第一話 竜の鱗は貫けない1

 朝の日差しが窓からカーテン越しに差し込むなかで、僕は深く被っていた布団を蹴り飛ばして目が覚めた。


「暑い」目覚めの一言はそれだけだ。と言うかそれしか思い浮かばない。


 季節はまさに夏真っ只中。暑くて当然だが、今年は去年以上に暑くて仕方が無い。年々暑くなるこの季節。子供の時は、夏休みだ海だと楽しめていたと思う。去年だったら学校に行く必要も無く、旅行に行くおじさんやおばさん、あいつに気を使わずに家で一人でだらだらと過ごせた分まだ楽しみは有った。


 でも、今の僕に取ってこの暑さは不快感以外何も生まない。少しでも暑さから解放されたいが為に窓を開けるが外は一切風が吹いていなかった。こんな無風の状態では部屋が快適な温度に調整される事を期待出来ないだろう。


 借り物の住居とはいえ、エアコンの一つ、もしくは扇風機ぐらいは設置されていない事には文句を言いたいものだ。


「でもあまり贅沢な事は言えないんだよなぁ」


 タダで部屋を貸して貰っているのだから、あまり文句を言っていたら追い出されかねない。折角手に入れた住居と仕事なのだ。ほぼタダ働き同然ではあるけど生きていける環境を用意してくれた事だけは感謝しなければ。


 気持ちを切り替える為に軽く汗を拭い、部屋着代わりのジャージからいつもの服に着替える。


 着替えの服は柔軟剤を使ったからか良い匂いがして、嗅いで居るだけで暑さによる苛立ちも着替え終わる頃には収まっていた。


 洗面所で顔を洗い、朝の身支度を終わらせた頃になってようやく目覚ましのアラームが鳴り出す。


「そうだった。目覚ましの時間変えようと思ってすっかり忘れてたんだった」此処に来てからというもの毎日の様に暑さで起こされていたから、その存在がかなり薄くなってしまったが、僕は基本目覚ましが無いと起きられないのだ。


 前まで働いていたバイトの時間に合わせていたのを変えようと思って居たのだけど、面倒がって放置していたんだったっけ。忘れない様に今変えて仕舞おう。


 そう決意し、僕は布団に乗せて充電器を付けたままの携帯電話を拾い上げて目覚ましの時刻を変更しようと画面の操作中、ドーンと下の階から何かが爆発した様な大きな音が聞こえて来た。


「まさか、またやったのかな」いつもの光景が頭に浮かび、慌てる事も無く少々溜め息を突きながら、携帯電話を布団の方へ投げて部屋を出る。


 扉を開けて階段の方へ進み、二階を通過して一階へ。階段を降りて直ぐの扉を開けて、音の発生源であるそこに入る。


 モクモクと漂う黒い煙が部屋の天井を覆う中で、洒落た雰囲気が台無しになる程飛び散るパン生地らしきモノが地面やテーブル、カウンターを汚していた。


「またやっちゃったんですか」厨房でゲホゲホと咳込んでいる人物に声を掛け、近寄る。


「ごめんなさい黒騎くん。うるさかったよね」涙声でこちらを見返す頼りなさげな、この人は箱崎晴香さん。


 僕が住まわせて貰っている部屋の家主でも有り、彩香さんの実の姉でもある人だ。


 長い黒髪に茶色の瞳、普段おっとりとした表情を浮かべていて、さらに優しい等、本当に血縁があるのかと疑ってしまう程、彩香さんとはまったくの別人の様に見える。


 さらに言えば、誘惑されればどんな男でも簡単に堕ちてしまいそうな魅惑の我儘ボディをしている。もう一度言うが、本当に彩香さんと血縁なのだろうか?


 清楚で優しく、助けを求められれば、男なら誰でも名乗り出るであろう晴香さんにも、唯一の欠点がある。それは恐ろしい程料理が下手なのだ。いや、下手という次元を越えている。料理をしようとすると何故か調理中の料理が爆発するという、最早呪いでも受けて居るのかとすら思える状況に必ずなるのだ。


 それなのに、何故か当の本人は料理を作ろうと毎朝特訓していると言う訳だ。先日何故そこまで失敗しているのに料理をするのか聞いた所、手料理を妹である彩香さんに食べさせる約束をしたからなのだとか。


