらしいぜ」


「?」彼がなんの話をしているのか解らずに黙っていると。彼は勝手に話を続けた。


「そうだ、俺の代わりに退学に成ってくれたお礼がまだだったよな。明日の晩に此処に来たら俺が特別に奢ってやるよ。俺達友達だもんな」


 彼は許可も無しに僕の肩を組んで、まるで親友に言うような口調でそう言って来た。


「奢るってもしかして薬のこと。なの?」


「あたりまえだろ?他に何があるんだよ」彼はさも当然のようにそう口にする。


「ダメだよ。危ない薬なんかに手を出したら……」


「ッチ、お前薬目的じゃねえのかよ。だったらなんでこんな所に居るんだ」


「それは……」基本的に異界案件の依頼について一般人に教えるのは禁止されている。だから、説明に困り言葉に詰まっていると、彼はイラついた様子で僕の背中を力任せに押して、地面に倒れさせる。


「お前みたいな奴を見ているとイラつくんだよ」そう言って彼は僕の腹にまたがり、鬱憤を晴らすように何度も殴る。僕は唯々一方的に殴られ続けた。抵抗も出来ず、する気も無いまま、向こうの気が済むまで考える事を辞めて、いつものように殴られる。


 そしてようやく気が晴れたのか、彼は僕の上から退いて、どこかへ歩いて行ってしまった。彼の取り巻き達は、急いで彼の後を追う。


 何度も殴られて腫れた頬を摩りながら僕は空を眺めていた。動かずに居る中時間は進み、辺りはすっかり暗く成っており、もう既に日が暮れていることに気付いてからようやく思い出す。


「あ、一度帰らなきゃいけないんだった」ずっと殴られていたせいで、呆けていた頭が段々覚めて来ると、今度は彩香さんの怒った顔が頭に浮かぶ。きっと今頃怒っているだろうなぁ。


 急いで帰ろうと思い立ち上がろうとしたが、体に思うように力が入らず起き上がる事も出来ない。銀次くんに殴られていた時、取り巻き達も面白がって僕の足や腕を近くに転がるパイプとかで殴って来たのを思い出す。


 成る程、通りで身体中の彼方此方が痛くて力も入らない訳だ。学校に通っていた頃は、もはや何とも思わなく成っていたけど。これって普通に罪に問われるレベルの事をされていたんじゃ無いだろうか。まぁ、相手が未成年同士だと色々難しいんだっけ。


「まぁ、今更そんな事を気にしても仕方ないか」相手は大企業のお坊ちゃんだ裁判に持ち込む前に、優秀な弁護士を雇って、事実を有耶無耶にするだろうし。と言うか昔頼んでも居ないのに叔父さん達が勝手に行動を起こして、結局僕一人が全部悪い事にされた事もあったんだっけ。


 はぁ、と溜め息が出て来る。昔の事を考えると増々自分が惨めに思えて来るからだ。このまま痛いからと動かずに居ると、更に惨めな気持ちが増しそうなので、無理にでも体を動かそうとする。


「痛っ、やっぱりキツイなぁ」立ち上がる為に片膝を持ち上げただけで、激痛が走って思わず力を抜いてしまう。


「この感じだと、折れては居ないと思うけど。動けるように成るのはもう少し時間が掛かりそうかも」何とか首を持ち上げて自身の足を見ると、膝から足首にかけての部分がズボンの上からでも分かる程腫れていた。昔ヒビを入れられた時程の痛みは無いから、暫く安静にしていれば動けると思う。


 唯、僕の頭の中は歩けるかどうかじゃ無くて、彩香さんにどう言い訳をすれば良いのかという不安ばかりが巡っていた。


「聞き込みの途中で不良に絡まれたとか言ったら許してくれないかな。なんて」そう口にして初めて気付いた事がある。


 あれ、なんで僕は銀次くんの事を言わないでいようとしているんだろう。僕は彼の事が正直言って嫌いだ。普段は友達友達と言って近付いておきながら、裏ではいじめの主犯なんてやっているような奴だ。金をチラつかせてやりたい放題している様を見せつけて来るのも腹が立つ。