 当の彩香さんはその約束を完全に忘れている見たいだが、晴香さんはそれでも挑戦を続けている。


 僕は料理の方に関してはからっきしなので、部屋を貸して貰っているお礼も兼ねて、彼女が失敗した際の片付けを手伝うのが日課になっていた。


「ごめんね。黒騎くん。いつも彩香の手伝いで大変なのに、毎朝片付けを手伝わせちゃって」布巾を使って、飛び散るパン生地を拭き取りながら晴香さんは申し訳無さそうにそう言って来る。


「いえ、気にしないで下さい。これは、僕が好きで手伝っているだけですし。それに今日は昨日よりは被害が少ないじゃ無いですか。きっと晴香さんの料理の腕も少しずつ成長しているんですよ。だからあまり気落ちしないで下さい」毎日、失敗しても挑戦を諦めない。そんな彼女に僕が掛けられる言葉なんて、気休め程度の応援だけだ。


 せめて料理が出来たなら気の利いたアドバイスが出来ただろうけど、そんなもしもの事を考えても仕方ない。それよりもっと現実的な解決策を考えないと、いつまで経っても改善はしないだろう。そこまで考えてふとある事を思い出した。


「あ、そうだ。あの人、生田さんは今日来てないんですか?確かお休み昨日まででしたよね」


 生田さんとは、この晴香さんが経営している喫茶店の調理を担当している人だ。紅茶を淹れる事に関しては天才的な晴香さんだが、料理が壊滅的過ぎた為、店を始めるにあたって雇っていた人で、ここ暫く体調不良が原因で休んで居た。


「それが、まだ連絡が取れていないのよ。いつもならこの時間にはお店に来ている筈だし、まだ具合が悪かったりするのかしら」頬に手を当てて、そんな事を口にする晴香さん。表情は生田さんの安否を気にしてか、憂いた様な表情をしている。


 その表情を見れば男なら誰だって、手を貸す事を躊躇わないだろう。勿論僕もその一人だ。


「悪いんだけど黒騎くん、今日も彩香にお店を手伝うように言ってくれないかしら」と言われたからには、当然二つ返事で返した。


 そして今現在同じ小ビル内にある二階の部屋に入る扉前に僕は立っている。扉のプレートには異界案件解決屋と書かれており、僕はそれを見る度に溜め息を突いていた。


「はぁ。流れで承諾しちゃったけど、今日もなんだよな。一体何時になったらあの事件を追えるんだろう」


 そう、僕が彩香さんに頼み込んで連続消滅事件の犯人を追う事を許可して貰い。代わりに助手として、普段の仕事の手伝いをする事を了承したまでは良い。だけど、あれから一ヵ月が経過した今でも、あの日以来、あの男の足取りを掴む事が出来ていないのだ。


 彩香さん曰く、犯人があれから犯行に出ていないらしくて、被害者もいない為、どこに隠れ潜んでいるのか見つける事が出来ないのだとか。


 被害者を出さない為に被害者を待つ。はっきり言って矛盾している。だけど犯人の居場所が解らない以上、解決屋に出来る事は無いのだとか。


 彩香さんの話では、今現在は人探しに関しては優秀な協力者とやらが全力で探してくれているらしいので、犯行が起きるか、その協力者が犯人を見つけるかするまで、解決屋として出来る事は無いらしい。


 僕としては、聞き込みでも何でもして、一刻も早く犯人を探したいのだけど。彩香さんは無駄だからやめとけとか言うのだ。それに他の仕事もあるからそんな時間を割くのは、効率が悪いと言われた。


 あくまで手伝いである僕が、彩香さんに逆らう事も出来ない以上、今は連絡を待つしかない。それは解っている。頭では理解しているんだけどやっぱり気持ちの方は早まってしまう。


 頭に浮かぶあれやこれやを振り払い、深呼吸して気持ちを落ち着かせ扉をノックする。


 木の扉だからか、コンコンと心地いい響きが聞こえて来るが、やっぱり返事は返って来ない。


 仕方無いので、そのまま扉に手を掛ける。扉はやっぱり鍵は掛かっておらず、すんなり開く。その事を今更気にせずに、そのまま部屋の奥、彩香さんのお気に入りでもあるふかふかのソファに向かいズカズカと遠慮せずに進んで行く。


 彩香さんに対しての遠慮という感覚はこの一ヵ月で当に無くなった。彩香さんの事に関しては一々遠慮していたら後々面倒な事になるのを身に染みて知っているからだ。


 部屋に入り少し歩いた先で、彩香さんを発見する。案の定ソファで横になって寝ていた。僕はそんな彼女を横目に窓のカーテンをビシャっと開き、容赦無くソファで眠る彼女に日光を浴びせる。


「う、うー」唸る様な彼女の声を聞き流し、目覚めかけた意識を無理やり呼び起こす為に、彩香さんの肩を掴み体を揺らしながら「彩香さん、朝ですよ。起きて下さい」と声を掛ける。


 だが、彼女は中々起きてくれない。朝に弱いらしく、中々起きようとしないそんな彼女を無理にでも起こす為に、何度も力ず良く肩を揺さぶる。


 悲しい事に揺れる程も無い何かとは対象的に、彼女が肩から下げている銃のホルダーはカチカチと音を立てているが、そのうるさい音でも彼女は起きようとしない。


 いつもならこれで少しは目を開けるのだが、昨日は遅くまで作業でもしていたのか、今朝は中々起きてくれない様だ。仕方ない。こうなれば最後の手段だ。


 あまり良くしてくれた人を悪者の様に言うのは気が咎めるから出来れば遠慮したいが、これが一番彩香さんを起こすのに効果的なので、仕方ない。


「早く起きないと、晴香さんに怒られますよ」その一言を彩香さんの耳元で呟くと、水を掛けられたかの様に、彩香さんが起き上がりピシッと背筋を伸ばし、パッチリと目を開けた。そして、きょろきょろと晴香さんの姿を探し始める。


「晴香さんは下に居ますよ。今日も厨房に入って欲しいらしいです」彩香さんに向かってそう口にすると、ようやく周囲を見渡す彩香さんの視線がこちらに向く。


「助手。何度も言っているがその起こし方は止めてくれ。心臓に悪いだろ」疲れたような顔をして、彩香さんは不満気にそう言って来る。


「彩香さんがもっと早く起きてくれたら、こんな起こし方もしなくて済みますよ」僕の言葉に彩香さんは何か言いたそうな顔をするが「早くしないと、本当に晴香さんに怒られますよ」の一言を言うと、慌てた様子で身支度を済ませる。


「ホントに毎日助かるよ、黒騎くん。彩香ってば朝は全然自分で起きようとしないから、いつも困って居たのよね」


 身支度を終わらせた彩香さんと共に一階の喫茶店に入ると、晴香さんが出迎えてくれた。


 しかし、こうして並んで居るところを見ると本当に姉妹なのか疑ってしまう。晴香さんが黒髪で茶色の瞳をしたおっとりした様子なのに対して、彩香さんは赤い髪に赤茶色の瞳で攻撃的な見た目をしている。


 晴香さんが垂れ目に対して、彩香さんは吊り目等の細かい違いも見受けられるが、一番決定的な違いはその胸部だろうな。肉体の歳の差故か身長よりも圧倒的なまでの格差が広がっている。っと余計な事を頭に浮かべたせいか、彩香さんに睨まれた。


 僕は時折あの人がエスパー何じゃないかと疑ってならない。なんたって彩香さん、歳、胸部を連想した言葉を頭で思い浮かべただけでこちらを睨んで来るのだもの。ほら今だって凄んだ目で見て来るし。


「助手。今変な事を考えただろ」


「な、何のことですか?」


「こら、彩香。そうやって黒騎くんに難癖付けちゃダメでしょ。それよりもう直ぐ開店時間だから、下ごしらえを初めて頂戴」


 晴香さんの一声で、彩香さんは渋々と言った様子で厨房に向かう。僕はその後ろ姿を見届けた後、階段に向かい歩き出す。そこを後ろから晴香さんに呼び止められた。


「いつもごめんね黒騎くん。黒騎くんの事情はある程度彩香から聞いているのに、彩香をいつも貸して貰っちゃって」


「いえ、気にしないで下さい。それを言うなら僕だって部屋だけじゃ無くて、いつも洗濯機や風呂を貸して貰っている訳ですから」


 気にしないでなんて嘘だ。本当は早くあの事件の真相を知りたい気持ちで一杯になって居る。それでも、晴香さんに感謝している気持ちだって本物だ。出来れば彼女の助けに成りたいと思う気持ちも確かにある。でも、どうしても僕の頭は連続消滅犯の事で一杯に成ってしまうのだ。