 なにより、小中高と同じ学校に通っていた事も有って、僕が嘘つきのレッテルを張られて居る事を広めているのはいつも彼とその取り巻きたちだった。そして、僕がお世話に成っている叔父さんや叔母さん、それから妹を酷い目を遭わせたくなかったら、代わりに退学しろとか言って来るような奴だ。


 それなのに庇おうとするなんて、本当に酷いぐらいヘタレ根性が染み付いているんだな僕は。それともやっぱりあの時の事にまだ縋っていたりするんだろうか。


「友達か……」夜空の下、半分崩れている廃墟の中で、一人呟く。


 そのまま体が動かせるのを待って横に成り続けて居ると、足音が聞こえて来た。一人のものじゃない。詳しい人数までは分からないけど、多分三人以上は居ると思う。


「兄貴、本当に此処しか無かったんですか。最近はこの辺りでガキがたむろしているって噂も聞きますぜ。大事な取引を邪魔されたら」


「うるせぇ。ごちゃごちゃ騒ぐな。仕方ねぇだろ。他のめぼしい所は、警察が巡回し始めたり、他のでかい組織が集会に使ったりしてるんだ。今の俺らが使える場所は此処ぐらいしか見付からなかったんだよ」


「兄貴の言う通りだ。今は耐えるしかねぇ。例のあれを渡しさえすれば俺らは、天下の紅葉組ともやり合えるだけの資金力を得られるんだ。それにガキを見付けても消せば良いだけだろ。こんな所に出入りするような奴だ。一人二人居なくなっても何にも問題には成らねぇさ」


 声の主達は僕の存在には何故か気付かすに、廃墟の奥へと歩いて行く。正直真横を横切られた時は心臓が止まりそうになったけど、相手が間抜けで良かった。常に辺りに目を向けて警戒している様な連中だったら、今頃撃ち殺されていた事だろう。


 だけど、こんなにも近くに居てもバレなかったんだ。なにやら気に成る会話もしていた見たいだし、もう少し近付いて話を聞いてもバレないのでは?


 一瞬湧いた恐怖心はどこへやら、僕は自分の惨めさから目を背けるように、痛みに耐えながら僅かに動くように成って来た体を引きずって、声の主達を追う。


「それにしても、今回拾ったあれは儲けもんでしたね。なんて言いましたっけ。たしかりょう?じゃなくて竜。そう竜の鱗ってやつ」


「バカ、声が出けえよ。誰かに聞かれたらどうするつもりだ」


「す、すみません兄貴」


「でもまぁ、確かにあんな重いだけのものを欲しがるなんて物好きよく見付けて来ましたね兄貴。確か、ゲーム仲間なんでしたっけ」


「あぁ、お前らも名前ぐらい聞いた事あるだろ。ミスト・レイド・オンライン。最近あのゲームのチャット欄に、ゲームのアイテムと似ている物を現実で見付けたら報告してくれ。みたいなのが流れて来てな。チャットの書き込み主が、まさかあのビッツファミリーの一員だったとは思わなかったが」


 這いずっているからか、どんどんと声は離れて行き、聞こえづらくなって来た。竜の鱗という単語が聞けたし、この辺りが潮時というやつだろうか。あまり変に近付いてバレても面倒だ、一旦もどうかな。そう考え始めた時、足元に何かが当たった。


 カランという、静かな今聞き逃しようも無い様な音が廃墟に響き渡る。それは何かを叩いて少し変形した鉄パイプだった。凄く見覚えがある。銀次くんの取り巻きが僕を叩く際に使っていたものだ。なんでこんな所に投げ捨ててんだよ、あいつら。


「なんだ今の音」当然、向こうに居る男達にも鉄パイプから発せられた音は聞こえた。僕は何とかして立ち上がって、物陰に急いで隠れる。


「確かに今なにか、音がしたよな」怪しみながらこちらへ近寄って来る男達。見付かると絶対殺される。そんな恐怖で心臓がいつもより慌ただしく動くなか、一歩また一歩と男達が拳銃を取り出して、辺りを警戒していた。なんて血気盛んな連中なんだ、頼むからこっちに来ないでくれ。