 こんな自分勝手な僕の感情から逃げる様に「後で、朝食を持って行くわね」と言う晴香さんの声に気付かなかったふりをして二階へ急ぐ。


 ちなみに生田さんは何やら急用で今日来られなくなっただけらしい。明日には来られるらしいから、事故に有ったとかじゃ無くて本当に良かった。


 このまま、もう来れないとかに成れば新しい人を雇うまで、彩香さんが本業に専念出来ないで居て、犯人探しにもっと時間が掛かってしまう所だった。毎日僕一人でこの量の資料を捌くのは流石に堪えるからな。


 一人で勝手に自分の作業スピードの遅さに幻滅しながらも、机に並べられた資料を整理する。彩香さんが居れば一時間で終わるこの作業を僕は午前中の時間を全て使ってようやく終わらせられる事が出来るのだ。


 資料の内容は主に異界案件と一般の依頼に区別出来る。異界案件という言葉は略称で、正式には異世界関与の可能性が有る案件と言うのだとか。長いからこの業界では、異界案件と呼ばれて居るらしい。


 正直僕には、この業界とやらがどこの業界の事を言って居るのかという所から分からないのだけど。彩香さんによると、この解決屋の様な仕事をする組織が世界中にある事さえ知って居れば言いのだとか。


 元々オカルトのあれこれを調べるのが好きな僕だから、異世界とか、不思議現象とか言われてもそれ程疑問を持たないけど。一般人にはどう説明しているのかちょっと気に成るな。っと変な方向に考えが逸れる所だった。今はそんな事よりも作業に集中しないと。


「えーっと、これは猫探しか。ってまた三丁目の裕さんじゃ無いか。あの人何回猫を逃がしたら気が済むんだよ」このように、猫探し、つまり異世界とか関係無い一般の依頼が解決屋に回って来る事がある。


 異界案件は、主にこの世界とは別の異世界から偶然か人為的に運び込まれた道具や生物、現象といったものの調査、保護を中心としており、それこそが異界案件解決屋の主な仕事でもある。


 だけど、基本的に異界案件に関わるものは表社会では存在しない事と成っている。政府がわざわざ隠蔽しているのだ。だが、時として隠蔽仕切れない場合がある。そう言った場合に対処出来るように解決屋が在るのだ。


 とは言え、政府もそれ程無能と言う訳でも無い。すぐにでも解決出来る程度の依頼や隠蔽出来るものは、こちらに回って来る前に政府所属の直属組織が対処している。


 解決屋は言って仕舞えば、その組織の尻ぬぐいや、対処仕切れない場合に備えた補欠の様な立場に在る。そんな訳で、最低限政府から支援金が渡されるとはいえ、仕事が来ない以上は別で稼がなければ食べて行く事は難しい。


 その為に、こういった猫探し等、一般の依頼を受ける事があるのだ。


 僕は、それらの依頼を一般のものかどうか、優先順位はどうか等の内容に目を通して仕分けする作業をしていると言う訳だ。


 さっきも言った通り、資料の数が大量に在る上、依頼に関係無いものまであるせいで仕分けだけで午前が終わってしまうのだ。お陰で連続消滅事件の聞き込みも碌に出来ず日々着々とストレスを溜めている。


 彩香さんに聞き込みをしても無駄だと言われてもやっぱり、進展が無いまま一ヵ月も過ごしているのは、どうも気が落ち着かなく成ってしまうものだ。


 だがそれも、明日までの辛抱だ。明日に成れば生田さんがバイトに戻るらしいし、さらに丁度明日には、連続失踪事件の調査をしている協力者の定期報告の日だ。進展が有れば明日から調査に動く事だって出来る筈なのだ。だから今は目の前の作業に集中しないと。


 僕は真剣に作業を続けていた、すると突然カチャっという音と共に後頭部に何か冷たいものが当てられる。別に探偵とかスパイでもない僕が一つの事に集中して作業を続けていた訳だから当然背後の状況に気付ける訳が無いのだけど、今回のこれは本当にビビった。


 まじで殺されるんじゃないかってぐらいビビッて、なんで人が入って来た事に気付かなかったんだって自分を責める。その間もカチャカチャと音を立ててグイグイと後頭部に冷たい何かが押し当てられる。僕に出来る事と言えば声を上げずに手を挙げる事だけだ。


 挙げた手は震え、冷や汗が止まらなかった。後ろに居る人物が何も喋らない事が尚恐怖を増している。少し前、彩香さんに聞かされた言葉を思い出す。この業界は異世界のモノを回収する際に、色々な裏組織と取引したり、時には一つの組織を壊滅させたりする事が在る為、多方面から恨みを買いやすいのだとか。


 だから、ようは今の状況はそう言う事なんだと思った。だから僕は唯手を挙げて、相手の出方を窺う他無い。


 僕がそうやって震えて居ると、後頭部に当てられて居た冷たい何かが無くなった。


「黒騎くん、もっと普段から警戒しないとダメだぞ。その調子で一人でいる所を狙われたらすぐに殺されちゃうじゃないか。それに銃を突きつけられた時にどうすれば良いのかの判断も遅い。その調子で彩香の足を引っ張られても困るからな、次からは気を付ける様に」冷たくもどこか優し気な、心配してくれている様な声が背後から聞こえて来る。


「この声は、久家さん!お、驚かせないで下さいよ」本当に殺されるんじゃ無いかと思って怖かった。正直冗談でもこんな事は止めて欲しいものだ。


「普段から警戒を怠わら無ければ、なにも問題は無いだろ。俺は気配をあえて消さずに近付いたにも関わらず、お前は俺の接近に気付かなかった。これがマフィアの拠点に潜入中で有れば、敵に気付かず今頃お前の頭は吹き飛んで居ただろうさ。俺はお前にそんな間抜けな死に方をして欲しく無いんだよ」


 この人は久家治さん。この一帯を担当する政府直属の組織を率いる隊長であり、彩香さんとは窮地の中なのだとか。


「彩香さんなら今、下で晴香さんの手伝いをして居ますけど。何か用事でもあるんですか?」


 正直僕はこの人の事が苦手だ。仕事の関係で関わるならまだ我慢出来るがプライベートで会いたく無い。なんたってさっきのように町中でも銃口を平然と当てて来て、警戒が足りないとか言って来る様な人だもの、出来るだけ関わりたく無いと思うのも当然のこと。


 用事が在ると言うなら早い所、彩香さんに預けて作業の続きをしたかったのでそう口にする。


「いや、だが下には晴香も居るのだろう。すまないが、彩香を呼んで来てくれないか。出来れば晴香に俺が来ている事は言わないでこっそりと」


 そうだった、久家さんは何故か晴香さんに会いたがらないんだったな。理由が分からないけど、そう言う事なら。


「分かりました。呼んで来ますよ」当然晴香さんのことも呼ぶつもりだ。いきなり銃口を向けて来たのだ。誰がそんな人の言う事を聞くものか。


 手に持っていた資料をテーブルに置き、すぐさま一階へと階段を降りて行く。今の時間帯的に丁度朝の忙しい時間を過ぎた頃だ。それに昼から入るバイトの子も来ている時間だろうから、晴香さんが少し席を外す時間くらい有るだろう。


 と言っても時間は有限だ。昼に成れば客足も増えるだろうから早い所呼びに行かないと。悪戯心と軽い復讐心によりいつもより速足で階段を駆け降り、店に入る。


 丁度今、店に居た最後の客が会計を済ませて出て行ったようで、他の客の姿は見当たらない。久家さんが呼んでいる事を報告するのは今しか無いだろう。


「晴香さん、彩香さん。今二階に久家さんが」来ています。まで言い終わる前に晴香さんが動いて居た。凄い速さで階段を駆けあがり二階に向かう。遅れて彩香さんが厨房から姿を見せる。


「あぁ、助手よ。選りによって姉さんの前であいつの名前を呼んでしまうとは、相変わらず空気が読めないと言うか。状況の把握が下手と言うか」彩香さんは何故か僕を呆れたような目で見て来る。


 その後、彩香さんと二人で二階に向かうと、わんわんと泣いて久家さんに抱き着く晴香さんと、僕を睨む久家さんがそこに居た。


「えっと、どういう状況ですかこれ?」彩香さんに尋ねるが、彩香さんは答えを教えてくれない


「自分で考えろ。あと反省もしとけ」とだけ言って、彩香さんは泣きつく自身の姉を久家さんから引き離す。


「彩香だけ連れて来るように言った筈だが」抱き着く晴香さんから解放された久家さんが少し怒った口調で僕に詰め寄る。


「だって久家さんが、銃口を突きつけて来たりするから、仕返ししたくててつい」


「そうか、悪かったよ。次からはもうしないから。晴香と鉢合わせる様な真似は止めてくれ」久家さんは真剣な面持ちでそう言って来る。


「ご、ごめんなさい」何だか悪い事をした様な気になって来た。唯、向こうもこちらが理由を知らない事を理解しているからかそれ以上責める様な言葉を掛けて来る事は無かった。