「どこに隠れてんだ」男の内一人が僕の隠れるドラム缶の山に近付いて来た。頭が真っ白になった。こんな所で死ぬのか?という考えと、あの日の出来事を知るまで死にたく無いという考えが頭を巡り、余計に思考を鈍らせる。もういっその事反撃に出るか?このドラム缶の山を崩せば一人ぐらいなら。


 そうこう考えていると、男がドラム缶の一つに手を掛けた。その時「にゃーん」猫の声がした。


「兄貴。さっきの音、この野良猫が立てた音っぽいですよ」男の一人がそう口にすると、再び「にゃー」という泣き声と共に鉄パイプが転がる音がした。


「ッチ、紛らわしいやつだ」ドラム缶に手を掛けた男もいつの間にか猫の方へ向かっている。ナイス猫ちゃん。本当にありがとう。心の中で野良猫に感謝の言葉を投げかけて、そっと男達に気付かれないように猫の様子を見る。


「兄貴、どうしますかこの猫」男の一人がそう口にした次の瞬間。バーンと銃声が廃墟中に響き渡る。


「え?」思わず口に出てしまう。幸いな事に反響する銃声の音が掻き消した事で僕の声は聞かれて居なかった。それはどうでも良い。僕は目の前の光景を疑った。


「明日の取引に支障が出ても面倒だからな」男はさも当然のように硝煙の上がる自身の銃を仕舞う。


「えー、もったいない。持って帰って、解剖とかすれば楽しいのに」男の一人が笑顔を浮かべてそんなことを言った。他の男達が猫だったものを文句を言いながらも片づける。僕はその様子を唯、眺めているしか出来無かった。


 男達が帰った後、僕は血だまりの前で呆然と突っ立っていた。別にあの猫に特別な思い入れがあった訳では無い。


「なんで、あんなに簡単に撃てるんだよ」見知らぬ猫だ。結果的に助けられたとは言っても、同情する程の仲じゃない。そんな、下らない見なかった事にする理由を考えようとしている自分が本当に気持ち悪くて惨めで。


 もし僕が、音を立てなかったら。あの時ドラム缶を崩して一人でも下敷きにしていれば。僕が彩香さん見たいに強かったら。


「クソ、そんな事ばかり考えてるから、ダメなんだろ」頭をコンクリートの壁に打ち付ける。あいつらは多分、いや確実に人間相手だろうが同じことをするだろうさ。そしてああゆう奴らが力や権力を持てば碌な事にならない。それは身近で見てきて知っている。


 新たに湧いた、初めての感情を胸に僕は、廃墟を飛び出した。


「はぁ、はぁ、はぁ。お、遅れてすみません」


 異界案件解決屋の事務所。そこへ走って帰って来た僕は、扉を開けて直ぐの所で息を切らしながら頭を下げる。


「遅いと言いたい所だが、助手よ。お前、なんでそんなにボロボロに成っているんだ」


 僕の恰好を見て、首を傾げている彩香さんに、僕は今までの経緯を話した。銀次くんの事を話すかは迷ったが、明日の晩、あの場所で取引が行われる事を知った以上。隠しておく訳にもいかない。


「成る程な。と言う事はだ、つまりお前は一度もその銀次とか言う奴らに反撃しなかった訳だ」


「え?そう、ですね。でもそれよりも、明日薬を買いに来」僕が話している最中に彩香さんの右ストレートが飛んできた。当然避ける間もなく直撃しする。


「なんでやり返さなかったんだ。この根性無しが。いじめられていたとは聞いて居たが。そこまで性根が腐っていたとはな」


「あ、彩香さん?それよりも今は、って待ってください。これ以上殴られるのは本当に勘弁して下さいよ。ちょっと待って、本当に待っ」


 その後、彩香さんは容赦無い攻撃が僕を襲う。容赦無いと言っても多分、彩香さんが本気で殴る事は無い。彼女は自分の力がどれ程危険か理解しているからだ。だからとはいえ、彼女は振り下ろす拳は当たると十分に痛い。


 辞めてとお願いしても、全然辞めてくれない。それに痛い。彩香さんが鬱憤を晴らす為に僕を叩いて来る事は、この一月の間にそれなりにあったけどここまで何度も殴ってくるのは初めてで、彩香さんが何を考えて居るのかが増々分からない。というか痛い。


 痛い痛い痛い痛い痛い「痛いって言ってるでしょ」ひたすら続くパンチの雨を何とかしようと思わず手が出てしまった。上空に突き出した拳は、力無く彩香さんの頬を掠める。


 瞬間、僕の顔は一瞬にして青ざめたと思う。冷や汗が止まらなくなった。次は彩香さんの本気の拳が飛んで来る。そう思って思わず目を閉じる。


 終わった。今まで人を殴ったことなんて無かったのに、どうして手が出てしまったんだ。今までだったら我慢出来たじゃ無いか。後悔の念が頭を占めて行くなか、彩香さんの口から思わぬ発言が飛び出て来た。


「そうだ。一方的な攻撃をされたらちゃんと反撃しないとな。そうじゃないと生き残れない」


「ふぇ?」目を開けると彩香さんが笑顔でそう言っていた。僕は訳が分からなくて思わず変な声が出る。


「良いか助手。お前はまだ解って無い見たいだから敢えて言うが、お前が思っている以上にこの仕事は、綺麗事だけで生きて行ける程やわな仕事じゃ無い。依頼に依っては生きるか死ぬかなんて、簡単な話で片付かないものだってある。場合に依れば汚れ仕事だってするんだ。流石に私もお前にそこまでしろなんて言わないが、自分の身も守れないような奴を連れて行くわけにはいかないからな」


 彩香さんは言いたい事だけ言って立ち上がった。僕が呆けていると、彩香さんは近くのソファに座り込む。


「まぁ今日の所はギリギリだが及第点はくれてやる。今回の依頼は連れて行けないが、お前が追っている連続消滅犯を捕まえる頃までには、その性根を叩き直してやるよ。それじゃあ私は疲れたから寝る」


 再び言いたい事だけ言って、彩香さんはソファで横に成ってしまった。


 ……つまりどういう事?呆けていた頭を何とか動かして、さっき彩香さんが言って

いた言葉を脳内で再生する。


「えーっと、つまり。心配してくれていたってこと?」だとしたら何と分かり難い心配のされ方なのだろうと僕はさらに腫れあがった頬を撫でながら思う。


 彩香さんの方を見ると、もう既に寝息を立て初めて居る。


「僕も、もう寝よう」殴られたり、走ったり、さらに殴られたりして疲れた。階段を上がって自分の部屋に入り次第、そのまま布団にダイブする。


「今回の依頼は連れて行けないが、お前が追っている連続消滅犯を捕まえる頃までには、その性根を叩き直してやるよ」布団の上で、彩香さんにさっき言われた言葉が復唱される。


 本当にそれでいいのか。今回の依頼、後の事は彩香さんに全て投げてしまう。それはきっと正しい事だ。僕が一緒に行ったところで足手纏いに成るのは判り切った事じゃないか。なのに、それなのに……。


 頭の片隅に彼の姿が思い浮かぶ「銀次くん……」僕は彼が嫌いだ。でも最初から嫌っていた訳じゃ無いし、彼だって最初から、ああだった訳じゃ無い。なんなら、僕の両親が消えてから、初めて手を差し伸べてくれたのは彼だった。僕にとって最初で最後の友達。


「友達か……」きっと彼は僕の事をそう思って居ないのだろう。それでも僕は……。


 連続消滅犯。そいつを捕まえるまでは、正直命の危険が迫るような事を進んでするつもりは無かった筈なんだけどな。


 思わず自分の頭に浮かんだ気持ちに笑ってしまう。やっぱり彼を助けたいとかそう言った気持ちは探しても見付からなかった。こうも嫌悪する程の相手を友達と呼ぶと笑いが止まらない。


 でも、それでもだ。例え嫌いな相手でも僕はもう、誰かが死ぬのを見過ごすのは、もうごめんだ。


「あ、そう言えば結局今日何も食べて無かっ……」ふと思い出した頃にやって来た空腹感よりも疲れから来る眠気が勝り、僕はそのまま眠りに付いた。

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