 晴香さんと久家さんがどう言った関係なのか、僕は知らない。二人は勿論、彩香さんも語ろうとしないから知る術も無い。二人の事で僕が教えられた事と言えば「もう終わった事だから、蒸し返すような真似をするな」と言う事だけだった。


 泣き続ける晴香さんを彩香さんが宥めつつ一階へ送る背中を僕は見続けるしか出来なかった。


 暫くして、彩香さんだけが二階に上がって来る。そして僕の頭にゴツンと拳骨を入れられた。彩香さんは結構手が早い方で、イラついている時等に理由の無い暴力を振るう事もしばしばある。いつもなら文句を言っている、僕だが今回は口を開く気にはならなかった。


「それで、お前がわざわざ出向いて来たってことは緊急の依頼が有るんだろ」彩香さんは久家さんに詰め寄る形でそう尋ねる。


「これを渡しに来た。いつもの方法で依頼を出すと余計な所に情報が漏れる可能性が有ったからな」久家さんは、そう言いながら茶封筒を彩香さんに渡す。


「あぁ、あいつら面倒だもんな。監査やら情報が正確かどうかとかな」彩香さんは面倒なものを思い浮かべるかのように苦い顔をして、渡された茶封筒を開き中の資料に目を通す。


「助手。今日来た依頼で緊急の奴は有ったか?」


「無かったと思うけど」彩香さんの言葉で反射的にテーブルの上に並べた資料を見返しながらそう言うと、彩香さんは「それじゃあこっちを優先させるぞ」と言って僕にも久家さんが持って来た資料を渡して来る。


 資料に書かれている内容を簡単に説明すると、ある組織が竜の鱗を取引すると言う情報を傍受した為、詳しい取引現場を探す事と可能で有れば取引される竜の鱗を奪取しろというもの。


「竜の鱗って、何かの隠語か何かですか?」


「いや、言葉の通りだ。ここに書かれている竜の鱗は文字通り、竜と言う生物の鱗の事を差している。異世界については、前に話したよな」


「はい。確かこの世界とはまったく違う別の世界が有るって話ですよね。そこに住む生物も違えば文化や技術も今いる世界とは、まったくの別物で、何かしらの原因で時折向こうのものがこっちの世界に来るとかいうのですよね」


「ああ、その通りだ。私も実物は見た事が無いが、向こうの世界には私達の世界で語り継がれている伝説上のドラゴン、つまり竜が向こうでは生息している。そして今回の依頼では、恐らくこっちの世界に流れ着いたで有ろうその鱗が取引される所を狙って、奪えってこと。多分一番の目的は取引する組織を一網打尽にする事だろうがな」


 彩香さんは、そう言って僕に説明した後、冷ややかな目で久家さんを見る。


「もちろんそれも今回急ぎの理由でもある。我々としては反社会勢力が力を付ける前に潰したいのも事実だ。だがそれ以上に竜の鱗なんて物が奴らの手にある事を知って、放置する訳には行かないだろ」


「まぁ、確かにな。だから優先するって言っただろ」


「竜の鱗って危険なもの何ですか?」僕はまだ異世界がどうのと言った知識は最低限しか教わって居ない。だから竜の鱗という物がどう言った代物なのか興味が湧き尋ねると、久家さんに溜め息を突かれた。


「彩香。もしかして黒騎君に何も教えて居ないのか」


「教えて居ないんじゃない。教える必要が無いだけだ。あくまでこの助手は例の事件解決までの契約だからな。必要以上に教える必要は無いだろ」


「はぁ、好きにしろ」


 彩香さんは睨みを利かせて反論させないようにし、久家さんはそんな彩香さんの態度に疲れた様子で話を流す。


「ともかく、こっちはいつでも動けるようにしておくから、取引が行われる正確な場所が分かれば知れせてくれ」


 そう言い残して久家さんは、扉を開けて出て行った。


「まったく、記憶が戻ったなら戻ったって姉さんに言えば良いだろ」久家さんが扉を閉めた瞬間に彩香さんが独り言のように呟いた。


 僕はまた余計な事をしでかして、追い出される様な真似はしたく無いので、彩香さんの独り言は聞かなかった事にして、もう一度資料に目を通す。

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